森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

東海道五十三次の絵

2007-03-19 16:30:21 | 幻の写真・図

最近、ちょっとよく使う写真というか、絵。

安藤広重の「東海道五十三次」の1枚、府中(静岡)の丸子宿である。現在でも、絵にあるようにとろろ汁で有名だ。私も大昔に食べたことがある。

が、私が講演で使うのは、とろろ汁の宣伝のためではなく、背景の山を見せるため。

木が生えていない。山は禿げているのだ。実は丸子だけでなく、五十三次の絵の山が描かれているものは、たいてい禿山か、せいぜい松林程度。松は、もっとも土地が痩せているところに生えることで知られている。

そう、江戸時代の山は、どこも禿山ばかりだった。
木を伐りすぎた証拠である。なんだか江戸時代はエコロジカルな世界と思われがちだが、事実は森林破壊がもっとも広まった時代だった。その結果として、エコロジカル?な(質素な)生活を余儀なくさせられたのだろう。

……と、まあ、これを導入部にして、日本の山がほとんど人によって作られたものだと説明しているんだけどね。

 


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3 コメント

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たしかに昔は禿山多かった (じん)
2007-03-19 22:57:47
江戸時代の絵図にしても、さらに明治時代や第二次大戦前後あたりをみても、あきらかに禿山多いですね。
どうみても、日本の森林は豊かになってきたといえるでしょう。じっさい、そういってる学者は多いけど。

で、江戸時代がエコロジカルという意味は、国産(地域)資源の「循環」という意味合いが強いかと思います。
幕藩体制の中で、地域循環システムづくりが当たり前だったわけで、ある程度禿山ができるのもまあしょうがなかった。でも、日本の気候は「禿山」からでもまた復元できるだけの条件をもたらしたわけで、そういう意味では「日本の山がほとんど人によって作られたもの」というのは、ちょっと違うかなと思いますが。自然再生力の強さが、人為的な圧力に勝ってきたという感じかなと思います。

あと、森林破壊がもっともひどかった時代は、幕末から明治初期らしいですけど、それでも森林率は60%以上あったということ(『森の日本文化』)で、現在の67%と一割の差しかないというのが実態だったりします。都市近郊の風景としては禿山が多かったけど、それは現代では住宅地や耕作地など森林以外の用途になった地域であって、そもそもの面積は大差ないじゃんという気がするのです。絶対的蓄積量はどうみても増大してると思いますが。

「禿山」の考察、面白そうです!
森林率45%! (田中淳夫)
2007-03-19 23:40:59
明治時代の森林率が60%以上というのは、ちょっとおかしいですね。

林業経済研究所の統計によると、明治24年あたりで森林面積は1700万ヘクタールです。当時と国土面積は多少違うけれど、現在の面積で割ると森林率は45%になります。つまり現在より20%以上少なかった。
おそらく森林とした場所も、今と違って疎林だったでしょう。

それと人工林は1000万ヘクタール、雑木林は600万から800万ヘクタールとされています。雑木林も人為を受けて生まれた森林ですから、両方を合わせた1600万~1800万ヘクタールが人が関与した森林です。これは森林全体の約7割に相当します。
45%ならば納得です (じん)
2007-03-20 19:44:45
安田善憲氏の『森の日本文化』という本に書いてあった数字だったんですけど、そりゃあいくらなんでもそんなわけないですよね。
数字の差は、「森林」の定義の違いかなという気もしますが、その本には具体的な出典が示されていないので、なんともいえないです。

今現在「原生林」と呼ばれている森林でも、人の手が入っていたということは確かにありますね。でも、「人が手を入れた」=「人が作った」というとらえ方には、やはりちょっと違和感あります。

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