粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

日本の暫定基準は緩いのか?

2011-10-29 00:40:38 | 原発事故関連

最近、厚生労働省は放射線基準を見直してそれに伴い食品規制値もこれまでの暫定基準値よりも厳しくする方向だという。したがって食品キロ当たりセシウム500ベクレルの基準はもっと下げられる可能性は高い。

すでに学校の給食では自治体レベルで「ウクライナモデル」と称しては非常に厳しい基準で実施されているところもあるようだ。例によって一部のメディアは政府の「対応の緩慢」を批判している。しかしよくよくネットで調べてみると政府が決めた暫定基準にしても決して緩くはない、EUと比較すると政府がEUの数字をそっくり採用したと思われる(表1)。もちろんEUの数字は緊急時のものではなく「平時」のものである。中にはアメリカなど日本より全般的に高い国ががあるくらいだ。

またウクライナやベラルーシを比較し日本は緩すぎると批判する人がいるが、これら2国が数値が厳しくなったのは事故後数年経ってからである。特に1991年はソ連が崩壊して連邦内の共和国が独立して各々の国が政策を独自にとり始めた頃だ。それ以前の基準値は現在の日本と比較して厳しいわけではない。ウクライナのデータはネットでは見つからなかったがベラルーシのデータがある(表2)。86年事故当時飲料水はセシウム137がリットル370ベクレルだ。これは今の日本200ベクレルより高い。牛肉に至ってはキロ3700ベクレルである。

日本は今暫定として算出している。これは緊急時での数字であって、事故が収拾しつつあるこれからは新たな数値が検討されることなる。自治体が何か先走って基準を厳しくするのも、逆に一般国民に混乱を与えることにならないか疑問にさえ思えるがどうだろうか。

*仙台市在住の「放射線が目にしみる」さんのサイトを参考にさせていただきました。表1、2ともこのサイトからのものだ。氏の放射線に対する厳正な見識には感服します。


物づくり日本の将来

2011-10-28 00:26:41 | 煽り週刊誌

最近ブログでアエラ関連が多くなった。正直この雑誌は好きでない。結果的に批判したり皮肉ったりする。本当は本望ではない…?(なくはないか)それでも何か注目すべき記事はないかと探そうという気持ちはある。でもあまりないのは自分の欲するものと方向性が若干違うからかもしれない。

そんな中ひとつ気になったコラムがあった。養老孟司東大教授の「江戸時代が長く続いた理由」がそれだ。教授によれば、江戸時代ではエネルギーになるものは乏しかった。当時はまきや炭が中心で木材を乱獲できず結局少ないエネルギーで暮らすほかなかった。

それでも生活できていたのは、人間が持てる財産、すなわち人間の能力を最大限に生かしたからにほかならない。…当然ながら、能力の高い人間を見つだす必要がある。「人を見る目だ」

それが時代の活力を維持し続けた。

かしながら今の時代は人を見る目はさほど必要とされないという。たとえば田んぼをいまは耕耘機で耕すが、これを動かすのは石油であって人間でない。

20世紀、アメリカが強国になったのは、大量に石油をもっていたからである。持っていたばかりでなく、石油をつかうシステムを考え出した。

しかしその結果どうなったかというと

カネだけの社会になった。カネだけというのは、実体経済で言い換えればエネルギーである。エネルギーを上手に使ったやつが出世する。そのものさしで人間を計ったとき人間の価値はゼロに近い。あの国の物づくりの能力が落ちて産業が空洞化したのもこのせいであろう。

と結んでいるしかしこんなエネルギーを国力と見なす「あの国」(アメリカ)にここへきて強敵が出現した。中国である。いま両国が世界の資源とりわけエネルギーの中核である石油を巡って激しい争奪戦を繰り広げている。中東のイラク戦争や最近のリビア政変とてこれに無縁ではない。

その中国もアメリカ同様「ものづくりの能力が落ちて産業が空洞化」する危険をはらんでいるのは間違いない。

日本はしたがって今後エネルギー偏重ではなくあくまでも物づくりに努めねばならない。ただし江戸時代と根本的に違うのは鎖国で自給自足だけで生きていけないことだ。よくも悪くも外国との通商を前提に考える必要がある。ただ単に「物づくり」だけでは十分ではない。よく例に挙げられるのは携帯電話の「ガラバゴス化」だ。単に機能的に優れているばかりでは世界市場の欲求を満たせない。そこが落とし穴となる。昨日のテレビでアパレル業界の社長が「企画力と感性がこれから必要だ」と語っていたが確かにそうである。単に製品に「付加価値」を付けるだけではこれからの世界での競争には勝てない。それ以上のものが必要だろう。

養老教授はアメリカの産業は空洞化していると述べているがしかし決して侮れない。たとえばアップルのアイフォーンはなんと世界の携帯電話の利益の半分を占めているという。アップルは単に物づくりのみならずそれを介しての新しい生活スタイルを創造した。自動車でこれから主流になるであろう電気自動車でもIT大国のアメリカのこと、その動向は見逃せない。

ところでカラーテレビのシェアー競争で韓国に日本が遅れをとってしまうのはある面やむを得ないことであり、決して悲観することではないと思う。物づくりで日本は人間の能力を最大限生かして「企画力と感性」で常に先進性をめざして突き進めばそう簡単には追いつかれないのではないか。江戸時代に能力重視で活力を維持したように。



独裁の必要性!?

2011-10-27 10:21:27 | 国内政治

橋下大阪府知事が「今必要なのは独裁」と発言して物議を呼んでいる。知事の政治姿勢に批判的な人たちからは「これが彼の本質、危険な極まりない」と非難ごうごうだ。しかし、彼は本気で一般的にいう「独裁」を考えているとは思えない。知事流のパフォーマンスだろう。敢えて過激な表現をすることによって、人々の関心を集めようとする戦術だ。彼の真意を好意的に解釈すれば今こそ「政策を断行する力」が必要だということではないか。日本人は「和」を重んじる民族といわれ、物事を決めるのにも参加者の総意を重んじる。しかし日本の歴史を見た場合、時代の節目には「断行」とみられる政治的変革が行なわれた。織田信長の一連の変革もそうだが、明治になって有名な「廃藩置県」があった。これは江戸時代までの封建制度から中央集権国家の大変換である。封建制度とはいわば日本全国に小国家が分立する体制だが、これを一気にひとつの国家にすることだ。当時の西郷隆盛や大久保利通らトップの大英断による。

翻って今日の国政を見るとどうも結論を先延ばしにしている面が諸処に見られる。いま特に政治問題になっているのはTPP参加と沖縄普天間基地移転だ。前者は賛否両論が全国中に渦巻いていてそれこそ国を二分するほどの困難な問題になっている。後者は鳩山政権時代の無責任な対応が沖縄県民とアメリカ政府双方の不信を呼んでしまった。基地問題を国民全体のものに高めたと評価する人もいるが、不毛な混乱だけが残ったとしか思えない。いまこの二つの問題で、政治家トップ特に野田首相に決断が求められている。ひとつの決断は反対者の猛反発を呼ぶ。政治生命も失いかねない。といって野田首相お得意の「調整型」では通用しないだろう。それこそ橋下府知事のいう「独裁」が必要ではないのかと思う。

政治用語の「独裁」の起源は、古代ローマの「独裁官」だといわれる。当時周辺民族の攻撃などによる国家的危機に行政を一人の人間に委ねた。行政のみならず、軍事指揮権も掌握し、対抗する議会の権限も制限された。それも有権者からの要望によるが、ただし6ヶ月という短期間に限られたという。

橋下知事は今度は大阪市長の出馬することになった。当選しても1期4年を明言している。当選したら彼流の「独裁」で政策を断行してもらいたい。


身体の中を除染する食品

2011-10-26 00:07:40 | 煽り週刊誌

「ある雑誌」によればリンゴを乾燥・粉末にした製品が体内の放射性物質を「すみやかに対外に出す」との評判から事故以降注文が殺到していると言う。チェルノブイリ事故ではリンゴのエキスが体内のセシウムを取り除くことが「報告」されたためらしい。特に皮と果肉の間の有効な成分があるという。ただし3歳以下の子供は大人の量では逆に身体に必要なミネラル分も排出してしまうので大人の半分以下にする必要がある。

他にも甲殻類やキノコに含まれる「キトキン」を化学処理したサプリメントも動物実験で放射性ストロンチウムを除去する効果が報告されている。昆布、野菜、大豆、味噌、ブドウ、ワイン、牛乳などに含まれるエキスも同様に除染の効果があることが知られている。

ただこれらの食品は動物実験での研究結果がほとんどだ。この場合高線量の被曝には適しても、今回の事故の低線量の被曝で人間の場合効果が実証されていない。子供にサプリを与えてはいけない。むしろ飲んだ方が悪いときだってあるようだ。また冒頭に挙げたリンゴの場合もベラルーシでの66人によるリンゴのサプリメント飲料の研究で限定的だ。「リンゴを食べれば同じような効果が出ると証明されていない」という。

放射線のよる身体の影響でもっとも恐いのは癌だが結局「食生活の改善」によって減らせれるということだ。そのためには野菜や果物を1日400グラム、バランスよく摂ることだ。放射線汚染が心配で野菜の摂取を減らすと、むしろ癌の発生を増やす可能性がある。……

「ある雑誌」と珍しく意見があった。でもその後がいけない。記事中に登場する専門家の「これらの(食品エキス)摂取で被曝が減らせるのか、低減対策についてももっと積極的に研究するべきだ。」という証言に対して「東電社員の給料を民間企業並みに引き下げれば費用はまかなえるはずである。」なんていうのはちょっと悪のりが過ぎるんじゃないだろうか、アエラさん?


アエラ編集部員のビール

2011-10-25 00:08:37 | 煽り週刊誌

相変わらず煽りのアエラ、今週号は「セシウム花粉が飛んでくる」だ。つまり杉や檜のセシウム入り花粉が来春飛散して「被曝の恐れ」があるというものだ。記事の説明ではこうだ。原発事故で山林の杉や檜の葉にセシウムが付着していてそれが枝に吸収される。さらにやがて雄花の花粉に移行する。植物はカリウムを栄養分として吸収するがセシウムはカリウムと性質が似ていて勘違いしてセシウムを吸収するというものだ。その根拠としてこの夏の新茶の汚染をあげる。当初原発事故当時旧葉に付着したセシウムが新葉に移行したというわけだ。

これだけ読むとさもありなんとも思うが記事に登場する専門家が指摘するように問題は「その量や質」だ。そこでまたもアエラは煽りをトーンダウンして逃げ道をつくる。

際どの程度の放射線量をもつ花粉が飛散するのか、現段階ではわからないが、防護対策については多少安心できるかもしれない。としつつ記事中の専門家の言葉として

「通常の花粉症対策をすれば大丈夫でしょう。セシウム花粉の放射線量はある程度希釈されているので、それほど高くないと推測できるからです」と結論づけている。

な~んだ、心配することはないのか!

それも一番セシウム花粉を心配する学者にしてこんな感じだ。ご丁寧に「花粉などへのセシウムの移行はないという専門家も少なくない」とセシウム花粉そのものを疑問視する意見も付記している。

自分もこちらの立場に賛同したい。そもそも事故でどれだけ杉などの葉に付着しているのか疑問だ。たとえ付着したとしてもそれがどれだけ来春の雄花の花粉に移行するのか。さらにどの程度それが我々のところに飛散するのか。それぞれの段階でどんどんセシウムの量が減少していくことは充分考えられる。

それはともかくアエラの記事はいつもこんな調子だ。見出しを見ると驚くが読んでみると「がっかり」する。危険なくらい超美人の見合い写真、それを当てにしたら実はドブスのお姉ちゃん、失礼!それにしてもよくも毎週煽りの題材を探してくるものだと感心してしまう。編集長はともかく編集部員はこういった記事につきあわされて日頃どう思っているのだろうか。自分も以前雑誌の編集の仕事をしたことがあるが、こんな煽り記事ばかりでは仕事の後のビールはまずいだろうなあと他人事ながら心配してしまう。