粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

沖縄県民とは無縁の辺野古反対運動

2015-10-31 16:35:51 | 沖縄の虚像と実像

86歳のおばあさん、元気なのはいいが、温暖な沖縄でもっとまともな老後を過ごされたらどうかと他人事ながら思う。この老婆、辺野古で埋立て本体工事が始められたことに抗議して陸側のキャンプシュワブゲート前で体を張って工事車両進入に抵抗した。

結局、これを排除しようとする警察官によって阻止されたが、沖縄の新聞はこれを埋立て工事を強行する国への県民の怒りの象徴のごとく持ち上げている。実はこの老婆、昨年来同じゲート前で抗議の座り込みを続ける「常連さん」で以前にも大騒ぎして警察のご厄介になった経歴の持ち主である。

辺野古には埋立て工事に反対する活動家は300人程度で、よく言われることだが、地元住民は全くいってよいほどいない。県内外の官公労の組合員やOBそしてプロ市民と言われる左翼活動家たちである。そしてこれを支援する組合組織などから潤沢な資金を提供されているのは公然たる事実である。先のおばあさんもその同類と見てまちがないないであろう。

今月13日に翁長雄志沖縄県知事が辺野古埋立て承認の取り消しを決めたが、政府側がすぐさまこの効力を停止する処置をとったばかりか、知事のこうした権限も奪う代執行の手続きも着手した。この政府の対応に対して翁長知事側は「激しい怒り」を示し、取り消しの撤回勧告には一切応じない態度だ。

一見、沖縄県民もこの知事同様、政府の処置には強い反発があるようにみえる。確かに、辺野古で移設反対の座り込みをしている活動家が「これでは植民地扱い」(朝日新聞記事)だと憤っているものの、一般の沖縄県民は意外なほど県反応は鈍い。

本気で政府に怒っているのならば、県民が大挙して辺野古に押し寄せ移設工事反対県民大集会を盛大に行うはずなのにそんな動きもない。知事の立場に賛同する人々によって、県庁前で知事支援デモがわき起こっても不思議ではないがそれもない。

要するに、県民は政府と沖縄県の対立を冷めた目で見ているのではないか。むしろ翁長知事の手法に違和感を覚えている節が見受けられる。県内の新聞やメディアが翁長知事に同情的な報道ばかりしているので県民は閉鎖的な言論空間であまり本音が言えないが、現在の沖縄の冷めた様子でそれが窺える。

むしろ、南シナ海で岩礁を強引に埋立てをしている中国に漠然とした不安を感じているのではないか。中国による埋立ての面積は辺野古の5倍にもなるという。それを短期間で埋めて軍事基地をつくろうとしている中国に対して、米国がイージス駆逐艦を埋立ての島に進入して対抗しようとしている。

そんな周辺の緊張状態に沖縄県民も決して安穏とはしていられないはずだ。それを考えたら、辺野古で抗議の座り込みをしているあのおばあさんたちは異常としかいいようがない。というより、完全なピエロ、さらに悪く言えば中国に回し者といってもよい。そして県庁で「沖縄の民意」をことさら強調して政府に反抗してい県庁の主も…。

 

原発事故の教訓「過剰避難」

2015-10-16 17:13:56 | 反原発反日メディア

鹿児島の川内原発2号機が1号機に続いて昨日再稼働した。1号機の再稼働のときは多くのメディアがこれに反対を唱え、原発がある当地には、全国から反原発プロ市民が集結して大騒ぎになった。しかし、今回の2号機の場合はメディアの関心も低く、おつきあい程度のベタ記事でその落差に唖然とする。

ただ、反原発広報紙?である朝日新聞は一応再稼働した昨日に義理堅くこれに反対する社説を掲載している。題して「川内2号機、再稼働より安全確保」。

 

九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)1号機に続いて2号機がきょう再稼働する。

災害が起きれば避難路の確保ができない地域を抱えながら、住民の避難訓練さえしていない。再稼働のお墨付きは、避難計画について検討する権限がない原子力規制委員会(規制委)の安全審査によっている。こうした形での再稼働は進めるべきではない。

市が避難路に指定しているのは、河口にかかる橋と川沿いの県道。だが、橋は地震で崩落する危険があり、県道も津波や高波で通れなくなると予想される。車が通れる残る1本は、斜面崩壊の危険がある林道だ。

 地区から再三の要求があったものの、対策は取られないまま8月に1号機が再稼働した。

 「地震などの自然災害に続いて原発事故が起きることはない」という想定は、福島第一原発事故で破綻(はたん)したはずだ。

 住民の安全を確保するには、避難路を含めた避難計画の審査も再稼働の条件として位置づけることが当然ではないか。住民参加の訓練で計画の実効性を確かめ、必要があれば計画の修正を求める。住民の視点で点検する機能がほしい。規制委に加えてもよいだろうし、別機関が審査する仕組みを考えてもいい。

 2号機については、古い蒸気発生器を取り換えずに再稼働に踏み切ることでも、住民の不安を招いている。

 川内原発では、00年ごろから1号機の蒸気発生器で細管の腐食が相次ぎ、08年に交換した。2号機についても09年、九電自らが「さらなる信頼性向上の観点から」と、3機ある蒸気発生器すべての交換を発表。経済産業相の許可も得ていた。

 原発事故後、新規制基準に基づく審査の対応に追われ、交換の延期を決定。今年5月、古い蒸気発生器で規制委の認可を受け、交換は先送りされた。

 九電は「予防保全的に交換を考えていた。規制委の審査は現状のものでクリアしている」と説明する。しかし、「信頼性向上」のために必要だった措置を見送れば、信頼性は損なわれる。実際、住民からは「地震に耐えられるのか」などと不安の声が上がっている。

 安倍首相は昨年「完全に安全を確認しない限り、原発は動かさない」と語った。だが、川内原発再稼働は、首相の言葉とはまるで異なる進め方である。(社説用終了)

 

 要は避難計画や避難対策が万全ではなく「安全確保」が充分ではないということを延々と述べている。これは1号機の際にも盛んに主張されていたことで特別新味がない。しかし、思うに安全確保のための避難対策を議論したらきりがない。どこまで対策を施せば安全かという基準は、原発事故の認識の仕方によってまちまちだからである。

朝日新聞は、本音として再稼働に反対している以上、その安全確保の基準は無限大といえるのではないか。つまり朝日の主張する安全確保は再稼働反対の口実でしかないと考えてよい。

自分は逆に朝日新聞など反原発メディアが強調する避難対策には懐疑的だ。それは福島第一原発での事故での経験からだ。実際のところ、事故での放射能被曝による直接的な死者はおろか病人さえでていない。チェルノブイリで唯一影響が認められた小児甲状腺がんは福島では4年以上過ぎても被曝の原因による確かな発症は報告されていない。

ただ、被曝ではなくいわゆる原発事故関連死は残念なことに既に1200人を超えているといわれる。事故で避難を強いられ移動中や避難生活でそのストレスから高齢者を中心に犠牲者が多くでている。

もちろん、福島の事故は日本では未曾有のことであり、国内全体がある種パニックになったため対策が十分とれなかったともいえる。結果的に現在も11万人以上の人々が福島県内外で避難生活を強いられている。

ただ、原発の避難を巡ってははたしてこれほどの避難が必要だったかは疑問の声が出ている。確かに、事故直後の避難はやむを得ないとしても、4年経った今でも続ける必要があるのか。また未成年と高齢者の避難を同じレベルで対応するのも問題が残ろ。

事故直後、テレビの報道で避難地域に一人で住んでいた80近い老婆が役人の執拗な避難要求を拒み続ける様子を伝えていた。おそらくそのおばあさんさんにとっては、先立たれた夫と長く暮らした家を離れたくない気持ちが強かったのではないか。

失礼ながらこうした高齢の女性には被曝だけが原因でがん死するまでの余命が残っているようには思えない。それをなれない避難でストレスを溜め込むだけの生活を送ることが本当によいのか、むしろ拷問ではないかとさえ思った。

福島には今後も帰還できない帰還困難区域が広く残っている。しかし、専門家によってはこんな地域でも実際の被曝は小さくて居住は可能だという主張もある。また東京世田谷の民家では家の真下の地中に埋められた放射性ラジウムによって年間30ミリシーベルトの被曝があったという。しかし、そこの住民が30年以上生活しても全く体調に異常がなかった事実がある。

したがって、原発事故を無限大に深刻なものと捉え、ともかく避難対策を強調しすぎることが正しいといえるのか。今後の原発対策では事故の経験や他の事例を考慮して総合的に判断すべきだと思う。何が何でも避難対策を十分果たせというのは問題の本質から離れて却って弊害となるのではないか。

 

追記:朝日新聞の社説を全文掲載し直しました。


中国の対日情報戦争

2015-10-10 18:52:10 | 厄介な隣国

本日は不愉快なニュースで目覚めが悪い。中国がユネスコに世界記憶遺産として登録申請していた南京大虐殺文書が登録されたのだ。登録を審査する委員会のメンバーはブルガリアのボコバ事務局長を始め途上国出身が少なくなく中国の露骨なロビー活動に籠絡されないかと懸念していたが不安が的中してしまった。

習近平政権になって、経済成長が鈍化して今や大崩壊は紛れもない現実であるが、それに反して軍事的拡張が顕著になった。というより、自国の矛盾を隠すために敢えて周辺国への威嚇に突き進んでいくのだろう。日本の尖閣諸島への領海侵犯はその一環であり、既に日本は中国からの事実上の領土戦争に突入している。

しかし、戦争はそんな軍事的な対立だけにとどまらない。むしろ、水面下の情報戦争の方が熾烈を極めつつあり、日本がこれまで防戦一方だった。習近平政権は事あるたびに過去の歴史認識特に旧日本軍の犯罪行為をことさらでっち上げて、日本の国際的地位を貶めようとする。一昨年の安倍首相の靖国参拝もその一例だが、それ以上に執心しているのが南京大虐殺である。習近平国家主席の口から「30万人大虐殺」が堂々と発せられる。その結果が今回の世界記憶遺産の登録である。

既に日本の学会ではそんな大虐殺はなかったというのが定着している。事件当時20万人程度しかいない南京が30万人虐殺になどありえないし、事件後1ヶ月して南京の人口が既に25万人になっているのもおかしい。むしろ日本軍が侵攻して治安がよくなって市民が戻ってきたと考える方が自然だ。首都の南京は世界各国の大使や記者が多く駐在しているのにそれを証言する記録が全くといってないのも不可思議である。また証言とされるものも信憑性に欠けるものばかりだ。

よく言われることだが、ウソも百回言えば本当に思えてくるの喩えで中国はそれを何の躊躇もなく実践している。といって中国政府の露骨な政策を国際常識の観点から批判しても埒が開かない。まして、中国とは話し合いであくまでも解決せよというリベラル左派の能天気な対応ではなおさら自殺行為というほかない。

結局現在の習近平政権については実際のところ、こんなあこぎな政権だと見なして現実的な対応をとるしかない。軍事的威嚇に対してはどうしてもこちらも真正面に対抗するのが妥当といえる。また情報戦には。そんな百回のウソを粉砕するのには強力な真実で攻めるばかりである。しかし、中国は古来より孫子の兵法など権謀術数の謀略に長けた国であるからその戦いでは一筋縄でいかない。

最終的には経済崩壊でゆらぐ中国の独裁的強権体制を終わらせることが先決だと思う。過去のソ連が経済停滞のなか軍事的拡張が突出した結果、あっけなく崩壊した歴史がある。これを導いたのは西側諸国の毅然とした姿勢と真実の情報の流入である。中国はそんな過去の歴史を意識してその轍を踏まぬよう躍起になっているようだが、いずれ同じ運命を辿るということを自分自身半分期待を込めて予測している。


SEALDsの化けの皮

2015-10-03 14:47:57 | プロ市民煽動家

安保関連法案が成立してすでに2週間、一部メディアの意図的後追い報道は別にして、もはや法制を巡る反対運動の騒擾はあっという間に消えて世間はいつもの平安を取り戻している。石原元東京都知事が「あんなのはすぐ雲散霧消する」と予言した通りであった。「国民の民意の反映」などとメディアや一部知識人がこうした反対デモを持ち上げたが、これがいかに的外れであるということをその後の経過が証明している。

そんななか昨日2日、あのSEALDsと呼ばれる法制に反対する学生団体が東京の日比谷や現座でデモを行ったようだ。しかし、こんな無駄な抵抗?を報じるのも朝日新聞ぐらいで全く報道価値などないといえるだろう。そのデモの様子を伝える動画を見たが、改めてこの学生団体の運動が皮相的で安っぽいものであることを実感する。

彼らの代表男女2人が街宣車の上で「安倍は止めろ!」をラップ調でしつこいくらいに連呼する。そして「憲法守れ」「戦争法案絶対廃案」といったリベラル左派の特有のフレーズが続く。さらにお得意の「民主主義ってなんだ?」といったお決まりの言葉が男性から飛び出す。この問いかけにもうひとりの女性が「これだ」と答える。

動画を見ていてこちらが恥ずかしくなる。「自分たちが民主主義」だと言わんばかりの物言いに、いくら「若気に至り」とはいってももう少し人間として節度があっていいと思う。

これまでの彼らの主張を見ていると本当に今回の安保法制の意味を理解しているとはとても思えない。特に「安倍は止める」と連呼する辺りは法案反対よりも倒閣運動でしかない。これはこの団体に限らず、野党や左翼メディアや知識人の意図と合致する。「対案よりも廃案」を叫んだ野党代表やメディアのキャスターたちは、本心は法制反対というよりも政権打倒が主目的だからだ。

SEALDsはその先兵隊でしかなく若者たちの清新さのイメージを利用するだけでお飾りといってよいだろう。実際昨日のデモでも学生はほんの一握りであり、デモの主体は高齢者ばかりであったということが目撃した人から報告されている。以前からよく言われていることだが、バックで既成野党や組合が支援しこれら組織から人が動員されているようだが、おそらく今回も間違いないだろう、

今回のデモでは主催者発表の動員数さえ報道されていない。朝日新聞は最初の集会会場で「33千席を埋めた」と曖昧な表現をしているが、席を本当に人間が「埋めた」のかと勘ぐりたくなる。もはやこうしたデモの報道さえ途絶えて運動は消滅していくだろう。今回のデモでは「賛成議員を落選させよう」といったフレーズもあった。来年の参議院選挙で学生たち「俺たちそんなことも言っていたんだ」と驚くかもしれない。