粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

翁長知事の国連演説を一蹴した沖縄のジャンヌ・ダルク

2015-09-24 18:38:12 | 沖縄の虚像と実像

翁長雄志沖縄県知事は21日ジュネーブの国連人権理知会で演説し、辺野古移設問題を沖縄の人権問題として見なして移設反対を訴えた。

わずか2分の演説だったが、その内容は日頃知事が主張する「銃剣とブルドーダー」に象徴される米国の統治時代からの過酷な状況を強調し沖縄県民は常に被害者だったという立場のものだ。「国土の0.6%の土地に米軍専用施設が現在も74%が集中する」という極めて誤解を生むフレーズを臆面もなく使っている。(自衛隊との共同使用を含めた米軍施設全体でみれば、沖縄23%で北海道に次いで2位)

相変わらず翁長知事には日本の国防という視点が見られず「人権」という極めて漠然とし情緒的な言葉だけで基地反対を訴えている。これでは国連の人権理事会も面食らうことだろう。それも非政府組織の団体が主張するのならともかく、プロの政治家の口から発せられるのが異常である。普段は翁長知事の応援団を自認する沖縄の県紙も、翁長演説に対して他国の理事会出席者の関心は極めて低かったことを認めている。

理事会に居合わせたジュネーブの日本政府の女性代表もすぐさま反論し、「日本の平和と安全を確保することが何より重要だ」と強調。長い時間をかけて辺野古移設を検討し沖縄県と合意した経緯を明らかにし、今後も県民に説明し、法に則して解決していくと語った、という。

政府代表の説明は極めて現実をわきまえた具体的なもので翁長知事の情緒論とは対照的だった。それ以上に翁長演説に強烈なカウンターパンチを浴びせた女性がいた。いまや「沖縄のジャンヌ・ダルク」と称せられる我那覇真子さん(26)だ。偏向報道が現在特に問題視されている沖縄県紙2紙、沖縄タイムズ琉球新報を正す県民・国民の会の代表だ。この若い女性活動家がこれら県紙を中心とした左翼系メディアが支配する閉鎖的な言論空間を打破すべく孤軍奮闘している。彼女のことは自分自身2年前から注目していたが、その活動が日本の著名な保守系ジャーナリストから強い支持を受けつつあるのは何よりだ。

翁長演説の翌日22日に彼女は同じ国連人権理事会で知事の主張を真っ向から否定するスピーチをしたのだ、しかも英語で。その内容が動画でアップされ日本語訳も出ている。

 

昨日皆様は、現に日本の不可分の一部である沖縄県民が、日本政府及び米軍によって抑圧­される少数民族だ、という話をお聞きになったことと存じます。

これ程事実からかけ離れた事はありません。私は沖縄で生まれ育ちましたが、日本の一部­として私達は最高水準の人権、教育、福祉、衛生及び生活の質を享受しております。

その一方で、支那は概して人権に対するばかりか、同地域の安全保障及び日本に対する脅­威ですが、その国が沖縄の選挙で選ばれた議員やその支援者に「自分達は先住民族である­」と言わせて、独立運動を煽動しているのです。

私達は先住民族ではありません。どうかプロパガンダを信じないで下さい。石垣市議会の­砥板芳行(といたよしゆき)氏からのメッセージです。「現知事は無責任にも、日本とア­ジア太平洋地域の安全保障における米軍基地の役割を無視しています。知事は状況を捻じ­曲げて伝えています」

「重要な事は知事や国連の皆様が、東シナ海及び南シナ海において支那が引き起こしてい­る深刻な問題を認識することです」。有難うございました。

 

ここで沖縄県民が先住の少数民族だと主張したのは翁長知事自身ではない。これは翁長知事を支援する左翼系NGOの発言であり、理事会で彼女の前にスピーチしている。したがって、我那覇さんのスピーチは翁長知事とその支援団体両方への反論といえる。

しかし、翁長知事の「人権侵害論」に対しては彼女自身が真実とはかけ離れていて「日本の一部として最高の人権等を享受している」と完全否定している。あるいは石垣市議のメッセージを引用して、翁長知事が中国による周辺諸国への深刻な膨張行為には無関心な一方、日本の防衛に不可欠な米軍の存在を無視していることを強く批判している。

つまり、彼女は「人権」を盾に基地反対を国連の場で展開する翁長知事を「無責任」だと痛烈に批判しているのだ。しかも、沖縄県民で名護市民の彼女が唱えているところが重要だ。実際名護でも辺野古の住民の大多数は移設を容認している。したがって、日頃翁長知事が「移設反対が沖縄の民意」と主張していることには疑ってかかる必要がある。

ただ、なかなか地元住民は沖縄の閉鎖的な言論空間の中では言いたいことが言えない。その点で彼女の言動はとても勇気がいるものであり、まして国連の場で堂々と発言することには敬意を表したい。今後も沖縄のジャンヌ・ダルクとして沖縄の呪縛を断ち切るべく邁進する快刀乱麻の活躍を期待したい。


「嫌いな番組」の1位と2位

2015-09-19 16:50:46 | 反原発反日メディア

やはり予想通りだった。今週発売の週刊文春に掲載された特集を読んで実感した。読者1200人アンケート2015「好きなテレビ」「嫌いなテレビ」。テレビの放送局の好き嫌い、番組の好き嫌いをたずねたものだが、特に自分が注目したのは「嫌いな番組」だった。結果は1位が「サンデーモーニング」(TBS)2位が「報道ステーション」(テレビ朝日)だった。

「嫌い」とはいっても番組の種類によって「嫌悪感」が違う。3位以下はバラエティ番組が続くが、こちらの方は単に企画が粗雑だったり出演者の品位が問題だったりで、視聴者の個人的な嗜好や情緒に基づいている。しかし、上位2番組は放送の基本に関っている。具体的には公平を欠き極めて政治的思想的に「偏っている」ということに尽きる。そうした意味ではバラティ番組と比較しても遥かに「悪質」といえる。

文春の記事でこれら2番組について言及した部分を抜粋する。

 

…新時代の息吹を感じるTBSだが、「嫌いな番組」1位は日曜の看板番組「サンデーモーニング」が。

「司会者とコメンテーター揃いも揃って反原発、反安保法案。放送の公平が保たれて言えるのか」(39・男性)

「ケント・ギルバートやペル・ギャルポが出ていた頃はよかったが、保守色の強い二人はいつの間にか出なくなった」(43・女性)

「老害という言葉ピッタリだと思う。偉そうなお年寄りが上から目線で『喝!』と言ってる姿に虫酸が奔る」(30・女)

TBS関係者が語る。「視聴率もいいが、クレームが圧倒的に多いのも『サンモ二』。街宣車が抗議に来たことも数えきれません。局内でも内容がっているという批判は出ていますが、何しろ二十八年続く長寿番組。重鎮の関口さんに逆らえませんよ」

複数のTBS関係者が口を揃えるのが「ウチは長いものに撒かれる人間しか出世できない」という社風。そんな中で生まれたのが。“朝ズバの天皇”、みのもんただったわけだが、関口は“サンモニの天皇”らしい。

嫌いの二位は前回一位だった「報道ステーション」。

やはり古館伊知郎の“偽りの弱者目線”に非難が集中。

「ニュースの本質がわかっていないくせに、上から目線で、世論をミスリードしている」(63・男性)

「とにかく古館の冷たい視線が嫌い。馬鹿の一つ覚えで自民党政権を批判すればよいという短絡的思考が大嫌い。そして、時折繰り出すポエム調のセリフが臭い」(49・男性)

「同じ左傾向でも久米宏さんのときは、納得できる伝え方だった。いまは偏り方がひどく、悪意さえ感じる」(45・女性)

元テレ朝の報道記者の話。

「古館さんの不幸は、事務所の社長以外に相談できる相手がいないこと。局内にはいまだ『久米信者』が多く、古館さんも見構えている。ただ、三月に元経産省の古賀茂明氏がコメンテーターを降板してからは、気持ちも安定して落ち着いているそうです。番組自体が来春、打ち切られるという報道がありましたが、局も古館さんも続投するつもりでいますよ」(抜粋終了)

 

まずサンデーモーニング。局内でクレームが圧倒的に多いということを初めて知ったが、別に驚くことはないだろう。自分自身、番組を見れば常にクレームをしたい衝動にかられるが、記事で紹介された回答者のコメントを読むとこの衝動が健全?であることにほっとする。

それにしても、サンモニが始まって28年になるとは!いつのまにか関口宏は「天皇」に祭り上げられてしまったようだ。神聖にして犯すべからず、この放送局ではいまだに明治欽定憲法が生きている。いや、この人物、半島の北の方でふんずりかえっている独裁者のように思えてくる。自分の意に沿った人間しか番組に使わない。番組の私物化という点でも北の大将にも通じる。

次に報道ステーション、テレ朝の関係者によると古館キャスターは最近「気持ちが安定して落ち着いている」というが、この関係者本気でそう思っているのか。安保関連法案を巡る古館の異常と思える反安倍感情を見るにつけ、とてもそんなことは信じられない。どこか、物の怪に取り憑かれているように思える。かつてのプロレス中継やバラエティ番組では軽快なしゃべりがとても輝いていた。「事務所社長以外相談できる相手がいない」という関係者の証言に彼の底知れない孤独を感じて逆に哀れささえ覚える。

そんな古館の報ステだが、ここへ来て番組のスポンサーの一つである高須クリニックの社長がスポンサー契約を今月で打ち切ると語ったというニュースが入ってきた。今週報道された安保関連法案を巡る放送内容が反対者二人を登場させていて、偏向が特に酷いということが理由のようだ。これには古館もそれこそ「安定して落ち着いて」はいられないだろう。「高須ショッック」がテレ朝ばかりか放送界全体の偏向報道にくさびをどう打ち込むか見物である。

ところでこのサンモニと報ステが2大偏向番組として王座を争っている。記事にある通り、前回は報ステがトップだったが、今回は逆転している。その首領である関口と古館を比較したらどちらかというと自分自身古館の方がまだ嫌いでない。古館は感情的だがまだストレートで、ある意味裏がない感じがする。それに対して関口の方は理性派を装いながら奥歯にものの挟まった言い方をする。そこがとても嫌らしさを感じる。

また関口は、自分自身の言いたいことを出演者のコメンテーターに誘導質問させて代弁させる。「この安倍さんの発言、どうも矛盾しているように思えるのですが寺島さんどう思われますか」といった調子である。

司会者だから、中立公平でなければなんらないという不文律を悪用しているようでとても不愉快になることが多い。あるいは、番組の放送内容にミス(それも報道の公平性に関連するもので)があったときにも代表して本人がお詫びすることはない。大抵は関口自身の事務所専属で番組に出演している女の子に謝罪させる。古館の方は女子アナが詫びるが、同時に古館自身も頭を下げているシーンをよく見かける。

まあ、これらの違いも結局は大同小異、五十歩百歩、目くそ…か。いまや、安保関連法案に象徴される報道では、国民の多くは政治家ばかりか、マスメディアにも厳しい目を向け始めている。在位28年の放送界天皇、そして孤独な帝王に対しても例外ではない。放送で敵対者をレッテル貼りしてきた彼らが今や「偏向番組の雄」というレッテルを貼られている。

 

 

週刊文春9月27日号1ページ

週刊文春9月27日号2ページ

週刊文春9月27日号3ページ

週刊文春9月27日号4ページ

 


翁長知事へ、「君、国売りたもうことなかれ」

2015-09-14 21:45:27 | 沖縄の虚像と実像

最近、これほど私利私欲にまみれた政治家を見たことがない。本日、翁長雄志沖縄県知事が辺野古埋立て承認の取り消しを表明したが、その根拠が全く希薄である。「沖縄の置かれた立場」や「歴史」などを持ち出しているが、結局とってつけた口実に過ぎない。

知事として沖縄の主になるという野望を実現するために、沖縄のメディアが画策した反基地の県民世論誘導を最大限利用して知事の座を勝ち取った。そのためには共産党や社民党などの革新勢力と手を結ぶこともいとわない。利用できるものは何でも利用するという政治家の打算しかない。

ブログでは度々指摘したことだが、この知事、自民党県連幹事長時代は辺野古移設の推進者であった。ところが民主党政権になって鳩山元首相が最初「最低でも県外」を唱えたことで沖縄世論が反基地で沸騰した。背後には沖縄のメディアや革新団体の煽動が大きく働いていたのだが。

つまり、沖縄で米軍機が墜落したり、米兵が県民に暴行するといった反基地を県民に促す事故事件があったわれではない。それであれば翁長知事が基地推進から反基地への転向を正当化できないこともない。しかし、そんな根拠もなく、急に世論が変わったからというのでははなしにならない。単に時流にのっただけである。

最近になって翁長知事は戦後の米国統治を「銃剣とブルトーザー」といった強権政治として大々的に政府やメディアに訴えているが、端から見ると笑止千万である。こんな言葉、知事になって初めてつくった「造語」である。翁長氏の辞書には知事以前には全くなかったはずだ。

一口に政治家の大衆迎合主義(ポピュリズム)というが、翁長知事の場合、そんな生易しい話ではない。実際沖縄県民の関心がそれほど「辺野古基地反対」で沸騰しているとは思えない。むしろ県紙を中心としたメディアとやそれと連動している革新政党、組合といった少数だが声だけは大きい勢力に迎合していだけではないか。こうした勢力の支持を得れば知事の座は安泰という打算が働いているに過ぎない。

そのためには彼らが喜びそうな政策を行う。またそうせざるを得ない。今回の承認取り消しもそうした配慮が働いているはずだ。翁長知事が「沖縄に便軍の新基地を絶対つくらせない」と表明するのも決して本心からではなく、自分の知事としての立場を保持するためだ。共産党なども知事の姿勢を支持しつつ自分たちの発言力拡大に知事を利用する。知事と革新勢力が相互依存関係にある、

だから、この知事には県政でなんら期待できるものはない。いずれ、県民にもこの知事の本性がわかる時がくると思う。政府と対立を続けるだけでなんら生産的なものが生まれない。不毛な政治が今後とも続く。普天間は依然として危険なまま存続し続ける。年内に国連に人権理事会に沖縄の「現状」を訴えるともいう。何を訴えるというのか、そんな暇があるのなら少しは沖縄県民の福祉にプラスになる実務に専念しろといいたい。

政府や米軍をまるで目の敵にして敢えて対立を仕掛けてくるのなら、沖縄の県政が混乱し、それが日本の防衛に深刻な影響を及ぼす。それを手ぐすね引いて眺めているのが中国などの反日国である。沖縄が混乱すれば、尖閣諸島問題はもはや形骸化する。結果的に沖縄の海は中国の勢力圏内になってしまう。わざわざ武力を使わずに侵略することができる。孫子の兵法でいう「戦わずして勝つ」ということだ。そうした危機が現迫りつつある。翁長知事には、国売りたもうことなかれ、といいたい。


人からコンクリートへ

2015-09-12 14:13:46 | 国内政治

バブル華やかなりし頃、近くの小さな居酒屋などにはいると、よく建築の職人や作業員が作業服のままカウンターで店のママに得意げに自慢話をしているのを見かけることがあった。「レインボーブリッジ、あの六本木ヒルズ、俺がつくったんだ」「あのスタジアム、あのホテルも…」と次々と有名な建築物の名前が飛び出す。

ママは一瞬またかという表情を見せるが、すぐにいつもの聞き上手に戻り、驚きや感嘆の声を上げる。しかし、彼らが店から出ると少し呆れた風で「下請けの会社の従業員さんであちこちで働いていたの」と「真相」を明かしてくれた。

建設会社のオーナーやそのプロジェクトの関係者でもないし、その社員でもない。孫請けどころかその下請けかもしれない会社で一介の作業員として働いていたのに過ぎない。その見栄っ張りを一笑に付すのは簡単だが、過剰なまでの心意気やプライドには感心もする。

しかし、そのバブルも弾けて建設業の仕事も年々細っていき、いつか居酒屋で得意げに話す職人たちもめっきり減ってきた。6年前に「コンクリートから人へ」というスローガンを旗印に誕生した民主党政権になってその退潮は決定的になった。特に公共事業は、国費の無駄遣いでその削減こそ正義だというよううな風潮だった。

3年前に復帰した自民党政権の安倍内閣になって、その傾向に歯止めがかかって建設業の復活が期待された。しかし、政権発足当時こそ、公共事業を始めとした建設業が活況を呈したが、今やその流れは停滞しているという。経済評論家の三橋貴明氏がこの現状に警告を発している。

民主党政権期の「コンクリートから人へ」はおぞましいスローガンだった。公共事業、公投資などのインフラ整備は今の土木事業や建設業の仕事になるが、それ以上に大きな効果は将来世代にわたって便益をあたえることだ。

たとえば鬼怒川の堤防をきちんとつくっていたら今回の被害は起こらなかった。つまり、過去にきちんと堤防をつくっていたら、今の日本国民が守られるし、将来の日本国民が守られる。あるいは高速道路のネットワークは、今の人たちだけが使う訳ではない。将来世代にわたって使われ今の日本ではキーになる生産性の向上に貢献する。つまり公共事業、公共投資、設備投資は将来にためにある。将来の人々、子々孫々のためにある。

「コンクリートから人へ」の「人」というのは社会保障のことだが、の代表例である子供手当あるいは生活補償、年金などすべて「今の国民にお金を配ります」「将来はどうでもいい。今の私たちに金をくれ」というものだ。それを日本国民が熱狂的に支持したわけだから愚民化以外に表現のしようがない。

今の日本国民はまがりなりにも豊かに安定的に暮らしている。過去の皆様がきちんと投資してくれたから今の我々が安心して暮らしていられる。自分たちは過去の投資の恩恵を受けながら、将来に投資は拒否することはおぞましい。これを日本国民は支持したということで二重の意味でおぞましい。

安倍政権になって公共投資を増やしていると勘違いしている人がいるが、実際は増えていない。こういうことやっていると日本の神様は意地悪だから、洪水被害や震災などが起きる。こういう現実を見据えた上で「今私たちは相対的に投資をしていない。これで将来世代に対する責任をはたせるのか。」ということを特に安倍総理に言いたい。

今の国民の生活が第一というのも一理あるが、それが全てというのはあまりにも利己的すぎる。三橋氏が指摘するように今の日本は他国と比較すれば豊かで安定的な生活を享受していると思う。それは確かに過去の日本人による公共投資の便益を受けているということだ。国民はもっとそれを自覚して、これを将来へも享受できるよう務める責任はある。

自分自身、基本的には安倍政権を支持するが経済政策に関しては不満が残る。アベノミクスも一頃の輝きがみられない。やはり昨年の消費税増税が国民に大きな負担となっている。またデフレ脱却の成長戦略も尻つぼみの観がある。三橋氏が指摘するようにもっと公共投資を増やして経済の活性化を推進して欲しいと思う。

その意味でコンクリートは決して無駄な象徴ではない。人と同等、いや時に人以上に大事な要素と言える。町の酒屋で、建設職人からあのお得意で饒舌な自慢話を再び聞きたいものだ。

 

公明党指導部は煩悩の中?

2015-09-07 17:52:14 | 国内政治

先月30日の国会前水増しデモに引き続いて昨日6日も東京新宿の歩行者天国で安保法案抗議集会が行われた。主催者発表で参加者が1万2千人集まったというが、これも過去の「前科」をみればとても信じることはできない。歩行者天国150メートル程度というから推して知るべしだ。

例の若者たちの集団SEALDsと学者たちで構成されていたようだが、集会の内容も国会前の時の繰り返しで場所が変わっただけでなんら新味はない。規模も10分の一に過ぎず全く報道価値はないと思える。

しかし、安保法案反対専門紙?である朝日新聞は今朝の朝刊で嬉々としてこの集会を取り上げている。1面に記事は短いものの、その倍ものカラー写真を添えて大々的に取り上げる。しかもこれに懲りずに、最後の社会面でもこの集会を別の視点から伝えていた。同じ今日の朝刊でも読売新聞ではこの集会のことは完全にスルーしていて、その専門紙ぶりが突出している。

ただ朝日新聞の記事で少し目を引いたのは、社会面の記事である。こちらもワイドのカラー写真とある人物の顔写真が添えられている。記事の大見出しが「街頭に学会員の三色旗」サブが「公明元幹部『公明、目を覚ませ』とある。つまり、公明党の支持母体である創価学会員たちからも、党の方針に意義を唱える人々が行動を起こして集会に加わったということなのだ。しかも見出しの通り党の元副委員長が「党は目を覚ませ」と訴えたのだ。

「公明党に『目を覚ませ、正気になれ』と言うことができるのは創価学会員であり、党員であり、支持者です。勇気を奮い、私情を捨てて立ち上がってください」

この人物は今年80歳の二見伸明氏であり、現在の党執行部とは特別関係はなさそうだが、先輩学会員であることは間違いない。その長老が後輩に「目を覚ませ」と批判している。宗教の世界で「目を覚ませ」といわれた方はいかなる心境であろうか。

学会員ではない自分にとってはまるで党首脳が「解脱」せず「煩悩」の中で彷徨っているようにも思える。宗教者として一番戒めなければならない「私情」への拘泥から逃れられない。これでは「成仏」できない?ともかく「目覚めよ」と宣告された山口委員長以下党幹部はどう申し開きするのか。

朝日新聞がこんな一宗教の中に踏み入って意見の異なる一方側に与するのはいかがなものだろうか。いくら法案反対に好都合な動きであるとはいっても不躾すぎる。「私情」を捨てなければならないのはこの新聞なのではないか。集まった学会員たちの写真をみると学会員大集合のように三色旗がたなびいているが果たしてどの程度か。この新聞のことだから針小棒○?

 

朝日新聞9月7日朝刊1面

 

 

朝日新聞9月7日朝刊社会面