現在のところ、ミャンマーへの出入国はヤンゴンに限られていると言っても良い。
確かに、タイ国境から出入国できる場所はあることはあるが、
そこは行動範囲がその地区だけに限られているので、
ほかの地域に行くことはできない。
だから、旅行者はヤンゴンの戻らなければならないのだ。
ミャンマーに来たからには、ヤンゴンとマンダレイだけではもったいない。
マンダレイから船でイラワジ河を下りバガンという所に行くことにした。
なんでも、バガンはアンコールワット、ボロブドールと共に
世界三大仏教遺跡に数えられているそうだ。
アンコールワット、ボロブドールに行ったワタシとしては
ひとつだけ残して出国するわけには行かない。
行かねばなるまい!(笑)
マンダレイからバガンまでは飛行機で45分くらいだと言う。
「船」は十時間の河下りだ。
ワタシは「船」で行くことを選んだ。
船の運航もイラワジ河の水量、乗客数で「欠航」もあり得ると言われる。
マンダレイに到着して、すぐにホテルから問い合わせて貰ったら
「31日は運行します。大丈夫です」というので船で行くことにした。
31日、日本では大晦日の日だ。
午前7時半にタクシーでフェリー乗り場に向かった。
フェリー乗り場は、こんな感じで、
歩きで行ったらどこがフェリー乗り場か分からなかっただろう。
タクシーで行って「正解」だった。
続々と乗客がやってくる。
外人バッグパッカー、外人団体旅行客もやってくる。
フェリーはこれだ。
一階に客室、二階はオープンデッキと「レストラン」
三階はオープンデッキと「操舵室」だ。
「客室」は全席指定席だが、
天気が良いので、乗客はオープンデッキに行き椅子を占領する。
ここは「私の席よ」と、そこを離れる時も、椅子に荷物を置き
席を離れるので、ワタシなど座ることができない。
「客室」
デッキで「乗船証明写真」(笑)
船は午前八時の定刻に出港した。
イラワジ河の穏やかな流れ。船の揺れはない。
行き交う船を眺め
行き交う船に「NISSAN」という名前を見つけ、
船にまで日本の名前を付けんなよな~~~。(笑)
マンダレイの街を離れると、対岸にパゴダが見えたりする。
もう「パゴダはどこだ?」という状況ではなく、
「パゴダはどこにもアルダ」の状況だ。
鉄橋とパゴダ
操舵室の船長だそうだ(ダジャレ)
船長さんは乗客に気を使い、河沿いのパゴダがあればそれに近づき、
乗客相手の「物売り」がいれば、その対岸に近づくサービスがある。
バナナや肉まん売りの子どもたちが駆けより「バナナ、バナナ」と叫ぶ。
外人観光客はバナナを買い求め、お金を渡そうとした時に
船はその接近した艀(ハシケ)から遠ざかろうとする。
渡そうとした「紙幣」は子どもに届かず、風に舞い、河に落ちる。
子どもは残りのバナナを放り出し、紙幣を拾うため河に飛び込む。
無事お金を回収した子どもは笑顔で遠ざかる船に向かって
河の中から「バイバイ」と言って手を振る。
河の方が道路よりも交通の便が良い。
シェベルカーを乗せた運搬船、鋼材を積んだ運搬船
舗装状態の悪い道路より、河の方がはるかに勝っている。
壺を並べて積んだ「イカダ」船。
河なら「割れたり」しない。
時刻はお昼を過ぎた。
レストランは満員だったので、時間をずらして入った。
フライド・ヌードルとビール。
客室に戻り、ウトウトとまどろむ。
午後四時、デッキに出る。
対岸では仕事を終えた牛や人々が沐浴などしている。
のどかな日常なのだろう。
大分、陽が傾いてきた
船は午後六時にバガンの街ニュアング(Nuang)に到着予定だ。
日没は午後六時一五分頃を推測したので、
イラワジ河に沈む日没を見ることができないのだろうか?
船は日没直前に方向を変え、目的地に到着した。
ワタシは船から降りても、堤防の途中から日没を撮影するため
とどまった。
こうして、のんびりとバガンに到着した。
確かに、タイ国境から出入国できる場所はあることはあるが、
そこは行動範囲がその地区だけに限られているので、
ほかの地域に行くことはできない。
だから、旅行者はヤンゴンの戻らなければならないのだ。
ミャンマーに来たからには、ヤンゴンとマンダレイだけではもったいない。
マンダレイから船でイラワジ河を下りバガンという所に行くことにした。
なんでも、バガンはアンコールワット、ボロブドールと共に
世界三大仏教遺跡に数えられているそうだ。
アンコールワット、ボロブドールに行ったワタシとしては
ひとつだけ残して出国するわけには行かない。
行かねばなるまい!(笑)
マンダレイからバガンまでは飛行機で45分くらいだと言う。
「船」は十時間の河下りだ。
ワタシは「船」で行くことを選んだ。
船の運航もイラワジ河の水量、乗客数で「欠航」もあり得ると言われる。
マンダレイに到着して、すぐにホテルから問い合わせて貰ったら
「31日は運行します。大丈夫です」というので船で行くことにした。
31日、日本では大晦日の日だ。
午前7時半にタクシーでフェリー乗り場に向かった。
フェリー乗り場は、こんな感じで、
歩きで行ったらどこがフェリー乗り場か分からなかっただろう。
タクシーで行って「正解」だった。
続々と乗客がやってくる。
外人バッグパッカー、外人団体旅行客もやってくる。
フェリーはこれだ。
一階に客室、二階はオープンデッキと「レストラン」
三階はオープンデッキと「操舵室」だ。
「客室」は全席指定席だが、
天気が良いので、乗客はオープンデッキに行き椅子を占領する。
ここは「私の席よ」と、そこを離れる時も、椅子に荷物を置き
席を離れるので、ワタシなど座ることができない。
「客室」
デッキで「乗船証明写真」(笑)
船は午前八時の定刻に出港した。
イラワジ河の穏やかな流れ。船の揺れはない。
行き交う船を眺め
行き交う船に「NISSAN」という名前を見つけ、
船にまで日本の名前を付けんなよな~~~。(笑)
マンダレイの街を離れると、対岸にパゴダが見えたりする。
もう「パゴダはどこだ?」という状況ではなく、
「パゴダはどこにもアルダ」の状況だ。
鉄橋とパゴダ
操舵室の船長だそうだ(ダジャレ)
船長さんは乗客に気を使い、河沿いのパゴダがあればそれに近づき、
乗客相手の「物売り」がいれば、その対岸に近づくサービスがある。
バナナや肉まん売りの子どもたちが駆けより「バナナ、バナナ」と叫ぶ。
外人観光客はバナナを買い求め、お金を渡そうとした時に
船はその接近した艀(ハシケ)から遠ざかろうとする。
渡そうとした「紙幣」は子どもに届かず、風に舞い、河に落ちる。
子どもは残りのバナナを放り出し、紙幣を拾うため河に飛び込む。
無事お金を回収した子どもは笑顔で遠ざかる船に向かって
河の中から「バイバイ」と言って手を振る。
河の方が道路よりも交通の便が良い。
シェベルカーを乗せた運搬船、鋼材を積んだ運搬船
舗装状態の悪い道路より、河の方がはるかに勝っている。
壺を並べて積んだ「イカダ」船。
河なら「割れたり」しない。
時刻はお昼を過ぎた。
レストランは満員だったので、時間をずらして入った。
フライド・ヌードルとビール。
客室に戻り、ウトウトとまどろむ。
午後四時、デッキに出る。
対岸では仕事を終えた牛や人々が沐浴などしている。
のどかな日常なのだろう。
大分、陽が傾いてきた
船は午後六時にバガンの街ニュアング(Nuang)に到着予定だ。
日没は午後六時一五分頃を推測したので、
イラワジ河に沈む日没を見ることができないのだろうか?
船は日没直前に方向を変え、目的地に到着した。
ワタシは船から降りても、堤防の途中から日没を撮影するため
とどまった。
こうして、のんびりとバガンに到着した。