2009年9月13日(日)の朝刊の書評より
ヤシガラ椀の外へ
ベネディクト・アンダーソン著 加藤剛訳
政治学者の回想録である。
イギリスのケンブリッジで教育を受けた中国生まれのアイルランド人がどのようにしてアメリカの大学の教授になったのか。
非常に印象深いのは、著者自らのことを首尾一貫して、幸運だと言い続けている点である。
幼くして父親を亡くし、研究の重要な局面でフィールドワークであるインドネシアのスハルト大統領から国外退去を命じられる。
心から愛している東南アジアは戦乱とクーデターにまみれている。
普通なら不幸のひとつも嘆いていいはずだ。ところが愚痴をこぼすどころか、自分には偶然の幸運が訪れたと感謝し続けている。
著者によれば不運の理由は説明できるが幸運の理由は説明できない。
だからこそ人間にとって最も重要なのは冒険精神だと断言している。
書評からの抜粋である。
一度も、想像したことのない独特な考え方である。
不運続きの人の発言だけに、示唆を受けるものがある。
ところで、父親が、寝たきりになり、改めて父親の
人生を考えるようになった。
父が意識していたかどうかは、知らないが、結果的に
この著者と同じような人生の展開だったような気がする。
父は、不条理な出生の宿命を背負い、想像もしない運命の展開
にあって、戦争で母親を失った。
結果として、母親が与えられることのできる唯一の人生の希望を
はぎ取られた。
しかし、全ての不幸は、ついには、人生の終りにおいて、多くの
富を与えたように思う。
寝たきりになったのは、その運命を乗り越えようとした過激な
エネルギーのせいであったと思うが、これは、父としても、
想定外のことであったかと思う。
とは言っても、現在の世相にあって、知らぬで済んだほうが多い
ことがありすぎる。
病床にあって、それが、父にとって、吉であればと願うのだが。
ベネディクト・アンダーソンは、「学問に重要なのは冒険精神」
と言ったが、「人生にとっても、重要なのは冒険精神」であるのだろう。
冒険精神のみが、不運な人生にあって、偶然の幸運を引き寄せる
かもしれない。
ヤシガラ椀の外へ
ベネディクト・アンダーソン著 加藤剛訳
政治学者の回想録である。
イギリスのケンブリッジで教育を受けた中国生まれのアイルランド人がどのようにしてアメリカの大学の教授になったのか。
非常に印象深いのは、著者自らのことを首尾一貫して、幸運だと言い続けている点である。
幼くして父親を亡くし、研究の重要な局面でフィールドワークであるインドネシアのスハルト大統領から国外退去を命じられる。
心から愛している東南アジアは戦乱とクーデターにまみれている。
普通なら不幸のひとつも嘆いていいはずだ。ところが愚痴をこぼすどころか、自分には偶然の幸運が訪れたと感謝し続けている。
著者によれば不運の理由は説明できるが幸運の理由は説明できない。
だからこそ人間にとって最も重要なのは冒険精神だと断言している。
書評からの抜粋である。
一度も、想像したことのない独特な考え方である。
不運続きの人の発言だけに、示唆を受けるものがある。
ところで、父親が、寝たきりになり、改めて父親の
人生を考えるようになった。
父が意識していたかどうかは、知らないが、結果的に
この著者と同じような人生の展開だったような気がする。
父は、不条理な出生の宿命を背負い、想像もしない運命の展開
にあって、戦争で母親を失った。
結果として、母親が与えられることのできる唯一の人生の希望を
はぎ取られた。
しかし、全ての不幸は、ついには、人生の終りにおいて、多くの
富を与えたように思う。
寝たきりになったのは、その運命を乗り越えようとした過激な
エネルギーのせいであったと思うが、これは、父としても、
想定外のことであったかと思う。
とは言っても、現在の世相にあって、知らぬで済んだほうが多い
ことがありすぎる。
病床にあって、それが、父にとって、吉であればと願うのだが。
ベネディクト・アンダーソンは、「学問に重要なのは冒険精神」
と言ったが、「人生にとっても、重要なのは冒険精神」であるのだろう。
冒険精神のみが、不運な人生にあって、偶然の幸運を引き寄せる
かもしれない。