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森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

ナラ枯れ

2006-09-13 15:37:29 | 森林モノローグ

ホワイトウッドで盛り上がっている中、いきなり話題をナラに。

奈良ではない、ナラ。コナラ、ミズナラなどブナ科の樹木だ。このナラが今、危機だ。

どんどん枯れているのだ。それも世界的に。
原因はわからない。各地によって違うから。海外では病気が多いようだが、日本では害虫である。正確にはカシノナガキクイムシが病原菌を運んで枯死させている。
体長4~5ミリの小さな甲虫で、もともと日本にいたようたが、なぜか近年大発生している。南から北進を続けていて、今や福島県内まで広がった。年間1000ha以上枯れているという。

マツ枯れに続く森林の大量枯死なのである。ナラ類が枯れるということは、雑木林の主要なコナラやクヌギが枯れ、原生林で人気のあるミズナラにブナも危ないということだ。言い換えると、日本の広葉樹林の大部分が危機にある。

 

どうも理由は,カシナガが繁殖しやすい大径木が増えたことが関係あるらしい。伐採と更新を繰り返していた雑木林が放置され、ナラ類が太くなったからである。
つまり、ここにも木を伐らないから木が枯れるという矛盾が生じている。マツが、落葉かきをやらなくなりマツタケが生えなくなるとともにマツノザイセンチュウにやられたのと似ている。

 

さて、どうする?


 


資料棚の不良在庫

2006-08-18 00:41:38 | 森林モノローグ

わけあって、1980年代から90年前半にかけての熱帯雨林伐採反対運動の記録を調べてみた。結構、当時から多くの雑誌や新聞を切り抜き、また関係書籍を購入し、冊子関係も手に入れているのである。

 

当時、熱帯雨林問題が沸騰していた。アマゾンの先住民、ボルネオのプナン族の訴え、林道封鎖、それに呼応したWWFや「地球の友」、熱帯雨林行動ネットワークなどのパフォーマンスとキャンペーン。……。その中で割り箸不要論も起きていた。
思えばバブル景気の盛りで起きた社会現象だった。

私も多少ながら渦中にいて、結構現場を歩いていた。いくつかの集会にも顔を出していた。そしてボルネオのジャングルも歩いた……。プナン族の問題を世界に発信したブルーノ・マンサーにも逢った。彼は、実は洞窟探検にサラワクを訪れていたことを思い出した。そこから脱線して、何年間もジャングルの中で暮らしたのだからたいしたものである。

ともあれ、あれほど騒いだ熱帯雨林問題は、今はほとんど姿形もない。日本を悪役にして騒いだものの、その日本がジャングルから退場したからだろうか。

 

懐かしさもあるが、気恥ずかしさもある。結果的に何も生み出さなかったかのように感じるが、当時の資料も、今頃多少とも役に立つのなら、長い時間を保管していてよかったと思う。資料棚の不良在庫となっていたのだが、15年を経て当時の声が詰まった貴重な資料に化けた。

今振り返って、改めて気づくこともある。それは機会を見つけて執筆していこう。


ひょうたん

2006-08-13 00:01:57 | 森林モノローグ

世間はお盆入り。私は年から年中、お盆みたい?なものでして、今の時期ものんびり仕事しています。

 

で、たまにはほのぼのネタ。
写真は仕事場の窓の外にぶら下がったヒョウタン。いつも庭には夏の日差しを少しでも防ごうと蔓性の植物を植えるんですが、今年はヒョウタンとゴーヤを植えました。うまく蔓を延ばして2階まで達し、思いっきり蔓と葉を広げて、とうとう実を付けたわけです。少しは温度上昇を抑えてくれたでしょうか。

 

ヒョウタンは枯れるまで残し、ゴーヤはそのうち食べましょう。 でも、おかげで家も庭もジャングルみたい。見栄えは悪いですが、私はこうした状態が好きです(^o^)。


災害見学に行こう!

2006-07-26 11:10:07 | 森林モノローグ

ようやく梅雨も明けそうだが、今年は「記録的」という豪雨が各地で続き、山崩れや水害も多く起きた。人命に加えて、財産を失った人も多いだろう。

 

そこで考えたのだが、「災害見学ツアー」というのはどうだろうか。

 

不謹慎な! と怒鳴る人もいるかもしれないが、本当にそうだろうか。災害をテレビで見てわかったような気になって、何の意味があるか。せいぜい募金するだけではないか。
それより現場を目の当たりに見ることによって、災害のなんたるかを知ることができる。そして災害にあった人の話を聞く。これはヴァーチャルな映像なんぞと違う価値があるはずだ。
それに山が崩れた跡とか二階まで水につかった家なんて、見学する価値があるぞ。風景として迫力があるし、なぜ崩れたのか、なぞと考えてちょっぴり学問的な興味も出る。自分の防災意識を高めることにもつながるだろう。

 

これは阪神大震災の際の経験だが、震災にあって苦労した人は、その体験を他人に語りたいもののようである。もちろん、なかには心の傷にしてしまっている人もいるだろうが、むしろ話すことで救われる人だって少なくないのだ。

 

そして、もう一つ。水害地域を訪れることで、その地に幾ばくかの金を落とす。飲食したり、宿泊したりタクシー乗ったり、何か金を使うべきだ。とくに観光地なら確実だ。
実際、災害そのものよりも風評被害で苦しむところは多い。たとえばスマトラ沖津波で壊滅したタイ・プーケット島は、今では復興して世界中から観光客が来ているのに、いまだ日本人だけが以前の5、6割程度しか来ないそうだ。それが地元に経済被害をもたらしている。国内も、水害とか地震があると、被害がなくても観光客が引いてなかなか回復しないらしい。

 

日本人は、災害のあったところに物見遊山するのは失礼だとか、縁起が悪い、という感性があるようだが、それこそ風評被害の元。興味本位でよいから、どんどん出かけるべし。そして現場を見たら、何かを感じるはずだ。

 


源流と豪雨

2006-07-20 23:30:28 | 森林モノローグ

またもや吉野に出かけていた。土倉翁の墓参り?と割り箸とチェンソーアートと吉野3部作?になりそうな内容だったが、問題は天候。

 

ここ3日雨が続いている。それもかなりの豪雨。さぞかし吉野川の源流部は荒れているだろう…と思ったのたが、なんの、川はほとんど増水していなかった。むしろたおやかな流れ。

ははあ、これこそ源流の強みか、と思った。森林はしっかり洪水調節機能を果たしているようである。荒れるのは、支流が集まる中下流であった。源流が増水し始めたら、本当に後がない大水害になる。

 

昔は、「一雨で何千万円」と言ったそうだ。雨が降れば木が育ち太り、山主は儲かったのである。

 

ところで、雨の中、また湧き水を汲んだ。いつもより湧く量が多い。これって、表層水が混ざっている証拠?


木材運搬道

2006-04-19 23:50:52 | 森林モノローグ

先日、自治会総会の後にみんなで弁当食って、昔話をしていたのだが、古い人(といっても住んで50年くらいか。戦後である)の話には仰天した。

 

なんと、私の家の前の道は、木材運搬用の道だったのである!

我が家は、駅から近いが、一応山裾にある。ちょっと急な坂道が、小さな尾根を伸びていて、その両側に家が建っている。そのまま奥に行くと、雑木林に入り、生駒山の中へと分け入ることになる。どちらかと言うと、新興住宅地に近いだろう。

ところが、この道は、山から伐りだした木を運ぶために作られた道だったらしい。
生駒山で林業をしていたのだ。たしかに人工林はあるのだが、植え放しで伐採・出材をしたことがあるとは思わなかった。木材不足の時代は、どんな木でも売れたからだろうか。

「昭和30年ごろは、山から木を伐りだして、それをこの道使って下ろしていたんだ」
ついでに葬式用の道なども教わったが、我が家が木材運搬用の道沿いにあり、そこに私が住んでいることに運命的なものを感じた(笑)。

 

ほんの少し前まで、林業は都会近郊でも行われており、身近な仕事だったのかもしれない。


スキー場のカタクリ

2006-04-09 16:40:53 | 森林モノローグ

この時期になると、気になる花がある。

カタクリだ。春の雑木林に咲くカタクリはなかなか人気者で、各地で保護運動も行われている。観光地にもなっている。落葉樹林でまだ葉を付けていない早春には、林床に光が注ぐ。その光で育つ植物である。葉が繁りだすと、姿を消す。そのわずかなうちに、よってくるギフチョウなどの昆虫もいる。

と、何やら似合わない詩的な話をすると思ったら、大間違い(^o^)。

私が気になるのは、スキー場である。近年雑木林が荒れ、落葉樹が照葉樹に遷移することで春も林床が暗くなり、カタクリの生育地は減っている。しかし、意外なところにカタクリが咲いているという。それがスキー場だ。

実は、某会で学者と酒を飲んでいる際に、「どこそこのスキー場に春行くと、カタクリが咲き乱れていたんですよ」という情報を得た。
スキー場は、当然木々が伐採されている。日本に少なくなった草原植生を保っているから、調査地に選んだのだそうだ。すると、ものすごいカタクリ群落に出くわしたという。
春先には光が直接地面に当たるから、雑木林と同じ環境となり、カタクリの生育に適しているのだそうだ。しかし、雪の解けた春のスキー場に行く人なんて、ほとんどいない。だから知る人のほとんどいないカタクリの楽園が誕生するのである。

これは、見たい。しかし、どこかわからない。実は飲み会で聞いたはずなのだが、覚えていない。いや、誰から聞いたのかさえ、定かではない(^^;)。その場には学者ばかりだったからだ。どこだったかなあ。いや、誰から聞いたかなあ。

たしか、群馬とか新潟とかアチラの方で、花咲く季節はゴールデンウィーク前だと言っていた思う。今なら、場所がわかればまだ間に合う。誰か、心当たりのある人、教えてください。

 


木の花ドーム

2006-03-30 17:30:06 | 森林モノローグ

宮崎市内に木の花ドームという木造ドームがある。
なんでも木花という地名があり、木造だから付いた名前らしい。
すべて宮崎県産材を使っているという。

青島観光に行く途中に見えて、木造ドームだと聞いて、寄ってみた。
しかし驚いたのは、近づけば近づくほど、コンクリートのドームがクローズアップされたことである。外回りは、完全に鉄筋コンクリートの打ちっぱなし。それも偉容を誇るがごとく、壁面がコンクリート。ドームの膜面も、鉄骨が見える。

中に入って、ようやくドームの骨組みが大規模集成材であることがわかるのだが、それも継ぎ手に巨大な鉄骨がむき出し。指摘されなければ木造だと気づかないほどだ。

どうして木を隠した木造ドームなんだ? ドーム前には説明版があったが、そんなもの、通常の人は読まないだろう。
もしかしたら、木造だと知られると、利用者が危険を感じて嫌がるとか
大規模集成材に金を使いすぎて、内装外装に金を掛けられなかったとか

私は、ドームを木造にする価値はあまりないと思う。機能性なら、鉄筋コンクリートで十分。ただ木造であることに価値がある。アピールの点だ。
それなのに、木造であることが目立たないなんて。

中は野球場になっていて(でも、広さや高さから公式試合は無理そう)、人工芝も敷いてある。しかし人ッ気はゼロだった。


桜の開花と毛虫

2006-03-22 23:56:20 | 森林モノローグ

まだ奈良では桜の開花宣言をしていないが、すでに生駒では咲き始めている。
地域の微気候と樹木の個性によっては早く咲くのだろうね。寒さに強い桜木とか、他者より先駆けたがる桜木とか。

ちなみに今日、長崎県の福江島で開花宣言があった。
しかし私は、2月中旬に訪れた黄島(福江島の沖)で桜の花を見ている。この島は、福江島より1度ほど平均気温が高いそうだ。距離はたいして離れていないが、1カ月以上も開花の時期が違うのは面白い。

ところで桜の木は、手入れしないと育たない。とくにソメイヨシノは。
天狗巣病やナラタケの繁殖など、全国的にソメイヨシノはやられているようだ。また初夏の毛虫(アメリカシロヒトリ)の大発生も、逃れることができない。

それらを防ぐには、薬剤散布が欠かせないが、それを嫌う人も多い。しかし、自分の町の街路樹などで毛虫が大発生すると、駆除の声は高まる。遠くの桜は美しいが、身近な桜の毛虫は嫌われる。
いっそ、世話をしないところに植えられたソメイヨシノは伐採したらどうだろう。太ければ、木工素材としてわりと高く売れるかもしれない。そして山桜を植える。

山桜は、天狗巣病もないし、毛虫も大発生しない。そして蜜が取れる(^o^)。山桜のハチミツは美味しいのだ。

 


林業から見た地図

2006-03-17 22:59:10 | 森林モノローグ

紀伊半島の地図があったら見てもらいたいのだが、半島の先近く、奈良県と三重県の間に挟まったところに「北山村」という土地がある。ここは和歌山県。全国で唯一の飛び地自治体だ。

その北側に下北山村、上北山村がある。こちらはどちらも奈良県。

以前から気になっていたのだが、なぜこれらの地名は、「北山」なのだろうか。
都(奈良・京都)から見れば、南の山である。現在、北山と言えば、京都北部を指すのが一般的だろう。磨き丸太の北山林業も有名だ。

どうやら、見方が誤っているようである。
北山村の南には、本宮町(現・田辺市)、新宮市がある。こちらから見ると、北の山なのだ。そして、これらの地域を貫くのが、熊野川の支流に当たる北山川。
山から伐られた木は、この川沿いに新宮に流された。そして、港から出荷された。

ここで林業の流通から見た地図が出来上がる。
新宮から見たら北なのだ。

おそらく、同じような地名の配置は、全国各地にあるはずだ。木材は国の重要な資源であり、木材を握るものが国や地域を動かす時代もあったに違いない。
事実、ほんの数十年前、林業資本が日本を席巻したこともあった。明治日本の基盤を作った資本も、林業が生み出していた部分がある。

北山村は、自治体合併の声もあり、その際に奈良県か三重県に編入の話もあったようだ。しかし、選んだのはやはり和歌山県。新宮市との結びつきは、今も切れないようである。

都を中心とした史観ばかりにとらわれないようにしたい。

 


林業雑誌

2006-03-12 21:06:20 | 森林モノローグ

奈良の図書館に行って、資料収集。

奈良県は、言うまでもなく林業県である。ところが、意外と見つからないのが林業関係の雑誌だ。ホント、ないのである。あっても古いバックナンバーは所蔵していない。

そこで意地になって、近隣の図書館をインターネットで検索してみた。(こういうことができること自体は、隔世の感であるが。)

しかし、ないですなあ。考えてみれば、大型図書館は大都市にあるが、大都市は林業と縁が薄い。数ある雑誌の収集の中から外れてしまうのだろう。大学図書館なら期待できるかもしれないが、一般の人は近づけない。幸い、生駒の近くには国会図書館関西館がある。ここでは、さすがにいくつか見つけたが。

皆さん、たとえば次のような雑誌を所蔵している図書館、知りませんか。

「現代林業」「林業新知識」「林業経済」「林業技術」。そのほか林学会(森林学会)誌や、大学の林学科系の紀要…。


スギ花粉

2006-02-07 14:18:04 | 森林モノローグ

今年はスギ花粉は例年になく少ないそうだ。

花粉症の人は喜んでいるかもしれない。花粉症の人の主張はすごい。スギは全部切り倒せ! という声をよく聞く。また対策として無花粉のスギ苗の研究も進んでいる。
しかし植え替えにかかる年月を考えると馬鹿げている。さらにコストは莫大だし、無花粉のスギの材質だって心配だ。林学面からの対策となると、そんなことを考えるのだろうが、ちょっと実効性を考えると虚しくなる。

それよりも、問題になるほどの花粉そのものの資源化は不可能だろうか。花粉を集めて何か利用する手だてを考えられないだろうか。
案外、スギ花粉からすごい成分が抽出されが作れるかもしれない(^^;)。
花粉を健康食品に仕立てることも考えられる。
花粉茶。花粉青汁。花粉サプリメント
花粉染というのはどうだ。
花粉を陶土に混ぜて新しい焼き物を作るとか。
絵の具にして花粉アート。
いっそ、花粉採りツアーを作って都会人を呼ぶ。

こうなれば、山村の人もお小遣い稼ぎに、せっせと花粉集めをするかもしれないよ。

実は私も、ここ数年、季節になると目がかゆくなるから花粉症なのかもしれない。ただ、これくらいなら許容範囲と思っている。


蒸気駆動のチェーンソー

2006-02-05 16:12:44 | 森林モノローグ

ちょっと、チェーンソーの歴史について調べてみた。

てっきり戦後の発明品だと思っていたチェンソーだが、意外と歴史は古い。
原型となるノコギリが登場するのは、1856年のアメリカである。ただし、これは文字通り、押したり引いたりするノコギリをチェーンにしたもの、という意味だ。太い木の幹に巻き付け、それをハンドルで回すことで刃が食い込み、伐採するという仕組みである。

それが少しずつ進化して、チェーンを二人で押し引きするとか、通常のノコギリをハンドルで押し引きするもの、自転車のように足の力で動かすもの、などが考案されてきたようだ。

そして傑作なのが、1917年に発明された蒸気駆動のチェーンソー! ここで、ついにエンジン式になったのだ。蒸気発生のボイラーは別にあって、そこから圧力を送り込んだようだ。ちなみに潤滑剤は、石鹸水だとか。
さらに電気式が発明され、現在の内燃機関エンジンへと取って代わられる。これが現在のチェーンソーにつながっている。といっても、当時は64㎏もあったそうだから、とても林地を持ち運びするのは大変だろう。

それでも、どんどん軽量化が進み、日本に入ってきたものは15~19㎏。洞爺丸台風で大量に出た倒木処理に使われることで普及した。もっとも重くて扱いにくく、故障も多い。3段ミッション式の代物だ。

しかし、やはり便利だったのだろう。あっと言う間に林業界に広がった。

このチェーンソーの普及が、山村人口を減らすきっかけにもなった。チェーンソー1台で人力の林業従事者10人分の働きをする。逆に言えば、人員は10分の1になってもよくなったのだ。折しも戦後復興が進み、町は労働力不足に陥って山村の余剰人口を吸い上げた。そこで山を下りて町で働く流れが定着する。

今は、山村人口(林業従事者)の減少を補うための技術開発が求められている。高性能林業機械を使えば、一人で100ヘクタールくらいの森林を管理することも可能になった。それが山村人口の動向にどんな影響を与えるだろうか。

 


金剛山の看板

2006-01-29 22:17:57 | 森林モノローグ

訳あって、金剛山に登った。大阪と奈良の境にある標高1100mほどの山だ。かつて南北朝時代に楠木正成などが拠点にした場所でもある。

そこで見かけた看板(写真)。

 「金剛登山の皆様へ 
木、山野草は全て個人の財産です。
採取は禁止します。」

言わずもがな、の話なのだが、特に「個人の財産」とあえて看板に記すのは、必ずしもそう思っていない人がいるということだろう。
事実、ある町の意識調査アンケートで、山は「みんなものもの」「誰のものでもない」と思っている人が7割に達したと聞いたことがある。

日本の国にそんな土地があるわけなく、国有地・公有地であっても「みんなのもの」ではない。
しかし、他人の庭の木を勝手に伐る人は少ないだろうが、山では珍しくないのが現状だ。そしてこの手の意識が、自然の破壊を進めているのだろう……と、ここまで考えて、さらに考えが進んだ。過度な保護を主張する人も、結局同じなのではないか?

たとえば、緑の山を崩して造成したニュータウンに移り住んだ人は、土地の権利意識が高いのだが、一方で遠くに見える他人の山の状態に口を出したがる。意見を言うのが悪いというのではなく、他人の土地と思わず話すのだ。木を伐らないで、とお願いするのではなく、伐るなと主張するのだ。これは意識の底に「あの山はみんなのもの」(=一部は私のもの)と思っているのではないか?  さもなきゃ、あれほど威丈高になれないよなあ。

 


ニッポンバラタナゴ

2006-01-28 17:20:34 | 森林モノローグ

アカシア問題から連想したわけではないが、せっかくだから移入種問題の別の話を。

ニッポンバラタナゴという淡水魚をご存じだろうか。昔は小川やため池などに普通にいた種だ。小さいし、そんなに目立つ魚ではないが、わりと美しい。

それが現在絶滅危惧種。今では九州と香川、大阪の限られた池にしかいない。なぜなら、まずタイリクバラタナゴが入ってきて、どんどん駆逐されたり交雑してしまったから。さらにブラックバスやブルーギルの密放流が、タイリクバラタナゴさえ消す勢いでほかの淡水魚を絶滅の危機に追いやっている。

かつては生駒山のため池でバラタナゴ(どちらの種か、私には区別がつかない)を救っていたのになあ。いまではバスの稚魚しかいなくなった。

ところが、発見されたのである。奈良に。ニッポンバラタナゴが
その場所は公表されていないが、観光客の多い池にいたのだ! 人目につくから密放流もできなければ採取もされなかったのだろう。そして、生駒山のため池にもいるらしいのである。一部はタイリク種と交雑しているらしいが、まだいたのである。

アカシア問題と真逆。ニッポンバラタナゴは人には何の役も立たない。移入種問題とは、こうした二つの事実の狭間に落ち込んでいる。