わたしの父親の病室に部屋替えで移動してきた患者がいる。
最近、やはり、黙りっこくなっている。
心なしか、目線に寂しさを感ずる。
本人は、若干ぼけている。言っていることは、まともにも思うが、病人の言う内容ではない。
健常者の話す内容である。
自分が患者であるという意識はない。周囲にいる看護士、介護仕と同じ立場であるかのような発言をする。
タバコが吸いたいとか、なにか飲み物を要求する。
時折、何年も飯を食ってないなんて、言い出す。
結局、病院のスタッフは、適当に聞き流してしまう。
どういう訳か、全く他人のわたしたちにも、いろいろと言ってくるのだが、病院のスタッフでもない、彼の身内でもないので、取り合うわけにはいかない。
結局、どんなに、自分にプライドがあっても、検討違いのプライドなので、誰にも相手にされない。
本人は、相手にされてないという意識はないかもしれない。
自分がいろいろと要求しても、その要求が通らないことは、感じているかもしれない。
そういうことで、無気力になってきているような気がする。
病院の患者の中には、自分の事情をよく理解している人もいるが、このような患者を見ていると、切ない思いがしてくる。
彼の隣の患者は、老いた妻が土・日を除いて、毎日通ってくる。
彼のベットの反対側、つまり、わたしのことであるが、わたしと母親(週に一度は休んでいる)が毎日通っている。
なにかと世話を焼いているので、それが、彼からは、丸見えである。
わたしたちにとって、親孝行である行いが、彼には、見捨てられたような想いを抱かせているのではなかろうか?
それが、彼を絶望へと、陥れているのでは┄┄。
いずれにせよ。人は、病床でなぜ自分だけ、寝たきりなんだと、怒り満ちてのたうち回り、毎日毎日、泣きながら、悲しみ疲れ果て、「こんなはずでは」と思いながら、自分に絶望して、朽ちていくのだろう。
それを、わたしは、彼が天寿を全うするまで、目の当たりにする日々が続くかと思うと、人生って何だろう。と考えてしまう。
これから、高齢化社会だ。
似たような、悲しみで人生を終える人々が、今は、自分の老後なんて関係ないと言っている人の中から、いくらでも出てくることは確かなことなのだ。
このような人生の終末に、耐えうる人って、どれほどいるのだろう?
最近、やはり、黙りっこくなっている。
心なしか、目線に寂しさを感ずる。
本人は、若干ぼけている。言っていることは、まともにも思うが、病人の言う内容ではない。
健常者の話す内容である。
自分が患者であるという意識はない。周囲にいる看護士、介護仕と同じ立場であるかのような発言をする。
タバコが吸いたいとか、なにか飲み物を要求する。
時折、何年も飯を食ってないなんて、言い出す。
結局、病院のスタッフは、適当に聞き流してしまう。
どういう訳か、全く他人のわたしたちにも、いろいろと言ってくるのだが、病院のスタッフでもない、彼の身内でもないので、取り合うわけにはいかない。
結局、どんなに、自分にプライドがあっても、検討違いのプライドなので、誰にも相手にされない。
本人は、相手にされてないという意識はないかもしれない。
自分がいろいろと要求しても、その要求が通らないことは、感じているかもしれない。
そういうことで、無気力になってきているような気がする。
病院の患者の中には、自分の事情をよく理解している人もいるが、このような患者を見ていると、切ない思いがしてくる。
彼の隣の患者は、老いた妻が土・日を除いて、毎日通ってくる。
彼のベットの反対側、つまり、わたしのことであるが、わたしと母親(週に一度は休んでいる)が毎日通っている。
なにかと世話を焼いているので、それが、彼からは、丸見えである。
わたしたちにとって、親孝行である行いが、彼には、見捨てられたような想いを抱かせているのではなかろうか?
それが、彼を絶望へと、陥れているのでは┄┄。
いずれにせよ。人は、病床でなぜ自分だけ、寝たきりなんだと、怒り満ちてのたうち回り、毎日毎日、泣きながら、悲しみ疲れ果て、「こんなはずでは」と思いながら、自分に絶望して、朽ちていくのだろう。
それを、わたしは、彼が天寿を全うするまで、目の当たりにする日々が続くかと思うと、人生って何だろう。と考えてしまう。
これから、高齢化社会だ。
似たような、悲しみで人生を終える人々が、今は、自分の老後なんて関係ないと言っている人の中から、いくらでも出てくることは確かなことなのだ。
このような人生の終末に、耐えうる人って、どれほどいるのだろう?