大正5年に撮られた土倉庄三郎の写真が見つかった。
亡くなる1年前に家族たちと撮ったらしい集合写真である。おそらく生前の最後の写真だろう。
これまで公になったことはないはずだ。私は、好意で複写させていただいた。そのうち、ちゃんとした形で日の目を見るようにしたい。
その一部を引き延ばしてみたのが上記である。さすがに老いた印象はある。しかも、この頃は財産の大半を失っていたはずだから、決して悠々自適の晩年とは言えないだろう。家族も、大集合とはならなかった。それでも、一家の長の貫祿は感じる。
大正5年に撮られた土倉庄三郎の写真が見つかった。
亡くなる1年前に家族たちと撮ったらしい集合写真である。おそらく生前の最後の写真だろう。
これまで公になったことはないはずだ。私は、好意で複写させていただいた。そのうち、ちゃんとした形で日の目を見るようにしたい。
その一部を引き延ばしてみたのが上記である。さすがに老いた印象はある。しかも、この頃は財産の大半を失っていたはずだから、決して悠々自適の晩年とは言えないだろう。家族も、大集合とはならなかった。それでも、一家の長の貫祿は感じる。
林業の不振ですか?天災ですか?
偉業の割にお墓が質素なので、上杉鷹山的発想のためと解釈していましたが、上のご文章を読んで複雑な気持ちです。
それが土倉家にどんな禍根を残したか……。
ちなみに墓が小さいのは、遺言だからそうです。いくら破産しても地方の大旦那ですから、墓くらいドンと建てることは可能だったはずですが、自ら選んだ墓だそうです。
それを伺って安心しました。
やはり最後まですばらしい人生を送られたのですね。
ちなみにお子さんは長男さん、次男さん、長女さん、次女さんの4人ですか?