粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

1票の格差について

2014-10-31 20:51:04 | 国内政治

1票の格差が最大4.7倍だった昨年の参議院選挙を無効だとして2つの弁護士グループが訴えていた上告審は最終弁論を終え年内に判決が下るという。こうした1票の格差を巡る裁判でいつも疑問に思うのは、本当に一般国民特に都市部住民がその不利益を問題にしているのかということだ。そうなら国政選挙で重大な焦点になるほはずだが、これまでの選挙でそれが話題になったことなど聞いたことがない。

思うに「票が軽い」都市住民は過疎地住民と比べて暮らし全般においてその恩恵を十分に受けていているということを内心自覚しているからではないか。だから過疎地に対してまず「不平等感」などさらならないということになる。雇用に恵まれ所得も高い。商業、医療、文化、娯楽など様々に機会に恵まれている。それに反して過疎地は多少は住宅が広く物価も安いが、逆にそれは人が少ないことの結果でしかない。

だから、1票の格差で不満を感じているのはむしろ過疎住民ではないか。たとえば鳥取県と島根県の衆議院小選挙区は定員各2人である。それに対して,東京都は25人で山陰全体の合計より21人も多い。人口比で仕方がないともいえるが、これでは人口の多い東京などの都市部の声が反映されやすいと考えてしまうのは当然だ。

それでも東京の一部選挙区は鳥取の選挙区と比べて有権者数は2倍を超えるところがある。こうした格差の是正のために過疎地で選挙区を減らし都市部の選挙区をその分増やすことが対案として国で検討されている。したがって鳥取県では選挙区が1区だけのそれこそ全県区になってしまう。これではますます過疎地の声が反映されなくなる。

ラジオ番組(東京ニッポン放送「ザ・ボイス」10月29日)でジャーナリスト有本香氏(動画10分辺りから)が、むしろ過疎地を減らさず都市部の選挙区を増やしてバランスをとるべきだとコメントしていた。結果的に全体として議員が増えるが、もっと議員の歳費にメスを入れるべきだともいう。自分もその意見には全く賛成だ。彼女も指摘していたが、日本はアメリカはともかくヨーロッパの国々と比べて100万人当りの議員数は半分以下だという。

まして良識の府である参議院においてはなおさら1票の格差を問題にするのは疑問だ。与党内では鳥取と島根をまとめて一つの地方選挙区にしようという動きがあるようだが、これなど過疎地切り捨ての最たるものだと思う。昔から出身県を尋ねるのに「お国はどこ?」などという。それくらい県は自分の故郷のアイデンティティを形成する対象になっている。そして県民性が人々の大切な絆の要素だ。県を統合するなど地方を破壊する考え方だと思う。

自分はむしろ参議院はアメリカの上院のように都道府県同数でよいと思う。それも選挙でなく県知事推薦などの別の方式でよい。それに加えて、各種団体の代表がその団体からの推薦で選ばれるようにしたらどうか。(ただし権限では予算案以外の法案でも衆議院が優越性を持つべきだ。)ともかく参議院は金権まみれの世界から無縁であって欲しいと思う。


山本太郎議員、本当の自分に気づく?

2014-10-29 19:40:09 | プロ市民煽動家

「歩く風評被害山本太郎が来ているぞ、そんな使い方でも結構」…あの参議院議員からこんな衝撃的なフレーズが飛び出した。26日に行なわれた福島県知事選の期間中に山本議員は福島市を訪れて街頭演説をしていた。演説が終わって、聴衆に向って希望者とツーショットの写真に応じますと自分から呼びかけた。「私にはほぼ肖像権はありません。私と一緒に撮った写真をブログに添付して流してもらって結構」といったあとに冒頭の発言になったのだ。

歩く風評被害…自分自身を含めて山本太郎議員に批判的な人間が言うなら分るが、まさか本人が自称するなど希有な話だ。自他ともに認めることは社会的に公認されたも同然だ。こちらの「突っ込みどころ」なくなってしまってちょっと困る?

時代は変わったということか。そして、もはや彼に対するこの表現は世間的にも「定着」して、この反原発旗手もこの流れに抗しきれなくなったのか。考えてみればあの朝日新聞さえ長年の捏造報道を取り消すくらいだ。これを「トレンド」として使わない手はないと本人が考えて、あえて自分を自嘲気味に表現したのかもしれない。

ただ福島でのこの発言は、結果的には単なるジャークとしてちょっとした失笑にしかならなかった。山本太郎議員の存在が全くといってよいほどに小さくて無視される対象でしかなかったようだ。いわば、昔の三流芸人のパフォーマンス程度ということだ。

これは今回の知事選の性格も反映している。与野党相乗りの候補の圧勝が予想され、複数の反原発候補たちが票を潰し合う一強多弱が影響している。あの鼻血前町長が得票数2万9千票程度で3位に甘んじるなどその惨敗ぶりは酷かった。

山本議員自身も応援する候補を決められず、ただ持論の反原発論を披瀝するだけのていたらくに終わってしまった。実際なんのために福島に訪れたのかさっぱりわからない。10月だというのにピンクのTシャツで余計にわびしく感じられる。

ただ、演説の中身を聞けば山本太郎議員が真から反省してこのように自認したわけではない。「今のままではまずい。人体実験されぱなしだ。福島だけじゃない。東京もそう…」と関東全ての県を列挙している。まるで訂正は認めても「本質は変わらない」と開き直る朝日新聞のように、彼の反原発放射脳は治癒?しない。太郎冠者(患者?)の狂言は続く。

おそらく次に彼が訪れるのは川内原発がある鹿児島であろう。再稼動問題がいよいよ大詰めを迎えつつある。鹿児島県民にとってはあのピンクのTシャツだけは着て欲しくないと思うだろう。いくら県内に桜島があるといってもあまりにも色がどぎつく不気味過ぎる。だから彼にとってここは「歩く風評被害」をともかく連呼することでしか鹿児島県民をなだめることはできない。

追記:とりあえず川柳を一句

放射脳狂言続く太郎冠者


誤報と捏造

2014-10-28 16:57:43 | 反原発反日メディア

自分の26日のブログで朝日を擁護する集会のことを書いたが、そこであるジャーナリストの発言が気になった。青木理氏が「記者は誰でも時々誤報をうっかり発信することがある。誤報を出さない記者は無能で怠け者でしかない。朝日の誤報も同じなのに、それをもって売国奴とか国賊とかといわれるのはおかしい」といった内容だった。

確かに、この主張の前半部分は正しいが、後の朝日の場合はどうか。すなわち朝日の報道は単に誤報で済まされるのかということだ。人間がよく起こす「うっかりミス」といえるのか。

特に慰安婦問題での植村隆記者の報道はとても誤報で片付けられるものではない。限りなく捏造、いや明らかな捏造と言ってよいものだと思う。それについては最近も産経新聞が検証記事を出している。

3年8月11日付朝日新聞朝刊社会面(大阪本社版)に「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出しで、大きな記事が掲載された。執筆者は大阪社会部に所属していた植村。韓国人元慰安婦の証言を初めて報じた“スクープ”だった。

 もっとも植村は直接会って取材したわけではない。韓国の反日団体「韓国挺(てい)身(しん)隊問題対策協議会」(挺対協)が録音した約30分の証言テープを聞き、それを記事にまとめたのだ。

 記事では匿名だった金学順(キム・ハクスン)は3日後の14日に実名を公表し、韓国のメディアもこぞって取り上げ、慰安婦問題に火がついた。金が証言した結果、植村の記事との矛盾が浮かび上がった。

植村は金を「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」のうちの一人として取り上げている。ところが、金がこの年の12月に起こした賠償訴訟の訴状は「養父に連れられて中国へ渡った」と記載。別の証言集でも金は「女子挺身隊の名で連行された」とは語っていない。

植村記者が取材した元慰安婦の金学順について、植村記者は「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と書いているが、金本人は裁判の訴状ばかりか、記者会見でも「義父に連れられて中国へ渡った」としか語っていない。彼女の口から「挺身隊」の「て」の字もでていないのだ。しかも、植村記者自体は本人に取材せずに挺対協の証言テープを頼りに「重い口を開いた」とさも自分が聞き取りしたような報道ぶりである。

明らかに事実関係に矛盾がある。しかもある特別な意図で記事にしたとしか思えない、元慰安婦の個人的な問題をあたかも背後に国家権力が介在するかのような書きぶりである。この矛盾に植村記者は公の場で釈明をせずいまだ逃げ回っているのだ。こんな無責任な態度と取っている限り、「捏造」と言われても仕方がない。そして朝日新聞は植村記者をかばい続けている。それどころか、退職後に講師をしている大学へ脅迫がきていることを盛んに問題にしている。

確かにこんな脅しは決して許されるものではないが、産経の記事にある通り「韓国のメディアがこぞって取り上げて、慰安婦問題に火がついた」ほど、看過できない重大な報道であった。したがって植村記者はこの「捏造記者」の汚名を返上するためにもきちんと説明する必要がある。

軽々に朝日報道を売国的と決めつけるのも問題だと思う。しかし、旧日本軍軍人たちが朝鮮人女性を脅迫で連行して性奴隷として虐待したという悪しき印象を報道によって世界に拡散させたことは事実だ。それも事実であれば致し方ないが、虚偽であれば「反日的」と言われても仕方がない。単に誤報だから、と言い張る左翼ジャーナリストは、こうした事実関係を本当に承知した上で朝日擁護をしているのか、はなはだ疑問だ。

 

朝日叩きに反対する集会の動画を見て

2014-10-26 18:17:06 | 反原発反日メディア

今月15日に行なわれた集会の様子がネット配信されていたので早速見てみたが、想像した以上に面白く興味深かった。

「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」(メディア同士の叩き合いを危惧する著名人らが緊急シンポジウム開催)と長たらしいタイトルだが動画時間も2時間半の長丁場に及んだ。

出席者は朝日叩きに反発する外部のジャーナリストや文化人が多かったが、朝日の現役とOBが3人参加していた。そしてこれら外部著名人と朝日関係者ではその訴える内容が全くといってよいほど方向性が異なっていてそれが発言にはっきり現れていた。

まず著名人たちが、朝日を叩く他のメディアのやり方を激しく非難したのに対して、朝日関係者は、自社の企業体質の閉鎖性を訴えていた。記者たちは全くといってよいほど他社の朝日叩きには言及しなかった。特に大阪本社社会部の武田記者は控え目な物言いながら、率直に自社の対応を批判していた。

「私は慰安婦問題特集取材班の一員だった。大きな責任を感じている。最近の朝日新聞批判で、現役記者の発言がなく、OBの発言に任せておいていいのかという思いがある。

社長の謝罪会見で、『朝日は自浄能力がないのではないか』と何度も質問された時、悔しさが頂点に達した」

それほどに朝日新聞というのは「いつのまにか闘えない組織になっていた」ともいう。それも「もう遅いと思った」ほどに弱体化していた。さらに末端記者の自由な言論が紙面に十分反映されず上層部の意向が強く働いている現状も告発していた。

会社の上層部が考えていた狙いと私たち取材班で納得したい狙いというものがおそらく違っていた。取材班としてはきちんと慰安婦問題を事実に即して報道していくというためにも、この誤報問題を必ず解決しなければいけないと考えていた。そこが歴史に真摯に向き合う一歩になるのではないかと受け止めた。

取材班としては今回のような紙面構成にするつもりはなかった。もっと全体像を示したものをつくっていこうとしたが、どういう経緯でか私たちの手を離れて、先送りをする、別の機会に書くという対応になった。

こんな集会で朝日新聞現役記者の内部告発を聞けるとは思わなかった。同じく客席から飛び入りで登壇した朝日東京本社記者も認識は同様だった。ある面、会社の締め付けが緩んできたともいえるし、それこそ武田記者のいう「弱体化」の結果なのか。ともかく、今朝日新聞が重大な岐路にたっていることは間違いない。

それに対して外部の著名人の発言には朝日新聞擁護にほぼ終始して、日頃の朝日叩きを自分たちへの攻撃と考えているようだった。今の風潮を歪んだ時代の反映と見なし安部政権を批判するなど異常な危機感を露にしていた。どうもこうしたリベラル派と称する人間の発言には聞いていて首を傾げたり不快感を覚えてしまう。その点で朝日OBの辰濃氏の指摘は冷静でバランスが取れていた。

この会で傷をなめ合っていても仕方がない、そこには苦言があって、おかしいぞという声があって始めてこれに対する理論武装ができていく。ムードだけで流されるのなら朝日に対する売国奴というムードとあまり変わらない。

週刊金曜日の編集長が保守メディアと安部政権に対してガチガチの批判を披瀝した後、辰濃氏はこれを牽制するように割って入って発言をした格好だ。

これら朝日新聞の現役記者とOBの声が果たして朝日を改革する原動力になるのだろうか。少しは期待したいがなんともいえない。それに彼らの見解を想像するに慰安婦問題で基本的にはどうも従来からの朝日新聞の主張とさほど変わっていないようにも思える。朝日の壁を越えられるか、あるいは超えようとしているのか。


ある夫婦漫才の生き残り策

2014-10-25 17:29:48 | プロ市民煽動家

反原発運動が下火になって今頃どうしているのだろうと思っていた。あの吉本興業の夫婦漫才「おしどり」、こんなところで持ち余すエネルギー?を発散させていた。

針金の格納容器 原発を追及し続ける「おしどり」が個展

針金芸でおなじみの「おしどり」が都内で開いた個展はきょう、好評のうち幕を閉じた。15日から5日間にわたって個展を開いた下北沢のギャラリーには、50点余りの針金アートが並ぶ。

…マコさんがモチーフを考え、ケンさんが針金を曲げた。

 がぜん人目を引くのが実物の20分の1の格納容器(写真)だ。メルトダウンした東電福島第一原発1号機がモデルになっている。ケンさんによれば、タイベックが格納容器の中に入っているのは「人間が原発の犠牲になっている」ことを表す。

夫婦漫才というより曲芸漫才いや実態は針金芸をネタにした反原発活動家といったほうがわかりやすい。実際妻のおしどりマコの方は、3年前の原発騒動華やかなりしころはジャーナリストとして名を馳せていた。東電などの記者会見に出席し関係者に質問をする様子が動画でよく見かけられた。

特にまだ週刊文春が反原発一色でいたころは、煽り記事を寄稿したりして世間の耳目を集めていた。しかし記事内容にその虚偽が指摘されてその後活躍の場を失っていた。

自分のブログでも当時彼らのことを取り上げて早く「本業」に復帰することを提言したが、実際は現在もこんな場所で反原発の火を燻らせていたようだ。しかし、写真で見る「格納容器」はグロテスク過ぎる。針金でかたどっているが、その中にあるのは原発作業員の防護服である。「人間が原発の犠牲になった」という意味らしいがとても悪趣味で芸としては笑えない。

以前おしどりマコは曲芸で「福島県民を元気にさせたい」といっていたが、こんなもの見せられたら県民も有り難迷惑であろう。というかアン八っピーな気分になってしまう。反原発の区長さんがいる東京世田谷の下北沢だからできる個展である。

この個展を紹介しているのが反原発ジャーナリスト田中龍作氏である。彼はおしどりマコが現在も在籍している自由報道協会のかつてのメンバーであった。あの上杉隆氏も代表を退き有力メンバーも続々退会して今やペーパーカンパニーでしかない協会だ。

田中氏も昔のよしみでかつての盟友の個展を記事で紹介したのかもしれない。しかし、この記事が開幕時でなく閉幕後というのはどうしたことか。こんなところに協会仲間の人間関係の希薄さを感じる。

記事には福島の原発の配電盤に侵入して感電死したネズミも作品にあるようだ。それを「コミカル」だとしているがどんなものだろう。これが吉本の芸だといわれても…。記事の中に夫のケンが「NO」を形取った針金を頭に載せてご満悦の写真があるが、どうも見た目が冴えない。「NO」と言われているのが一体誰なのか。