粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

原発自主避難者の「悲劇」

2015-06-01 17:03:21 | 過剰不安の先

原発事故で福島県内の避難指示区域外から県外に自主避難している住民は1万3700人ほどだという。彼らは避難指示区域の住民が東電から支給される諸々の補償を受けることはできない。ただ、彼らが「避難する」県外の住宅手当は行政から支給される。しかし、その手当も平成28年度末(2017年3月)で打ち切られるという。

これに抗議して、東京と京都への自主避難民たちが先月29日、国会で記者会見を行った。

 

自主避難者にとっては死活にかかわる決定だ。住宅支援が打ち切られれば、福島に帰らざるを得ないからだ。さりとて子供の健康を考えると放射線管理区域に相当する場所に帰るわけにはいかない。

…いわき市から都内に避難している女性は「子供(8歳)が『おかあさん、いつここを追い出されるの?』と夜起きて聞くんです。どうしてそんな酷い事をするんですか?助けてください。延長してください」と声を震わせながら語った。(田中龍作ジャーナル記事より)

 

正直言って、自主避難者に事故から4年以上経っても住宅手当が支給されていることに驚きを覚える。記事に登場する一人の女性はいわき市の住民であるが、いわき市と言えば、避難指示区域から住民が多数避難している「受け皿」の都市として広く知られている。いわば一般には線量が低く、特別、「被曝の影響を気にしなくてもいい」場所のはずである。そんな「安全」ともいえる地域から県外に避難して「住宅手当支給を延長して欲しい」と訴えてもどこか違和感を覚える。

ただ、事故当時は反原発のメディアを中心に、自主避難者の苦悩がしばしば取り上げられ、原発事故の悲劇として盛んに喧伝された。しかし、あれほど煽ったマスコミがこうした人々を現在全くといってよいほど話題にしていない。必要以上に避けていると思われるほどの冷遇ぶりだ。反原発のプロパガンダには利用する価値がないといわんばかりの扱いだ。自主避難者たちが「行政に見捨てられた」と非難しているが、その怨念はこうしたメディアにも向けられてしかるべきだろう。

だが、思うに彼らは見捨てられた側面もあるが、一方では見捨てた相手もいることを忘れてはならない。故郷の人々、親戚、そして両親、さらには夫も…。

記事で別の女性は「県への怒りをぶちまけた。

「福島県は全員避難しなければ。命令されても帰らない。本当に子供を守ろうと思ったら福島県には住めませんよ。福島県はどうして皆で立ち上がらないんですか」。彼女は声を荒げた。(同記事)

「故郷を見捨てた」人間によるこんな「福島非難」は、福島に留まっている人々には果たしてどう映るのだろうか。被曝の不安を心のどこかで感じながらも、地元福島に留まって生活しているのに、こんな「福島には住めない」という発言は暴言以外の何ものでもないだろう。冷たい言い方だが、こういう自主避難者たちはもはや普通の「移住者」とみなすべきではないか。だから、国や福島県が住宅手当を支給するのではなく、移住先の自治体が面倒みるのが妥当な感じがする。自主避難者の多くは、帰還の意思はなく福島を捨てた人々であるからだ。

追記:自主避難者に少し同情すべき点があるとしたら、彼らの中には、避難指示の線引きでわずかに区域外になってしまい、諸々の補償を受けられない人々もいることだ。

区域内にいたことで驚くほどの高額の補償を手にした人々の中には福島県内の避難先であまりの豪奢ぶりに地元民の顰蹙や反感を買って問題になっている。この問題は自主避難者問題とは切り離して考えるべきだろうが、事故による金銭を巡っての後遺症は複雑で深いといえる。

 
 

毎時1μSも480μSも…

2015-04-25 22:09:35 | 過剰不安の先

最近、被曝に関し、2つの事件(事象)が話題になった。ひとつは官邸屋上に墜ちた無人飛行機ドローンで検出された放射性物質の被曝量が毎時1μSだったこと。もう一つは東京池袋の公園の地表で最大毎時480μSの被曝量が観測されたこと。後者は地中に埋められたものから発せられており、現在その放射性物質について分析が行われている。

しかし、二つの事件のうち、ドローンの方は、政治の中枢を狙われるという部分が注目されるだけで、その被曝量のことはさして問題にはならない。池袋の公園に関して一時的にその数字は注目されたが、急速にニュース性は薄れてすでに過去の話になりつある。

おそらく、これが原発事故直後であれば、この480μSという数字は衝撃であり、テレビのワイドショーでも連日大騒ぎしていることだろう。それだけ、被曝への恐怖というものが風化して世間は冷静さを取り戻しているのだろう。

毎時480μSという数字は確かに一般的いえば想像を絶する甚大なものだ。しかし、これはあくまでも地表での数字だし、それも最大であるのに過ぎない。放射性物資がいつ頃地中に埋められたのかわからないが、これまで被曝して子供たちの健康に影響を与えたという話は聞かない。実際この公園での被曝量は想像するほど大きくはないのかもしれない。

広島、長崎の原爆による被爆では100mS以上を超えるとがんの発生率が0.5%高まるとされている。しかし、これは短期間での数字といわれている。現在被曝で問題にされる100mSは生涯での数字だから、広島長崎の被爆と比較するのは一般的にh無意味のように思う。

それを承知で仮に広島の被爆が1週間程度の間と想定してみる。(実際はもっと短期間の可能性が高い)大雑把に200時間とすると100mμS÷2000.5mμS500μS)ということになる。すなわち池袋の公園の地表で1週間寝そべってやっとこの100mμSに近い数値を記録し、健康への影響が出始めるということになる。しかし、そんな状況はいくら最近のホームレスでも考えられない。実際は広島長崎で100mμSを超えた被爆者でもなんら健康に影響なく長寿を全うしている人は少なくない。したがって、人間の被爆、被曝に対する抵抗力は想像以上に大きいといえるのではないか。

旧聞に属するが、以前東京世田谷の民家で極めて高い放射線量が検出されたことがあった。具体的にはその住民は大人も子供も年間30mμSもの被曝を30年間にわたって受けていたことがわかった。しかし、それで何らかの健康障害が起きたという話を聞かない。だから福島の避難区域で帰還の基準を年間20mμS以下としているのは極めて妥当なことだと考えられる。まして、どこかの見当違いの学者が年間1mμSを盛んに吹聴していのは笑止千万といえる。世界には年間10m程度に被曝を受けても問題なく生活している場所が存在している。

だからドローンの1μSがどうした、ということになる。これを飛ばした容疑者が反原発の立場から原発再稼働反対を訴えるために福島の土を搭載したというような話をしている。こんな健康に全くといってよいほど影響のない線量で被曝の恐怖を煽ったところでとても説得力がない。世間で今はそんな数字のマジックにだまされない。

 

放射能不安を払拭する4つの条件

2015-03-29 14:49:45 | 過剰不安の先

自分の321日のブログでも書いたように、福島県内の放射線量は避難区域とされる場所でも多くは極めて低く、実際は健康への影響は少ないといえる。札幌医科大学の高田純教授も指摘しているように国道6号線で福島を縦断しても被曝は同じ時間搭乗する飛行機内での被曝の半分に過ぎない。

まして避難区域以外の福島の地域は他県とさほど差はなく、全く問題がないレベルである。しかし、いまだに年間1ミリシーベルト説が国民の間を徘徊していて、放射能不安がトラウマのようにくすぶっている。昨年降ってわいたように起こった鼻血漫画騒動で、いかに現実離れし悪意に満ちた偏見がいまだ居残っているかを改めて思い知らされた。

そこでこんな放射能不安を払拭するためには以下4つの条件が肝心だと自分自身考える。

1、専門家による被曝に関する正確の情報の提供

2、政府などの公的機関による積極的な広報・啓蒙活動

3、メディアによる公平で冷静な報道

4、国民の被曝に対する正しい理解

まず、1についていえば、事故後、実は被曝の知識のない「専門家」と称する学者が、マスコミで無責任で勝手な言説を喧伝していた。彼らは、反原発の立場から世間に流布する不確かなデータを頼りに被曝の影響を過剰に吹聴する。これをメデイアが盛んに持ち上げたため一時は反原発の旗手として祭り上げられた。

実際は、福島の事故での被曝量は多い人でも100mSVよりはるかに低く、避難した多くの住民の被曝はせいぜい5mSV程度であることが専門家の調査で明らかになっている。しかし事故直後、こうした正確な情報は横に追いやられ、危険を煽る報道にかき消されてしまった。

むしろこうした専門家は「御用学者」として東電や原子力推進者たちと同類に扱われ糾弾された。事故当時、政府も避難区域とされる場所の実地調査に専門家を動員させることを怠った。その結果、被曝の実態が把握できず、詳細が今でも明らかにできていない。

高田教授が指摘しているように、福島の帰還困難区域とされる場所でも線量が低く、居住できる所も少なくない。これも過去のデータに固執して空間線量という住民生活と乖離した数値をいまだ採用していることが問題だ。大半を室内で過ごす日常生活ではいわゆる空間線量のその3分の1程度の被曝とされている。再度こうした地域での正確な被曝環境を調べて避難区域の区割り自体を再考すべき時期に来ていると思う。

また、一部学者による年間1mSV説が一人歩きし国民ががこれにとらわれて、除染や食品の流通に暗い影を落としている。これがいかに非科学的で偏見にみちているか。今後もっと専門家によって明らかにされることが望まれるし、彼らの出番なのだ。

2の政府広報についていえば、現政府は一応「放射能被曝は軽微であり、健康の影響は少ない」という立場にあるようだ。そのためのリスクコミュニケーションも施してはいるが、まだまだ十分とはいえない。環境大臣が安全性を特に強調したという話も聞かないし、まして安倍首相が率先してその啓蒙に尽力したということもいえない。

汚染水問題で「完全にコントロールされている」とした首相の発言は評価できるが、五輪開催のために口実に使われたと思われるのが残念である。首相にまず当面望むのは、原発敷地内に溜まったタンクの浄化水を早く水で基準以下に薄めて海に放水することを指導することだ。これが福島の安心、日本の安心を国内外の示す第一歩になると思う。

3のメディア報道が一番始末が悪い。メディアの中には反原発の立場に凝り固まって、何が何でも原発再稼働を阻止するために、放射能の影響を誇大かつ意図的に報道しようという傾向がある。被曝を悪用しているといってよいかもしれない。そして、フリージャーナリストと称する人間にもそうした立ち位置の者が少なくない。皮肉をいえば、彼らにとって、被曝で被害がおこらないのでは「困る」のだ。

そんな不純な動機を持っっているメディアやジャーナリストはなんとしても糾されなければならない。ここにきて、ネットメディアが深化してきたのは大きい。これによって従来型の意図的な情報は威力を失いつつある。慰安婦捏造報道を30年も続けてきた新聞が昨年やっとその誤りを認めた。放射能煽り報道をいつ改悛するかが今後のひとつ課題ともいえる。現在のメディアの新潮流によって意外に事態は早く進むかも知れない。

そこでメディアの煽り報道で今年注目したいことがある。福島県が進めている甲状腺検査である。チェルノブイリ事故でも子供の甲状腺がんの発生は4年後から顕著になっている。福島の原発事故からすでに4年が過ぎて県民検査は新たな段階にはいった。これまでの検査結果をもとに今後1年の検査を比較すれば事故による甲状腺がんの影響を調べることができる。自分自身事故の影響は皆無だと信じているが、この1年でその真相がおおよそ明らかになると思う。テレビ朝日の報道ステーションを筆頭に、事故での影響を誇大に煽っていたメディアやジャーナリストにとってはおそらく「不本意な結果」が出てくることを自分自身「期待」している。

最後に4の国民の理解だ。被曝の影響はまずありえないと訴えても一度そう思い込んでしまうとなかなかその考えを排除することは難しい。ある程度長期戦を覚悟しなければならない。それがどれだけ早く進むかは先にあげた、2、3の条件がいかに早くクリアーされるかにかかっている。これが進まないことには事故の本当の解決にならず福島の復興そして日本の復興はあり得ないと考える。


塩谷町長の問題ある提言

2014-11-09 16:42:56 | 過剰不安の先

高濃度の放射性物質を含む指定廃棄物は福島県以外周辺5県(栃木、群馬、茨城、千葉、宮城)では地元の最終処分場で処理することが決まっている。栃木県では、塩谷町が処分場と指定されたが、地元町長を始め町民が大反対している。挙げ句には町長自身が「指定廃棄物を福島第一原発周辺に集約すべきだ」だと提案して、波紋を投げ掛けている。

当然福島県側からは反発が出ている。福島では県内の廃棄物をまず東部の中間貯蔵施設に集約、処分をした上で高濃度の廃棄物を30年以内に他県に移送させることで立地住民が施設設置に向けて動き始めた矢先であったからだ。塩谷町長の発言はそんな福島県民の感情を逆撫でするもので到底受け入れられるものではない。

関東の電力を提供してきた結果、こんな事故にあって苦しめられているのに、今更勝手な理屈は許せない。そんな福島県民の怒りは自分自身理解できる。ただ、塩谷町民からすれば、栃木県でもなんで自分の町が最終処分場なのだ、他の町ではいけないのか、という気持ちが起るのは自然かもしれない。厄介物を抱えるだけで何のメリットもないという不公平感だ。

また、環境省の資料によると栃木県の指定廃棄物の総量は1万トン程度で福島県の12.7万トンと比べたら圧倒的に少ない。他の千葉、茨城、宮城はさらに栃木の3分の程度、群馬に至っては1186トンに過ぎない。その点では塩谷町長の「福島第一原発周辺で集約」という提案も必ずしも理不尽なものとは言えない。

しかし、政策というのも必ずしも全て合理性だけで片付けるられるものではないと思う。福島にとっては中間貯蔵施設であって30年以内に高濃度廃棄物は他県に移送するという前提で立地住民の容認が得られているのだ。したがって他県にはこの理解のため粘り強い説得をしていくしかないように思う。

そして、塩谷町長の提案理由(資料3ページ)で引っかかる箇所がある。「最終処分場ができると近い将来県北の市や町は消滅の危機に瀕します」として危険を煽っているのだ。最初の部分は風評被害を懸念する内容だが、後の方で「また、低線量の子どもたちへの影響を懸念する若い世代の人口流出は避けられません。最終処分場ができると、塩谷町は町として存続できなくなってしまうでしょう」としているのだ。被曝の健康への影響を語る際に必ずいわれる「子どもたちへの影響」がここでも登場する。

こうした提案に日頃反原発で鳴らすメディアやジャーナリストが沈黙を守っているのはどうしたものか。彼らは川内原発の再稼動問題には喧しいくらいに騒ぐが、県民間の複雑な食い違いには無関心を決め込む。原発事故では、再稼動云々よりはるかに重要で深刻な問題ではないかと自分は考えている。これを解決しなければ東日本の真の復興はあり得ないからだ。

お詫び:読者の方から「塩谷町」と表記すべきを「塩屋町」となっているとのご指摘がありました。ご指摘には感謝申し上げるとともに訂正しておわび致します。

 

日本人は国産の食材を選ぶ

2014-07-26 16:45:43 | 過剰不安の先

降って湧いたような中国食肉加工会社の不祥事。期限切れの鶏肉を混ぜた肉を日本のマクドナルドやファミリーマートに収めていたことが発覚してマスコミが大騒ぎしている。

それに関連して、あるテレビのワイドショーで日本の消費者はどんな食材を選ぶか、その購買傾向を報じていた。それによると、消費者特に主婦は多少価格が高くても日本の食材を選ぶのというのが6割を超えていた。安いからといって健康を害して苦労するよりましというのが本音のようだ。日本の食材なら品質管理がしっかりして安心して買うことができるということだ。

そんなワイドショーの報道に接して、少々不快になった。このワイドショーに限らず、同様の番組が原発事故以来、やたらと日本の食材の不安を煽っていた。街の主婦を登場させて、「東日本の食材は避けて西日本さらには外国の産品を使うようにしています」といったさも放射能汚染の不安が食卓を被っているような報道ぶりであった。

放射性物質の暫定基準が緩くてで信用できない、チェルノブイリ事故後のウクライナはずっと低かったと識者として称する人物が番組に出演しては日本の食材の危機を煽る。風評被害などそっちのけである。

だから消費者もそれに乗せられて東日本の食材を敏感になる。学校給食で福島や近隣の食材が含まれていることが分ると反対運動が展開される。そんな疑心暗鬼がしばらく続いた。

しかし、原発事故が収拾に向かい、消費者も食材に対する理解が進み、もはや東日本の食材云々を問題にすることもなくなってきた。それが本来の日本人の姿であって従来からあった日本の産品に対する信頼感は再び確かなものになったといえる。結局こうした中国の事件を経て日本人がそれを再認識したということだろう。しかし、マスコミはたった3年前の騒ぎは忘れてしまったのかのようだ。