粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

反原発論者の忌み言葉、その1

2012-05-17 00:02:20 | 煽りの達人

まず何といっても「風評被害」「煽り」だろう。彼らがそれでもこの言葉を口に出す時は、必ず「NOT」を付ける。

 被災地の産物を拒否するのは風評被害ではない。むしろ東電の実害だ。

  これは「煽り」ではありません。科学的事実です。

 (最近T教授が多用している。)

テレビで誰か否定語でこれらの言葉を発したら、その人はまず「反原発派」の人物と考えてよい。それだけ他人からその言葉を投げかけられることを極度に嫌っているのだ。おそらく自分たちが「煽って」被災地を「風評被害」に実際追い込んでいるという負い目があるのだろう。

「煽り」についでにいえば、それを小気味よく批判する「週刊新潮」「週刊ポスト」といった雑誌も彼らにとっては不倶戴天の敵といえよう。ただし最近の「ポスト」は今イチ精彩がない。おまけにその出版社である小学館が「みえないばくだん」といった差別本を出したり、「SAPIO」で小林よしのり氏が過激な反原発論を展開しているのには興醒めしてしまう。

人物的には「江川紹子」さんが最近「煽り駆逐」の活躍で目覚ましいものがある。特に「歩く煽り屋」上杉隆氏自身、いまや「蛇ににらまれた蛙」かもしれない。蛙じゃなくて「駆逐」といえば『○○ホイホイ』?言葉が過ぎたかな、失礼しました。

病気を何でも放射能の影響と結びつける活動家やその支持者に特にそうだが、「放射能ヒステリー」「精神的ストレス」というのも忌み言葉といえるだろう。木下黄太氏のサイトを見ると、ほとんどそれに苦しむ主婦たちの投稿で埋め尽くされている。そんな彼女たちに対して、実は精神的なストレスが原因ではないかと諌めると猛反撃を食らう。

思うに全て放射能のせいにすることで、逆に安心する異常な世界だといえる。そういえば、自分のブログ(5月12日)で最近紹介した「白井由佳」さんはそんな世界から生還した人の一人だ。今後彼女の名前が反原発派には煩わしく思えてくるかもしれない。

普通一般的には肯定的な言葉でも、人により耳を塞ぎたくなることもある。「再生」「再開」、「復興」なども福島の冠がつくと反原発派にとっては事情が違ってくる。例えば、警戒地域が解除されて役場や学校が再開されたり、地元の農業が再生されたりするのを素直に喜べない人が多い。「こんなに放射線が高いのに政府は性急すぎる」と批判する。あるいは「国は事故そのものの風化を急いでいる」といった調子だ。

したがって福島の「日常化」も内心は望んでいないのではないかと勘ぐってしまう。あるいはいつまでも「原発事故の福島」のままであってほしいのではないか。それが「反原発派」の存在価値、俗っぽくいえば「飯のタネ」であるかのようだ。

4月に入って「帰村」を本格化させている福島県川内村に対しても冷淡にみえる。遠藤村長は「ふるさとに帰るのは理屈ではない。DNAにインプットされている。」とテレビのインタビューで答えている。この言葉を彼らは何と聞くのだろうか。


追記1:上杉氏といえば「デマ・捏造」、これが眩しすぎる。21日に使う金環日食観測眼鏡は今後も誰かさんのために必要?

追記2:文中二人の女性を紹介したが、海の向こうから度々来日し「日本は安全!」とアピールして反原発派を黙らせた女性がいた。「レディー・ガガ」さんと「シンディ・ローパー」さん。この二人の人気女性アーチストの前では坂本龍一氏、山本太郎君以下、日本のにわか反原発芸人が束になってもかなわないだろう。