粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

魔法の力

2011-12-31 14:24:51 | 震災全般

今年の世情を振り返るとやはり大震災とそれに伴う原発事故が今になっても深く影を落としている。震災による公私の行事自粛、節電の日常化は、景気後退を一層際立たせた。原発事故による大量の放射能汚染は、パニックともいえる大騒動を引き起し、理不尽な風評被害が蔓延している。

この社会不安を解消しプラスに転ずるのようなものが生まれただろうか。なでしこジャパンの世界制覇は数少ない慶事といえるだろう。塞がれた人々の心を再び結びつけるものを今国民は渇望しているのではないか。

ベートヴェンの第九交響曲最終楽章で有名な「歓喜の歌」の一節に次のような箇所がある。

あなたの魔法の力は再び結びつける

世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを

全ての人がみな兄弟になる

あなたのその柔らかな翼が憩うところで

ここでいう「あなた」は西洋でいう「神」に相当する。引き裂かれた人々の心を再び結びつけて皆が兄弟となる神の魔法の力はあるのだろうか。そういえば今年流行ったCMにも「魔法の言葉」というのがあった。

まほうのことばでたのしいなかまがぽぽぽぽ~ん。

CMでいう「言葉」とは主に挨拶を指している。何気ない日常の言葉が、人の心と心を結びつける。そんな人間の原点が求められているのかもしれない。



求む歌謡曲の復活

2011-12-30 11:47:54 | 音楽

今年の年間ベスト100の資料を見てみると結局今年は「ヒット曲」がなかったと暗澹とした気持ちになる。50位で既に14.2万枚という低セールスである。100位に至っては7.7万枚という数字だ。50位以内でみるとAKB48を中心とした女性アイドル集団、嵐を始めとしたジャニーズ系、そしてKara,少女時代らKpop系でほぼ構成される。残りはわずかにExile,福山雅治、Bump of Chicken,B,zの数曲があるだけだ。いずれもこれらアーチストは若い一部の熱狂的ファンに支えられているだけで決して大衆的に人気を博しているとはいえない。AKB48に至ってはその商法が問題視され大幅な水増しセールスの疑惑がもたれている。

そんななか海外では日本のベテラン歌手由紀さおりさんのアルバムがヒットしている。デビュー当時の1969年頃の自他のヒット曲をアメリカのオーケストラをバックに歌ったものだが、当時からの歌唱法を維持している。いわゆる歌謡曲の神髄というものだ。当時はそんな歌謡曲の全盛だ。それが今海外で評価され、日本に逆輸入されている。

歌謡曲の基本は歌手、作詞家、作曲家が分業してそれぞれがその領域で才能を極めようとするものだ。当時もシンガーソングライターなるものは存在したが決して主流ではなかった。本来歌唱、作詞、作曲はその才能は別々でとても天が2物も3物も与えてくれないのではないだろうか。その結果、現在それぞれの道を究めた歌手、作詞家、作曲家が少なくなったといえる。由紀さおりさんのデビュー当時は、彼女を始め伊藤ゆかり、いしだあゆみ、黛ジュンなど大人の歌を情感たっぷりに歌える歌手がたくさんいた。作詞家では阿久悠、なかにしれい、松本隆など大家と呼ばれる作詞家が活躍し、作曲家では筒美京平、いずみたく、都倉俊一などがその才能を遺憾なく発揮していた。そしてそれによって生み出されたヒット曲は老若男女と問わず大衆の心に強く深く響いた。

由紀さおりさんが「最近の歌は日本語が心に響いて来ない」というよううな感想を吐露していたが、自分も同感だ。確かに演歌歌手の歌唱力は抜群で魅力的な歌手、曲に少なくはない。しかし、その歌詞内容、曲調、歌唱法にどこか古くささを感じてしまう。ダンス中心の若手歌手たちの歌はショウ的要素が強く、仕掛けさえ感じる。

今はこのような専門の歌手、作詞家、作曲家でその才能の上に結実した歌謡曲を望むのは無理なことなのだろうか。そんなことは決してない。歌はいつの世でも人の心に刻み込むかけがえのないもののはずだ。今こそプロの才能を結集した輝かしい歌謡曲の復活を求めてやまない。


中国のTwitter規制

2011-12-29 11:51:01 | 厄介な隣国

中国ではすでに3億人以上が利用しているといわれる中国版Twitter「微博」が規制されるという。北京や上海などの大都市で「微博」利用者は実名の登録を義務つけるというものだ。先の高速鉄道事故では当局批判がTwitterで猛威をふるったことへの政府の強い警戒感の現れだ。

「中国の報道は日本よりしっかりしている。」と、文革時代の朝日新聞顔負けの中国賛辞をする日本の某自由報道協会の上杉某氏は、この中国の言論規制をどう弁護するのだろうか。

しかし中国当局のこの規制は一時的には効果はあってもすぐに効力を失うだろう。Twitter利用者は既に3億人以上で今後も増え続けていく。ある在日中国人評論家が「赤信号は一人で渡ると警官に呼び止められるが、一度に100人が一斉に渡れば止めようがない」と中国ネットワークの爆発的拡大を説明している。また高速鉄道事故のような惨事が起これば、当局の規制を超えてネットによる政府批判の炎が広がっていくに違いない。あるいはそれまでに新たのソーシャルネットワークが登場して別な形が猛威をふるっているかもしれない。

現在中国は経済成長での歪みが、暴動の形で各地に頻発している。地方政府の理不尽な土地収用などには住民が堂々と拒否行動をとり貫徹したケースも多い。劣悪な労働環境には違法ストで要求を勝ち取ることも日常茶飯事だ。

高度成長のこの時期でもそうだから、すでに景気停滞の囁かれ始めている今後は、より一層国民の不満が爆発して余計暴動が広がっていくだろう。その際はネットの力が遺憾なく発揮されるに違いない。規制されればされるほど雑草のようにたくましくなっていくと思う。

来年は中国指導部が交代する時期だ。習近平次期総書記もいずれは、報道規制を緩めて国民の不満を緩和する措置をとらざるを得ないだろう。それが最終的には政治の大変革へと導くことになると確信している。


反基地と反原発

2011-12-28 12:21:25 | 国内政治

報道によると「普天間飛行場から辺野古への移転に関する環境影響書」を載せた配送車が、県庁前で移転反対派のグループによって配送を阻止されたという。そもそもこの環境影響書提出は政府から沖縄県庁への単なる行政手続きにすぎず、知事も書類の受理そのものは承諾していて、その内容に同意するかどうかはあくまでも仲井真県知事が決めることだ。

人間バリケードさながらの実力阻止は、全く民主国家のルールを逸脱している。行使したのは100人ほどの市民グループらしい。原発事故以来何度も登場する「市民グループ」だ。これを沖縄県民の総意とはとても信じられない。県民でもたとえば辺野古周辺の住民は賛成派が多いと聞く。県民の意見もさまざまだ。一部「市民」の過激な行動が目立つためにややもするとそれが全体を代表していると思い込むのは危険なことだと思う。

それは原発事故から発生した諸々の反対運動で既に経験済みだ。京都五山送り火、あるいは日進市の花火、最近では被災地の瓦礫引き取りを巡る騒動など市民グループの奇怪な反対行動が目立つ。これらは「反原発」であって決して「脱原発」ではない。単に原発依存から脱却を望むという穏健な国民全般の思いではなく、何が何でも原発そのものが悪で放射能は危険極まりないという極端な思想である。

同じように沖縄の「市民グリープ」による阻止行動も、いわば「反基地」であって穏健な「脱基地」とは一線を画している。「反基地」とはすなわち反米、反安保を旨とした極めて思想色の強いものだ。もちろんこれは沖縄県民の総意ではない。一部本土の「反基地」グループも加わっていると聞く。原発再稼働の説明会で周辺住民とは関係ない市民グループが大挙押し寄せる構図に近い。

政府としてはそんな反基地グループの行動に振り回されることなく粛々と基地移転を進めるべきだ。そもそも民間の配送業者に書類移送を代行させること自体、逃げ腰だ。防衛省の幹部が堂々と県庁を訪れるべきものだ。仲井真知事も内心は基地移転賛成なのだが、表向き移転反対の声が強いため今は静観していると思う。政府の逃げ腰の態度にはやきもきしているはずだ。政府はもちろん沖縄県民の声を充分に汲取る謙虚さと努力が必要だ。しかしその真意はどこにあるかは間違ってはならないと思う。



北朝鮮が改革開放に踏み切れない理由

2011-12-27 00:00:40 | 厄介な隣国

金正日総書記が死去して、北朝鮮の今後の動向が注目される。果たして中国やベトナムのような少なくとも経済の改革開放が始められるか。現政権ではなかなか難しいといえる。今北朝鮮は経済が機能しておらず、慢性的な食料不足で国民の生存さえも確保出来ないほど絶望的な状況にある。

この苦境に北朝鮮は核開発などの軍事的脅威を煽って隣国からの援助をかすめ取って、なんとか国家の存立を維持している状態だ。しかし日本、韓国、米国などはその手法にはもはやだまされない。故金正日総書記が内心は嫌いな中国を今年は3回も訪問して、緊急の食料援助を請う体たらくだ。しかし中国もいつまでもそんなお人好しではない。それを知ってか金正日は今度はロシアにまで足を運ぶほどなりふり構わぬ有様だ。

北朝鮮が生き延びる道は経済的自立しかもはやあり得ない。それには経済の改革開放が必要だ。外資を導入を全面的に認めて人的交流も自由にする。当然外部の情報も入ってくる。

だがこれは3つの理由で実施が難しいだろう。

一つは改革開放によって新しい資本家が台頭してくることだ。これは朝鮮労働党、あるいは軍部などの既得権益層への大きな脅威となる。むしろ経済自立を阻害する反動勢力にしかならない。親玉金王朝の「王家」はこれらの集団の頂点にある。国民からの収奪や周辺国からの援助(脅迫での見返りを含む)で自分自身蓄財し、一部は党、軍部、秘密警察などの中枢部に分け与え、残りを一般国民に配給という形で支給する。これらを「将軍様のお恵み」ということにして国家を統制してきた。しかし現在末端の国民への配給がままならず、こんな状態で新たな資本家が出現したら金王朝の管理システムはその欺瞞性を暴露されてしまう。

二つ目は国民の不満爆発だ。改革開放によって情報が入り、自分たちが世界的に最も貧しく自由のない最悪な国であると知る。それは既存権力に対する激しい憎悪を引き起こす。今でも本音では自分の国は酷い状態だとは思っているだろうが、これがもっとはっきりした形でわかればその憎悪は計り知れない。金正日たち指導部はそれを恐れて情報を完璧までに遮断したのはある意味、当然の帰結であった。

三つ目は北朝鮮という国家そのものの存在意義の喪失だ。これは統合前の東ドイツの例を見るとわかる。22年前の東欧の再変動は、各国に体制大変換を導いたが、東ドイツを除けば国家そのものは現在も存立している。東ドイツ国民はは結局西ドイツと比較してドイツ内の遅れた二級、三級地域住民にみられ、援助の対象にしかならなかった。いわば吸収合併だ。その弊害は今も尾を引いている。旧東ドイツ住民は劣等感から自分たちの存在意義の喪失になおも悩まされている。

北朝鮮と韓国の経済格差は22年前の東西ドイツの比でなく極端な差がついてしまった。韓国に伍して国家としての体面をとても保てないだろう。もはや軍事的な空威張りしか国家として存在意義を見いだすことはできない。開放が進めば結局は国家を失うというジレンマに突き当たるたることになる。

以上が北朝鮮が改革開放により体制が大変換する経過を考察してきたが、これを承知で現在の北朝鮮指導部が踏み切る度量があるだろうか。進めることによって自分たちの権力基盤をみずから失い新興勢力の糾弾をうける皮肉。これまで金正日独裁体制で甘い汁を多く吸っていた者ほどその抵抗は凄まじいことは予想に難くない。しかし開放をしなければこれまた存続出来ない。国の進路を巡って深刻な対立は避けられないだろう。