森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

古き林業写真帳(貯木場)

2006-09-04 15:00:34 | 幻の写真・図

そろそろ終わりか、古き林業写真館。

 

というわけで、紹介するのが、吉野の貯木場。川上村など上流から流れされてきた丸太を浮かべて保管していた。丸太は、水に浮かした方が管理しやすいし、乾燥すると言われる。

水に漬けているのに乾燥するというのは、樹脂などが抜けて陸に上げた際に乾燥しやすくなるからだという。昔からの知恵である。

 


吉野に貯木場が完成したのは、昭和13年末と、わりと遅い。当時は五條、そして和歌山まで流していたからである。和歌山の河口には、巨大な貯木場を吉野の林業関係者が持っていた。
だが、明治も進み、大正、昭和になると、和歌山には土佐材や外材が入りだした。そのため吉野で木材を陸揚げすることが増えた。鉄道が整備されて陸送が可能になったこともあるだろう。そこで和歌山の貯木場を売り払って、吉野に作ったのである。

 

一方で、陸送が進むと、筏流しも減ってきて、山元から直接トラックで運び出すことも増えてきた。そのため吉野に行かず、桜井にも送られ始める。しかし、桜井は木材不足を外材にも頼るようになって、やがて吉野材から離れていく。

 

そのように考えると、吉野の貯木場は、いっときの栄華の夢かもしれない。


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2 コメント

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貯木場栄耀栄華 (あがたし)
2006-09-04 20:26:07
林業華やかなりし頃の秩父ですと,「はあ?ここに?」という山奥に映画場はできるはパチンコ場はできるはという,要するに街が一個ドンとできてしまったというにぎわいだったそうですが,吉野でもそうだったんでしょうか.



(資料で見る限りは当時の秩父(戦後のようです)は堰でおろしてトロッコ集材だったようです.現在も軌道跡は残っていて,おそらくマル鉄の人(笑)なら胸が熱くなると思います)

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山村栄華の時代 (田中淳夫)
2006-09-04 23:15:58
吉野は、もちろん木材景気に湧いていたでしょうが、山元でも同じですね。今は壊れた倉庫でしかないところが、かつては芝居小屋だったと聞いたこともあります。



林業に鉱山など、かつての山村は人が集まるところだった時代もあったんですね。
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