粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

プロ市民団体の一人二役、三役…

2014-07-31 19:53:38 | プロ市民煽動家

産経の記事を読んで、「やっぱりか」と思う。

またも「反対」絶叫の“プロ市民” オスプレイ配備候補地・佐賀ルポ 反原発と同じ顔ぶれ

おそらく、日頃の報道をチェックしている人なら、この記事タイトルから、その内容はおおよそ予想がつくと思う。

今月22日に武田防衛副大臣が佐賀県庁を訪れ、佐賀空港に自衛隊のオスプレイを配備する計画を知事に伝え理解を求めた。しかし、これを聞きつけた市民団体が県庁前に集まって抗議活動をした。しかし、その団体は…。

「副大臣は来るな」「佐賀空港の軍用化反対!」武田氏は佐賀県の古川康知事と県庁4階で面談したが、反対派100人の怒声は、面談終了まで続いた。武田氏が帰り際に正門を通る際には、金切り声が庁舎内まで響いた

産経の記者はこの「金切り声」で昔のことを思い出したようだ。

この光景は3年前もあった。

 平成23年6月、玄海原発を巡り、当時、経産相だった海江田万里民主党代表が、再稼働への同意を古川氏に要請したのだ。この時も県庁前に横断幕が並び、「帰れコール」が起きた。

 同じなのは様子だけではない。反対を唱える顔ぶれも似通っている。

佐賀県によると、防衛省の計画公表後、県内外の反原発団体など延べ15団体が、オスプレイ佐賀配備反対の要望書を県知事や防衛相に提出した。

 このうち「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」(石丸初美代表)が提出した要望書によると、オスプレイ配備で日本による他国への軍事的脅威が高まり、60キロ離れた玄海原発も攻撃目標になりかねないとする。

 同様の要望書を出した「さよなら原発!佐賀連絡会」の杉野ちせ子氏は「そもそも、他国が離島を奪うという事態は現実的なのでしょうか? 平和構築には相手に脅威を与えないことが大事なんです」と語った。

来た、来た、来た!

「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」「さよなら原発!佐賀連絡会」…。

なんのことはない、反原発グループが今回「反オスプレイ」を主導しているのだ。一人二役、あるいは何役もこなす。要するに反対する看板を「差し替えている」だけの話だ。おそらく、産経の記者は記憶力に頼るこ必要がないほど、こうした市民団体のシュプレヒコールは「マニュアル化」しているのだろう。

こうした市民団体は世間で言われるように「プロ市民」であり、特定のイデオロギーに凝り固まった特異な集団といってよい。原発反対、秘密保護法反対、集団的自衛権行使反対、そしてオスプレイ反対。

確かにこうした団体の主導と特定のマスコミによる強力な後押しで一部の国民がある種の熱狂から引き寄せられることもあるだろう。しかし、それは一時的なパッションに過ぎず、すぐに目が覚める。マスコミはそんな実態を知りつつ敢えて国民を煽り続ける。

記事によれば、今月28日までに佐賀県庁にはメールや電話が役200件寄せられたが、配備賛成が反対を上まっているいるという。県民は冷静である。尖閣諸島の防衛には効力を発揮するだけではなく、オスプレイが九州の多くの離島への災害救助や急患移送にも大きな役割を果たしてくれるものと期待している。

古川知事も判断を誤らないで欲しい。3年前は海江田経済産業相(当時)が玄海原発再稼働を知事に要請したが、「菅首相(当時)の判断を仰ぎたい」として知事は即断できなかった。結局菅首相が突然ストレステストなるものを持ち出して再稼働にブレーキを掛けてしまった。

知事本人は再稼働には積極的であったが、機会を逸してしまい、これがきっかけで全国で原発の火が消えて年間数兆円の国富喪失の端緒にもなった。もはや知事がプロ市民の絶叫に振り回されることはないと思うが念のため。

 

室井佑月の忌み言葉

2014-07-30 14:22:15 | 煽りの達人

作家の室井佑月が週刊朝日(7月18日号)の連載コラムで政府が進める福島への修学旅行推進計画にクレームをつけた。「なぜ子どもをわざわざ福島へ連れていかなきゃいけないの?」しかし、この主張が福島差別に繋がると世間から厳しい批判を受けた。するとまた室井がこれを受けて再度週刊朝日(8月1日号)で反論した。「あたしの意見は福島差別になるのだろうか」、と。

一連の論争では、どうみても室井には分が悪い。彼女を批判する側は「福島の旅行が危険という主張は個人的な情緒が先行して具体的な根拠に乏しい」ということだ。しかし、彼女はこれに何ら答えていない。こうした話は反原発派論陣全体にいえることで進歩もなく袋小路に陥っているといってよい。

室井の反論で特に本音というべき発言がある。

福島ではなにも起きていないといってしまえば、東電の起こした原発事故のその後のすべてが風評被害であるというすり替えが可能になってしまう。国も東電も、被害者に対して手厚い保護など考えなくていいことになってゆく。

「福島ではなにも起きていないといってしまえば…」とあるが、逆に言えば彼女からすれば「福島で何かあって欲しい」し「何かあるべきだ」と切望しているように思える。原発は人間にとって危険極まりない。直ちに廃棄すべきだ。そのためにはいつまでも福島が危険であらねばならない。安全なんてとんでもない、ということになる。

室井は福島が元々嫌いではない、しかし、こんな脅迫関観念から福島を呪い続けるのだ。結果として福島差別へと向かっていく。それだけに余計たちの悪い差別ともいえる。

そして室井ら反原発派にとっては、依然として「風評被害」は「忌み言葉」である。記事を書き始めた発端は政府による「風評被害払拭」だが、これにに室井自身カチンときたのだろう。特に一児の母親である本人にとって、子どもを絡めた「払拭」には我慢ならなかったはずだ。

しばしば反原発派が事故の影響を騒ぎ立てると世間では「風評被害」と批判される。事故当時はそれも大目に見られていたが、事故が収束に向かい世間が冷静になっている今ともなればその目は厳しくなってきている。反原発派にとってもそれが「負い目」になっているはずだ。

したがって、報道で「風評被害払拭」などと出ようものなら、反原発派の人々は自分たちが批判されているような被害妄想に陥る。もはや「風評被害ではない、東電の実害だ」といった論理は通用しない。反論に窮して室井は見当違いな歴史認識を持ち出してはぐらかしている。

そうそう、仲が良い大学教授の先生が、原発事故・放射能問題を、「戦争責任問題と似ていますよね。結局、1億総懺悔で、戦争責任は追及せず、です」といっていた。その通りだとあたしも思う。

ここまでくると、やはり同じ歴史認識を持ちだして日本を攻撃する隣国の女性大統領のように、自分にとっては意味不明で理解しがたい。「おいらの意見は室井佑月差別になるのだろうか」

 


東電所員、そして日本国民を貶め続ける朝日新聞

2014-07-29 16:11:22 | 反原発反日メディア

カラスの鳴かない日はあっても、朝日新聞が東電や他の電力会社を非難しない日はない。別に自分は東電などとは全く関係もないが、この新聞の執拗さには辟易する。最近では関電の過去の献金問題をスクープしていたが、一面トップで扱う問題とはとても思えない。

東電といえば、5月にやはり非公開の「吉田調書」を入手して暴露記事を掲載したことが記憶に新しい。事故直後3月15日早朝、福島第一原発2号機の原子炉で爆発音がしたのをきっかけに所内の東電所員の9割が吉田所長の命令に反して、第二原発に退避したというのが朝日の記事内容だ。

しかし、この報道にはノンフィクション作家の門田隆将氏が虚報であるとして、本人のブログや二つの週刊誌で反論した。門田氏は朝日は吉田所長の証言を曲解したことで誤った情報を世界に発したとして、これを嘗ての朝日の慰安婦捏造報道と結びつけて非難した。事実、韓国ではこの退避を自国でのセウォル号事故で真っ先に逃げた船会社の社員たちと同類のように扱う報道があった。

だが、朝日新聞は即座にこうした門田氏の非難に対しては猛反発して、氏や週刊誌に訂正と謝罪を要求した。記事には確たる証拠があり、虚報とか捏造といった批判は自社の名誉に関わるということだろう。しかし、ここへきて朝日の報道を真っ向から否定する記事が登場した。

共同通信が全国の地方紙に提供した連載記事で、事故当時の様子が克明に描写されている。問題の3月15日について、その核心部分は以下の通りだ。

『共同通信』〈全員が凍り付いた。圧力容器からの蒸気を冷やす圧力抑制室の気密性がなくなり、高濃度の放射性物質を含んだ蒸気が環境に大量放出される。もう第1原発構内どころか、周辺地域にすら安全な場所はなくなる。最も恐れていた事態だった。
 稲垣が吉田に進言した。
「サプチャン(圧力容器)に大穴が開いたと思います。とんでもない量の放射性物質が出てきますよ」
「退避させるぞ」
 吉田は即決した。テレビ会議のマイクのスイッチを入れ、本店に退避を申し出た。必要のない大勢の社員たちをいつ退避させるか吉田はずっとタイミングを計ってきたのだ。今がその時だった。

ところが約220キロ離れた東京の本店の反応は鈍かった。制御室にある圧力計が故障したのではないかと言う。吉田がキレた。
「そんなこと言ったって、線量が上がってきて、こんな状態で全員いたら、おかしいだろっ!」〉

朝日新聞の記事では吉田所長が福島第二ではなく、第一の比較的線量の低い場所に退避して状況次第ではすぐに元に戻るように指示したというふうになっているが、そんな悠長な話ではないことがわかる。そして吉田所長は「即決」したと伝えている。

だから、本部の煮え切れない態度に所長が切れて怒鳴りつけたのも頷ける。しかし、朝日が入手したとされる吉田調書の問題部分は吉田所長の消極的態度とも思われる証言が根拠になっている。

『朝日新聞』「本当は私、2F(第二原発)に行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。

(中略)

いま、2号機爆発があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、これから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれとうつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。

それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」

自分の命令とは違ったけれど結果的にはよかった…。これを読むと吉田所長は指導力に問題があってどこか成り行き任せの人間にように思えてくる。共同の記事で部下の進言に「即決」し、東電上層部に対しては怒鳴りつけた人間とは全く別人物にみえる。

そして東電所員にたいする評価も極めて対照的だ。朝日が所長命令に無視して恐怖に駆られて自制をなくして逃げ込んだという印象がある。しかし、共同通信で前述の記事の後に突然の退去指令にも同僚や家族を気遣う人々の心の葛藤が見られる。

『共同通信』「2Fへの退避ですよ」と仮眠中に叩き起こされ、2Fへ向かった者や、逆に2Fへの退避を命じられても「残ります」と言い張って、命令をきかなかった者、あるいは、2Fへの退避を決めたエンジニアが、「最後に子どもの顔が浮かんだんです。子どものためにも今は死ねないな、と思いました。正直、うしろめたさはありましたが……」

これがどうしてセウォル号の船員たちと同類なのだろう。9割避難とはいっても事故対応に従事する「戦闘員」はしっかり残り自分の任務を全うしようとしていた。それ以外の「非戦闘員」が退避したにすぎない、後ろ髪を引かれるように。どこに朝日が言及するような「卑怯」があるのだろうか。

まだ朝日と共同通信の相反する報道合戦は決着には至っていない。しかし、門田氏は共同の長期に渡る取材姿勢を評価するが朝日には際めて手厳しい。

共同通信の現場への食い込み方は、やはり活字媒体ならでは、の思いが強い。しかし、朝日新聞だけは、現場取材の痕跡がない。「ひょっとして朝日は現場に取材もしないまま、あの記事を書いたのではないか」と、どうしても疑ってしまうのである。

朝日の記事が吉田調書の活字だけを追って書いているのなら朝日に分が悪いといえる。吉田調書は政府の事故調査会による吉田所長に対する聞き取りである。いわば政府による所長への「追求」であり、結果的に所長の自己弁護の部分が加味されていても不思議でない。事実、吉田所長はその後記憶違いがあるかもしれないので調書の公表は控えるよう申し出ている。

しかし、朝日新聞は吉田所長の死去後にすっぱ抜くように調書を暴露している。その内容は極めて吉田所長にとって不名誉な記事となっている。さらには所長とともに、危機的な状況に立ち向かって事故収拾に献身した東電所員たちをも貶めるものになっている。朝日の記事には苦闘する現場人間への敬意が全く感じられない。

確かに東電の会社組織や上層部に問題があったかもしれない。しかし、それをもって東電を悪の権化のごとく見なして、否定的な部分しか報道しない朝日新聞の姿勢には不快な感情しか起らない。それも反原発という自社のイデオロギーのために事実を曲解したり捏造したりするとしたら、もはや社会の公器として誇りはなく反社会的組織でしかない。

慰安婦問題も朝日新聞の捏造報道から始まった。戦前の日本特に旧日本軍は悪逆非道だった。だから朝鮮人女性たちを強制的に連行して性奴隷として虐待したはずだ、という勝手な刷り込みがあった。こうして戦前の日本人が糾弾される。しかし、これはその子孫である現在の日本人全体を貶めるものだ。そして東電所員を貶めることで日本の企業体質や企業戦士を糾弾する。これもまた結果的に日本人そのものを貶めることにもなるのだ。


リベラルの車窓から

2014-07-28 15:25:40 | 反原発反日メディア

「ある雑誌」の記事から

憲法改正に前のめりな安倍晋三首相の「妄想狂的なところ」に怖さを感じ、第2次安倍政権が発足した後、5歳の長男にも英語教育をほどこし始めた。いざというときの海外避難に備えて外貨預金をし、家族全員のパスポートも常備している。

安部首相の「妄想的なところ」の恐さ、英語教育、海外避難…亡命計画が家族で着々と進められているようだ。

「特定秘密保護法も集団的自衛権も、来るものが来たなという感じ。自分の家だけで海外に逃げていいのか。ほかのお母さんたちがどんな思いなのかを知りたい」

来るべきものが来た、ファッシスト内閣が牙を剥いてきている、一刻の猶予もない。でもまわりのお母さんは動きが分らない、私だけが安住の地に逃げ込んでいいのかと良心の呵責に悩まされる…。

恐いですね、つらいですよね、と往年の淀川長治さんならばあの名調子で解説するだろう。でもこれは映画の世界ではなく、現実に起きているというお話ですよね、アエラさん!さすがに親会社の朝日新聞や同系列のテレビ朝日ではこんなこと、話題にならないようだが。

亡命のために子どもに英語を学ばせるというニュースソースは、本家からは少々荒唐無稽で気恥ずかしいと思えたのだろうか。それに今後も安部ファッシスト内閣が長期に続くとは考えていないのかもしれない。朝日の社是である「安部叩き」で徹底抗戦あるのみだ。いざという時はお友達の習さんや朴さんが裏から助っ人してくれる。

しかし、山の手リベラル派女性向けのアエラという週刊誌はリベラルすぎて特別時の政権には危機感が強いようだ。原発事故当時は防毒マスクの写真で表紙いっぱいに危機感を煽ってたこともあった。記事で安部政権を「妄想」と名指しているがはたしてどちらが妄想に近いのか。リベラル山の手は今将に燃えるばかりの夏色のお花畑だ。

 

日本人は国産の食材を選ぶ

2014-07-26 16:45:43 | 過剰不安の先

降って湧いたような中国食肉加工会社の不祥事。期限切れの鶏肉を混ぜた肉を日本のマクドナルドやファミリーマートに収めていたことが発覚してマスコミが大騒ぎしている。

それに関連して、あるテレビのワイドショーで日本の消費者はどんな食材を選ぶか、その購買傾向を報じていた。それによると、消費者特に主婦は多少価格が高くても日本の食材を選ぶのというのが6割を超えていた。安いからといって健康を害して苦労するよりましというのが本音のようだ。日本の食材なら品質管理がしっかりして安心して買うことができるということだ。

そんなワイドショーの報道に接して、少々不快になった。このワイドショーに限らず、同様の番組が原発事故以来、やたらと日本の食材の不安を煽っていた。街の主婦を登場させて、「東日本の食材は避けて西日本さらには外国の産品を使うようにしています」といったさも放射能汚染の不安が食卓を被っているような報道ぶりであった。

放射性物質の暫定基準が緩くてで信用できない、チェルノブイリ事故後のウクライナはずっと低かったと識者として称する人物が番組に出演しては日本の食材の危機を煽る。風評被害などそっちのけである。

だから消費者もそれに乗せられて東日本の食材を敏感になる。学校給食で福島や近隣の食材が含まれていることが分ると反対運動が展開される。そんな疑心暗鬼がしばらく続いた。

しかし、原発事故が収拾に向かい、消費者も食材に対する理解が進み、もはや東日本の食材云々を問題にすることもなくなってきた。それが本来の日本人の姿であって従来からあった日本の産品に対する信頼感は再び確かなものになったといえる。結局こうした中国の事件を経て日本人がそれを再認識したということだろう。しかし、マスコミはたった3年前の騒ぎは忘れてしまったのかのようだ。