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第9回地域づくり全国研修交流会山形大会の思い出

2012年02月17日 19時30分28秒 | まちを良くする活動

Nobeoka 
(思い出の1ページより・・・)

地域づくり全国研修交流会山形大会、テーマ「夢はきっとかなう」に10数年程前に参加した思い出を書くことにしました。文章は当時の日記から引用したもの(町名等は当時のままです)。

宮崎を離れることキロ。庄内空港に降り立った私たちは、バスで約30分あまりで大会会場の酒田市の隣町遊佐町へと着いた。小雨の中に見えた雄大な鳥海山が印象に残っている。

今回の交流会は、全体会会場と分散交流会会場のつの会場に分かれており、メイン会場の遊佐町と周辺(酒田市・八幡町・平田町・松山町・余田町・立川町)で行われた。初日は、メイン会場の遊佐町、鳥海自然文化館「湯楽里」(ゆらり)で、午前11時の受付後、昼食へ。今回はスタッフによる手作りの屋台村が設けられ、地方色豊かな料理に舌鼓をうった。

Bunkakai
(分科会の模様)

開会式終了後、分科会会場へと移動。私が参加した「市民の夢」分科会では約名のメンバーがいた。それぞれ第一線で活躍しているメンバーだ。
研修会テーマは「巻き込む・耕す・遊ぶ、の人おこし戦略」。話題提供者として地元上郷村の佐藤敬昭さん、東北高齢化社会を考える会の吉田弘子※さん、やぶへびの会の和田一良さんがおこなった。

和田一良さんからは、ワークショップを通じての問題解決についての手法や、住民参加型の行事について紹介していただいた。ワークショップという言葉は聞いていたもの全国で沢山の団体がこの手法を活用し、かつワークショップを通じて地域間交流をしていること、地域分権のツールとして活用していた。

Yosida
(ステージ上の吉田さん)

吉田弘子さんからは、「寝たきり返上、出たきり朗人」として、「生き方・老い方・住まい方・死に方・遺し方」についてや、「どんな生き方としたい?」「どんな老後でありたい?」「どんな家族でいたい?」と人生や生きるということに正面から、楽しく、いきいきと、こだわりながら、そして感性豊かに取りくんでおられる姿に、深く感動した。

お墓や葬式を例会の議題に、お寺で開催するところに沢山の会員さんがいる秘訣を感じた気がした。また佐藤敬昭さんからは、地域づくりを組織的に計画的に進めている企画力を学んだ。他にも参加メンバーから沢山の活動事例や問題点が紹介されたが、本当に目からウロコが落ちた感動的な分科会だった。

そしていよいよ全体交流会へ。会場では勇壮な鳥海太鼓が迎えてくれた。
変則的なリズムと動きのあるステージは、これまでとは違った太鼓の一面をのぞかしてくれた。

交流会の開会式では、想いとパンチの利いた町長の挨拶の後、各分科会報告と分科会毎の「とびっきりの夢」を発表した。持ち時間の分間を上手に活かしたユーモアと想いを込めた報告にさすが!と最前線で活躍されている方のパワーを感じた。その後、各分科会の中で、参加者のとびっきりの夢を持ち寄った「とびっきりの夢大賞」が発表された。

大賞は、第11分科会の夢コンサートが受賞した。自分達の想いをメロディにのせた彼らが選ばれた。歌は魔法つかい・・・人を癒す力があるのだと感じた。最後に「軍艦マーチ」を歌わない未来にしたいと語った彼らの言葉が印象的だった。

Okinawa
(沖縄県から参加の皆さんとともに、右端は日向市の佐藤さん)

宿泊場所は日本列島を三重県を境につ旅館に分かれた。以北を酒田屋旅館。以南がのとや旅館。2つの旅館とも築後年を越えた由緒ある旅館だ。昭和年代にタイムスリップ!?)旅館で一休み後、懇親会場である、漁業センター前の特設会場で「日本海夕日パーティ」へ。地元の民謡と踊りが披露された。残念ながら途中から降り出した雨で花笠音頭を最後に終了した。そして次会。熱い夜は更けていった。

Kinen

いよいよ最終日。雨天の為、急遽プログラムを変更。ニシン御殿の見学と鳥海山の自然をビデオ等を通じて紹介していただいた。ニシン御殿は、「旧青山本邸」が正式名称。青山留吉氏の生涯を資料館やこの居宅で垣間見ることができた。

青山翁は地元遊佐町の貧しい漁師の六男として生まれ、歳で北海道小樽に単独で渡った。独立心強く一年後同地にて漁場を開く。明治期のニシン漁の豊漁により漁船130隻、使用人三百数十人を擁する道内有数の漁業家に成長
一方、故郷の青塚に土地を入手。後には田地二百五十町余りを有する大地主となり、一時には村税の割を納めていたらしい。築後年余り、いまだ補修等は一切なく現在は、この施設はすべて町に寄贈、管理されている。故郷にニシン、もとい、故郷に錦を飾るというのはこういうことをいうのですね

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(青山邸)

青山邸を後にバスで懇親会場の漁村センターへ。
会場ではNHKテレビで紹介された鳥海山の自然をビデオで鑑賞。鳥海禽(ちょうかいふすま)という高山植物の美しさや素晴らしさを紹介 していただいた。「夏に海水浴とスキーができるのは、ベイルートと遊佐だけ」とのこと。
また鳥海山の由来は「」の説がありチォカイ(アイヌ語でわれわれの山という意味)が一番好きだ」というガイドの方の言葉に故郷への強い想いを感じた。
研修も終了。出会いの素晴らしさと町づくりへの情報、熱い想い胸に、帰途についた。

Mcyo
(次回の開催地「宮崎県」のアピールをしました)

※吉田さんは、翌年宮崎県で開催した全国大会に基調講演者としてお越しいただきました。


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