周防正行監督の最新映画を豊橋のユナイテッドシネマでみる。
シニア割引で1000円ぽっきりはありがたい。しかし、封切り直後なのにこの入りはどうだ。自分を含めて10人以下。週日の午後とはいえちょっと寂しい。痴漢冤罪と日本の裁判制度をたんたんと描いただけで、シャルウイダンスのような笑いも派手さもない社会告発映画だからなのだろうか。
通勤電車の痴漢事故、都会に生活するものなら誰でも巻き込まれそうな事件であるから、凶器や血の色が無いのに気持ちがざわめく。えんえんと続く裁判のシーン、以前に民事で傍聴したことのある名古屋高裁の小法廷のつくりと殆ど同じセットである。監督もどこかのインタビューの折に留置所の中や法廷のセットには細部にまで拘ってつくったとコメントしていた。
冤罪をずっと主張し続けたフリータの主人公だが、弁護士や友人など周囲のサポートや切り札の証言者の証言をしても、最後の判決は執行猶予付きの有罪。「裁判とは真実をあきらかにするものと思っていたが、そうではなく、集められた証拠材料の範囲で判断して有罪か無罪かをきめることだと分かった」と主人公のモノローグがあり、最高裁の建物をバックにテロップで「おまえの好きなようにさばいてくれてよい」と映される。
「証拠がそろっても真実を明らかにできなかった裁判長こそ罪をおかしているのであって、無罪であることを知っている唯一の自分こそがほんとうの意味で自分自身を正しく裁くことができるのだ」という、日本の裁判制度に対するかなり挑戦的なメッセージで終わらせている。
裁判員制度の実施が言われる現代にあって、素人の裁判参加がはたしてこうした冤罪事件を抑止する方向で裁判制度の変化に貢献するのか、はたまた、判事の「間違った判断」の補強にだけ使われることになるのか。考えさせられる問いかけであった。
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