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リタイアーのよもやま話

悩み孤立する男性介護者

2009-09-23 09:01:22 | 介護&エトセトラ
新聞に掲載されていた記事である。

「在宅で家族を介護する男性の割合は、約30年前には1割に満たなかったが、いま3割近くに増え、女性との負担の差がなくなりつつある。」
という話しである。

【資料1】
悩み孤立する男性介護者を支援 市民団体が発足
2009年09月20日

在宅で家族を介護する男性の割合は、約30年前には1割に満たなかったが、いま3割近くに増え、女性との負担の差がなくなりつつある。

介護が原因で起きた殺人事件の背景や統計からは、悩みを抱え孤立する姿が浮かび上がり、支援団体も動きだした。

厚生労働省の国民生活基礎調査などによると、在宅介護者に占める男性の割合は1977年に9%だったが、2007年には28%に。

日本福祉大の加藤悦子准教授(司法福祉学)が07年、新聞報道を基に介護を苦にした過去10年間の殺人事件350件を調べたところ、息子や夫が加害者になったケースが約7割に達した。

そんな孤独な男性介護者をサポートする市民団体「となりのかいご」(神奈川県伊勢原市)が発足したのは、昨年10月。

アルツハイマー病の妻好子さん(72)を17年間介護し続けている理事の内田順夫さん(72)=川崎市=は「男は仕事のように介護をとらえてしまいがち。

危険水域に入る前に手を打たないと」と語る。各地で開かれる勉強会では、自身が直面したつらい経験を積極的に話し、悩みを打ち明けやすい雰囲気づくりを心掛けているという。

「となりのかいご」がまとめた冊子「介護で家族を憎まないために」(500円)は好評に。注文は同団体、ファクス03(6893)5874。(共同)

【資料2】
「乗り越えろ!75歳の壁」ーNHK「おはよう、日本!」

平均寿命は男79.3歳、女86.1歳ですが、健康寿命は男72.3歳、女77.7歳。健康でいられる75歳の壁を乗り越えるには、女性は筋力低下、男性は退職後の過ごし方がキーワードになっているようです。

また、喫煙者と社会と関わらない人の死亡するリスクは、それ以外の人の2倍。

男性は退職後の過ごし方にあるそうです、地域社会と関わり、社会活動に参加すること。

ゲストの児玉清さんが(75歳)、緊張があるからリラックスがあると言われてました。


児玉さんの話しは、最近実感している。

現役時代は、一日の生活の中で、休息の時間帯があって、リラックスする時間があった。

皮肉なことに、退職後は、生活にはっきりしたリズムがなく、緊急ではないが、収入の不安、体力的な不安、死後の不安等、途切れない緩やかな緊張感に見舞われてている。

これというのは、低温火傷状態で、精神的に不衛生な生活をしている
ということではないか。

これに、老老介護が重なると、男性が、75歳の壁を超えるのは、至難な事であるかもしれない。


自分探し

2009-09-21 22:28:11 | 読書
一時期、自分探しがブームになったことがあった。
その後、自分探しに否定的な見解を述べる人が出てきた。
この目まぐるしく変わる価値観に驚きを感ずる。




今回、その自分探しに関わって、興味深い資料が見つかった。




【資料1】
9月21日(月)の朝刊に、大変興味深い記事があった。
福岡伸一 (分子生物学者)さんの文章が、新聞に掲載されたのだが、最先端の科学については、よく分からないが、この考え方にびっくりした。


以下、新聞の記事より。

大切なのは「あいだ」〝空気〟を読む細胞

顕微鏡で細胞をのぞくと、細胞の中に丸い粒が見える。

細胞核である。

この中にDNAが格納されている。

意外に聞こえるかもしれないが、DNAには、細胞の将来や運命については何も書かれていない。

つまりDNAはブログラムではない。そこには何の実行命令も書かれていない。

DNAはむしろカタログのようなものである。細胞で使われるミクロな部品の規格が記されている。

どの部品を使って、どんな細胞になるのか。

それは細胞自身が決める。でも一体どうやって?

精子と卵子が出合って受精卵ができる。受精卵は一個の細胞である。
分裂を繰り返し倍々に増え、あっという間に数百個の細胞の塊になる。

しかしまだ、この時点でもそれぞれの細胞は自分が将来、何になるのか分かっていない。

先に書いたようにDNAにも、それは書かれていない。すべの細胞は等しく同じカタログを持っているだけである。
ところが、このとき実に不思議なことが起こる。

それぞれの細胞は互いに前後左右上下の細胞の〝空気〟読みはじめるのだ。

そして、ある細胞が、私は脳細胞になると宣言すれば、隣の細胞は、では僕は皮膚の細胞になりましょうと言い、君が皮膚の細胞になるのなら、自分は血管の細胞になるというふうに、それぞれの役割分担を相互補完的に決定する。

それからおもむろに必要な部品をカタログブックから読み出すのである。
空気とはもちろん比喩であり、細胞間の情報交換のことである。

秋。私の教えている学生たちは早くも再来年の4月に向けて就職活動を開始する。
彼らは必死に自分探しをしているのだ。

そんなとき、私は言う。
細胞たちを見てごらん。自分の役割は自分の中に探してもみつからないよ。

自分の役割は関係性の中でしか決まらない。

つまり大切なのは「あいだ」なのだと。
彼らが社会の中で自分の位置を決めたとき、自分探しの旅は終わる。

少なくとも、その第一段階は。

(福岡伸一 分子生物学者)

以上、資料である。


このような新しい知見から、次の何につながっていくかと思うと、わくわくするものがある。



【資料2】

苫米地氏の著書に面白い考え方があった。
文章が長くて、参考資料として、きついのがある。

後半は、飛躍し過ぎて、凡俗なわたしには、ついていくのが苦しいが、中に、説得力のある部分もあるような感じがする。


理想の自分と競争しても絶対勝ち目はない


この米国超有名大学大学院出身の医師が「私はどうすれば幸せになれるのでしょうか」と

相談の電話を掛けてくるたびに、私は「その『私は』はやめなさい」と言います。

「『私は』と言っている限り、未来永劫、幸せにはなれませんよ」と。

「私」という硬い殼のなかに入ってしまっていては、絶対に幸せにはなれないのです。
 
では、私たち(私)とはいったい何なのでしょうか?

 「私は苫米地英人です」
 
こう答えてもまったく答えになっていないことはわかると思います。苫米地英人を知らない人間にとっては「誰?」ですし、同姓同名の人間がまったく同じ人間だということに
なってしまいます。
 
では「名は苫米地英人、脳機能学者で、コグュティブリサーチラボのCEOで、カーネギーメロン大学の博士号をもっていて……」などと細かく説明するとどうなるでしょう。

今度はどこまで説明しても切りがなく、どこまでいっても説明しきれないことがわかります。

「父は誰で、母は誰で、兄弟が何人いて、どこそこ大学を出ていて、どこそこに勤めていて、趣味は何で……」とやっても、絶対に説明しきることはできません。

これは何を意味しているのかといえば、

「私」を絶対的な存在として定義することは不可能だという
ことです。
 
しかし、たいていの人は自分自身に対して何か絶対的な価値のようなものを求めます。

「私は特別」
 
「私は何か大きな目的を果たすためにこの世に生まれてきた」

間違いとは言いませんが、こうした考えはたいてい「自分だけが特別であり、他人はどうでもいい存在か、自分が特別であるための単なる小道具」という思考へと陥ってしまい
がちです。
 
こうなってしまうと、真実が見えないだけでなく、さまざまな悩みが生じます。


「私は特別なはず。でも、今の私はそれとは遠くかけ離れている。なぜだろう」

 「本当の私はこんなはずではない。どうしたらいいのだろう」
 
今の自分は理想の自分とは違う。どうすれば理想の自分になれるのだろうかと悩むことになるのです。「自己実現願望」とでも言えばいいでしょうか。
 
この悩みは尽きることがありません。なぜなら、ありもしない架空の自分と比較して、「あれが足りない」「これが足りない」と考えてしまっているからです。

ありもしない架空の自分と競争しても勝ち目はありません。必ず、架空の自分のほうが勝っているからです。
 
ここには大きな勘違いの存在と大事な視点の欠如があります。

大きな勘違いは述べてきたように「自分という″定義可能な〃存在があるはずだ」という勘違い。

そして、大事な視点とは「他者(他人)との関係」という視点です。




他者との関係がわかれば自分が見えてくる

最初に違べたとおり、自分を定義しようとしても説明しきることは不可能です。

でも、自分という存在は間違いなくある。

その存在を決めているのは何かと考えてみると、それは他者(他人)との関係だと気付くはずです。
 

たとえば私、苫米地英人は科学者のあいだでは「脳機能学者」と認識されます。

気功師協会の学校では名誉校長です。

「着うた」の作曲・演奏風景が放映されたディスカバリーチヤンネルを観た人には、ギタリストかもしれません。

友人の芸術家だちとたまにやる公演に来た人には、前衛芸術家です。事務所にいれば「CEO」でしょう。

また、角川春樹事務所の顧問をしていますから、角川春樹事務所の社員は私を「顧問」だと思いますし、古い論文を読んだ人には、言語学者や計算機科学者でしょう。

私を社長と言う人もいれば、先生と言う人もいます。
 

つまり、私が誰かというのは私ではなく他者(他人)が決めていて、それはどのように決まるかというと、私は他者(他人)との関係で決まるのだということです。もしくは他者にどう認識されているかで決まります。


こう言われても最初はしっくりこないかもしれません。

誤解のないように、ここで理解しておいてほしいのは、自分という存在が他者との関係性で決まることは、それが即ち自分の意思が他者に左右されるという話ではないということです。

単に、存在はその人がどういう人かではなく、その人のまわりとの関係がどのようになっているかで決まるという
話です。


存在とは関係の結節点であるというのは、20世紀の西洋哲学でも言われていますし、東洋では2500年も前にお釈迦様が言っていることです。

お釈迦様はこれを「縁起」と呼びました。すべての存在は「縁」によって「起こる」ということです。
 

これを理解するとこう考えることが可能になります。

「自分とは単独で存在するものではなく、他者(他人)との関係によって存在するものである」
 
このように考えられれば、「私が、私が」と自分のことばかり考えてもうまくいかないことがわかります。

他者との関係こそが自分を規定するのだとわかっていれば、自分がどうこうではなく、他者のことを考えて行動することができるようになります。




「私は」と言っているうちは決して幸せになれない

「私」を強く意識している状態を「我が強い」などと表現します。

これは我欲が強いこと煩悩が強いことを意味します。

自分という殼に閉じこもった状態です。自分という殼に閉じこもっていては、本当の夢、幸せには辿り着けません。

「私」という世界から抜け出して、もっと高い抽象度で広い視野で物事を見ない限り、いつまで経っても幸せにはなれないのです。
 
ここで言った「抽象度を高める」「抽象度を上げる」という言葉は本書のキーヮードの一つです。

このあとにも何度も出てきますし、くわしい説明もするつもりですが、ここでは最低限の説明だけしておきましょう。
 
「抽象」の反対は「具体」です。具体的になればなるほど抽象度は下がりますし、抽象的になればなるほど抽象度は上がります。たとえばこんな感じでイメージしてください。

「犬」と「動物」と「生物」という概念があったとします。「犬」は「動物」に含まれ、「動物」は「生物」に含まれます。

この関係において、「犬」は最も抽象度が低く、「生物」は最も抽象度が高いということになります。

ここに「Aさんちのポチ」という概念をもってくれば、「犬」より抽象度が低くなりますし、「生物」と「無生物」を足した概念を想定すればそれは「生物」や「無生物」よりも抽象度が高くなります。
 
ここでは抽象度を上げる、下げるのイメージをこんなふうに理解しておいてください。

話を元に戻しましょう。

幸せとか満足感というのは抽象度の高い感覚なので、「私」という殼に閉じこもった抽象度の低い状態のままでは、なかなか感じることができません。

人間の脳は、抽象思考を司る前頭前野が脳の真ん中にある脳幹を巻き込むような形で覆っています。

また、脳幹の中脳に位置する V entraI Tegmental Area(VTA)領域のドーパミン細胞からは、前頭前野までドーパミン作動性の神経軸索が延びています。

脳幹は、生物が生命維持に必要な機能を司ったり、根源的な欲求に対する快楽を感じる部分です。

根源的な欲求とは、食欲とか性欲といった原始的欲求などです。これは抽象度が非常に低く、また、すぐに満たすことができて、満たされるととりあえず欲求は治まります。

ですが、前頭前野が脳幹を巻き込み、ドーパミン軸索が脳幹から前頭前野まで延長されている構造のため、脳は前頭前野で行う抽象思考によっても快楽を得ることができるのです。

原始的欲求はすぐに満たすことができてそれで終わりですが、抽象思考の快感は限りなく大きくすることができま
す。
 
「夢」や「幸せ」や「満足感」は抽象思考をすることで限りなく大きくできるわけです。

「私」という殼を破ってもっと抽象度の高い思考で「幸せ」というものを考えることができれば、本当の幸せ、満足感に近づくことができるはずなのです。


では、「私」よりも抽象度が高いものとはどんなものでしょうか。

たとえば「夫婦」「家族」という概念は「私」よりも抽象度が
高いと言えます。

でも、もっと抽象度の高い概念がありそうです。

「親戚」なんていうのもありますが、「近隣」とか「町内」なんていうのもあります。

「町内」より高い抽象度だと、「市区町村」「都道府県」「日本」「アジア」「世界」……という具合に高めることができそうです。
 
つまり、「私はどうすれば幸せになれるのでしょうか」という問いのなかの「私」の抽象度を上げていくと、「町内の人たちはどうすれば幸せになれるのでしょうか」「私の住んでいる市内の人たちはどうすれば幸せになれるのでしょうか」「私の住んでいる県の人たちは……」「日本の人たちぱ……」「アジアの人たちは……」「世界の人たちは……」とな
ることがわかります。

 あるいはここには時間の概念は入っていませんから、「世界の人たちは……」よりも「これから生まれてくる人も合めた世界の人たちは……」のほうが抽象度が高くなるでしよう。

当然ですが、抽象度が高い願いのほうがより大きな願いです。

そして、より大きな願いのほうが一人ひとりの満足度に落としたときにも、より大きな満足度になります。



 たとえば「東京都」の人が幸せになるのと、「日本」の人が幸せになるのとを比べて、どちらが幸せの度合いが大きいかということです。

もし「東京都」の人が幸せになれたとして、その隣の「神奈川県」の人たちがすごく不幸なのと、「神奈川県」の人も同じように幸せなのとでは「東京都」の人の満足度も変わってくるはずです。

人の不幸が自分の喜びだなどという歪んだ人はここでは論外ですが、そうでない人なら、隣で不幸な人がいるより隣も幸せそうにしているほうがいいはずです。

こう考えていくと、より抽象度の高いレベルでの幸せを願うほうが、その人自身の満足度も高くなるということになります。夢も抽象度を上げれば上げるほど、大きな夢になる
わけです。

私という小さな殼に閉じこもって原始的な欲求を求めるより、もっと抽象度の高い大きな夢を目指したほうがいいと思いませんか。


以上、資料。

彼の独創的な発想が面白くて、何冊か買って読んだ。
彼の自伝的な本を読む限り、わたしには、彼は、天才に思える。

彼が、自分の天才性を抜きにして、彼の主張が語られるのには、残念ながら、違和感を感じてしまう。

彼が、いろいろと語る前に、彼は、自分の天才性について、どのように自己認識しているのだろうかと思う。

卒業写真 海を見ていた午後 

2009-09-20 22:40:05 | 音楽
ハイ・ファイ・セット / 卒業写真


海を見ていた午後 ハイファイセット/山本潤子


ハイ・ファイ・セット / 卒業写真

海を見ていた午後 ハイファイセット/山本潤子


ハイ・ファイ・セットの卒業写真、わたしの思い出の一曲である。


20代の後半、自分の人生に疑問がわきだした。

どうしようもない閉塞感を脱却する目処がなく、退職しようかと思った。

結局、ちょっとした偶然で、わたしは、職種替えをすることにした。

ちょうどその頃、職場で、この曲を聴く機会があった。

ハイ・ファイ・セットの卒業写真である。

この曲は、彼らのデビュー曲だそうである。

当時の心境のせいもあって、この曲がわたしの心を捉えてはなさなかった。


わたしは、自分が30代になっていくことをかなり意識していた。

孔子の「30にして立つ」である。

実際問題、職場でも30代は、20代とは全く違って見えた。

しかし、わたしは、「30にして立つ」ことができなかった。

情けなくも、腰砕けになってしまったのである。

そして、当初の人生をリタイアすることになった。

職種替えをして、当面の課題に直面することを避けるのができ、ほっとしたのも束の間、これまでの人生を投げ捨てた喪失感に苛まれてしまった。

ティーンエイジャーと20代の時間を捨てたことになったからである。

いかなる方法でも贖うことのできない眩く輝く時間を失ったという気がしたからである。

この取り返すことのできないという喪失感は、今で言う「トラウマ」になってしまった。

この痛みは、時間が経つにつれ、職場の忙しさで少しずつ、紛れてきたものの、この喪失感をなんとか贖わなければという強迫観念みたいなものが、わたしの心の中に住みついた。


しばしば、未練がましく、思い返してみては、結果として、これ以上の選択肢は、なかったと自分自身を言い含めるである。

しかし、心のどこかで、失ったものが大きかったような気がして、感情的には、納得してないような気がする。



あれから、30年も経って、時代が変わった。

もしかして、あのまま進路変更しなければ、報われたこともあったかも。なんて、とんでもない浅ましい心情がわきだすことを禁じ得ない。

もっとも、自分の命と引き換えでは、ひき合わないのであるが、ここが難しいところだ。

そこで、結局、現実に舞い戻るのである。

得たものと失ったものを天秤にかける。浅ましい心情である。そして、強引な気もするが、これで良し。と自分自身を言い含めるのである。

この心のゆれは、結局、自分が死ぬまで、続くであろうか。

いずれにせよ、今までもそうであったが、これからも、失ったものをなんとしかて、贖おうという脅迫観念に追われ続けるのかもしれない。


「人ごみに流されて、変わってゆく私に」わたしは、耐えきれなくなってしまった。

それで、自分が自分で無くなる前に、自分らしくあることを優先しようと、わたしは、人生の進路変更を選択した。


松任谷由美の卒業写真の歌詞では、登場人物は、人ごみに流されて、変わってゆく「わたし」と、学生時代の頃の生き方を貫き通す「あの人」である。

わたしは、勝手ながら、この歌詞で歌われた「学生時代の頃の生き方を貫き通す『あの人』」は、わたしが、そのようにあれかしと願ったわたし自身の姿として、読み替えて、この曲を歌ってきた。

かなり強引なことであるのだが。



しかし、時代は、あらゆるものを押し流し、わたしを責めたてる現風景そのものが、完全に崩壊してしまった。

まるで、そのようなことが、夢・幻であったかのように思われてならない。


卒業写真を歌わざるを得ない心情も、遠い化石時代の話のごとくとなってしまった。

卒業写真、懐かしい一曲、時代が変転し、自らも歳を経ることによって、新たな意味づけをしながら、歌うのだろうか。


追記

海を見ていた午後 ハイファイセット/山本潤子

この曲は、卒業写真とセットになっていた曲である。

一度聴いてみると、わたしにとって、こだわりの一曲になった。

わたしの現役時代の夕食は、一日の仕事を終え、静かな喫茶店で、気に入ったBGMを聴き、一人本を読みながらの食事であった。

山手の静かなレストランに、大変親しみを感ずる。

女性の微妙な心情がうまく表現されていて、美しく思える。

最初から最後まで、選りすぐられ吟味された素敵な言葉。


取り返しのつかない過去を歌いあげた名曲かと、勝手に思っている。



THERE IS A SHIP

2009-09-19 22:23:39 | 音楽
かつて、白鳥英美子のTHERE IS A SHIPを1日中聴いていた時があった。この曲は、きっと十年以上聴き続けていたと思う。

今でも、折に触れて、聴くことがある。

だいぶ昔の話である。今ではその事情は、覚えていないが、このTHERE IS A SHIPを、PP&Mが歌っていたということを知った。

その時、PP&Mは、はるか彼方の過去の話だと思って、探せないだろうと諦めていた。

しかし、ここ数日、PP&Mのマリーさんの死去というニュースがあったせいで、ネットで調べ物をした。

すると、次から次へと情報が出てきたのである。

今日は、もしやと思い、You Tubeで、PP&MのTHERE IS A SHIPを検索したら、すごい、幻のTHERE IS A SHIPが出てきたのである。

わたしの好みでは、もちろん、白鳥英美子の歌が名演である。

しかし、歴史的な演奏として、PP&MのTHERE IS A SHIPを手にすることができたのは、嬉しい。

モノクロの映像、アナログ的な演奏、シンプルな照明
すっかり忘れていたが、わたしたちの世代の原風景の
ひとつである。

DTMで音楽を作り、ICレコーダーなるものが、日常化して
すっかり忘れていた。

コンピュータを駆使し、ネットを自由に動き回る日常で
すっかり自分の出自を忘れてしまった。

PP&Mの映像の世界こそが、わたしたちの生まれ故郷だった
のだ。

すっかり忘れていた。




♪白鳥英美子 THERE IS A SHIP





Peter Paul and Mary, There Is A Ship