そろそろ終わりか、古き林業写真館。
というわけで、紹介するのが、吉野の貯木場。川上村など上流から流れされてきた丸太を浮かべて保管していた。丸太は、水に浮かした方が管理しやすいし、乾燥すると言われる。
水に漬けているのに乾燥するというのは、樹脂などが抜けて陸に上げた際に乾燥しやすくなるからだという。昔からの知恵である。
吉野に貯木場が完成したのは、昭和13年末と、わりと遅い。当時は五條、そして和歌山まで流していたからである。和歌山の河口には、巨大な貯木場を吉野の林業関係者が持っていた。
だが、明治も進み、大正、昭和になると、和歌山には土佐材や外材が入りだした。そのため吉野で木材を陸揚げすることが増えた。鉄道が整備されて陸送が可能になったこともあるだろう。そこで和歌山の貯木場を売り払って、吉野に作ったのである。
一方で、陸送が進むと、筏流しも減ってきて、山元から直接トラックで運び出すことも増えてきた。そのため吉野に行かず、桜井にも送られ始める。しかし、桜井は木材不足を外材にも頼るようになって、やがて吉野材から離れていく。
そのように考えると、吉野の貯木場は、いっときの栄華の夢かもしれない。
林業に鉱山など、かつての山村は人が集まるところだった時代もあったんですね。
(資料で見る限りは当時の秩父(戦後のようです)は堰でおろしてトロッコ集材だったようです.現在も軌道跡は残っていて,おそらくマル鉄の人(笑)なら胸が熱くなると思います)