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リタイアーのよもやま話

<二宮金次郎像>勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ 

2012-01-27 23:00:51 | 社会

ヤフーのニュースである。


<二宮金次郎像>勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ 

まきを背負って本を読むおなじみの二宮金次郎(尊徳)
像。

戦前に全国の小学校に建立されたが、老朽化などに伴い
各地で撤去が進む。

大津市の小学校でも3カ所で破損が見つかったが、「児童
の教育方針にそぐわない」との意見もあり、市教委は補修
に難色を示す。

受難の時代を迎えた金次郎像だが、質素倹約や勤勉の精神
を伝えると再評価する動きも一方である。

大津市立下阪本小では昨夏、玄関前の像が倒れ、撤去し
た。
地元自治連合会が復元を申し出たが、学校側と協議して
復元するものの校長室への“隠居”が決まった。

教諭の一人は「努力を尊ぶ姿勢は受け継ぎたいが、子ども
が働く姿を勧めることはできない」と話す。

昨年12月の復元像の除幕式では、卒業生のお年寄り
から「子どもたちの前から消えるのは寂しい」と惜しむ
声が漏れた。

また、長等小では職員室前の戸棚に頭部だけが置かれて
いる。

壊れた理由は不明で、補修の予定はないという。

 市教委の調べでは、かつて多くの市立小にあったはず
の像も、37校のうち現在残るのは9校。銅像は戦時に
供出され、残った石像も70年代のベビーブームに伴う
校舎の建て替えで大半が撤去されたらしい。

担当者は「戦時教育の名残という指摘や『歩いて本を読
むのは危険』という保護者の声もあり、補修に公費を充
るのは難しい」と話す。

 金次郎の生家に隣接する尊徳記念館(神奈川県小田原市)
によると、全国的にも同様の傾向は進んでいる。

一方で、同市や東京都の小学校では像を再興する動きも
ある。

神奈川県土地家屋調査士会は10年、同県内の公立小約
860校を調べ、残存する金次郎像145体を冊子に
まとめて紹介。

また、小田原市教委は05年、金次郎の遺徳を伝える物語
を作り、児童らに配った。

 金次郎の教えが名称の由来となった報徳学園中学・高校
(兵庫県西宮市)には7体の石像や銅像がある。

今も教えは生徒の教育指針として伝わっており、同学園の
城戸直和・報徳教育部長は「理屈より実践を尊ぶ姿勢は
いつの時代にも通じる理念だ」と語る。

 尊徳記念館の小林輝夫解説員(76)は「金次郎は賢人の
名言集から学び、自分にできることに全力を尽くした。

少子高齢化で厳しい社会を背負うことになる今の子どもた
こそ、彼の姿勢に学ぶべきだ」と話している。【安部拓輝】


以上。

わたしの近辺では、この像を見たことがない。

しかし、興味深く感じている。

ネットには、次のような情報があった。

教育の場では、1900(明治33)年の検定教科書「修身教典」に
尊徳が登場し、1904(明治37)年から使用された最初の国定
教科書「尋常小学修身書」では孝行・勤勉・学問・自営という
4つの徳目を代表する人物として描かれ、また唱歌では1902
(明治35)年の幼年唱歌に現れ、1911(明治44)年の尋常小学唱歌
には「柴刈り縄ない草鞋をつくり、親の手を助け弟を世話し、
兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」と歌われたそう
です。

というのがあった。

又、次のような話しもあった。

一説には1910(明治43)年鋳金師岡崎雪聲が柴を背負っている
姿の銅像を最初に製作し、これを天覧された明治天皇が気に入ら
れた事がキッカケとなって銅器製造者の商魂に結びつき数々の
外的要因が重なってなどの説があるようです。

 でも、二宮金次郎の銅像が実際に全国の小学校に建立される
要因となったのは、日本が14年戦争に突入したとされる1932
-1933(昭和7・8)年頃からで、世の中は正に国家総動員体制に
向かい国語教科書も「ハナハト読本」から皇国意識と国威発揚
の色濃い「サクラ読本」に変更され、「教育勅語」の徳目と
相まって、金次郎の勤勉・倹約等がクローズアップされ、それを
促進するため象徴化されることで国策に利用される形で銅像建
が全国展開されるに至ったようです。

 また1937(昭和12)年は金次郎生誕150年に当たることから報徳
社の働きもあったようで、尚かつ1940(昭和15)年が皇紀2600年
当たることもあって、昭和10~15年頃が銅像建立のピークだった
ようですが、戦局悪化・軍需物資不足に伴い1941(昭和16)年9月
施行の「金属類回収令」に基づき、寺の仏具・梵鐘、家庭の鍋・
釜はもちろん金次郎の銅像も例外に洩れず鉄砲や大砲の弾等に
化けたようです。

 その結果、銅像よりも石像なども多く存在するようで、敗戦時
には或る種軍国主義の象徴でもあった金次郎像は打ち壊しの憂き
にもあったようですが、金次郎自身に対するGHQの評価は悪く
なかったようです

以上。

わたしも、理由は覚えていないが、二宮金次郎像については、軍国
主義と連なるようで、若いころは、かなり反発を感じたことがある。

しかし、後日、彼の伝記を読む機会があって、大変、ショックを覚え
た記憶がある。

彼が行った疲弊した農村を建て直した業績等、一種の政治家として
の活躍を鑑みた場合、今日の日本に彼があるなら何をなしうるかと、
興味深く思うのである。

その点では、上杉 鷹山も忘れてはならないが、戦前の都合のいい
二宮金次郎像を、彼の伝記を一度ひもといてみることによって、
払拭する必要がある。

ふがいない今日の選良(?)にうんざりするのであるが、この二宮
金次郎が、本当のところどういう人物であったかということ、
日本国民が、振り返って確かめてみる必要があると感じている。

先の見えない今日の日本にあって、大事なことのひとつだと
感じているのだが。

こういう人物がいたということ、わたしたちの大きな財産で

もあるとも思うのだが。


 

 

 


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