粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

実証的な放射能教育を

2012-05-11 11:51:09 | 原発事故関連

昨日夜NHK「ニュースウオッチ」で、都内の中学校で広域ガレキ受入れ問題を生徒同士でディスカッションしている様子を報じていた。いくつかのグループに分けて受入れ是非を自治体当局者の立場になって討論しグループとしての答えを出すというものだった。

課題として2つの設問が用意されていた。まず1は、基本的に受入れ自体に賛成か、2は住民が反対した場合で自治体の立場でどうするかということだった。1では9割が賛成なのに、2では賛成6に対し反対4と拮抗してくる。

このディスカッションを見学に来ていた番組の大越キャスターが、討論の最中、助言を求められて語ったのは、原発からの距離に関してだ。岩手の被災地と東京を比べた場合、東京の方が原発より近い。自分たちのゴミだけ処分して被災地のガレキを放射能云々で拒否するのは理に合わないのではないかということだった。

それに呼応して1の設問では賛成が多かったのだが、さすがに2では意見が割れた。実際自治体の当事者でなくとも、住民の反対というのは大きいことがわかる。

その討論の内容をみて感じたことは、基本的に放射能の知識を中学生がほとんど持ち合わせていないということだった。番組中でも放射能の危険性(ある意味で安全性)について討論する場面は皆無であった。考えてみれば当然で、これまでの学校ではそんな問題を教育することはタブーとされてきた。だから中学生が放射能についてもつイメージはマスコミの報道や親の意見に左右されているといってよい。

現在、たとえ原発とは関係なく、癌治療などで放射線医療は脚光を浴びている。そのためにも放射線に対する正しい知識が必要であると思う。中学生の討論を見て自分は苛立さえ覚えたが、これもある面仕方がないのだろう。

ところで作家の瀬戸内寂聴さんたちが、つい最近「原発再稼働反対」を唱えて通産省前でハンガーストライキをして世間の耳目を集めた。彼女たちからすると核兵器も原発も同じ危険な存在のようだ。しかしその一方的な決めつけには違和感を覚えた。どのくらい放射能の基本的知識を持っているのか疑問をもつ。

脱原発にしろ、原発存続にしても、単なる感情論だけに流されて論ずるのは問題が多いと思う。若く柔軟性のある子供たちには、まず実証的な放射能知識を身につけたうえで、その是非を考察して欲しい。