創世記について、いろいろと難癖をつけてしまったが、
そうこうしているうちに、釈迦のことを思いだした。
むかし、釈迦に興味をもって、原始仏教についての
本を購入して、軽く読み流したことがある。
その時、ものすごく衝撃を受けたことを覚えている。
わたしたちの日本における仏教と、全く違った印象を
もったからである。
かなり、乱暴だが、まったく哲学の世界であり、心理学
の世界だと思った。
学生時代に、弁証法的唯物論に関心を抱いていたことも
あって、すごく親しみを感じたのである。
そして、釈迦に続いてクリシュナムルティを思いだし
た。
彼の「自我の終焉」を読んだのであるが、その論理に
衝撃を受けた。
荘子の本を読んだ時も、かなりショックをうけたが、クリ
シュナムルティの方は、毒薬に近かった。
アリメカのキリスト教徒のアーミッシュのような自給自足
経済の生活でもできないかぎり、クリシュナムルティの
思想の実践はできないと思ったからである。
で、とんでもないことを思いついてしまった。
もし、釈迦やクリシュナムルティが、創世記を読んだら
エホバは、とんでもない「山師」だと言うのかも。
もし、釈迦やクリシュナムルティが、イエス・キリスト
の言い分を聞いたら、とんでもない「ペテン師」だと
言うのかも。
なんて、素人がとやかく難癖つけるよりも、極めて
単純明快な答えが出てしまった。