ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

久し振りの長尾谷。易しい沢というイメージでしたが、今の僕にとってはタフな沢でした

2022年05月26日 | 沢登り/多摩川日原川水系

沢登りの復帰第2戦多摩川日原川倉沢谷の支流、長尾谷です。僕の沢登り感覚、そして沢登りに必要な体力を取り戻すための沢としては最適な沢のひとつだと思ったからです。沢のガイドブックでは「水平距離1800m、標高差600m、遡行時間2時間30分」となっていました。ちなみに、シダクラ沢「2000m、700m、3時間20分」ですから、シダクラ沢の方が長くて高くて傾斜も強いことが分かります。

ところが、沢登りの難易は数字通りにはいかないのが面白い所です。今の僕には長尾谷の方がシダクラ沢よりもずっとタフな沢と感じられました。ですから、復帰第2戦の沢としては良い選択だったと言えるでしょうね。

 

2022年5月22日(日) 倉沢谷長尾谷~棒杭尾根

▲9:39。奥多摩駅発8時35分の東日原行バスに乗って、倉沢バス停下車。そこから倉沢林道を歩きます。奥の方では林道や林道脇の山の斜面が崩れたりしています。まだ、徒歩では危険と言うほどではありませんが、そのうち危険レベルにまで崩れて、通行禁止になるかもしれません。写真は最初の林道陥没現場です。

 

▲9:49。長尾谷に沿った林道に入りました。

 

▲10:32。林道の終点から沢沿いの山道を進んで沢に下り、遡行準備をしました。そして、のんびりと出発。元気者が先を歩いて、僕は最後尾から付いて行きます。

 

▲10:40。長尾谷には大きな岩がゴロゴロと転がっていますね。

 

▲10:45。2条の滝です。先頭がどうしていいか迷っているようだったので、行ってみると、左端に残置のロープが設置してありました。

 

▲10:48。その残置ロープを使って登ります。

 

▲10:55。僕はすぐに高巻いてしまいましたけれど、S藤さんとK田さんは直登にチャレンジしています。

 

▲10:59。曇りがちだった空も光が溢れることの方が多くなって来ました。

 

▲11:00。鹿の骨がありました。この冬くらいに死んだのでしょうか?

 

▲11:02。両サイドが岩場のゴルジュですね。沢らしい気分の高揚する風景です。

 

▲11:08。頭の上に木橋が架けられていました。横板が隙間だらけですから、使われてはいないようですね。渡るのなら這いつくばって渡らないと怖いですよね。

 

▲11:25。ゴルジュも好きですけれど、少し広々としたこんな風景もいいですね。木漏れ日が素敵です。

 

▲11:31。S藤さんとK田さんはずっと滝の直登にチャレンジし続けています。K田さんはYYDでは僕に次いでの年長者。ここ最近は家庭の事情で山に行けなかった日々が続いていたはずなのに、足取りはしっかりしていますし、滝の登攀もS藤さんより達者です。凄いですね!

 

▲11:41。相変わらず大きな岩がゴロゴロしています。

 

▲11:44。こんな岩滝も出て来ました。

 

▲11:47。何人もが雨宿りや泊りが出来そうな岩屋もあります。

 

▲11:51。写真ではよく分かりませんが、透明感抜群の光景だったので撮りました。光が当たって白く輝いている場所は水の下の石ころが透けて見えています。

 

▲11:57。S藤さんがを渡って滝の直登にチャレンジしました。

 

▲12:05。20mほどの岩峰です。里の近くにあれば、登攀対象になりそうですね。

 

▲12:11。こんな山奥にがありました。

 

▲12:44。S藤さんがチャレンジ中。少し苦労して登ると、K田さんがあっさりと登ってしまいます。S上さんもちょっとだけ苦労しながら登り切りました。

 

▲13:01。この滝は直登が難しいので高巻きます。8mm×30mのザイルを持っていましたが、ギリギリの長さでしたね。反対側(右岸)の方が小さく高巻けそうでしたが、泥と枯葉が載っていて嫌らしそうでしたから、左岸を高巻くことにしました。こちらの方が灌木や木の根があって安全に感じたからです。ザイルの末端を固定しているので、僕は写真を撮りました。ザイルをく塗っています。先頭はS藤さん。ただ、こちら(上)のザイルの固定に信頼感が持てないので、僕もザイルの末端を持つことにしました。S藤さんが上がって来たら、彼にザイルを腰絡みで持ってもらうことにしました。

 

▲13:04。S藤さんがフリクションノット(多分プルージック)で登って来ます。

 

▲13:13。T原さんも登って来ます。後方のS上さんの場所でザイルは直角に向きを変えています。しっかりした木でプロテクションを取ってあります。その木のプロテクションでカラビナの掛け替えをしなければならないのですが・・・・

 

今回の遡行で1点だけ今後へ向けてのYYDへの注文が見つかりました。今回はここで1回だけ高巻き時にザイルを出して、固定し、プルージック(フリクションノット)での高巻きをしてもらったのです。 プルージック結びは出来たのですが、途中、直角に向きを変える場所でのカラビナの掛け替え方法がよく分からなかったようなのです。 僕は滝の上に来ていますから、詳細の指示は声が届きません。 カラビナの掛け替えの意味がよく分かっていないとは、僕も予想外でした。

状況にもよります。 片手で、一瞬たりともザイルからカラビナが離れないように操作する方法もあります。 ヨーロッパのヴィア・フェラータ(鉄の道)のように人間側のセルフビレイを2本セットしておく方法もあります。 プロテクション側を2つセットしておく方法もあります。 でも、今回はしっかりした木にセットし、その場所も比較的安定していましたから、一瞬カラビナを外して、プルージック結びの後方に移し替えても大して危険ではない場所です。 その、一番簡単でいい加減なカラビナ掛け替えがすぐには理解できていなかったのです。 僕が滝の上にいますから、滝の下にいる5人の中で、一人でも指示を出せるメンバーがいて欲しかったな、と思いました。

 

▲13:21。ラストはK田さんにお願いしました。ザイルの末端で来てもらいます。K田さんの後方の木で取ったプロテクションを外すと、危険な状況になります。万が一滑り落ちると、滝の下まで落ちてしまいます。ここまでの沢での歩き方を見て、K田さんが一番安心できそうに思えましたから、ラストに指名しました。

 

▲13:32。二股です。水量はほんの少し左の方が多いと思いますが、右の方が沢床が低く、本流だと思います。標高1050mほどの地点でしょう。左に入ってもいいのですが、蕎麦粒山近くに突き上げたい気持ちが強いので、右を選びました。

 

▲13:50。稜線が近づいて来て、空も広がって来ました。天気予報は曇りでしたが、綺麗な青空が広がっています。

 

▲13:56。ヒメレンゲだと思います。あちこちにたくさん咲いていました。

 

▲14:11。水も完全に消え、枯葉のラッセルをしながら急登を喘ぎます。

 

▲14:29。沢形も消えそうなので、左の支尾根に移ることにしました。手(と言うよりも指)も使わないと登れないほどの急登で、爪が泥で真っ黒になってしまいました。

 

▲14:40。僕とK田さんが最後尾です。この二人がYYDの1番と2番の年長者なんです。これくらいの急登を駆け上がるくらいの山体力を取り戻したいものです。

 

▲15:01。稜線に到着しました! 装備を解除します。達成感と言うか、安心感と言うか、もうこれ以上、急登を詰める必要がない解放感に満ち溢れています。ここから上へちょっと登ると蕎麦粒山1472.8mです。すぐ近くなんですが、誰も頂上まで行こう、とは言いません。

 

▲15:25。蕎麦粒山には登らずに下山開始です。4時台のバスは無理そうなので、5時台のバス目指して、それなりに急ぎます。

 

▲15:31。登山道の標識が出て来ました。今日初めての標識なので、何故かホッとしますね。

 

▲15:31。奥多摩ビジターセンターの登山道道路状況一覧表には次のように書かれています。 「蕎麦粒山南分岐から踊平北までの巻き道」「通行止」。 ただ、「尾根筋の登山道をご利用ください」となっていますね。 詰めの最終局面で、その巻き道に出会ったのですが、最近歩かれていないでしょうから、登山道だとの確信が持てませんでした。 その結果、稜線まで詰め上げたのですが、僕とK田さんの老体には堪えましたね。

 

▲15:35。いつも思うことですが、登山道ってなんと歩き易くて楽なんでしょう!

 

▲15:57。この日は棒杭(ぼうくな)尾根を下降します。蕎麦粒山から南へ派生している鳥屋戸尾根を下ってもいいのですが、この尾根は下りでは迷いやすいのと、死亡事故も起きているザレ場があるので、嫌なのです。ヨコスズ尾根まで行くと遠回りですから、棒杭尾根になります。便利な尾根なので、僕はよく使いますね。倉沢林道が荒れている旨の注意書きがぶら下がっていました。

 

▲15:59。この巨樹は何の樹でしょう? この付近はシロヤシオミツバツツジが綺麗なのですが、今年はもう花の時季は終わったようですね。ミツバツツジは葉っぱも茂っていましたし、シロヤシオの花が地面に落ちていました。

 

この棒杭尾根を僕は地図も見ずにいつも適当に仕事道っぽいところを拾いながら降りて行きます。でも、T橋さんとT原さんはきちんと地図読みしながら下降していました。でも、植林地帯で道を失ったみたいだったので、僕は先頭へ行って、これまた適当に方向を定めて進んで行きました。すると、しっかりした仕事道に出て、林道まで僕が先導。

 

▲16:47。林道へ出て来ました。皆ホッとします。

 

▲16:54。魚留橋に出て来ました。ここまでは林道も荒れていました。ここからは1ヶ所の陥没だけで、他は問題のない林道です。17時36分のバス目指して、急ぎます。

 

▲17:23。思いの外、早くバス停に到着しました。

 

倉沢バス停から天益に電話が繋がりました。「早ければ5時には着きます」と言ってあったので、「今バス停に着きました。奥多摩駅には6時前になります」と伝えました。T橋さんは家庭の事情でそのまま帰りましたが、5人は天益のカウンターに座って、楽しい反省会。K田さんが結構いじられていましたね。愛すべきお人柄です。とりわけネパールへの新婚旅行がいじられていましたね。その内容は秘密ですけどね。

 

ところで、僕はこの長尾谷へは1990年5月初めて入渓しています。 当時はこの沢の遡行図も記録も見つからず、地形図だけを持っての入渓でした。 1981年発行の『日本登山体系4 東京近郊の山』にも文章による記述さえありません。 1960年発行の『奥多摩の山と谷』にも隣りの塩地谷の遡行図は出ていましたが、長尾谷の情報は一切ありません。 (もっともこの本のコピーを戦前から沢登りをしていた大先輩から頂いたのはずっと後になってからでしたが)  長尾谷の遡行図が一般に広まったのは1996年『奥多摩・大菩薩・高尾の谷123ルート』が発行されてからです。 ただ、以前所属していた山岳会の30周年記念出版として1991年に発行した記念誌の中に僕が書いた長尾谷の遡行図は掲載されています。 東京の大きな書店や図書館にも置いてもらえましたから、目にした沢屋さんもいたと思います。 もちろん、昔から長尾谷は沢屋さんに遡行されてはいたと思います。 さまざまな山岳会の年報等を探せば、その記録も出て来るでしょう。 でも、現在と違ってネットもありませんから、そんな情報はなかなか目にすることが出来ないんです。 ただ逆に、探検冒険的喜びがたくさん残されていた時代とも言えますね。

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