ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

第13回山行μ・阿蘇の南外輪山・大矢野岳を歩く 2/2 ――― 下山後の車道歩きは辛かったようですね

2015年06月21日 | ハイキング/山行μや山行χ

2015/5/27  地蔵峠から駒返峠までは森の美しい山道でした。僕の大好きなコースになりそうです。でも、本当に大変なのはここからの下山です。僕は自分で計画したわけですから、そのことはよく知っています。でも、S子もMちゃんも知りません。全然知らないかというと、そうでもなく、ちょっとは知らせているのです。「下山は道路歩きが長いよ」って。時間と疲労度次第では「タクシーを呼ぶかも」と告げてもいます。でも、二人とも聞き流しているでしょうね。
実のところ、尾根の登山道がこれほど心地よく歩けるコースだとは知りませんでしたから、本当はもっと疲労するだろうと考えていたのです。車道歩きの途中で、タクシーを呼ぶことになるだろうなと。
でも、さほど疲労しませんでした。時間的にもタクシーを呼ばなくても充分間に合いそうです。
駒返峠で僕はそんな風にこれからのことを考えていました。二人には黙っていましたが。


▲駒返峠にもお地蔵さまが一体まつってありました。顔だけがどこか浮いた感じのあるお地蔵様です。12:49ころ。


▲先ほど見た標識では地蔵峠と駒返峠の距離は7.2kmのはずでした。でもこの標識では6.8km。こういう標識を作成する方はそのような計算はしないのでしょうか? 僕たちはここから下山です。中松駅へ向かいます。12:50ころ。


▲峠で少し休憩して、下山開始。これまでのなだらかな尾根道とはガラリと変わって、岩がゴロゴロした歩きにくい山道です。13:18ころ。


▲森の姿も変貌しました。自然林だった森が植林の森になっています。あ~あ! がっかり。13:46ころ。


▲林道が見えて来ました。もう林道歩きになるのでしょうか? 13:54ころ。


▲黄色い逆さ藤のような目立つ花が林道脇の林の上に見えました。足もとにはその黄色い花がたくさん落ちています。ネットで調べてもなかなかヒットしません。
そこで、僕が学生時代に購入した『新改訂学生版 牧野日本植物図鑑』の登場です。そんな本をまだ持っていて、時々それで調べるのです。見つかりました! 「じゃけついばら」です!
さっそくネットで確認すると、同じです。昔は図鑑で「これと似てるな」と思っても、写真で確認する方法がほとんどなかったので、わざわざ図書館に行くなどして、画像を探さなければなりませんでした。手間がかかり、なかなか同定できなかったのですが、今はネットで画像を十分過ぎるほど確認できるので、実に助かりますね。
ジャケツイバラはマメ科でつる性の落葉低木なのだそうです。マメ科なのですが、花の形はマメ科の花っぽくないですね。13:55ころ。


▲林道に出ましたが、その林道を横切るように、すぐ再び山道に入りました。でも、相変わらずの植林続き。13:58ころ。


▲小さな沢の流れを渡りました。14:12ころ。


▲森は消え、牧草地のような原が山の斜面には広がっています。右上には岩の砦のような岩山が。14:15ころ。


▲ノアザミでしょうか? 14:16ころ。


▲モンシロチョウ? 14:20ころ。


▲赤い虫こぶが葉っぱに並んでいました。昆虫の影響で出来るようですね。14:21ころ。


▲この一帯は柵で囲まれており、道路にはこのようなゲートが設置されています。やっぱり放牧地なのですね。14:28ころ。


▲ゲートにはこのように人が通行するための出入り口が付いていました。14:30ころ。


▲駒返峠登山口に到着しました。水場もあり、飲んでみましたが特別美味しい水ではありませんでした。14:31ころ。


▲水場の上には馬頭観世音菩薩と山の神が祀ってありました。両方とも先ほどの砦のような岩場のある城山839.3mの岩場の下に祀ってあったそうです。いろいろと紆余曲折があり、現在のこの場所に移って来たのだそうです。14:31ころ。


▲登山口にはこんな説明板もありました。中世の山城・駒返城がこの上にあったようです。でも、放牧地で入ることは出来ません。「矢部浜の館北大手の城跡。阿蘇家家臣久木野備前守在城と伝える。天正年間島津氏の侵攻により落城」。14:32ころ。

駒返峠からこの登山口までのコースタイムは40分。でも、僕たちは75分もかかりました。
駒返峠から中松駅まではコースタイム2時間くらいです。汽車の時間までは駒返峠出発時からは3時間10分ほどありましたから、ゆっくりと歩いたという訳。


▲阿蘇五岳です。と言いたいところですが、杵島岳は中央少し左の笠っぽい姿の烏帽子岳の真後ろになって見えていないと思います。14:40ころ。


▲阿蘇四岳の形も少しずつ変わってきます。15:18ころ。


▲外輪山の方向を望みました。大矢野岳は写真左側の高い山でしょうか? 初めて歩いただけではよく分かりません。15:36ころ。


▲後方の外輪山に大矢野岳や駒返峠も見えているはずですが、僕にはよく分かりませんね。
ただ、二人ともこの車道歩きに不満が爆発しそうになっています(笑)。すでに1時間以上車道を歩いています。舗装道路は山道と比べると、非常に硬く、足裏への衝撃も強く重いのです。疲労の蓄積も格段に大きいですから、僕も舗装道路歩きは大嫌いです。
僕自身は何度も地図を見て、今どこら辺を歩いていて、あとどのくらい歩けばいいのかを、だいたい理解しているので我慢も出来るのですが、二人にもある程度伝えているとはいえ、明確なイメージに乏しいでしょう。「いつまで歩かなくちゃぁいけないの!?」と思いながら歩くと、疲れも倍になりますからね。15:46ころ。


▲白川を祗園橋で渡り南阿蘇鉄道の線路をくぐり、すぐに右折しました。そこからも結構歩きましたが、無事に中松駅到着。「中松駅」の看板より「そば」屋さんの看板の方が大きくて目立ちますから、最初はそば屋さんかなと思いました。15:55ころ。


▲1番ホーム(駅舎側のホーム)に来るとばかり思っていましたが、線路を渡った2番線ホームに入線。慌てて走って、無事乗車しました。16:27ころ。


▲乗ってすぐの二人。16:27ころ。

立野駅と肥後大津駅で乗り換え、平成駅に着いたのが17:33。Mちゃんのママが車で迎えに来てくれました。この次の列車に乗ると、19:22の到着になります。予定通りの帰宅です。大人だけの山行ならある程度の遅れは許容範囲ですが、子供がいるとそうはいきませんよね。大人としての責任がありますから。Mちゃんの登山力が上がるにつれ、時間も長く、距離も遠くなるでしょうから、そのあたりの問題は出てくることでしょう。

今回の山行ではMちゃんも結構筋肉痛になったらしいです。筋肉痛と言っても大人のそれとは全然違うでしょうけれど、これまでの山行ではなかったこと。少しは山行レベルが上がったということでしょう。

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