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リタイアーのよもやま話

「何を買おうかな~」と言っている時点で、それは不要なモノなのです。

2013-06-01 21:23:49 | 読書

カイジ「命より重い!」お金の話
木暮太一(経済ジャーナリスト)著
サンマーク出版

 

にあった話で、興味深い箇所があって、抜粋
してみた。

以下、抜粋。

 

 

 給料日に手にしたお金を「ご褒美だ~!」
といって、パアーつと使ってしまうのは、

地下の強制労働施設で給料日に豪遊してしま
ったカイジと完全に同じです。

 「今まで節約してがんばってきたもんな」

 「今日ぐらい息抜きしてもいいはず」

 「明日からまた節約すればいいや。今日だけ。
今日だけ!!」

 
こうして自分へのご褒美を買っているうち
に、この1か月に苦労して稼いだお金を失
うのです。

 

 本当に欲しいモノ、必要なモノを買うので
あれば、何も問題ありません。ですが、

 

ご褒美思考でショッピングするときには、も
はや。〝何かを買うこと〟が目的になってい
ることが多々あります。

「何を買おうかな~」と言っている時点で、
それは不要なモノなのです。

 働いてストレスを溜め、そのストレスを発散
するために働いて稼いだお金を使う。

 そしてお金がなくなるので、またストレスを
溜めながら仕事をしなければいけない。


 何か変だと思いませんか?


 そうやってお金を使っているうちは、一生そ
の悪いスパイラルから抜け出せないでしょう。

「いつまでたってもお金が貯まらない」「いつま
でたっても生活が楽にならない」、そう感じてい
る人は、自分が〝ご褒美思考〟になっていないか、
振り返ってみましょう。

以上。

 

心当たりのある話しである。そして、よくある話し
でもある。心しておきたいものだ。

 

褒美思考というのは、自分のモチベーションを上げ
るために、言われる話しである。こう指摘されると
やはり、考えてしまう。

 

文章の中に、このようなところがある。

〝何かを買うこと〟が目的になっていることが多々
あります。

これは、日常でよくありうることだ。
結局、退屈しのぎが、心理的根底にあると思う
のだが。

そのような時に、買い物で気晴らしをしてしまっ
ていることは、考えられる。
生活に閉塞感がある時、時にそのようなことで、
何事かをなし得たかのように、自分を誤魔化して
いるかもしれない。

意外とそのようなことの連続の人生であったり
せんこともなくもない。


ところで、この話しである。


「何を買おうかな~」と言っている時点で、それ
は不要なモノなのです。

手厳しい指摘である。よく、心しておきたいもの
である。

 


ドアの向こうのカルト 9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録

2013-06-01 06:34:04 | 読書

ドアの向こうのカルト
9歳から35歳まで過ごしたエホバの
証人の記録

佐藤典雅著
河出書房新社

だいぶ前だが、この本を読み終えた。

わたしの身近にもいるので、興味深く読んだ。

本人が直接経験したことで、組織の内部事情
も詳しく分かって、資料的にも良い本だと思っ
た。

この組織は、経済的に貧しいものは幸いなり
とでも、言いたげな組織のようだ。その本の
内容を読んで思ってしまった。

そういう点では、かなり自虐的な集団だ。し
かし、実際的には、豊かになるだけの気概も
努力もできないからそのような自虐的な宗教
にはまっていくような気がする。自分の身の
程に応じた人生で結構と、割り切るだけの
潔さもない。

本質的にいわゆる「負け組」根性の集団であ
る。

そういう意味では、ホームレスでも生きよう
としている人々の方が、凛々しい。

ネットで、この宗教の起こりを、調べてみた
が、感想として、宗教的怠惰が、少しでも、
安逸な宗教を求めて、エホバの証人的な教義
を生み出したように思える。

はっきり言って、「ひきこもり」である。宗教
を「盾」にした。それをいいことにして、現世
から逃げている。あらゆる社会的責務から逃げ
ている。

しらふでは耐えきれない厭世観を宗教でごまか
している。

ある意味で、人生に甘やかされ、無能な癖に、
正義感だけはあるものだから、宗教を盾にして
なんの根拠もない選民意識を抱いて、負け組の
現実に頬かむりして、生きている。

この著者のように、家族に狂信的な性格の者が
いると、災いだが、わたしの場合は、そのよう
な状況には至っていない。金銭的に淫らでない
ので、現実的な災いを被ってなく、本人たち
が、夢を見れているだけ幸せだと、放っている。

しかし、この著者のように、子どもの頃から、
そのような世界に洗脳されて育った子は、それ
こそ「貧しき人生」を強いられて一生終わるか
と思うといたたまれないものがある。


わたしは、キリスト教を信じないが、それでも、
アーミッシュに好感を持っている。

今の社会にあって、少しでも、本来の精神に近
づこうしていると感じられるからである。

というのは、自給自足の生活を希求している
ように思われたからである。
少しでも、現代文明から距離をおこうとしてい
るからである。

 

その点で、エホバの証人は、偽善の集団である。

彼等は、彼等以外の存在は、サターンのなせる
ことだと言いたげだ。

しかし、彼等は、自ら忌み嫌う外の世界の作り
上げた成果を都合よく享受しつつも、その世界
を忌み嫌っている。
サターンの世界が作り上げたもので、自分のたち
の生活が成り立っているのに、欺瞞を感じない。


彼等が、真に自らの教義に、殉ずるためには、ア
ダムとイブの生活にもどらなければならないはず
だが、彼等は、その矛盾に気付かない。

彼等の教義よれば、
電気・水道等社会のインフラは、サターンの
作ったものだ。

勿論、流通する食料もサターンの作ったものだ。
最近は、インターネットを活用するようになっ
たが、それもサターンの作ったものだ。

そして、彼等が、歌っている賛美歌も基本的
には、プロテスタントの音楽がもととなって
いる。伴奏にピアノを使っている。大きな偽
善だ。

勿論、彼が集会に集まる時の衣装だって、プロ
テスタント(?)の文化だ。

エホバの証人は、自分のたちの忌み嫌う外の
世界の文明、文化の恩恵を受け、生活が成り
立っているのに、その外の世界がハルマゲド
ンで滅びるのを待っている。
その狡賢い、偽善的な生き方になんら疑問を
持たない。

なんとことはない。単なる「引きこもり」集団
である。そういう意味では、アーミッシュの方
が、まだ好感が持てるというものだ。

彼等は、楽園にいくために、現世でもかなり禁
欲的な生活を甘受している。
ハルマゲドンが来て、楽園で永遠に生きるのは
いいのだが、そこでも、現世でやった禁欲的な
生活が永遠に続くことに耐えられるのだろうか。

そこには、電気も水道ないし、勿論、車も冷暖房
もないだろう。勿論、食料だって、コンビニも
スーパーもないだろう。なにしろ、これ、サター
ンの世界の産物だから。

等々、書きつらねてしまったが、ぜひとも多くの
方々に、この本をお薦めしたい。

この世の中にある宗教で、これほど、欺瞞的な
宗教はないはずだ。