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石橋見学&温泉ツアー(鹿児島編)

2010年10月11日 01時09分01秒 | 旅、風景写真

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(江之口橋)

その後、加治木町で明治8年架設された金山橋、姶良町の「黒島神社橋」、薩摩川内市の「江之口橋」、最後に日置市の「浜田橋」へ。

この石橋の下流に古いレンガの橋脚が川の中に残っている。これは、通称「南薩線」の鉄橋跡で、1984年に廃止されている。

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(浜田橋からみる夕陽)

ここでは東シナ海に沈む夕日を見ることができた。そして吹上温泉「みどり荘」へ。文人、斉藤茂吉らが泊まった部屋もあるなど、風情のある温泉旅館だ。

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(観覧車のある鹿児島中央駅)

ここでしばし休憩。鹿児島市内で一泊。夜は、たくさんの芸能人が通うという天文館 吾愛人(わかな)へ。確かにたくさんの名簿がある。料理も旨い。

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(店内入り口には、数多くのサインが・・)

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(指宿スカイラインから見た桜島)

ここでは「矢櫃橋」を見学、架設は嘉永5年(1852年)と古い石橋だ。
知覧といえば、「特攻平和記念館」。短い時間だったが、立ち寄ることができた。
その後、指宿市の「湊川橋」。鹿児島市喜入町の「貝底橋」を見る。そして最終見学地、石橋記念館に。

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(西田橋と桜島)

ここでは甲突川五大石橋のうち、3橋が移設されている。中でも「西田橋」は圧巻だ。薩摩藩から招聘された岩永三五郎の最高傑作だ。
薩摩藩に滞在した10年間で、37橋を架けた他、多数の土木工事を行っている。
今回見学した「江之口橋」、「湊川橋」も彼の作品だ。

◇岩永三五郎(1792 ~1851) について
肥後熊本の石工で、1840(天保11)年~1849(嘉永2)年までのおよそ10年間薩摩に滞在して、甲突川の五大石橋等をかけた。ただし、三五郎は橋だけではなく橋を含めた土木事業全体の技術者として活躍し、甲突川の改修工事、新田開発、道路、用水路の建設にまで及んでいる。
三五郎がかけた橋に、鹿児島市の永安橋・大乗院橋・稲荷橋・新上橋・西田橋・高麗橋・武之橋・玉江橋、指宿市の湊橋・間橋、川内市の江ノ口橋等がある。三五郎は鹿児島に多くの事蹟と技術の伝統を残したが、熊本にも多くの石工を育てた。


2日間の短い期間だったが、治水や利水、そして橋を通して、先人の技術やモノづくりへの想いを垣間見ることができた。また、美しい景色や橋、そして楽しい想い出も・・・。
ありがとう!鹿児島。


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