粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

つまらない男

2016-08-27 16:23:11 | プロ市民煽動家

民進党代表選挙に立候補した蓮舫代表代行が岡田克也代表を「本当につまらない男」と呼んで物議を醸している。批判も多かったようで蓮舫代行は岡田代表に電話で謝罪したようだ。いかにも中途半端な政党に所属する人間らしいつまらない結末だが、岡田代表のコメントも全くつまらないものだった。

「妻から言われればショックは受けるだろうが、蓮舫氏の性格も良く分かっているのでショックを受けたということはない」

全くまとも過ぎて何のひねりもない。せめて「つまらないさを貫くのも技量がいるんだ。後継者を引き立たせるのも苦労するよ、蓮舫君」なんてシャレで言って欲しいがどうも。

つまらない男といえば、それに輪をかけた人物がいた。あの都知事選で大敗した鳥越俊太郎氏だ。対立候補の小池百合子現知事から「病み上がり人間」と言われて逆上。それまでは公開討論会は逃げるばかりだったのに、この小池発言を受けて討論会に出席。「病み上がり発言は看過できない。自分と同じ癌患者を侮辱するものだ」と食ってかかった。小池候補の鳥越個人への攻撃に一般の癌患者を持ち出すなど全くピントが狂っっている。

そんなことでムキになったのを有権者が見れば明らかに逆効果だ。そこは余裕で「病み上がりの後は案外心身とも精力が増すもんだよ。だから今はピンピンしていますよ。」なんてね。つでに「上半身ばかりか下半身も」などと言ったらシャレがきつすぎる?10年前、20歳そこその女性に手をつけようとした疑惑があるくらいだから、病み上がり」は関係ないか。

鳥越氏は思えば「つまらない男」と呼ぶ以前に「男」そのものの評価に首をかしげてしまう。応援に駆けつけてくれないかった宇都宮健児氏を批判するのはお門違いだ。自分の立候補のために出馬を辞退した宇都宮氏に敬意を示すことがあっても非難する理由などない。さらに、選挙の敗因として自分に投票しない有権者が悪いなどとほざくに至っては呆れるばかりだ。男の風上にも置けないこんなジコチュウ人間をよくぞテレビメディアが使いまわしてきたものだと思う。

山口百恵のヒット曲のフレーズがつい思い出される。♪坊や、いったい何を教わってきたの。坊やといっても相当歳を食った坊やだが。


鳥越俊太郎という化石

2016-07-17 14:24:11 | プロ市民煽動家

ジャーナリストの鳥越俊太郎氏の出馬により、東京都知事選の行方が分からなくなってきた。護憲派リベラル左翼の権化というべき鳥越氏は、自分から見れば、対極にあると言ってよい人物だ。

そもそも出馬の動機が先週の参議院選挙で改憲勢力が国会の3分の2以上を占めたことに危機感を覚えたこによるというのがが異常だ。その時代感覚がおかしい。自分たち護憲派が善で今は改憲という悪が日本を間違った方向へ向かわせているという前提だ。

すでに何が何でも護憲というのは少数派であるのに、彼はその趨勢を全く理解していない。理解したくないというのが正確かもしれない。今やカビだらけというか、化石ともいってもよい存在だ。

確かに新聞やテレビといった既存マスコミは、今でこそ頑迷な護憲主義が幅を利かせているが、これが国民世論の主流などと考えるのは傲慢というべきだ。スマホなどのネットを介した世論が多様な主張を許容していった結果、すでに護憲そのものを冷静に見る目が醸成されている。もはや、頑迷な護憲は時代遅れであるのに鳥越氏らのリベラル左翼は流れに敢えて抗っているいるというのが実態だろう。

ただ、こうした護憲派は少数派であるが、ネットの興隆にあまり縁がなくテレビなどのメディアにどっぶり浸かっている高齢者や主婦層には依然として根強い影響力を持っている。先の参議院選挙や鹿児島知事選で知名度の高いリベラル左派のキャスターが当選したことも背景にはそれがある。

特に鹿児島県知事選挙で「反原発」を前面に出したテレビ朝日出身のキャスターが現職を破ったのが象徴的だ。県内で稼働している川内原発の危険性を必要以上に煽りながら知名度を生かして県民世論を誘導させた結果といえる。おそらく、鳥越氏もこの結果を見て「自分ももしかして」という期待を抱いたことだろう。

ところで今回の都知事選挙ではこの鳥越氏が野党4党の統一候補として出馬しているが、与党の方は自公推薦の増田寛也氏と自民党の推薦を拒否した小池百合子氏が立候補しており、三つ巴の戦いとなっている。3人の選挙演説をそれぞれ2.、3の動画で視聴したが、いかにも三者三様である。

自分は東京都民ではないが、もし投票出来たとしてもあまりが気乗りがしない。「化石」の鳥越氏のなどもってのほかだが、しかし演説はうまい。長年キャスターをしているだけあって、人の心をつかむ術を持っている。自分の幼少期を話題にして気の弱そうな父親に当初は反発していたという。しかし、父親の葬式時に何人か身障者が参列していたのを見て実は弱者のために尽力していたのを知って父親の偉大さを知り、自分もそのために生きようと決意したという話は庶民受けする内容だ。

政治家にはビジョンや実行力が必要だが、同時にその「思い」といった情緒も必要だ。鳥越氏はその点で「思い」をうまく有権者にアピールしている。ただし、ビジョンや実行力となると大いに疑問が残る。記者時代、現地で地面を這うようにして取材したと豪語していたが、同業者の間では安全なところに構えて他人の情報を当てにする「言うだけ番長」だったといった悪評が根強いようだ。

まして、ビジョンを立案してどう実行していくかという行政力はとても望めない。立候補の祭に公約は「これから考える」と答えていていたが、そんな「正直さ」を全くシャレにならない。

対する増田氏はビジョンもある程度持っており、行政能力も望めて安定感がある。しかし、人間的には地味な感じがありどうも人を惹きつける魅力では他の2候補よりも見劣りする。都政に対する強い「思い」というのもなかなか伝わってこないのが正直なところだ。

そして、小池百合子氏だが、自分自身立候補を宣言した当初は大いに期待していた。出馬に際して自分を除外しようとする都連に堂々と喧嘩を売って自分をアピールする啖呵にの切り方はは清しさを感じるほどだ。「女は度胸」というこれからのひとつの女性像を象徴する人物にも見えた。

しかし、演説を聞いていると女性の本来の美徳である「愛嬌」にはどうも乏しい。色気とまではいわないが可愛げが足りない。そして政治家にはスパイスとなるユーモアが欲しいがイマイチだ。彼女自身は本来はもっと人間味があるのかもしれないが、今の言動にはそれが感じられない。また演説の内容が総花的であり、話は饒舌なのだが何を言いたいのかこちらに伝わって来ない。

結局のところ、3人に共通することだが、これからの東京についての肝心な「夢」が語られていない。その点では舛添前知事が世界都市NO1を目指すと発言していたことの方がまだマシだ。実際の舛添氏は世界ランクを上げるどころか、評価を落とすことに邁進してしまったが。都民、日本国民ばかりか世界中の人々を惹きつける魅力ある都市を目指して欲しいと思うが、今回の選挙ではそんな夢などは無縁のようだ。

その点では鳥越氏の「思い」が選挙を引っ掻き回す可能性がある。しかし、その「思い」は情緒が先行している印象があり、あまり健全とはいえない。いわゆるポピュリズムという手垢のついた陳腐な手法だ。しかし、その裏では頑迷護憲派が時代の流れに死に物狂いで抵抗している実態を見過ごしてならない。

 

追記:本日の産経新聞(18日)では都知事選に関して意外な報道になっていた。「小池一歩リード、鳥越・増田が急追」とのことだ。小池応援に自民党本部が厳しい締め付けの方針を示したことが逆に裏目になったというのが、産経の見立てだ。

確かに最近の小池候補の演説を見ていると党のいじめにめげず奮闘しているというイメージを前面に出していて、これが結構有権者の同情を集めているようだ。以前、自民党が高齢を理由に現職の鈴木知事を排除して磯村氏を知事にしようとした時に鈴木氏に同情が集まり大勝したことを思い出す。その再現になるのだろうか。

「漁夫の利」を狙っている鳥越候補だが、やはり「情」に訴えるだけでは弱い。新宿の演説では話が空虚で政策の「せ」の字も出てこない。しゃべり方もシドロモドロで年齢的な限界を感じる。漁夫の利どころか、他の陣営に自分の支持票を侵食される可能性さえある。


公開討論会要求に敵前逃亡したグータラ左翼

2016-03-20 16:44:24 | プロ市民煽動家

すでに旧聞に属するが、高市早苗総務大臣の「電波停止発言」に反発して、2月29日テレビ報道番組で頻繁に登場するコメンテーター7人が記者会見をした。その様子は異様で酷かったといってよい。「私たちは怒っています」と横断幕を広げる辺りは、活舌を自負する彼らにはまるで似合わず、かにも書生っぽくて野暮ったいものだった。

田原総一郎、岸井成格、鳥越俊太郎、大谷昭宏、金平茂紀、田勢康弘、青木理の各氏だ。何のことはない、この7人は3年前にも同じメンバーで秘密保護法に反対するため記者会見を開いており、横断幕を広げる手法も以前行っていた。

前回同様、今回も安倍政権の政策を権力の暴走とらえ、正義感を振りかざしているようにみえた。しかし、特定の思想=リベラル左翼の面々であることは否定がしようがない。反安倍、反安保法制、反原発、反基地…といった特定のイデオロギーにメンバー7人はほぼ同じ方向性にある。慰安婦問題などの歴史認識でも韓国側に立った主張をしており、大方の国民世論とは遊離している。

だから、彼らが放送の公平性を訴えること自体がそもそも矛盾している。メンバーの一人である岸井成格氏が「政治的公正公平は一般の公正公平と違う。権力は必ず腐敗し暴走する、政治の鉄則だ。権力の暴走を止めるのがジャーナリズムの役割だ」と断言している(動画38分辺り)が、どうも理解に苦しむ。たとえば安保法制でも世論が賛成反対と意見で二分されていた。それをまるで賛成が暴走で、反対することが公正公平というのは傲慢としかいいようがない。

ところでこの岸井氏は安保法制の審議が国会で沸騰してた当時、テレビの報道番組で堂々と廃案を呼びかけていた。彼の発言に対して、作曲家の杉やまこういち氏を代表とする保守派グループ「放送法を遵守する視聴者の会」(視聴者の会)が問題視して新聞に意見広告を出していた。岸井氏はこうした保守派の動きに対して会見でも憎悪むき出しの敵対的な発言をしていた(動画59分辺り)。

「低俗で知性どころか品性のかけらもない、ひどいことやる時代になったなと思った、やっていて恥ずかしくないのかと疑った、それしか言いようがない」

こんな岸井氏の物言いは、正直自分自身これが名のあるジャーナリストの言葉かと疑った。相手側の批判に論理で応えるのではなく、ただ感情だけで不満をぶちまける。天に唾するとはこのことでそれこそ「知性や品位のかけら」さえないと感じた。

当然、保守派の「視聴者の会」もこのコメントには憤懣やる方ない反発を覚えたことは想像に難くない。しかし、そこは気持ちを抑えて田原総一郎氏らに公開討論会を提案したのだろう。「言論人たちの意見の相違は言論で決着をつける」ということだ。

具体的には公共放送NHKの場を借りて双方3人が出演して議論するというものであった。しかし、提案に対する回答期限は3月11日であったが、いまだ田原氏側からは何の返答もない。完全な黙殺であった。

視聴者の会のメンバーであるケント・ギルバート氏も岸井氏らの黙殺に怒り、レギュラーを務めるネット番組(動画43分辺り)で「公開討論会に反対なら最低でもその理由を述べるべきだあり、黙殺は卑怯だ」と彼らの対応を批判していた。まさに敵前逃亡というべき情けない所作といってよい。あれだけ口汚く視聴者の会を非難した勢いはどこへやら、逃げ一方ではギルバード氏から「彼らは討論に負けることを恐れた」といわれても仕方がない。まさに「グータラ左翼」といってよい。

そういえば会見を傍聴した同業のジャーナリストによる質問では興味深いシーンがあった。どうも意図的にしか思えないほど、質問者はリベラル左翼の人たちばかり(朝日新聞、東京新聞、共同通信、IWJなど)であったが、そんな中、フリージャーナリストの神保哲生氏がなぜか厳しい質問をしていた(動画47分辺り)。

放送法4条の解釈が間違っていることはあきらかだ。であれば、なぜ放送局が全く意味不明な発言にここまで怯えるのか、あるいはそうした意向に唯々諾々と従った番組になるのか。

蹴飛ばせばいいだけの話だ。もしこういうことをいう人間がでてきたら『停波できるのならしてみろ』と今まで以上に権力批判すべきだ。

しかし会議で難しい企画を出すと上から言われるという。停波が恐ろしくてなぜあの程度の発言に萎縮するのか。何か別の理由でもあるのか。安倍さんがそんな発言で萎縮するなんて情けないと言ったののは正論だ」

日頃神保氏の主張とは自分自身対立することが多いが、この発言にはほば同意する。「蹴飛ばす」気概で対抗すべき話だと思う。それほどに日本は言論の自由が保障されている。

しかし、この質問い対して、出席者は「(神保氏のいうような)きれいごとばかりでない。テレビ局も企業だからいろいろな考え方の人間がいる。組織の中で葛藤しながら働いている」(青木理氏)などと答えている。自分には言い訳としか思えない。そして、番組制作での窮屈さは政権側のプレッシャーにあるのではなく、放送界内部に問題があるとも考えている。

早い話が「意気地がない」だけの話だと思う。そして、この会見の出席者も別な意味で意気地がない。つまり、彼らと意見を異とする保守派と戦うこともなく、逃げ一方だからだ。

本日の朝のサンデーモーニングでこのメンバーのうち2人が出演し、コメントをしていた。自分がその立場だったら恥ずかしくコメントする気にならない。テレビに向かって「そんなコメントをする暇があったら、まず保守派提案の公開討論会にでるべきだ、それをどのツラ下げて」とつい文句のひとつもいいたくなる。同じコメンテーターでも学歴詐称した経営コンサルタントの方がまだかわいい?

グータラ左翼、肝心のときには居眠りを決め込む。まるで子守唄を聴くように。昔、ヒットした中原理恵の歌「東京ららばい」風に歌うとすれば、こんな感じか。♪だから死ぬまでグータラ左翼の子守唄。もちろん、これは狸寝入りだろう。なぜか会見に出席したジャーナリストたちが狸顔にみえる。ごめんなさい!岸井さん。


「SEALDs、感じ悪いよね」

2015-12-06 13:13:21 | プロ市民煽動家

今年の流行語大賞のトップ10にも入ったSEALDs、安保法制に抗議するデモを展開した学生団体だ。しかし、この団体の言動に違和感を持つ同世代の若者は少なくない。たとえば、現役の慶応大学女子大生でオピニオンサイト「iRONNA」の特別編集長である山本みずきさんの評価は極めて手厳しい。

 

シールズのパフォーマンスは運動のスタイルは斬新でも、安倍首相をヒトラーにたとえたり、「アベ死ね」などと聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせたりする表現手段には、残念ながら知性の欠片も感じられませんでした。 

国家の安全保障に関するシールズの認識と主張も、とうてい看過できるものではありません。 

シールズは、安保法制とは戦争法案であり、「この法案が通れば徴兵制が始まる」と主張してきました。 

しかし、安保法制は、抑止力を高めることで他国から攻撃される可能性を低くするのが狙いであることは言うまでもありません。 

同じ学科のある友人は、「政権に異議を唱えることは、日本国憲法が保障した表現の自由の行使なので運動自体には肯定的」としながら、「自分たちの意見のみが正しいという視点に基づくシールズの言説(戦争法案というワンセンテンスポリティックス)は許容できない」と言います。 

この意見には私もまったく同感で、シールズに対する違和感の源泉がここにあります。 

自分たちの主張こそが民意であると疑わず、異論や反論から耳をふさぐという排他性に危うさを感じるのです。 

「戦争をするような国には住みたくない」という気持ちはわかりますが、それを叫んだところで中国の横暴が止まるわけではありません。彼らの論に倣えば警察も自衛隊も暴力装置ということになりますが、それらに守られながら、「暴力はいけない」と叫ぶことにも大きな矛盾を感じます。 

 

まさに山本さんの主張する通りであり、特に「自分たちの主張こそが民意であると疑わず、異論や反論から耳をふさぐという排他性に危うさを感じるのです。といった指摘は鋭く、この集団の本質を的確に言い当てていると思う。「民主主義とはなんだ!」とはSEALDsが好んでデモで叫ぶフレーズだが、彼らの実際の言動は逆にこの民主主義を否定する行為ではないか。

また、「それら(警察や自衛隊)に守られながら、「暴力はいけない」と叫ぶことにも大きな矛盾を感じます」という山本さんの感想もSEALDsの弱点を見抜いている。こんな反政府的なデモが許されるのは民主主義を担保する国防や治安がしっかり機能しているからである。現在の中国では決してこんなデモはできない。逆に民主主義を抑圧する装置になっている。最近の韓国を見ていると、こんな表現の自由も怪しくなりつつある懸念を覚える。

山本さんのような知的な女子大生は別にして、世間一般の若い女性から見れば、SEALDsのデモそのものが「感じ悪いよね」となってしまう。ちなみにトップ10にはならなかったが流行語大賞にノミネートされたフレーズに「自民党感じ悪いよね」があった。本当は自民党の代わりにSEALDsにしたほうがよかったのではないかと思う。

それにしても、今年の流行語大賞の選考は極めて異常であり偏向していた。大賞の一つの「トリプリスリー」は全くといいくらい流行らなかった。トップ10には「アベ政治を許さない」とこの「SEALDs」といった安保法案に関連したが選ばれたが、これは選考委員の意向が強く働いていた。それもそのはず、選考委員には鳥越俊太郎、姜尚中、やくみつるといった左翼文化人たちが名を連ねている。

特に鳥越俊太郎は「アベ政治を許さない」をプラカードを掲げて安保法案成立阻止の実力行使に動いた張本人である。それこそ、安保法案の中身を議論する以前の倒閣運動であり、SEALDsのデモ活動と本質的に同じである。鳥越はまさにSEALDs老人会代表といってよく、流行語大賞という既存の全国的企画を私物化してSEALDsを援護射撃していると言わざるを得ない。

そのSEALDsが最近は沖縄の辺野古での反基地闘争に活動場所を移しているという。鳥越俊太郎も昨年の沖縄知事選では辺野古移設反対の翁長現知事への露骨な応援活動をしていた。沖縄の基地問題が裁判闘争という新たの段階に入った今、老若のSEALDsたちがタダでさえ左翼活動家の巣窟となっている辺野古に乗り込んで空虚な「平和」運動を活発化させることを想像するとやりきれない思いに駆られる。

 

SEALDsの化けの皮

2015-10-03 14:47:57 | プロ市民煽動家

安保関連法案が成立してすでに2週間、一部メディアの意図的後追い報道は別にして、もはや法制を巡る反対運動の騒擾はあっという間に消えて世間はいつもの平安を取り戻している。石原元東京都知事が「あんなのはすぐ雲散霧消する」と予言した通りであった。「国民の民意の反映」などとメディアや一部知識人がこうした反対デモを持ち上げたが、これがいかに的外れであるということをその後の経過が証明している。

そんななか昨日2日、あのSEALDsと呼ばれる法制に反対する学生団体が東京の日比谷や現座でデモを行ったようだ。しかし、こんな無駄な抵抗?を報じるのも朝日新聞ぐらいで全く報道価値などないといえるだろう。そのデモの様子を伝える動画を見たが、改めてこの学生団体の運動が皮相的で安っぽいものであることを実感する。

彼らの代表男女2人が街宣車の上で「安倍は止めろ!」をラップ調でしつこいくらいに連呼する。そして「憲法守れ」「戦争法案絶対廃案」といったリベラル左派の特有のフレーズが続く。さらにお得意の「民主主義ってなんだ?」といったお決まりの言葉が男性から飛び出す。この問いかけにもうひとりの女性が「これだ」と答える。

動画を見ていてこちらが恥ずかしくなる。「自分たちが民主主義」だと言わんばかりの物言いに、いくら「若気に至り」とはいってももう少し人間として節度があっていいと思う。

これまでの彼らの主張を見ていると本当に今回の安保法制の意味を理解しているとはとても思えない。特に「安倍は止める」と連呼する辺りは法案反対よりも倒閣運動でしかない。これはこの団体に限らず、野党や左翼メディアや知識人の意図と合致する。「対案よりも廃案」を叫んだ野党代表やメディアのキャスターたちは、本心は法制反対というよりも政権打倒が主目的だからだ。

SEALDsはその先兵隊でしかなく若者たちの清新さのイメージを利用するだけでお飾りといってよいだろう。実際昨日のデモでも学生はほんの一握りであり、デモの主体は高齢者ばかりであったということが目撃した人から報告されている。以前からよく言われていることだが、バックで既成野党や組合が支援しこれら組織から人が動員されているようだが、おそらく今回も間違いないだろう、

今回のデモでは主催者発表の動員数さえ報道されていない。朝日新聞は最初の集会会場で「33千席を埋めた」と曖昧な表現をしているが、席を本当に人間が「埋めた」のかと勘ぐりたくなる。もはやこうしたデモの報道さえ途絶えて運動は消滅していくだろう。今回のデモでは「賛成議員を落選させよう」といったフレーズもあった。来年の参議院選挙で学生たち「俺たちそんなことも言っていたんだ」と驚くかもしれない。