ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

春まだ浅く

2012-04-09 10:37:17 | Weblog
 画は 月岡 芳年(つきおか よしとし)

 天保10年(1839年)~明治25年(1892年)

 号は一魁斎、 のち大蘇芳年(たいそよしとし)     作


  「新形三十六怪撰」  「内裏に猪早太 鵺を刺図」です。


☆晴れ、今日も寒い。

さて、当ブログ 春めかぬⅡ 2012-04-05 で、

瀬島龍三と宅見勝てんのうはんの守り人
成甲書房; 初版 (2012/3/29)304ページ
鬼塚 英昭 (著) ¥ 1,890

をご紹介しました。  手前も注文しており今週中には来るでしょう。

世の中には目ざとい人がおり、はや一部をUPしておるw

なかなか驚愕の内容なので、引用させていただきましょう、

◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262173030.html
新・心に青雲  2012年04月04日
◎『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を推す(1/3)

《1》
 
 「田中角栄をどうしても逮捕して欲しい。
 彼は私のファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけた。私は彼を赦せないのだ。」
 この発言は昭和天皇であった。
 田中角栄が首相を辞任して、これからロッキード事件が本格化する前、
 昭和天皇は三木武夫首相を呼びつけてこう言ったのだ。

 三木武夫は「どうすればいいでしょうか」と天皇に尋ねると、
 天皇は「フォード大統領に私の親書を渡してほしい。そして、
 『よろしく頼む』と伝えてほしい」と答えた。

 こうして角栄を失脚させるためにロッキード事件が起こされるのである。
 (ただし高橋五郎氏は、田中角栄が天皇のいわゆる「M資金」、
 アジア各地から略奪してきた金・銀、財宝に手を出したから、
 天皇がロッキード事件を仕掛けたと『天皇の金塊』で書いている。)

 このエピソードは鬼塚英昭氏の新著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』(成甲書房)にあったものだ。
 つまり、ロッキード事件はヒロヒトが角栄を追い落とすために仕掛けたのである。
 この本は発売前に予約しておいて、届いてすぐ一気呵成に読んでしまった。

 「アマゾンの内容紹介」を以下に引用して概略を示す。

    *      *

現代史の闇 ― その原点は、「てんのうはん」の誕生にある。
「てんのうはん」とは、長州(現・山口県)で天皇のことをいう。長州の多くの人々は
「てんのうはん」が山口県熊毛郡田布施町からの出自を持つことを知っている。
この秘密を守るために「田布施システム」が創り出された。
瀬島龍三は、この田布施システムの秘密を守るための「守り人」としてその一生を終えたのである。
また、田布施システムは明治維新以来、「てんのうはん」の守り人として、ヤクザ組織を大事に育ててきた。
瀬島龍三と宅見勝が日本列島暗黒街道の中で出会い、そして交友関係を続けるのは決して偶然ではなかったのである。
大本営元参謀と山口組若頭の黒い関係、日本最大最悪の闇田布施システムの秘密を解き明かす。

   *       *

 「てんのうはん」とは、長州の田布施から引っ張りだされて偽の「明治天皇」にされた大室寅之祐を指す。
 ヒロヒトが田中角栄から天皇ファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけられたという、その中身はわからないが、
 おそらくはこの明治天皇のすり替え、もしくはヒロヒトが大正天皇の実子ではないことのいずれかであろう。
 万世一系はもはや破られたのであるから…。

 ヒロヒトは敗戦後国民をあざむくために、政治には直接関与せず、
 下々の内奏を唯々諾々と形ばかり承認するだけという「神話」を流布させた。
 またマッカーサーを表敬訪問して自分はどうなってもいいから国民を助けてくれと言ったとされるが、
 それも真っ赤な偽りである。
 戦前も戦後も、ヒロヒトは国家元首として、また大元帥として君臨し、権力をふるったのである。

 『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』には、ヒロヒトが皇居に置いた大本営で
 大東亜戦争を指揮する姿が描かれている。瀬島龍三こそ、ヒロヒト大元帥の忠実なる参謀だった。
 もっとも、大東亜戦争を二人で主導したと言っても、
 それはアメリカが策定した対日戦争の「オレンジ計画」どおりに兵を動かしただけのことであったが。

 私は「オレンジ計画(War Plan Orange)」はアメリカ海軍がいずれ日本を戦争に引きずり込むために
 1919年に立案したことは知っていたが、太平洋の戦争自体、開始から集結までのシナリオがあって、
 それに忠実にヒロヒトと瀬島が軍を動かして敗北させ、将兵をいたずらに殺したとまではこの本を読むまでしらなかった。

 瀬島龍三は、巷間、捕虜のシベリア抑留の責任者であったと非難される。
 ソ連が天皇を東京裁判にかけようとするのを阻止するために、
 100万人とも言われる捕虜を天皇免責と交換に差し出したとされるのだが、
 実はもっと酷い話であったことも、この本で初めて知った。

 昭和45年8月22日に内閣が終戦処理会議を設置した。このとき「在外邦人は現地にて共存」という決定をしている。
 すなわち帰国させないと決定したのだ。
 東久邇宮稔彦が総理であり、重光葵、近衛文麿、米内光政、梅津美治郎、緒方竹虎、吉田茂らが関与した。
 内閣は白洲次郎を使ってGHQと折衝させた。
 在外邦人は満州や中国、朝鮮に定着させよ、置き去りにせよ、という方針であった。
 まさに「許しがたい行為」である。

 そしてヒロヒトは8月31日に閣議決定を許可している。
 彼らは一部の軍人だけの復員を考え、当時300万人は居たとされる在外の一般人や兵士を斬り捨てたのであった。
 瀬島もシベリアに11年間抑留された(優遇されたようだが)から、
 「斬り捨て御免になった天皇の赤子の一人」だと鬼塚氏は説く。

 「敗戦国日本にあって、斬り捨て御免とされた天皇の赤子たちを救ったのは、
 天皇の御心に反して立ち上がった、一般の船乗りたちだった」と鬼塚氏はしたためている。

 さらに
 「シベリアから帰ってきても、日本政府は彼らに補償しようとはしなかった。瀬島はその生涯にわたって、
 日本国家が元シベリア抑留兵士たちに補償する必要はないと言い張った。
 もし、国家が彼らに補償すれば、天皇の犯罪が問われることになるからである。
 しかし、昭和天皇と瀬島龍三があの世へと旅立ってやっとのこと、
 元シベリア抑留兵士たちが補償金を貰えるようになった。」
 とある。

 その特別給付金は、なんとたった「25万円~150万円」でしかなかった(平成24年3月末までに請求)。
 しかも国家がではなく独立行政法人が投げやろうとしたのだった。生存している人の平均年齢が88歳であった。

 「日本人よ、ソ連の横暴を説く前に、瀬島龍三の非人間的行動を説く前に、
 天皇をはじめとする終戦処理会議の首相、大臣らの非人間的行動を非難せよ」
 
 こういう事実を、売文歴史家どもはなぜ書かないのか。
 鬼塚氏は秦郁彦、半藤一利、保坂正康らが「天皇無罪論」と「軍人悪人説」を展開しつづけるのを非難しているが、
 そのとおりだ。 ヒロヒトに最も責任はある。



芳年、二枚目、



「大日本名将鑑」  「足利尊氏」 「新田義三」です。



◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262325847.html
◎『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を推す(2/3)

《2》
 鬼塚英昭氏の新著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』は、
 大東亜戦争はアメリカが事前に計画、予定した「オレンジ・プラン」の通りに進行したと書いている。
 原爆の投下だけは当初の計画にはなかった、と。

 明治維新のときに長州の田舎侍どもが「公武合体」を企図する孝明天皇と本物の幼い明治天皇を暗殺して、
 大室寅之祐を替え玉にしたことが諸悪の根源であり、日本の歴史をあまりにも大きく変えてしまったのである。

 薩長政府は、明治天皇が偽物であることを国民にも、外国にも秘密にしようとして、
 逆にイギリスやアメリカに足下をみられ脅されるようになったのだ。
 天皇が偽物であることをばらすぞと脅されれば、
 日本政府は米英の言いなりにならざるを得なくなったのであろう。

 あるいはそうなるように、イギリスが長州を嵌めたのかもしれない。
 後々ゆするために、天皇を暗殺させたと見るべきかもしれない。
 幕末に来日した英国のアーネスト・サトウが、孝明天皇の毒殺説を聞いたことを記しているそうだが…。

 英国公使パークスが、薩長に手引きして徳川政権を倒させたのである。
 有名な西郷隆盛と勝海舟の江戸無血開城の取引という美談も、
 実は内戦で横浜が戦火に見舞われると商売に障害がでるからと
 パークスが西郷と勝に命じて戦争させなかっただけのことだ。

 長くなるが、鬼塚氏の本から引用する。

   *       *

司馬遼太郎の『坂の上の雲』は真実からはるか遠い異次元の坂に上る雲を描いている。
日露戦争もほとんど予定通りに進行した。世界を支配する者達の一片のドラマであった。
どうして大東亜戦争が予定通りに進行していったのかを考察するとき、天皇と瀬島龍三が進めた「和工作」が見えてくる。
天皇はスキャンダルが公になることを恐れ、
大東亜戦争を計画通りに進める以外に皇統を維持できないように仕組まれていた、と考える以外に解は見出せない。

真珠湾攻撃がはっきりした日から、オレンジ計画は具体化し、計画通りに真珠湾は攻撃された。
それも中途半端な攻撃であったが、これも計画通りであった。
ということは、山本五十六、南雲忠一、草鹿龍之介、源田実たち司令官が
アメリカの意を知り尽くし行動したということである。
天皇と瀬島龍三の「和工作」の推進係であったことになる。
続く珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦と彼らがオレンジ計画通りに動き、
最初の真珠湾攻撃以外は敗北に敗北を重ねていったのである。

彼らはソロモン海戦でついに力尽きた。続くインパール作戦、サイパン玉砕、レイテ沖海戦、硫黄島玉砕、沖縄決戦、
これらすべて瀬島を中心とした参謀たちが、オレンジ計画通りに敗北を重ねるのである。
これは単なる偶然ではありえない。
日本の「和工作」とアメリカの「オレンジ計画」がほとんど日本人の知らないところで深く結ばれていたからである。
 

   *       *

 天皇と瀬島龍三の「和工作」とは、天皇が陸海軍の内乱を恐れていたということである。
 当時、陸軍内では皇道派と統制派が、海軍内には条約派(ロンドン軍縮会議推進)と艦隊派(軍縮反対)が抗争していた。
 それにヒロヒトは頭を痛めていたのだ。

 こうした陸海軍内の対立抗争が天皇制の護持すなわち「和」を危うくさせた。
 その解決法として、ヒロヒトはわざわざ負け戦を仕掛け、昭和20年夏には軍人たち全部を葬ったのであった。
 軍部がなくなればこそ、天皇制の護持が可能となった。
 要するにアメリカのオレンジ計画に乗って、ヒロヒトは軍部を潰し自らの身の安全を保障してもらったのである。

 瀬島の作戦計画は、首尾よく日本の軍部を壊滅させる敗北への道であった。
 こうして見てくると、2・26事件とは皇道派(北進派=対ソ連戦を指向する派閥)を暴発させたうえで壊滅させる
 ためにヒロヒトが仕組んだ作戦であったことも納得がいく。

 だからヒロヒトはあえて陸軍統制派の東条英機を首相に任命し、開戦に向けさせた。
 そして瀬島に大東亜戦争(南方作戦)をデザインさせて、その案を諒承した。
 また、原爆を広島、長崎に投下することもアメリカ側に諒承を与えた。

 さらにソ連には、日本の4つの島以外は全部くれてやり、
 60万とも100万とも言われる兵隊を与えると約束したのである。
 だから敗戦後、瀬島がソ連との交渉役として密使になったのは必然であった。

 ヒロヒトは沖縄をアメリカに売り、広島・長崎で原爆を落とさせ、
 そしてソ連にも大盤振る舞いしたのは、すべて自分だけが生き延びるためであった。

 北方領土が返還されるわけがなかった。
 抑留された日本兵が曲がりなりにも復員できたのは僥倖なのかもしれない。

 アメリカは12月8日の開戦直前にルーズヴェルト大統領の親書を日本に届けている。
 戦争回避ないし延期を一応模索したというポーズだったのだろうが、
 瀬島は真珠湾攻撃の計画推進者だったので、この親書を真珠湾攻撃が終わるまで見せなかった。

 戦後、ヒロヒトはこの瀬島の判断を諒としている。
 「黙殺できたのは、不幸中の幸いであった」と戦後、述べている。
 つまり、ルーズヴェルトの親書なんか読まずに開戦に踏み切ったことを「不幸中の幸い」と言ったわけだ。
 なぜなら、と鬼塚氏は言う、それは「和工作」が成功したからである、と。

 大東亜戦争の死者は兵員が約230万人、一般人が80万人とされる。
 この犠牲をヒロヒトは「不幸中の幸い」と言ってのけたのである。

 鬼塚氏は多くの歴史家が、瀬島龍三がルーズヴェルトの親書を届いた時点で天皇に見せていれば
 開戦が避けられたかもしれないというので、瀬島一人を責める傾向にあるが、それは間違いだと言っているのだ。
 それは瀬島の責任ではなく、瀬島がヒロヒトの意向を汲んで親書を見せるのを遅らせたのだから、と。

 ここにもまた天皇無罪論が顔を出している。
 天皇は知らなかったから罪はない、取り巻きの軍人が悪いという論法である。
 しかし、東條も瀬島もその他高級軍人たちは皆、口をつぐんで天皇の責任を問うことをしなかった。
 海軍の軍人どもは悪いのは、また負けたのは陸軍のせいだと言い募ってきた。

 ヒロヒトだけが、自分は被害者であり、国民のことを心底心配していたのに、
 姦臣が朕の心をわかってくれなかったのだ、とぬけぬけと言って、
 それを政治家や歴史学者、作家、漫画家(小林よしのりのことだ)を動員して、
 国民に洗脳し続けてきたのである。




芳年、三枚目、



「末廣五十三次」 「藤川」です。



◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262604555.html
◎『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を推す(3/3)

3》

 前回、明治維新のときに長州の田舎侍(忍者組織)が本物の天皇を暗殺して、
 大室寅之祐を替え玉にしたことが諸悪の根源であり、日本の歴史をあまりにも大きく変えてしまったと書いた。
 もう一度、鬼塚氏の文章でそのことを紹介しよう。

   *        *

孝明天皇が暗殺され、その子の睦仁親王も暗殺され、
大室寅之祐が明治天皇、否、「てんのうはん」となって日本は狂ったのである。
この事実をイギリスの大使パークスと武官アーネスト・サトウが知り、
すべてが彼らのシナリオ通りとなり、日清戦争を仕掛けよ、日露戦争をやれ、
そし大東亜戦争へと突き走らされたのである、
言葉が汚くて申し訳ないが、英雄視されている坂本龍馬ごときは俗物中の俗物にして、
日本を戦争に導いた極悪人だと思っている。

私がたびたび引用した新井喜美夫は「すべての病根は明治維新にあったと言わざるを得ない」と書いている。
(中略)
それにしても、益田勝実は奇妙なことを書いている。
「……明治憲法が『神聖ニシテ侵スべカラズ』と規定したものに置きかえられたのは、
 かれらが現実の天皇と天皇の名によって力をふるう者とをいかに怖れたかをあらわし……」

明治天皇は「てんのうはん」と長州の人々に呼ばれていた、このニセ天皇を支え続けた人間たちは、
「自分たちの秘匿しぬこうとする最後の結集形態」を永遠に隠そうとして、
「てんのうはん」をして「神聖ニシテ侵スべカラズ」と規定したのである。
しかし、「てんのうはん」の真相は軍人のエリートや近衛文麿などの貴族たちは知っていたのである。
だから天皇は彼らを一気に葬り去るべく、「不幸中の幸い」を求めて大東亜戦争を勃発させるべく
瀬島龍三に命じて作戦を立てさせたのであった。
「和」とは簡単に書けば、「てんのうはん」の悪あがきのことである。


    *       *

 ずばり書いたものだ。

 イギリスが(つまりユダヤ国際金融資本が、だ)長州の天皇暗殺を知って、
 それをネタに日本政府を揺するようになったのか、それともイギリスがそもそも長州の田舎侍を使嗾して
 天皇を暗殺させたかであろうが、いずれにしても、日本は永遠に弱みを握られっぱなしなのである。
 日本の支配者が、天皇の替え玉を秘匿し続けるかぎり、脅しのネタは外国が握って離さない。

 だから鬼塚氏も書いているように。「大東亜戦争は終わっていない」のである。
 総会屋に女のスキャンダルを握られて、カネをむしられる企業の社長と同じことである。
 イギリスやアメリカばかりか、ロシアも韓国もシナも、世界中のゴロツキ国家が知っているに決まっている。

 竹島が韓国に奪われても、尖閣諸島がシナに取られても、いずれ沖縄までが支那の領土にされても、
 天皇が万世一系で「神聖ニシテ侵スべカラズ」で、わが国の象徴であると思いたい天皇信者のせいで、
 言いなりにされる運命にあるのである、この日本は。

 「『てんのうはん』誕生のドラマが、田布施に生まれた秘密組織と日本の暗黒街とが結びつき、
 『オレンジ計画』の続きともいえる『ニュー・オレンジ計画』を迎えて動き出す。」
 これを鬼塚氏は「田布施システム」と呼んでいる。

 アメリカに毟りとられ続ける日本は、まさに「ニュー・オレンジ計画」の餌食にされている。
 最近はTPPとか、年次改革要望書だとか、「痛みを伴う構造改革」だとか、米国債を買わされ続けるとか、
 沖縄駐留米軍への「思いやり予算」だとか、グアム移転費用の全額負担だとか、
 気に入らない首相は首が飛ぶとか、すさまじいばかりのアメリカ様への拝跪であるが、
 すべて淵源は明治維新のときに、ユダ金に天皇替え玉のスキャンダルを握られたからである。

 「拒否できない日本がそうして生まれてきたのか。その原因を私は明治維新に求めた。
 隠し事が生まれ、『てんのうはん』が生まれ、そして日本は狂ったのである。」
 この結論に私も完全に同意する。

 『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』は、
 主に戦後の「てんのうはん」の守り人となった瀬島龍三と、
 山口組の宅見勝が「田布施システム」を維持発展させるべく暗躍するさまを描いていくことになる。
 
 瀬島は周知のように、シベリアから復員すると伊藤忠に入社して対インドネシアや対韓国の
 賠償ビジネスや武器商人として辣腕を揮う。そして左翼の一大拠点だった国鉄の民営化=社会党潰しを手がける。
 左翼勢力が「てんのうはん」を脅かさないようにするためであった。
 あるいは、不動産バブルも伊藤忠商事とヤクザが結託して演出したのだという。

 「田布施システム」はまた、電通を通じてヒロヒトを「平和天皇」として、
 ラジオやテレビ、出版などを支配して演出させていくのである。
 私たちは昭和天皇が戦後は「象徴」となって、政治に関与しなくなった(戦前すらも関与していなかった??)
 と思わされているが、事実は戦後も戦前と同様に首相や大臣を呼びつけて
 細部にわたって質問したり指図したりしていたのである。
 それを隠し、象徴天皇と思い込ませてきたのが電通の深謀遠慮だった。

 こうした「田布施システム」の活動資金は、どこから出たかというと、むろん天皇は自腹を傷めるようなことはしない。
 なんと戦時中に国民に供出させた宝石や貴金属を資金にしたというのだから驚きである。

* *

そのカネはどこから来たのか。
終戦前、東条は国民に金・銀・ダイヤ……諸々の貴金属の半ば強制的な供出を申し出た。
当時のカネで二千億円以上が供出されたといわれる。(中略)

この財宝は戦後に天皇家のために使用するという暗黙の約束が、
東条英機の後に登場する敗戦内閣の鈴木貫太郎首相、迫水久常内閣官房書記官長、実質的な首相と言われた岡田啓介、
大本営参謀瀬島龍三、すなわち同一血閥でなされ、秘密リレーで隠された。
これが「田布施システム」を維持するための巨大な資金となった。

* *

 日本の支配層はこういうことをやるのである。
 軍需資材調達のため、聖戦遂行のためと言い、あくまで自主的なものといいつつ、
 なかには役人が人の台所にまで入り込んで、金属を物色された嫌な思い出を持つ人もいた。

 これら貴金属類は、敗戦後にもなぜかGHQに接収されなかったし、
 吉田茂のように、この資金を使って首相にしてもらった奴もいるのである。
 こういうアングラマネーを資金に、支配者どもはヤクザを使って活動したのだ。
 「この田布施システムのカネを貰って政治活動ないし、経済活動をした者は数え切れないほどいる。
 白洲次郎、佐藤栄作元首相、池田勇人元首相、田中清玄……」と。

 だから。別にジャイアンツの肩を持つわけではないけれど、
 朝日新聞も新人選手に規定の1億円以上のカネを払って巨人が入団させたなどというどうでもいい話はいいから、
 こういう巨悪を白日の下にさらせよ。 というより、国民の目をこうしたアングラマネーに向けさせないために、
 巨人の不正(?)を暴いて注目させようというのであろうか。

 紹介はここまでにしてあとは、ぜひ鬼塚英昭氏の新著を買ってお読みください。

 最後に一つだけ。

 鬼塚氏は瀬島龍三を中心に田布施システムの闇を書いているが、
 瀬島の仲間の中曽根康弘、中川一郎、久保正雄らに「女っ気がない」と断じている。
 巷間伝わるところによると、中曽根は間違いなくホモ・セクシュアルだそうだ。
 彼ら日本を牛耳ってきた連中は、実に20数年も「中々会(ちゅうちゅうかい)」と称して、
 料亭の一室で飽きもせず一緒に過ごしていたからだ。

 「しかし、大晦日の夜、中曽根康弘と瀬島龍三は二人だけで盃を重ねている。ホモの空気が漂うように見える」



如何ですか? 「菊のカーテン」を開けちゃいましたねぇ。

話半分にしても呆然としますし、怒りがこみ上げてくる。

手前のブログ主題のひとつが「再考 明治維新」です、何度も書いてきました。

長年の疑問がほぼ氷解した、その思いひとしほですなぁ。    やはりねぇ。



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