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生駒の桜は今が満開である。
そこでラッキーガーデンにスリランカカレーを食べに行く途中に車のラジオを付けたら、今日は吉野山の桜も満開宣言が出たという。
それは下千本で、今後山を登って、中千本、上千本、そして奥千本と花爛漫の日々が続くだろう。
そこで思い出した。吉野山の桜を救ったのが、土倉庄三郎である。
明治初年は廃仏毀釈運動もあって、寺院はどこも運営が苦しかった。吉野山に訪れる人もいず、吉野山の名刹もご多分にもれず、桜の維持もままならなかったらしい。
そこで、大阪の商人が、吉野山の桜を500円で買い取ることになったという。おそらく薪にするつもりだったのだろう。当時薪は重要なエネルギー資源だからだ。また桜の大木もあるから、木材も多少は得られたかもしれない。
その後にスギやヒノキを植えるために、苗を調達しようと土倉の元に吉野山の総代が訪れた。
それを聞いた庄三郎は、即座に500円を手渡して吉野山の桜は私が買うと言ったらしい。そして保存するように言った。「今は吉野山の桜を見に来る人もいなくなったかもしれないが、やがて世界と日本がつきあうようになれば、西洋人も遊びに来るだろう」
かくして、吉野山の桜は守られた。
そのほか吉野山の寺院にもかなりの援助をしている。如意輪寺には2万円、現在の価格なら3~4億円にもなる寄付をしている。土倉なくして現在の吉野山はなかったかもしれない。
さて、私は桜の木の下でスリランカ料理を食べ、それから森遊び研究所でタケノコを探した。そして今年の初物3本を掘る。
今晩は、ワカメと煮るほか、木の芽味噌和えを作った。
土倉さんの地域や社会への貢献はよくきいていました。吉野の桜もそうだったんですね。守られてほんまによかったです。吉野のある方から、桜はご神木であることや、廃仏毀釈のせいで寺・修験者は大変やったこと、修験道の素晴らしさも伺いました。でも、その熱い語りの中に、吉野の桜を手放そうとしたこと、でもそれが土倉さんによって守られたことはふれらていませんでした。
いろんな方の思いがあって、目にはみえないそんな方たちの心が受け継がれ、それぞれの今があるんですね。感謝です。
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ソメイヨシノは、一斉開花が喜ばれるけど、私は一斉に散って花吹雪になる点が好きだなあ(^o^)。
ちなみに知人が吉野に家を持っていますよ。斡旋しましょか(と、急に不動産プローカーになる)。