粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

我が町の人間国宝

2023-05-20 13:38:41 | 一般

ふだん散歩する裏通りの中に個人経営の理髪がある、人通りもまばらでクルクル回る例の3色サインポールがなければ全く理容店があるとは気づかない。

ここ10年いや20年かもしれない、お恥ずかしながら?激安千円のチェーン店で簡単な理髪で済ませていた。当然これまで素通りしていたが、今日は心の余裕なのか?つい入店したい気分に駆られた。

個人経営の理髪店の主人といえば親父さん(しかもおしゃべり好きな)を想像していたが、待ち構えていたのは老婆といってよいほどの女性だった。聞けば、この店は長年夫婦でそれこそ二人三脚で営んできたということだ。残念ながらら夫には昨年先立たれ、ちょうど一周忌になるという。

だから、年季が入っているというか、さすがに巧みな手捌きで頭髪の隅々まで入念にハサミを進めていく。最初、まるで同じ箇所を何回もはさみをいれる所作が気になった。だが、これも決して動作が散漫ということではなく、最適で均等なな髪の長さにするための細心の根気強さであることに気づいた。

激安チェーン店では決して望めない洗髪もl湯加減も程よい。自分には頭部全体へ温かさが染みるように入っていく気分だ。使用するシャンプ^・リンスも、赤子に対するように彼女の指で優しく撫でていく。

次に髭剃り、口鼻周辺はもちろん、顎下の湾曲部分も懇切丁寧に適度な力を入れて剃っていく。アフターのジェルも怠りなく剃り跡が爽やかだ。

さらに、眉毛・鼻毛の手入れ、そして耳掃除も。とても気持ちよくリラックスできて極上の数十分だった。

そして会計、「3,500円ですがいいですか」いやいや全く気にすることないよ。おばあちゃん。

彼女にとっては、自分の生計を立てるため日常的に仕事をしているだけかもしれない。決して、高貴な工芸品や料理を創るわけではない。しかし、自分にとっては熟練で洗練された技術で、人々特に顔面が冴えない男たちさえも美しく磨きをかれる尊い魔術師に思えた。

自分がその筋の政府関係者なら、彼女に文化功労賞、文化勲章をあげたいくらいだ。いやいっそ人間国宝?

夫を亡くして話し相手もあまりいない。何もしないとボケる。こうして仕事をしているのがいいんだよ、と淡々と語る。

「お母さん失礼だけどいくつ?」「いくつに見える?」彼女の声から推測して遠慮がちに自分は「80近い?」と言ってみた。「そんなところだよ」と彼女。しかしその声に心なしか元気がなかった。若くみられることを期待したのにほぼ的中したのか、あるいは実際はもっと年が下なのに老けてみられたのか?自分自身ちょっと後悔した。やはり女性には年齢を聞くものではない。

 

※久しぶりにブログを書いた。以前ようなペースは難しいが時々発信したい。それこそあのおばあちゃんのようにボケ防止で。