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森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

日本国土の限界

2007-01-16 23:54:36 | 森林モノローグ

森林は水を貯められるのかと考えていた。

いわゆる「緑のダム」論だが、単純に「森林は水を今以上に溜めることができるか」ということを考えると、日本は降水量が多いから、ダムはすでに満水になっているということに気がついた。森林土壌がどうの、基盤岩層がどうのと言っても、ようするに満杯になれば、それ以上入らないではないか、ということだ。

同じく森林は二酸化炭素削減に役立つのか、ということも考えた。

京都議定書は、極めて政治的なものだから、間伐など整備された森林はカウントしていいとか理屈をこねているが、科学的には意味がない。ただ二酸化炭素を吸収するということは森林蓄積が増えることになる。炭素を有機物に変えて蓄積するからだ。
しかし、日本の国土では今以上に森林面積を増やすのは至難の業だろう。同時に太らせるのも限界に来ているのではないか。つまり二酸化炭素は吸収できないように思える。

いずれにしても、日本の国土では、今以上に森林を利用して水を溜めることも、二酸化炭素を固定することも限界があるのではないか……。

いかがだろう? 日本に期待しても無駄?

 


森林葬

2007-01-09 23:36:24 | 森林モノローグ

我が家のウサギが、急に亡くなった。

昨夜から様子がおかしくなって、深夜にぽっくり。原因はわからないが、下血していたから、内蔵疾患だろう。

そこで今日は、遺骸を山に埋葬に行った。生駒の森遊び研究所内の木の下に埋める。思わず遺骸を頬ずりしてしまった。
まあ、私はかなり邪険に扱っていた(だって、なつかないんだもの)のだが、やはり死なれると悲しい。しかし、娘は遺骸を見るのが怖いとか抜かすので、思いっきり怒った。
そして自らの手で土をかけさせた。こういう儀式から目をそらしてはいかん。

実は、今回のウサギの横には、先代のウサギの墓もある。こちらは3年前に、庭に放していたらイタチに襲われて急死した。
だんだん森遊び研究所が墓地になる(^^;)。


木の苗は植えていないので樹木葬ではないが、森林葬といったところだろうか。きっと遺骸が栄養となって、近くの木はよく育つだろう。今年から年輪幅が広がるかもしれない(昔見たテレビのミステリーの謎解き)。

先に三重県で森林を墓地として永代供養料を取って森を守る事業が進んでいることを紹介した(12月9日)が、たしかに木の下に埋葬されるのは、夢がある。ただ、こちらは骨壺を埋める。どうせなら遺骸の方がよい。人は法的に難しいが、ペットなら許されないだろうか。森林葬について、もっと展開の仕方があるかもしれない。


木の文明

2007-01-04 23:53:05 | 森林モノローグ

日本は、「木の文明」の国と言われる。

たしかに神社などに行っても、木は神の世界に重要な役割を果たしている。そして身の回りのものも、木が起源のものが多い(今は、それが別の素材に置き換わっていることが多いが)。

しかし、日本も古代社会は石の文化が育っていた。飛鳥の石造物を持ち出すまでもなく、巨石を祀り、石を利用した生活が営まれていたようだ。
それが木の文化に置き換わる過程については、また考察したいが、木が豊富だったことが基盤にあるのは間違いあるまい。

しかし、同時に豊富にあることが木のありがたみを失わせた部分もあるかもしれない。日本の木の文明は、概して木を無駄遣いする文化へと発展してきたのではないかと思う。とくに現代は。

ヨーロッパも、かつては木の文化を発展させていたが、森林破壊が進んで、また回復させることが難しくて石の文化へと移行したとされる。ところが、石造りの家に住み、石や金属を発達させた結果、木のありがたみが強まったらしい。
今では、非常に高度な木の技術を育てているし、人々は木への憧憬を持つ。

日本も、少し木が減る方がいいかもね……なんてことを、初詣に行きつつ考えていたのでありました。


本物のイノシシ

2006-12-27 14:15:34 | 森林モノローグ

昨日は、イノシシのことを書くつもりでオオタカの話題に横滑りさせてしまったので、改めて。

この写真は、生駒山でイノシシを飼っているところで撮ったもの。生駒山のイノシシは増えているが、イノブタ説も根強い。その根拠の一つは、江戸時代にイノシシは絶滅させたはずなのに、近年になって急に増えだしたから。しかし実際に捕えたものを見ても、イノシシそのものだ。ブタが混じっている証拠はない。


ただし飼い主によると、このイノシシは吉野山で瓜坊を捕獲したものだから、本物のイノシシだそうである。むしろ、ここから逃げ出したイノシシが、生駒山で増えているのではないかと私は疑っている。

いずれにしても、あまりの悪環境で飼っているので、泣きたくなる。だって、畑を堀りこんだところなのだけど、水が溜まって池のよう。わずかにある石の上に寄り固まっている。動物虐待と言いたくなる。


イノシシとオオタカ

2006-12-26 18:27:06 | 森林モノローグ

ノロ・ウイルス(そう勝手に決めつける)に苦しめられたが、実は案外昼間は動き回っていた。スーパーマーケットに買い物に行き、家族のために夕食を作り(私は絶食)、古本市を梯子し……。そして年賀状を書いていた。

ようやく第一弾を書いて出したので、なんとか間に合った。あと第二弾も今週中には出そう。

で、来年の干支はイノシシ(亥)。これは案外難しい。手持ちの写真を見ても、イノシシにしろ足跡にしろぬた場にしろイカツク絵にならない。結局、『田舎で暮らす!』の表紙を使った(笑)。宣伝重視や。

 

ところでイノシシが増えていることは最近は知られてきたが、同じく増えている野生動物は何があるだろうか。シカ、カモシカも増えているようだ。ところがノウサギは減っているとか。草場が減ってきたからのようだ。シカのように樹皮は食べられないからだろうか。

そして重要なのは、オオタカ。意外なようだが、増えている。なぜなら里山の鳥だから、生息環境はよくなっているのだ。絶滅危惧種から外されることも決定した。これまでオオタカを自然保護の象徴のように扱ってきた市民団体は、どのように対応するか見物だ。

野生動物も、現在の環境に対応して増えるものと、減るものを区別しなければならない。

 


グローバリズム?

2006-12-21 21:02:56 | 森林モノローグ

さる自然環境教育などを行う施設を訪れた時のことである。

その日訪れているイベントの参加者は、地元の小学生だという。山の中の小学生も、改めて教育として木の枝やドングリと遊んでいるのだなあ、思った。

「意外と田舎の子供たちも、自然の中で遊びませんね」
私は、話のとば口にそんな感想をもらした。

「田舎の子供たちというよりは、グローバリズムの影響です」
校長だという若い女性は言った。「都会と田舎の差をなくしてしまったことが、子供の世界にも波及した問題なのです」
目が点になりそうだった。その後も、貨幣経済の行き過ぎだとか現代社会の矛盾だとか、なんだか落ち着かない言葉が次々と発せられた。

その内容について議論をするつもりはないのだけど、山村の自然を触れ合うことを仕事をしている人から聞く言葉としては、意外感がある。そんな意見の元に自然教室を開いていたのか? それに貨幣経済の弊害というけれど、ここも民間団体で稼ぐことでスタッフは食べているのではないのか。

「もっとたくさんの参加者が呼び込んで、儲けたいと思いませんか? もし申込があったら断りますか」
思わず意地悪な質問をしてみた。

それに対して明確な返答はなかったが、人が多くなると環境負荷が高まるというほど、フィールドが狭いわけではなさそうだ。どうも、金という言葉が出ると、忌避感が生まれるらしい。自給自足生活はできないと言っていたから、完全に貨幣経済を否定しているわけではないようだが……。

 

足るを知る、という言葉があるが、それは十分に豊かな生活を経験した人がいうと、わかりやすい。しかし、貧乏人がいうと、負け惜しみに聞こえる(⌒ー⌒)


日本の森林率

2006-12-14 15:15:43 | 森林モノローグ

日本の森林率は、67%

これは、林野庁などの資料によく載っている数字だ。私も、よく使わせてもらっている。

しかし、ふとFAO(国連食料農業機関)の資料を見ると、日本は64%になっていた。

この差、3%はなんだ? 日本の国土が広がったのか。測量の仕方が違うのか。
しかし、国連の機関が、独自に日本の森林面積を調査するわけでもあるまい。おそらく森林の定義などからカウントの仕方が違うのだろう。

それで気がついたのだが、FAOの場合は、無林地に伐採跡地も入っているようだ。対して日本の場合は入っていない……森林にカウントしているらしい。その差だろうか。

たしかに伐採跡地は木がないから森林に入れるべきではないかもしれないが、すぐ植林した場合はどうなるのだろう。木はないが、苗は生えていることになる。再造林放棄の場合も難しい。日本の気候なら、勝手に雑木が生える確率は7割を超えるそうだしなあ。だいたい伐採後、何年まで跡地と呼ぶのか。
国土の3%ということは、約114万ヘクタール。少なくはない。

詳しいことを知っている人はいませんか。林野庁の人とか(笑)。

 


困る、森林インストラクター

2006-11-14 23:46:09 | 森林モノローグ

届いた「現代林業」12月号をパラパラめくっていて、森林療法の記事に「困るインストラクターのタイプとは?」という項目があった。

いろいろ並んでいるが、笑えたのが
○自分自身に「癒し」の必要な方

意外と多いというが、人を癒す前に自分が癒されたい、癒される必要のある人だそうだ。対人関係が苦手なタイプでもある。いるいる、と思ってしまった(笑)。
無理にすると、結局、他人も癒せず自分もストレス貯めるだけになる。

 

森林インストラクターではないが、「人と接するのが好きなんです」というライター志望者が、実は対人恐怖症だったりすることに幾度か出くわした。ライターとして人に接していたら、苦手が克服できるのでは、という思いから応募するようだが、結局仕事にならず、逆効果だったりする。下手すると、悪化するよ。

好きなことと仕事を重ねると、不幸なことになるかも。
旅行好きな人が旅行社を経営してツアーを主催して、客の気持ちを無視した添乗員になったり、アウトドアが好きな人がキャンプ場を経営して、自分はキャンプに行けずにストレス貯めたりしている。

山好き森好きも、林業で働こうと思わない方がよいかも。ビジネスと割り切って山と接する人の方がよさそうだ。

あっ、私がライター稼業を長く続けていられるのは、実は書くことが好きじゃないからだったのか!

 

 


タヌキと共生する街…

2006-11-11 10:29:35 | 森林モノローグ

昨夜は、もう何度目かの「平成狸合戦ぽんぽこ」がテレビ放映された。

さすがに全編見るほど余裕はなかったが、やはり気になる作品の一つ。
このアニメを「ニュータウン開発批判」と捉えている人もいるようだが、私はそうは思わない。最後にナレーションで、タヌキたちの抵抗が、ニュータウンに「タヌキと共生する街」というきれいごとのキャッチフレーズを付けられて、それなりに元の地形や山林を残した街づくりが行われたと語られる。さらに主人公は、人に化けて生きていく。最後の宴会シーンは、ゴルフ場。町の中に残されたタヌキが棲める自然は、ゴルフ場だった。
まさにいやいやながらの共生が行われたのである。

結局、ペーソスを交えつつも人と野生動物の共生を描いていることに気づく。

 

昨夜、吉野から山間部を車で走り抜けて帰宅したが、その途中に幾度もタヌキに出くわした。ライトに浮かび上がる姿は、なかなか可愛い。今やタヌキは珍しい動物ではなくなった。
実は、私の住む街も「タヌキと共生する街」である。ニュータウンではないが、町内のアチコチにタヌキが出没する。餌をやっている家庭もあるようだ。駅前のネオンが映るところさえいるし、U字溝などをうまく渡り歩いている。

それがよいとは言わない。もちろん理想的とも思わない。しかし、人と自然(野生動物)が折り合って生きていくには、こうした形しかないのだろう。


柿の木

2006-10-28 18:10:13 | 森林モノローグ

庭の柿の木に、実が一つもついていないことに気がついた。

 

毎年、かなりの数の実がある。もちろん渋柿だが、たまには渋抜きして食べたり、そうでなくても鳥の餌になっていた。昨年はあまりにも大量になり、それが熟して庭中に落ちて溶けた柿の実で覆われるほどだった。

にもかかわらず、今年ははゼロである。まったく実が実っていない。多少数が減ったというならわかるが、一つも青い実もない、というのはどういうことか。

 

なんだか、不気味。やはり今年の生駒山は不成りの年なのか。

まあ、柿の実目当てのクマが来なくて安心だが……(そんなバカな)。


屋久島の巨樹

2006-10-15 23:43:03 | 森林モノローグ

これは噂だが、と前置きしておくが、屋久島に幻の巨樹があるらしい。
縄文杉より太くて高いスギらしい。

と、ここまではよくある話。

私が聞いたのは、もう少し具体的である。本当に何年か前に発見された。それも意外と奥地ではない。でも発表はしないで抑えられている。人が殺到しては困るし、縄文杉の価値を下げてもよくないから。

その屋久杉が、ある人の屋久島の写真集に偶然のように写っていた。森の全景の中に混じって、それが巨樹とわからないようにである。さあ、どうする?

 

信じるも信じないも、お任せするよ。

 


生駒のドングリ事情

2006-10-14 19:15:06 | 森林モノローグ

さっそく、生駒山のドングリ事情を調べに森遊び研究所に入った。

すると、結構ある。クヌギが目立つが、コナラのドングリもそこそこ落ちている。(クヌギよりもコナラの方が木の数は圧倒的に多いのだが。)

聞いたところ、クリも結構なっているようだ。例年チェックしているわけではないが、そんなに不作のように見えない。同じ山の中でも差があるのだろうか。
雨も多かったので、林床はキノコもいっぱい。そして、目立つのはイノシシが掘り返した跡だ。ミミズをあさったか、ドングリをむさぼったか、いたるところ耕されている。

ちなみにタヌキも多いが、彼らもドングリが好物。もっともニワトリなどが襲われているそうだから、獣害も心配である。

 

それにしても、森がかなり荒れている。夏の間はほとんどいかなかった(虫が多いんだもん^^ゞ)うえ、今年はあまり手入れしなかった。かなりタケとササが侵入してきている。しばらく本気で手を入れるか。


ドングリ不作?

2006-10-13 12:20:35 | 森林モノローグ

昨日は生駒山系を見て歩く機会があったのだけど、そこで公園の管理をしている人に、、「今年はドングリが不作」と聞いた。

原因ははっきりしない。成り年と不成り年の関係もありえるが、なんでも今年は6月ごろに害虫が大発生して、かなりコナラなどの木の葉が食われてしまったらしい。その影響かも、とのことだった。
もしドングリが少ないと、イノシシの食料が不足して、田畑を襲うケースが増えるかもしれない。タヌキもいるなあ。こちらの害も心配だ。

私も、近く山を歩いて確認してみようと思う。ほかの地域ではいかがだろうか。

 

それにしても気がつけば、ドングリと落葉の季節である。

昨今は、落葉も輸入されるし、ドングリの移動も起きている。そのため遺伝子攪乱が心配されているが、実は樹木の遺伝子だけの問題ではない。落葉は一応発酵させてから輸入するが、それでも微生物は生き残っている。菌類もそうだろう。そうした外来の生物が日本に入ってきて、大繁殖?する可能性はないだろうか。それが病原菌だったりすると…。

こちらもちょっと心配。


森の中の虫

2006-10-03 22:14:14 | 森林モノローグ

少し、虫のことを調べていた。とくに鳴く虫のことを。
我が家の庭では、かなりの虫の声がする。マジでうるさいほど

でも、インターネットで虫の声を聞いてから、庭の鳴き声に耳を澄ませば、いくつか「これはエンマコオロギだな、こちらはハラオカメコオロギ、キリギリスか…」なんて、聞き分けてみて(正しいかどうかわからないが)結構楽しい。

 

ところで、森の中でキャンプしたことがあるだろうか。テントを張るのは、たいてい河原や草地などだから、広場である。上に木の樹冠がかぶさるようなところにテントを張ることは少ないだろう。

しかし、私は生駒山の森遊び研究所でキャンプすると、必然的に森の中となる。

そこで不思議な体験をした。
テントの中に入って寝ようとすると、パサ、パサ、と音がする。テント地に雨滴が落ちる音。おや、雨かと思って、外を覗くと、晴れている。それなのにテントの中に入ると雨の音


おかしい、おかしい、と思いつつ、朝を迎えて明るい中テントを点検すると、降っていたのは雨ではなかった。
虫の糞なのである。テントにかぶさる樹冠から、葉をもりもり食べた虫が、夜になると糞をするらしい。それがテントをたたいていた…。

その量たるや、結構すごい。一晩中降り続いたのだから。

森の虫が消化する植物の枝葉の量は、馬鹿にならないだろう。これが森の循環にも寄与しているはずである。


フィトンチッドは殺菌素

2006-10-02 16:08:47 | 森林モノローグ

よくわからないニュースが一つ。

先月開かれた「フィトンチッドフォーラム2006」で、東北歴史博物館学芸部の及川規・主任研究員は、文化財の収蔵庫や展示ケースの内装材から放出されるヒノキチオールが、文化財の素材へ与える影響について報告している。内装材に多用されているのはベイスギだそうだが、そこに含まれるヒノキチオールが、文化財の材料を変化させる可能性が高いというのだ。

この「変化」が、どんな内容なのかわからないが、いい意味ではないだろう。どうも緑青や鉛白を変色させたり、鉄、銅製品にも悪影響を与えるらしい。
ベイスギのヒノキチオールは揮発しやすいことが問題らしいのだが、キリやスギは影響が少ないという。

 

こんな内容がフィトンチッドフォーラムで報告されたこと自体が面白い。だって、一般的に言ってフィトンチッドは、森林浴の際に使われる、身体によい物質というニュアンスがあるから。

だが、本来のフィトンチッドは、森林の樹木が出す揮発性物質全体を指し、たしかロシア語で「殺菌・素」の意味だったはずだ。植物が、ライバルとなる植物や害虫などを追い払ったり殺すアレロパシー(他感作用)を引き起こす有害物質である。

もちろん、森林浴でフィトンチッドを吸収するというのは濃度が極めて薄いから安全なのだろうが、決して無条件で身体によいわけではない。

 

森林浴を発展させた森林セラピーも、あまり「森林の空気を吸うと癒される」なんて言わない方がよいかもしれない。リラックスできるのは、フィトンチッドを吸って頭が朦朧とした状態、かもしれないよ(^o^)。