Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

三人の逮捕

2010-01-18 16:54:10 | 一言・ほっとけない?
「政治とカネ」 どうする民主党
お母様より鳩山総理大臣 1日50万円お小遣い
お父様より小沢幹事長  40年前4億円遺産相続
   

3人の逮捕は特に石川議員が否定しあいまいな話しかしなかった事が、
小沢幹事長側近三人の逮捕、自殺もありうる、石川の自殺も恐れ
急いだのも一因
鈴木宗男
間違った権力とは、断固戦っていこう、検察の暴走はいけないと考えていると語った。
鳩山総理
鳩山総理は「小沢幹事長を信じております。どうぞ戦ってください」と
小沢幹事長にそう申し上げおりますと語ったが、
総理と言えば官憲のトップでもあろう者が何を考えて個人(小沢幹事長)の
応援するような発言をするのか国民には理解できない。
「戦ってくださいと」と励ましたつもりが、多くの批判を浴びて、自らの発言の
大きさに驚き、「検察批判ではない」と釈明しても、総理としてあまりにも軽い
発言の後で弁明しても、遅くただ言い訳にもならない。
みんなの党渡辺喜美代表
総理は「戦ってください」というのだから指揮権発動まで覚悟したと思える。
公明党山口邦津男代表
「行政の長として不穏当だ」と述べた
今回問題になっている4億円の資金について、小沢父親の40年も前に亡くなった
遺産と言うが、その間の政治資金調査報告でも明記されていなかったものが、
今になって貯えていたと言っても理解できず、ゼネコンから来た金が含まれて
いるのではないかと、疑問の持たれているのである。

小沢幹事長
民主党本部で行われる地方代議員会議の前に総理官邸に入り鳩山首相と
公邸で僅かの時間会談した後、
この機会に、国民の皆様に今までの経過と私の考え方と今後の決意につて
申し上げたい。全面的にキチンと対決してまいりたいそのように考えております。
今回の場合は、なぜか最初から逮捕、強制捜査と言う経過をたどって
今日にいたりました。
当面こういう権力の行使の仕方について全面的に戦いますと、語る
その眼にはうっすらと涙、
土地購入資金の問題についても初めて申し上げますけれども
私は何も隠し立てする資金じゃありませんので
銀行の○○支店でお調べください(検察に)答えました。
そして検察当局からもその口座の帳簿が見つかったと答えをいただいた。
と語るがこの間わずか10分足らず、自分に言うことだけで終わった。
「私は断固として(検察の)このようなやり方に毅然として自らの信念を通し
そして闘っていく決意でございます」と検察に対して宣戦布告。

国民は小沢の説明を十分ととらえたのだろうか、小沢氏の説明に国民は納得したのか?
民主党のほとんどの議員は良かったと思いますと、記者の問いに応えていたが、
本当にそう思っているのだろうか?みんな納得した、とか、なかでも十分な説明を
果たしていないと答えた議員はわずか一人、
同じことを街に出て聞いてみるとほとんどの人は説明責任を果たしているとは
思っていないとの答えが多く、あまりにも国民と民主党議員との開きは大きく、
ジャーナルのインターネット1000人によるアンケートで説明責任を
果たしていると答えた者はわずか5%、説明になっていないと答えた人は94.5%
このようなアンケート結果を見ても国民の評価では説明になっていないと
評価されたようだ。
「政治とカネ」の問題だが、鳩山首相の偽装献金問題と小沢幹事長の政治献金に
かかわる資金調達の問題に、民主党は問題を解明しようとする、自浄能力をも
示そうとしないのは何故か、鳩山総理と小沢幹事長の二人が、
政治不信の元凶となっている事態に気づいていても気づかないふりをしている、
民主党のおおくの議員は内閣や政党支持率が急落していることに、
気は付いて不安を感じていても、何も言えない、
今の民主党に将来はあるのだろうか。 あまりにも、国民と『かい離』した、
民主党議員は早く目を覚まさし、内部調査をするなり、民主党として自浄能力を
発揮し、早々に調査をし、国民の期待にこたえるべきであろう。

検察当局が、逮捕に踏み切ったことは、それだけの証拠を握って
いるのであろう。よほどのことがない限りミスを犯すまい。
小沢幹事長覚悟をしたほうがよいのではないか?
今のままでは、春までに小沢幹事長の辞任、辞職もある可能性を秘めている。

この際自民党も古きを捨てて立ち上がれ、オバマのようにチェンジし
びっくりするような総理候補に小泉進次郎で行こう!今に賭けろ?

空白の一日

2010-01-18 12:00:02 | 日記
阪神に電撃トレード
小林 繁氏 逝く
   

阪神のエース通算139勝 現役時代小林の存在を一躍有名にした「江川騒動」
小林 繁が57歳の若さで波瀾(はらん)万丈の人生に幕を下ろした。
小林氏は鳥取県生まれ。由良育英―全大丸を経て71年ドラフト6位で
巨人入団。76年から2年連続18勝、を挙げて長嶋茂雄監督の
リーグ連覇に貢献した。77年沢村賞受賞など頭角を現すも、
江川の巨人入団に伴う交換トレードで79年に阪神へ移籍。
巨人や江川が批判にさらされる一方、小林はその年22勝。
巨人戦では無傷の8勝を挙げた。同年22勝で最多勝。
83年まで8年連続2ケタ勝利を挙げ、同年に現役を引退した。
激しいショックを受けながらも、「12、13年しかユニホームを着て
いられないのだから、自分を商品と思い、できるだけ高く売ることが
得策だと考えた」と移籍を承諾。
同年に対巨人戦8連勝を含む22勝を挙げて、2度目の沢村賞を獲得。
83年に引退するまで悲劇のヒーローとして、阪神ファンのみならず国民的な
人気を博した。
その後はTBSで野球解説者、スポーツキャスターなどとして活躍。
当時では珍しく大リーグの野球を深く研究し、試合の流れを組み立てる,
中継ぎ投手の重要性を主張。
日本球界に「セットアップ(中継ぎ)」という言葉を、いち早く広めたのは
同氏だと言われている。
早すぎる旅立ちに31年前の電撃トレード同様、球界に再び衝撃が走った。

突然の訃報に江川氏は僕の中では終わっていません。
原因はこちらにある。小林さんが亡くなったからといって、『申し訳ない』という
気持ちは一生なくならないと思います」。江川氏は両目に涙をため、
永遠の別れを惜しんだ。
当時球界のみならず、社会全体を揺るがした「空白の一日」
江川は法大4年時の1977年ドラフトで、クラウン(現西武)の1位指名を
拒否して米国に留学。
1978年の11月22日のドラフト会議前日の“空白の一日”となった
21日に、巨人が浪人中の江川卓投手と電撃契約して起きた大騒動。
当時江川の交渉権は77年に指名したクラウン(78年10月から西武)にあっ
たが、巨人は野球協約上、会議前日はどの球団とも契約可能だとの
解釈を主張。セ・リーグの他球団は反発し、これを認めず、
鈴木龍二セ・リーグ会長(当時)は巨人の契約承認申請を却下した。
ドラフトでは阪神が江川の交渉権を獲得した。
金子鋭コミッショナーが2球団の間で超法規的なトレードを行うべきとする
「強い要望」を出した。これで一応“空白の一日”のけりはついた、
阪神が江川といったん契約して,巨人へトレードする案を提示。
両球団が応じ、巨人から交換要員として小林繁投手が阪神へ移籍した。
「世紀のトレード」から20年以上、互いに言葉を交わすことはなかったが、
清酒メーカー「黄桜」のCMで共演し2人は07年“再会”、江川氏が謝罪した。
『お互い大変だったな』と言われ、ホッとしたことを覚えています。
救われました。29年目の“和解”だった。
小林さんの控室で「元気でやれよ」と声をかけられた。それが2人にとって
最後の会話だったと、小林氏の早すぎる死を悼んだ。

球界のだれもが、「格好いい」のよく似合う、格好よすぎるコバさん、
若くして逝くのは早すぎると、多くの球界関係者、多くのフアンが残念だ、
と思いながら、亡き、小林 繁氏のご冥福をお祈りしましょう。