粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

原発再稼働を無視したメディアの料金値上げ論議

2012-05-13 14:49:13 | 反原発反日メディア

東京電力の実質的な一時国有化の際に政府が電力料金10.28%の値上げを検討している。また再建計画には新潟刈場原発の再稼働も前提条件になっている。

しかし、この政府の動きに対して、メディアのほとんど、特にテレビの報道番組ではそれに異議を唱えている。「なぜ一般国民に値上げの負担を強いるのか」「その前に東電はもっと自助努力して合理化を進めるすべきだ」などと値上げに否定的な意見ばかりだ。それも街角インタビューでの「一般市民」の声を使っての世論操作のにおいが強い。

しかし街の声として、「再稼働を推進すべきだ」というのをテレビで聞いたことがない。再稼働の「さ」の字も出てきない。唯一メディアで紹介されていたのは12日付産経新聞のウェブアンケートだ。関西電力に関する質問で64%が原発の必要性を感じている。もちろんそれが即再稼働賛成と同義ではないが、テレビの報道とは相当様相が違う。ところが多くのメディアは再稼働をタブー視して値上げ論議を進めているとしか思えない。再稼働を肯定すると、特定の視聴者からクレームが付くから遠慮しているのだろうか。あるいは番組スタッフ自体の意見がもともとそれに固執しているためだろうか。

したがって、「再稼働などもってのほか」という主張をする関係者の声はしっかりとっている。特に刈場原発のある新潟県の泉田知事の声が必ずといってよいほど紹介される。おそらく再稼働に強い警戒心をもつこの知事の元では原発再稼働は99%不可能だろう。

思うにメディア特にテレビ界は学生や主婦、高齢者といった視聴者層が多いからではないか。こういった人々はどちらかというと消費者であり、産業界の意向とは乖離した位置にある。経済効率を意識することなく身の回りの現象ばかりに捕われがちである。化石燃料の負担で年間3兆円以上の損益といってもピンとこないのだろう。

いよいよこの暑い夏に向かい、電力不足が現実的な問題になり節電の強要もなしとはいえなくなってくる。そんな時に「料金値上げ反対、原発再稼働反対」だけで貫き通せるのか、メディアとともに消費者を中心とした一般国民の真価が問われていると思う。