井上陽水 - 少年時代
かつて、不当人事で、とある南の島に赴任することになった。
慣れない仕事、慣れない環境で、悪戦苦闘していたころ、
井上陽水の「少年時代」が、流れてくるようになった。
その歌の雰囲気に、吸い込まれるように、繰り返し聴いていた。
久しぶりに、この「少年時代」思い出して、Yuo Tubeで検索してみたら、出てきた。
嬉しいね┄┄。
シングルを買ってあったのだが、どこにいったのやら。
調べてみたら、下のような資料が出てきた。
1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。
(このことは、今回ネットで調べて分かった)
1990~1991年は、わたしが赴任した南の島の3年目と4年目のことである。
丁度、その頃、度々この曲を聴いて、非常に感傷的な気分になったのを今でも覚えている。
井上陽水は、大学生時代帰宅途中立ち寄った池袋のヤマハで、1972年頃だと思うが、「人生が二度あれば」を聴いて、ショックを覚えた記憶がある。
物凄い緊張感のある演奏だったし、歌詞・曲の説得力におどろいた。
その後も、ときどき彼の曲を聴く機会があったが、少年時代には、大変新鮮な思いをした。
アレンジがなんともいえなかった。
ポップなピアノの4ビートのリズム。
(ビートルズのLet it beを思いだす)
弦楽器を中心とした編成、そして、オーボエが歌い、ピッコロトランペットがバロック風に響きわたる。
適度な通奏低音風のベースが流れるバロック調の演奏スタイル。
もしかすると、バロックのチェンバロの部分を、4ビートのピアノで、演奏したようなと言ったほうがよいかのな?
時折、出てくる官能的なハーモニー。
(この響きには、ショックを覚えた、まさか、ポピュラーで
聴くことがあるとは思えなかった。)
そう、非常に新鮮であった。
実は、今回ネットで調べてみたら、歌詞の意味について、あちらこちらで、言及があった。
そこで、改めて、目からうろこが落ちる思いがした。
実は、その昔、この歌詞の意味の解釈をしたのであるが、さっぱり分からないのである。
どうしても、「恋心」とつながりあうものだという、先入観があって、意味がつながらないのである。
ネットによる映画の粗筋には、「昭和19年10月、戦況の逼迫する中、東京の小学校五年生だった風間進二は、富山に縁故疎開することになった。」という点と、やはりネットの受け売りであるが、井上陽水が「歌詞の細かいことにはそれほど拘っていないう」という話が分かって、長年の疑問が解けた。
本質的には、映画の内容とは関係ないのかな?
もしかして、井上陽水が想起した少年時代なのかな?
勝手だけど、そうすれば、わたしたちの少年時代をオーバーラップして聴けるものがあるかも知れない。
いずれにせよ。でき得れば、直接本人の説明が聞けたら、いいのだが。
かつて、不当人事で、とある南の島に赴任することになった。
慣れない仕事、慣れない環境で、悪戦苦闘していたころ、
井上陽水の「少年時代」が、流れてくるようになった。
その歌の雰囲気に、吸い込まれるように、繰り返し聴いていた。
久しぶりに、この「少年時代」思い出して、Yuo Tubeで検索してみたら、出てきた。
嬉しいね┄┄。
シングルを買ってあったのだが、どこにいったのやら。
調べてみたら、下のような資料が出てきた。
1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。
(このことは、今回ネットで調べて分かった)
1990~1991年は、わたしが赴任した南の島の3年目と4年目のことである。
丁度、その頃、度々この曲を聴いて、非常に感傷的な気分になったのを今でも覚えている。
井上陽水は、大学生時代帰宅途中立ち寄った池袋のヤマハで、1972年頃だと思うが、「人生が二度あれば」を聴いて、ショックを覚えた記憶がある。
物凄い緊張感のある演奏だったし、歌詞・曲の説得力におどろいた。
その後も、ときどき彼の曲を聴く機会があったが、少年時代には、大変新鮮な思いをした。
アレンジがなんともいえなかった。
ポップなピアノの4ビートのリズム。
(ビートルズのLet it beを思いだす)
弦楽器を中心とした編成、そして、オーボエが歌い、ピッコロトランペットがバロック風に響きわたる。
適度な通奏低音風のベースが流れるバロック調の演奏スタイル。
もしかすると、バロックのチェンバロの部分を、4ビートのピアノで、演奏したようなと言ったほうがよいかのな?
時折、出てくる官能的なハーモニー。
(この響きには、ショックを覚えた、まさか、ポピュラーで
聴くことがあるとは思えなかった。)
そう、非常に新鮮であった。
実は、今回ネットで調べてみたら、歌詞の意味について、あちらこちらで、言及があった。
そこで、改めて、目からうろこが落ちる思いがした。
実は、その昔、この歌詞の意味の解釈をしたのであるが、さっぱり分からないのである。
どうしても、「恋心」とつながりあうものだという、先入観があって、意味がつながらないのである。
ネットによる映画の粗筋には、「昭和19年10月、戦況の逼迫する中、東京の小学校五年生だった風間進二は、富山に縁故疎開することになった。」という点と、やはりネットの受け売りであるが、井上陽水が「歌詞の細かいことにはそれほど拘っていないう」という話が分かって、長年の疑問が解けた。
本質的には、映画の内容とは関係ないのかな?
もしかして、井上陽水が想起した少年時代なのかな?
勝手だけど、そうすれば、わたしたちの少年時代をオーバーラップして聴けるものがあるかも知れない。
いずれにせよ。でき得れば、直接本人の説明が聞けたら、いいのだが。