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リタイアーのよもやま話

THERE IS A SHIP

2009-09-19 22:23:39 | 音楽
かつて、白鳥英美子のTHERE IS A SHIPを1日中聴いていた時があった。この曲は、きっと十年以上聴き続けていたと思う。

今でも、折に触れて、聴くことがある。

だいぶ昔の話である。今ではその事情は、覚えていないが、このTHERE IS A SHIPを、PP&Mが歌っていたということを知った。

その時、PP&Mは、はるか彼方の過去の話だと思って、探せないだろうと諦めていた。

しかし、ここ数日、PP&Mのマリーさんの死去というニュースがあったせいで、ネットで調べ物をした。

すると、次から次へと情報が出てきたのである。

今日は、もしやと思い、You Tubeで、PP&MのTHERE IS A SHIPを検索したら、すごい、幻のTHERE IS A SHIPが出てきたのである。

わたしの好みでは、もちろん、白鳥英美子の歌が名演である。

しかし、歴史的な演奏として、PP&MのTHERE IS A SHIPを手にすることができたのは、嬉しい。

モノクロの映像、アナログ的な演奏、シンプルな照明
すっかり忘れていたが、わたしたちの世代の原風景の
ひとつである。

DTMで音楽を作り、ICレコーダーなるものが、日常化して
すっかり忘れていた。

コンピュータを駆使し、ネットを自由に動き回る日常で
すっかり自分の出自を忘れてしまった。

PP&Mの映像の世界こそが、わたしたちの生まれ故郷だった
のだ。

すっかり忘れていた。




♪白鳥英美子 THERE IS A SHIP





Peter Paul and Mary, There Is A Ship



PP&Mのマリーさん死去

2009-09-19 22:08:18 | 日記
最近、わたしの周囲では、葬式続きである。

葬式と病院通いと、慌ただしい生活で、しんどい。

いつもの日課である。今日も新聞のその欄を見たが、さすがに毎日は続かないと一安心。

ところが、そのまま新聞に目を通すうちに、懐かしい人の名前の人の死去が新聞記事になっていた。

PP&Mのマリーさん死去である。

(最近、ビートルズのLet It Be聴きなおしているうちに、最初に歌った英語の歌ということで、このPP&Mのことを思いだしたが、死去のニュースを見て神妙な気分になっている。)

記事は、次のようになっていた。

PP&Mのマリーさん死去 伝説的フォークグループ

【ニューヨーク共同】1960年代から70年代にかけてのフォークブームを巻き起こした米国の伝説的グループ「ピーター・ポール&マリー」の女性メンバー、マリー・トラバースさんが16日、入院中のコネティカット州の病院で死去した。72歳だった。

 AP通信が広報担当者の話として伝えた。トラバースさんはここ数年、白血病と闘っていた。同グループはベトナム反戦や反原発など社会問題に目を向けたメッセージ性の強い曲が多く、若者らの人気を博した。

 36年、ケンタッキー州生まれ。両親はともにジャーナリストで、幼少時にニューヨークのグリニッチビレッジへ移住。フォーク音楽に魅せられるようになった。

 61年にピーター・ヤーローさん、ポール・ストーキーさんの男性2人とグループを結成。「花はどこへ行った」「パフ」などが世界的に大ヒット。70年にいったん解散したが、78年に再結成した。

 92年に訪日し、鹿児島市で公演した際には、奄美大島の自然保護を訴える市民団体の代表と会うなど、環境問題にも熱心に取り組んでいた。(共同)



「1960年代から70年代にかけてのフォークブームを巻き起こした米国の伝説的グループ」という記事がある通り、わたしは、高校3年生の時に、このグループの存在を知った。

わたしが、自分の目の前で、ギターの弾き語りを初めて聴いた曲が彼らの曲であった。

わたしたちのクラスは、当時の学校で進学クラスになっていた。

わたしは、高校2年生の時に、学級編制が行われ、このクラスにはいることになった。

このクラスは、それこそ、ガリ勉の点取り虫の集団であった。
そのため、クラスのメンバーは、バラバラで高校生活を過ごしてきた。

そういう中にあって、何名かの生徒が音頭取りをして、高校卒業の文集を作った。

わたしの記憶では、唯一の学級らしい思い出である。


3学期に、慌ただしく呼びかけがあって、文集を作った。

(今でも、その文集は残っていて、自分が高校時代に何を考えいたかを振り返ることのできる資料となっている。)

文集作りの中心となっていたのが、K.S君であった。その彼が、文集の作成作業の合間に学校に持ち込んできたギターで弾き語りし、又、少しばかり一緒に歌ったりした。

その時に、歌っていた曲が、PP&Mの曲であった。

おそらく、わたしが、ポピュラーの曲で英語の曲を目の前で聴いた最初の曲であったし、歌った曲でもあった。

そして、わたしが、最初に聴いたフォークソングでもあった。



「同グループはベトナム反戦や反原発など社会問題に目を向けたメッセージ性の強い曲が多く、若者らの人気を博した。」

記事には、このような文章があったが、これは、のちの学生運動につながっていったと思う。

わたしは、遠回りして、大学に入学し、学生寮に入った。

寮では、ギターの弾き語りなどをして、フォークソングが歌われていたが、わたしは、そのような雰囲気の中で、寮の仲間のギターを借り、古井戸の曲を弾いているうちにEmaj7の官能的な響きにはまり込んでしまった。

そして、中古のギターを質屋で買いギター弾き始めた。当時の時代的な背景もあるが、岡林信康の音楽に衝撃を覚えて、大きな影響を受けた。

又、ボブ・ディランについても詳しく知ることになった。

そして、時折、PP&Mの曲も歌っていた。

今回のPP&Mのマリーさん死去のニュースで、
そのような懐かしい話を思い出した。

PP&M、遠い過去の話のように思っていたが、突然にして、わたしの日常に立ち現れてきた。

「花はどこへ行った」「風に吹かれて」「パフ」「500マイルもはなれて」「虹と共に消えた恋」みんな懐かしい曲である。



ところで、余談である。

K.S君、わたしにフォークギターの弾き語りというものを教えてくれた。

この彼、実は、当時の高校で、初めてエレキバンドで、ベンチャーズのコピーをして演奏をした。

これは、カルチャーショックであった。

彼は、点取り虫やガリ勉タイプというイメージはなく、彼女もできたりするので、学級の主流の雰囲気とは違うちょっと変わった奴だという感じがした。

しかしである。

人生は、分からない。

彼は、県のとある部署の長になったのである。

人づきあいのないわたしの記憶であるが、わたしのクラスメートの一番の出世頭となった。

そして、なおもびっくりすることに、彼は苦学生だったという話をしだした。

高校、大学と家庭教師のアルバイトをして、学費を稼いでいたなんて、言ったのである。


これには、本当にびっくりした。


はるか昔、高校時代に、学級では落ちこぼれのわたしは、目の覚めるような頭の良い連中がいて、その頭脳に驚愕したのだが、長い人生において、何が大事なのかということを考えさせられてしまった。

人生って、なんだろう。