キリスト教成立の謎を解く
改竄された新約聖書
バート・D・アーマン=著
津守京子=訳
柏書房
タイトルにつられて、なんとなく買ってしまった。
本の帯びの表には、こう書かれている。
「宗教批判で展開されたキリスト教研究の成果を、
わかりやすく解く。
批判的にキリスト教を紹介する傑作!」
佐藤優氏推薦!!
本の帯びの裏には、こう書かれている。
現代人は「天にまします神」や「死体からよみがえったイエス」
などの神話をそのまま信じることはできない。
欧米では、神学、哲学、宗教学などの専門家がキリスト教に対する
批判的研究を行っているが、その内容が日本ではあまら知られて
いない。
本書の刊行によって、批判的なキリスト教研究についての概要
を神学に関する専門的知識をもたない人でも知ることができる
ようになった。
教養として、一歩踏み込んだキリスト教に関する知識を得ようと
する人にとって、最適の書だ。
佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
目次
まえがき…………9
第一章 信仰に突きつけられた歴史的挑戦………………………13
神学生のための聖書概論
聖書が抱える問題
神学校から説教壇へ
歴史的・批判的手法の受容
第二章 矛盾に満ちた世界…………………………………………33
例証の手始め-『マルコ』と『ヨハネ』におけるイエスの死
イエスの死と生涯に関する記述の矛盾
イエスの誕生/イエスの系譜/イエスの生涯に関する記述の
その他の矛盾/受難物語における矛盾
パウロの生涯と書簡に見られる矛盾
結論
第三章 山積する様々な見解………………………………………81
序説『マルコによる福音書』と『ルカによる福音書』における
イエスの死
『マルコ』におけるイエスの死/『ルカ』におけるイエスの死/
結論
『ヨハネによる福音書』と共観福音書の主要な違い
多岐にわたる内容/力点が置かれているテーマの違い/イエス
の奇跡
パウロと福音書記者の主要な違い
パウロとマタイの描く救済と律法
新約聖書における他の様々な見解
なぜイエスは死んだのか?/イエスはいつ神の子、主、そして
メシアになったのか?/
神は偶像崇拝者の無知を見逃してきたのか?/ローマ国家は善
の勢力か、それとも悪の勢力か?
結論
第四章 誰が聖書を書いたのか?………………………………126
誰が福音書を書いたのか?
序論 目撃証言としての福音書/福音書記者/パピアスの
証言/イレナエウスらの証言/
新約聖書には偽造文書が含まれているのか?
古代におけるスーデピグラフィー/初期キリスト教の偽文書/
パウロの偽書簡
『テサロニケの信徒への手紙二』/『コロサイの信徒への
手紙』と『エフェソの信徒への手紙』/『牧会書簡』
新約聖書の他の書を書いたのは誰か?
結論 誰が聖書を書いたのか?
第五章 嘘つき、狂人あるいは主? 歴史的なイエスを求めて…167
イエスに関する初期史料
口頭伝承/イエスの生涯を再構築するための他の史料/歴史
資料の正確性を確立する基準
黙示思想的預言者としてのイエス
イエスの教え/イエスの行いと活動
補説 イエスの生涯で起きた復活やその他の奇跡
第六章 いかにして私たちは聖書を手に入れたのか……………214
新約聖書の「オリジナル」テキスト
聖書聖典の成立
初期キリスト教教会の驚くべき多様性
外典
エピオン派の福音書/コプト語の『トマスによる福音書』/
『テクラ行伝』/『コリントの信徒への手紙三』/『バルナバ
の手紙』/『ペトロの黙示録』/コプト語の『ペトロの黙示録』
正典成立に至るまでの議論
『ペトロによる福音書』の場合/正典をめぐる試み―『ムラトリ
正典目録』/
初期教会における正統と異端
エウセビオスから見た正統と異端/ヴァルター・バゥアーの
爆弾/バゥアー以後
闘争のための武器
聖職者/信条/正典
結論
第七章 誰がキリスト教を発明したのか?………………………261
苦悩するメシア
キリスト教徒のメシア観/ユダヤ教徒が待望するメシアの到来/
キリスト教徒の主張の根拠
独自の、反ユダヤ的宗教としてのキリスト教
イエスの宗教と最初期の信者/後世の信者の反ユダヤ的教え/
キリスト教の反ユダヤ主義の出現
イエスの神性
イエスはいつ神の子になったのか?/ヨハネの共同体における
キリストの神性/
同じ目的地に向かう異なる道
三位一体の教義
神は何人いるのか? いくつかの答え/二つの非正統的・正統的
解決法
天国と地獄
死後の世界に対する初期の黙示思想的解釈/黙示思想的展望
の変遷
結論
第八章 それでも信仰は可能か?…………………………………314
歴史的批判と信仰/歴史と神話/信仰との決別/歴史的批判の
神学的価値/
それならなぜ聖書を研究するのか?
以上。
その中で、イエスについては、このように語っている。
以下、抜粋である。
黙示思想的予言者としてのイエス
イエスの教え
同時代の黙示思想家同様、イエスは、世界を二元論的に捉えて
おり、世界は、善と悪の勢力に分けられると考えていた。
そして、彼によれば、現在は、悪魔や悪霊、病気、災害、死などの
悪の支配下にある。
しかし、まもなく神が、悪の勢力を駆逐すべくこの邪悪な時代に
介入し、善なる王国、すなわち神の国を打ち立てるのである。
神の国では、もはや痛みも苦痛も苦悩も存在しない。
イエスの信者は、この王国の到来が間近に迫っていることを期待
してもよいのだった。
しかもなんと彼らが生きているうちに到来することを。
王国は、(旧約聖書の『ダュエル書』七章十三節から十四節を
暗に示唆して)イエスが「人の子」と呼ぶ、地上の宇宙的審判
者によってもたらされる。
人の子がやって来ると、地上で審判が下され、邪な輩は滅ぼされ、
正しき者が報われる。
苦痛と辛苦に苦しむ人びとは高められ、反対に悪に味方し、その結果、
現在栄えている貶められる。
したがって、民は自らの悪行を悔い改め、来るべき人の子と彼が目覚
めた後に訪れる神の国に備えなければならない。
なぜなら、その時は目前に追っているのだから。
福音書に見られる最初期のイエス観が、こうしたものであったこと
を示す証拠については、すでに述べた。
前章で指摘したように、イエスは、共観福音書のなかで、来るべき
神の国について説いている。
この神の国は、死んだ後に行く「天国」ではない(「天国」は、後代に
キリスト教が作り出した観念である。ある。このことについては、
七章で取り上げる)。
神の国は、地上に出現する現実の王国であり、メシアを通じて、神に
よって統治される国である。
最初で最後の、ユートピア的な王国である。
福音書である『ヨハネ』のイエスだけが、この王国がまもなく到来する
ことに言及していない。
それはなぜか?
疑いようもなく、王国が待てど暮らせど出現しなかったからである。
それで、『ヨハネ」の記者は、自分の時代に合わせて、イエスのメッ
セージを再解釈せざるを得なかったのだ。
しかし、最古の福音書に書かれている伝承では、まもなく王国が訪れる
ことこそが、イエスの言いたかったことだとされている。
以上。抜粋。
イエスは、彼が生きていた時代のユダヤ人における一般的な考え方を
していたということが語られている。
(別に彼だけが特別だったわけではないということである。)
つまり、黙示思想的予言者としてのイエスが本来の彼の姿だという
ことである。
非常に大雑把だが、彼が生きている間に、邪悪な者は滅び、イエス
の教えに従う者だけが生き残ると。
そして、地上に神の国ができる。
ちょっと乱暴だが、神による地上の革命である。
ただ、旧勢力は全て排除される。生き残れない。
邪悪の者とは、ローマ及びローマの傀儡勢力の者達のことでもある。
ローマの帝国支配で起こった全ての苦しみのことかもしれない。
わたしが、最初に聖書を読んだのは、中3に入ってからかもし
れない。
高校では、学校へ聖書の寄贈があって、それを読んだ記憶がある。
かといって、信者になったわけではない。
物珍しさである。
大学にはいって、唯物論に凝ったから、宗教は拒絶してきた。
ただ、キリスト教の存在は、大きいので、それに対して自分の
立ち位置をどうするかというのは、大きな課題であった。
キリスト教の歴史の全集を買ったりした。
しかし、買っただけで、満足して読んでない。
今回、何気なく読んだ本であったが、遠い2000年前の話をちゃん
と論理立てて研究できるなんて、考えてもみなかった。
わたしが、信者になるわけではない。返って自分の無神論を強固
にするための資料になった。
今まで、読んだ本で、こんなにまで、理路整然とした本を読んだ
記憶がない。
それも、2000年前の話題についてである。
この本を読んで、学問とはこのようにするのかと、感嘆してし
まった。
ヘーゲルの本を読んで、「神」という一言で、論理を飛躍
していくことに、戸惑いを覚えたが、今回の本、爽快な気分
になってやまない。
キリスト教に対して、どう対峙するかと思われた方には、お勧め
かもしれない。
できれば、高校生か大学生くらいに一度を、目を通すことができた
ら、何かしら、大きな財産になるかもしれない。
いや、私自身のことで言えば、大学生くらいの時に、読んで
おきたかった。
今までのキリスト教に関する「モヤモヤ」が、一掃されて爽快
な気分である。
やはり、待てば、いつかは、解答が出てくるものだ。
これまでの「わだかまり」の一つが、克服できて、嬉しい限り
である。
少し、幸せな気分になる。
ところで、もう一つ拘り続けてきたことがある。
森鴎外の山椒太夫で、安寿が入水自殺した理由が、今だに分から
ない。
中学校の教科書にあった話である。
だいぶ前に、本を買い直して、読んだが、やっぱり分からなかった。
森鴎外は、従来の話を彼なりに、作り直したようだが、どうして、
理由が分からないような書き方をしたのだろう。
あまり、無理に憶測しても、なんだし。
ところで、やがて、11時30分になろうとしている。
北側の窓から風が入ってくる。
扇風機をまわして、南側の窓に向けている。
突然、香水のような爽やかな匂いがしてきた。
むさ苦しい部屋に、一瞬爽やかさが漂った。
40メートル先に、スーパーの職員出入り口がある。
その従業員の匂いかな? 帰宅する?
不思議な気分である。