誘われて、山・あ・る・記

自然の中に咲く花を求めて、山野を彷徨い歩く”風よとまれ~息を止めて”指先に一伝わる感動の瞬間♪

天の古道

2010-12-11 20:49:49 | 山歩き
   
 天の古道(あまのこどう)、日の影町仲組中川~高千穂町岩戸まで、10.5kmの峠越え
 ①仲組集落~湾洞越(わんずこえ)=3.5km
 ②湾洞越~赤水(どべ)=2.0km
 ③赤水~上永之内集落~岩戸(車道)=5.0km

*峠の展望所で、地主の男性の話から・・・・
見立地区と岩戸は同じ岩戸村だったが、尾根伝いに分村され日の影に合併された。
同村時代は、出生届け♪、死亡届け(--;)、その他諸々、この峠道を越えて岩戸に行ったと!
また、博喰師(馬や牛の売買人)は、松明を灯しながら牛を引いて峠越えしたとも
分村によって、当時5本ほど有った峠道は、ほとんど廃道化して使われなくなった。
今回、両地区の歴史保存会の方々によって、整備して峠道を復活させた
名前の由来は、世界遺産の「熊野古道』を真似て、天の岩戸=『天の古道』とか (^。-)

 中川の民家の直ぐ横に、『天の古道』の標示板が見付かった。
駐車場がないので、道路脇の邪魔にならない位置に駐車する。(仮駐車場標示あり)
 08:40-1m幅のコンクリート道から登り始めると、直ぐに杉林となり道幅も一気に狭くなる。
登り一辺倒の道をジグザグに登って行くと、日形・月形の描かれた天の古道の標柱が現れる。

 コンクリートはすっかり消え、落葉に埋もれた山道となって来て、杉林と自然林が交互に現れる
なんだぁ~この季節は・・・! 12月と言うのに蒸し暑くて額に汗が噴出してきた。
山道は特に目を見張るものない、昔の村人や博喰師は淡々と歩いたのだろうか?
右手に、道開けの神が祭られていて、大きな石の下に立派な社が建てられていた。

 昔の生活道とあって、危険な場所はないだろうと高を括っていたら、そんなに甘くはなかった。
気を抜いてよそ見しながらだと、数十mは滑り落ちる場所も数箇所有った。
松明持った馬喰師さん、居眠りしたり、時には祝酒のみ過ぎて、ずり落ちた事もあったのでは?
 09:45-峠の展望所の表示板が現れ、初めて人に会ったら、地元の地主さんで少し話しを窺った。
峠の展望所と有ったが大して展望はなく樹間から、湾洞越えらしい場所が窺えただけ!
展望所から少し登って行くと左に、グッと展望が開けて赤水嶽(どべたけ)の全貌が見られた
10:05-杉林の鞍部に、『湾洞越』を見つけた。

 右に『太陽の丘』、左に『月の丘』、真っ直ぐ下ると、赤水~上永之内集落~岩戸のようだ。
ちょっと暇つぶしに、太陽の丘の矢印に向ったが、丘は20mの位置のようだった。
地図で『赤水嶽』が有ったので、そのまま登って行く、10:20-ピーク点に到着した。
赤水嶽のピークから、杔原越(うつきがばるこえ)へと続く山道が確認できた。

 湾洞越に戻り、月の丘(只のポイントーー;)に向ったが、ピーク点の標示はなく
渡内越(わとうちこえ)の縦走路らしき踏み後を25分歩き、岩場の展望を楽しんで戻る。

 10:45-天の古道の続きだ、湾洞越を真っ直ぐに岩戸側の入り口に向った。
やはりジグザグの杉林の中の道で、展望も花も全くなかった --;
小さな流れから、鹿の防護ネット沿いに登り返し、赤水嶽の尾根を下って行くと11:20-岩戸側に着く
 岩戸側の入口から岩戸神社までの約5.0kmは、未舗装林道があり車で走行可能とある。

 天の古道の残り5.0kmは、車で走れて興味も薄く、仲組への戻りもあって止め!
折角のテーブル、やや早いが昼食をとって、来た道を湾洞越~仲組地区へ戻った。
 総所要時間は、04:55だった。
両地区からとも湾洞越までは、登り一辺倒の山道で目を楽しませてくれる物は少なかった。
初夏から初秋の歩きは、日差しは遮られるだろうが、風通しが悪く蒸し暑いだろう。
真冬は、山間部であり山道の積雪や、ガレ場の凍結などに注意が必要か?
お奨めは、4月末~5月上旬の、ミツバツツジ・アケボノツツジ・ヒカゲツツジか♪
*赤水嶽(ドベタケ)=昔から鉱山だったらしく、採石場が所々にあるらしい
 マンガン鋼で、溶け出したマンガンで水が赤くなっていた事で『赤水』
 赤くにごった水=ドベ=赤水嶽=ドベ嶽と言う事です。

*歩けたら・・・♪
 雲海橋の袂を出発点として、大平岳~上野峠~上野岳~猿嶽~俵石越~杔原越~
赤水嶽^湾洞越~渡内越~??峠~二ツ岳~小林峠~追越~本谷山・・・歩いてみたいな♪
コメント
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