心底「やりたい」と直感したことを、あなたの
人生でいくつ実現させることができるかが、あな
たの幸せを決める。
綺麗事は一切抜きの本音勝負だ。
高邁な幸せではなく、不純な幸せでいい。
高邁になることができるのは、「やりたい」こと
を満たした後からなのだ。
どう見られたいかでなく、どうやりたいかを考える。
と、S氏は、彼の著書で語った。
彼は、「不純な幸せでいい。」とも語ったが、自分
自身の胸の内に、問いかけても、何も答えが返って
こない。
M氏は、
「何をしてもいい自由」とは、自分の夢を実現した
り、新しいことに挑戦することである。
と言っていて、感心して受止めたが、その何をやり
たいのかが、実は、なかなかどうして、思いあたら
ない。
新聞をどこを見ても、テレビのどこを見ても、心浮き
立つものが見つからないのは、どうしたことだろう。
若干の苛立ちを覚える。
ヤフーのニュースに、
歩幅狭いと認知症リスク増…70歳以上調査
読売新聞 6月17日(月)14時40分配信
歩幅が狭い高齢者ほど認知症になりやすい
との調査結果を、東京都健康長寿医療センタ
ー研究所の谷口優研究員らがまとめた。
という訳の分からない研究があったが、本当の
ところは、「高邁な幸せではなく、不純な幸せで
いい。」なんて、幸せが見つからないから、結果
的に自堕落の生活の毎日で、「歩幅狭い」症候群
になるのだ。
研究員らは、嬉々としているが、なんてこと
はない。自分自身が若いから我々の世代から
すれば、当たり前のことが分からないらしい。
記事には、
その結果、年齢や一人暮らし、血液中の赤血球
数の少なさ、低コレステロールなどが、認知機
能の低下と関係していた。中でも、特に関連が
深かったのが、歩幅の狭さだった。
というのがあったが、この資料の意味するとこ
ろは、自分たちで資料は作ったものの、そのよう
な人たちを日常みない人にとっては、その本質が
なんなのか理解できないようだ。
話しは、逆なのだ。
認知症になるような生活が続くうちに、歩幅が
狭くなるのだ。
退職をしてしまうと、老いて衰えていくのが、
当たり前と観念している者たちにとっての心
情に理解が及ばなくては、根源的な原因は見
つからない。高齢者の生活の「質」、働き盛
り人たちの格段の差が、そのようなことに帰
結するのだ。
なぜ歩幅がせまい歩き方になっていくかが、
問題なのであって、そこに理解が及ばなけれ
ば本質からずれた話しが一人歩きする。そこで、
デイサービスあたりで、わけのわからないサー
ビスが意味なく行われる。
毎日寝たきり病院に通い、併設のデイサービスの
活動を見るにつけ、ちょっと違うのだがなと、
一人つぶやいているのだが。
ところで、養命酒のテレビのコマーシャルで、
東洋医学では、
女性は7の倍数の年に
男性は8の倍数の年に
疲れや冷えなどの症状はありませんか。
体に変化が訪れると言われています。
というのがあって、
男性は、56歳、64歳という場面があった。
以来、この64歳というのが、ひっかかっていた
のだが、実は、退職してから4年経ったという
ことでもあると理解した。
退職して、たいていの人は、悠々自適な生活到来
と、狂喜するのだが、しかし、そのうち、これま
での人生で積み上げたものを、「リセット」せざ
るを得ないというカルチャーショックに出会う。
そして、対象喪失、PTSD等に苛まれる生活が始ま
る。それが、男性64歳の体調の変化とみたが、ど
うだろう。
S氏は、
綺麗事は一切抜きの本音勝負だ。
高邁な幸せではなく、不純な幸せでいい。
高邁になることができるのは、「やりたい」こと
を満たした後からなのだ。
と、喝破した。
「不純な幸せでいい。」、なんて言っているが、
とりあえず、罪のない不純な幸せって何があるん
だろう。
そこが問題だ。