迷走型雨台風の13号は幸いにも少し東向きに海上を行ってくれたようで、雨はまだこれからだと云うが、どうやら予報ほどの雨量は覚悟しなくても良くなったようだ。
一日雨模様だった今日は、鈍行の車中でしばらく雨宿りをしながら、小沢昭一の雑誌への寄稿エッセイなどを集めた「老いらくの花」という本を読み終えた。文藝春秋から「花」シリーズとして出ているものの一冊である。
しゃべくり芸人だと自称する著者は1929年生まれ、ほぼ御歳八十になる個性派俳優である。
「老いらくの花」と題された如く、エッセイ内容も傘寿の年回りの生理と生活態度を書いたものが多いが、最初の「老いとわたし」という一文は彼の生き方の宣言文というような感じである。「私は例の『生涯現役』という言葉、どうもなじめません。むしろそれより『退役悠々』の方が無精をきめられてラクです。」という云い方で肩すかしから始める。
退役云々といいながらもかくしゃくと現役を務める彼の活動は幅広く、したがってエッセイの素材にも事欠かない。
東京の中を10度も転居した話、犬山・明治村の3代目村長になった話、今も健在な感覚は嗅覚、昔の遊びあれこれ、得意の童謡『シャボン玉』、添田唖蝉坊の演歌『金々節』、ネコという名のテンカン持ちの飼猫のことなど、次々と身近な話題が繰り出されて飽きない。
『屎瓶健康法』は詩人・金子兜太との対談であるし、本の最後には、著者のライフワークとしの『放浪芸について』の講演録が転載されている。
詩といえば、著者が『東京やなぎ句会』に変哲という俳号で参加している俳人なのは有名である。
多士済済な俳友は、先月の扶桑落語会で聴いた入船亭扇橋や柳家小三治、
それに永六輔(放送作家)、大西信行(劇作家)、永井啓夫(芸能評論)、矢野誠一(演芸評論)など、喋りのプロ達。
この本にも、変哲の俳句がところどころで紹介されている。当然、老いを題材にとったものばかりで、それぞれが秀逸である。参考に数首を挙げておこう。
もう余禄どうでもいいぜ法師蝉
この道をもどる気はなし曼珠沙華
寒月やさて行く末の丁と半
まだ尻を目で追う老いや荷風の忌
春寒や不義理出無精人嫌ひ
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