粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

全く理解出来ない新潟県知事

2012-11-30 14:51:32 | ガレキ広域処理問題

震災がれきの広域処理をめぐり、新潟県で異常事態が続いている。県内では5市ががれき受け入れを表明し、すでに柏崎市が試験焼却を実施している。27日には新潟市が試験焼却を予定していたが、当日反対派「市民」が焼却場前で執拗な妨害活動を繰り広げた。その結果焼却が中止されたが、なんと震災がれきを岩手県内に送り返すという事態になった。

わずか50人程度の反対派(他県者も多い)の妨害行為には怒りを覚え、新潟市の対応にも疑問が残る。ただ一番首を傾げてしまうのは泉田新潟県知事の態度だ。彼は、一貫して広域処理に対して反対している。ただ彼は「放射性物質の安全性への疑問」一点張りであり、どこが問題なのか全くそれを示していない。要するに、東北のがれきは放射能物質を含んでいるからその数値に関係なく、受け入れられないということだ。消極的というより逃げの姿勢というのが適当ではないか。最近の新潟市長選挙でも広域処理を進める現役市長ではない対立候補を支援する始末だ。

現在がれき広域処理を進めている自治体では都道府県が強力に後押している。静岡県、福岡県、大阪府などそうだ。県と市が歩調を合わせて取り組まなければ、円滑には進めない。その点新潟県知事の非協力的態度は理解しがたい。泉田知事はすでにこれら県内5都市の自治体に対し、がれきのどこが問題なのか、具体的にどういった数値ならよいのか、その納得できる説明をすべきだ。

新潟県は以前最近でも2度の大震災を経験している。県民の多くがその際の全国的支援に感謝しているはずだ。そうした多くの県民の思いにも応えるべきだ。今の知事の姿勢は不作為というより放棄に近いのではないか。


社会心理学の問題

2012-11-29 13:00:23 | 過剰不安の先

昨夜のNHKテレビで福島県三春町から関東地方へ自主避難してきた家族のことを紹介していた。ただ夫は仕事の関係で福島に残り、月に1度妻と小2の娘が待つ避難地へ訪れる生活を続けている。家賃は全額補助されているが、夫が妻子と会うのに車の費用が2万円もかかるという。三春町は原発から40キロ圏内で避難対象区域ではないが、子供の健康不安から母親は福島に当面戻るつもりはないようだ。「いつ帰ってくるんだ」という夫とよく喧嘩になり、夫婦間で気持ちのずれも起きているという。その反面妻は「会うことが出来れば寂しさやストレスから少しでも解放される。(夫婦の気まずさも)乗り越えられるのでないか」と夫婦のふれあいの大切さを語る。

三春町という原発40キロ圏内の距離からして、母親が不安になる気持ちもわかるが、それでもテレビを見ていて自分自身いらだちを覚えてしもう。なぜ「帰るという選択肢」がこの母親にはないのか、と。

ちなみに最近の三春町での放射線量をネットを調べたら0.2マイクロシーベルト/時台が多く、福島市や郡山市より低い。おそらく年間では世界平均の2.5ミリシーベルト程度ではないか。しかも夫婦一緒ならストレスから乗り越えられるといっているのに。テレビでは妻の言葉だけで夫のコメントがないのが気にかかる。

また、福島三春でこの放送を見ている同世代の家族はどう思うだろうか。きっと複雑な気持ちになるに違いない。自分たちは、敢えて県内に留まっているのに、少しメディアの視点に偏りはあると思うのではないか。

NHKを始めとして、相変わらず放射能の健康不安を強調する方向性はあまり変わらない。自民党の片山さつき議員が池田信夫氏司会のシンポジウム(動画1:22付近)でいみじくも指摘していた。「(放射能不安は)いまは理性や科学ではなく社会心理学の問題になっている」、と。確かにこうした母親を見るとどうしてもその疑念をぬぐえない。

しかし必ずしもこの母親ばかりを責められない。池田氏(動画1:53以降)がこのシンポジウムで問題にしていたが、原発事故以来、政府としての確たる安全基準を示していないかためといえる。それを決めずに自治体に丸投げしているところに、混乱がある。そのためにも総選挙後の新政権はこれを責任をもって国民に示せる政党が担って欲しい。


ミスマッチ

2012-11-28 10:24:41 | 国内政治

嘉田由紀子と小沢一郎、亀井静香、河村たけし。どうもこの組み合わせ、結びつかない。嘉田氏がこれらの人々と合流し新党日本未来の党を結成するという。脱原発ならぬ「卒原発」を旗印にこれから加熱する総選挙に殴り込みをかける。

政治評論家の伊藤淳夫氏によれば、このやり方は小沢氏の常套手段とのこと。クリーンで我の強くない温厚な人を代表に担ぎ、自分は背後でしっかり影響力を行使する。昔の、海部俊樹、細川護煕、羽田孜、鳩山由紀夫各内閣がそうだ。そのためには自分の政党が解党し他党に吸収されても厭わない。

今回も、全くそのパターンだ。それに亀井氏ら政界の清濁を併せ持つ政治家を加わる。反面、合流が取り沙汰されていた緑の風は比例区だけ未来の党に入るという。立ち位置がすごく微妙だが、実は最もこの緑の風が嘉田氏の政治理念に近い。一番党の母体になって不思議ではないのだがそ現実はそうなっていない。

これはやはり、他党が指摘するように、総選挙目当ての小沢氏の生き残り戦術のように思える。確かに、これによって小沢グループはある程度劣勢を挽回できるかもしれない。国内には「脱原発」にだけ政治問題をシフトしている人々はいる。ただ、それがどのくらいいるのか。さらにはこの日本未来の党結党の経緯に理解、共鳴が得られているのか、お手並み拝見というところだ。


「史上最悪」と煽るジャーナリスト

2012-11-27 12:56:54 | 煽りの達人

今朝テレビ朝日のワイドショー番組でコメンテーターのジャーナリスト青木理氏が、福島原発事故を「人類史上最悪の原発事故」と呼んでいた。しかしこの形容には大いに問題があると思う。

確かに深刻な事故ではあるが、チェルノブイリ事故と比べたらはたしてどうか。放射性物質の放出量は8分の1といわれるし、チェルノブイリでは事故収拾のために数十人の作業員が高濃度の被曝で死亡したが、福島では現在一人も出ていない。軽傷の火傷はあるが、深刻な症状の人はいない。最も懸念されていた甲状腺がんもチェルノブイリでは子供たちに700人ほどの事故関連発症者が出ているが、福島の被曝では今後も患者が増えるようなレベルではない。

まるでチェルノブイリ事故よりもはるかに深刻で絶望的であるかのような物言いは実態と大きくかけ離れている。チェルノブイリでは現在も30キロ圏内へは帰還できない。しかし福島の楢葉町や川内村では、既に30キロはおろか20キロ圏内でも帰還準備が進められいる。そこには「希望」がある。

最悪と決めつけ「絶望」を暗に印象つける手法は不当であり、差別的でさえあると思う。そこには、反原発の持論を正当化する不純な意図もあるのではないか。青木氏のようにいまだに「人類史上最悪」を強調する反原発派ジャーナリストは多い。しかしこの言葉が福島を始め風評被害に苦しむ人々を傷つけていることを忘れてはならない。

ここへ来て総選挙で、嘉田滋賀県知事を中心に「脱原発」を旗印に、少数政党が集まって「第4極」の政治グループを立ち上げるという。「脱原発」を唱える自体は自由だが、それを強調するあまり、放射能被害を必要以上に有権者に訴えることを懸念する。まして「人類史上最悪」などと吹聴することは、煽動政治の悪しき見本でしかないだろう。

追記:福島の事故はチェルノブイリに次ぐ「原発事故として」は世界では「2番目」の事故である。しかも1番目と比べたら被害状況に相当の差があるということだ。


ジャンケンは日本の合理的な文化

2012-11-26 10:11:39 | 国内政治

今年早々に友人が出場する草野球全国大会を千葉マリンスタジアムで観戦した時のことだった。その試合は準決勝であったが、レベルは元プロ野球選手が出るほどの高いものだった。しかし決着がつかず時間切れ引き分けになった。そこで決着を付けるのになんとジャンケンとなり、幸い友人のチームが勝ち決勝戦に進んだ。

野球にジャンケンなど初めて聞く話だが、日本有数のスタジアムを使用するため時間制限があってやむを得ない措置であった。しかしこれに参加チームが異議を唱えたという話は聞いていない。これも「時の運」と納得して球場を後にしていく。

思えば、このジャンケンは日本固有の優れた文化であり、非常に合理的だと思う。日本では善悪を白黒はっきりさせる絶対者をつくらなかった。たとえば江戸時代、天皇は権威があり、武士には権力があり、商人は財力があって、それが力関係を拮抗させていた。まさにジャンケンの関係だ。この関係が、決定的で深刻な対立を避ける風土をつくってきた。

あるいは喧嘩両成敗という言葉あるように、対立する同士が意見を主張しつつもお互い痛み分けしようという自制の論理が働く。間を取り持つ人間も絶対者にはなりえずあくまでも調停役にとどまる。どうしても決着を付けなくてはならない時はジャンケンのような人智の及ばない運命に委ねる。双方が納得し後は恨みっこなしだ。

最近、来る総選挙で日本維新の会とみんなの党が地方区の選挙協力を巡り紛糾した。橋下代行が「ジャンケンんの決着」を提案したが、渡辺代表が強く反発し協力関係に赤信号が灯りだした。世間的には橋下代行の提案を無責任と批判する声が強いが、公示が間近く早急に候補者を決めなければならない時にはこれが最適だと思う。「最良」とはいえないかもしれないが、少なくとも「最適」だろう。詳しい実態はわからないが、おそらく両党が押す候補者が新人で余り政治の実績がなく地元選挙区の知名度もさほどの差はないように思う。

こんな慌ただしい時期に一つの選挙区の人選に時間をかけて白黒つける暇はない。たとえ出来ても後にしこりを残す。ここはジャンケンをして両党恨みこなしにする。おそらく多数の選挙区で候補者が競合しそうなので、ジャンケンに負けた政党は次にぜひ候補者を確保したい選挙区を今度は譲ってもらう。次は最初のジャンケンで勝った政党という風にすれば、さほど両党が紛糾するとは思えない。

時間が限られていてしかも対立よりも協力を優先するならば、「ジャンケン」こそ有効な手段だと考える。橋下代行が「ジャンケンは理屈でなく、まとまろうという強烈なメッセージだ」「それぐらいのことを理解できない人が国家運営にあたっているというのは、不安で恐ろしい」と反論しているのはもっともな話だと思う。

もしこれで日本の維新の会とみんなの党の選挙協力が決裂したら、「維新」もマイナスだが、「みんな」のほうがはるかに打撃になる感じがする。他党が「有権者を愚弄している」と「ジャンケン決着」を批判しているが、国民はそこは冷めた目でみているのではないか。