徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ータイ・少数部族 首長族ー1月19日

2012年01月20日 | タイ
そのカレン族の村から、再び車でチェンマイ方向に戻ります。

  途中、チェンダオ・ケーブという鍾乳洞に寄ります。

      
      
      
      鍾乳洞の中にも「リクライニング・仏陀」さんがいます。

      で、ここでお食事。
      
      
      辛くなくて助かりました!
      外人二人対日本人二人というのは、ツライものがあります。
      「英語の苦手」なワタシとしては「場が持てない」のです。
      
      話しかけられないよう、ただひたすら食べることに集中している
      ふりをします。(笑)

      心のなかでは「食べる時くらい、黙って食べろ!」と念じながら・・・

   食事が終わり、「首長族」の村に行くのですが、
   カナダ人のおっさんの「しつこい」写真撮影と買い物のために
   時間が押せ押せになっています。集合時間に必ず遅れるのです。

   大勢の団体だったら、遅れてた場合、おいてけぼりになる可能性もありますが
   たった4人の団体ですから、遅れた人が誰だかすぐ分かるので
   「置いてゆくわけ」にはゆきません。

   「首長族」の村に到着しました。
      
      村と言うよりは、土産物バザールです。

     そもそも、「首長族」とは「カレン族」の部族のバダウン族で
     女性が逃げないよう首に真鍮を撒いたのが始まりと伝えられています。

     男の「首長」はいない。

     男女、子どもなどの一族が全員「首輪」をして首が長ければ
     「首長族」の称号を与えてもよいのだが・・・・(笑)

     で、今、ワタシは「土産物バザール」と書きましたが
     まったく、その通りで、観光客慣れしていて
     写真を撮らせてくれます。
       
       
       
       子どもも5歳頃から巻き始めます。
       1本の真鍮をコイル状に巻きます。

       コイル状に巻くということは、「取ることができる」と
       いうことですね。

       だから、寝る時、取ることが出来るかもですよね。

       でも、寝る時に首が長くなって支えるものがないと
       大変じゃないかと心配するでしょう?

       でも、心配いりませんよ。

       整形外科医がレントゲンで獲って調べたら、
       首の長さは普通の人と違わないんだって!

       ただ、真鍮の重さで肩に位置が下がっているだけなんだって!(笑)

      そう言えば、アフリカの部族でも首に輪っかをしている部族が
      いますね。ジャンプする部族。

      あれもコイル状に巻いているのかな~~~~。

      このバザールには「首長族」だけじゃなく、
      「耳長族」(なんだか、首長に対抗して付けた名前のようだが)
       
       イヤリングの穴が大きい。
       ついでにですが、このお姉さんの写真はあちこちの
       ブログで見ることができる有名人(笑)

      で、若い人
       
       
      しかし、ここも結局は観光地で
      
      アカ族の人もいれば、(この人は若い!)
      と言っても40歳代くらいかも?(笑)
      
      写真写りは逆光で良く見えないが、
      ミエン族(ヤオ族の)の衣装を着た人もいる。
      シャレではない、偶然逆光だったので、あまりミエン!(笑)

      結局はここも「観光地」で、各部族の「衣装」を着ている感じだ。

      観光客が帰った後は、「ああ~~、今日も一日終わった」と
      いう感じで
      
      この家というか住宅に帰るのかも知れない。
      徘徊老人はバザール風の店から、丘の上にある住宅を発見し
      そこに行った。
      道路も舗装されていた。(笑)

      ここには大勢の観光客が訪れる。

      ロシア語の話すグループは「バザールか?だったら見る必要はない」と
      言ってバザールには入らず「首長族」も見ずに帰ったし、

      アラビア語を話す男女の若者の一団(20人くらい)は缶ビールを
      飲みながら、煙草を吸いながら「ツーショット」を撮り
      撮影代として100バーツを渡したりしていた。

      まったく、観光地の見世物だ。

   丁度、ワタシは「秘境探検」のノンフィクション『空白の五マイル』を
   読んでいる最中だったため、落胆はひどかった。

   でも、ライトバンに乗って「秘境探検」はないよね、と反省。

   
             

       
       

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ータイ・少数部族の村へー1月19日

2012年01月20日 | タイ
チェンマイまで来ると、この街からの観光ツアーが盛り沢山だ。

 トレッキング・ツアーあり、少数部族の村巡りツアーあり、
 ゴールデントライアングル・ツアーありだ。

 30年くらい前までは、チェンマイ以北は「秘境」でケシの花栽培で
 麻薬を作る場所だったのだ。

 今ではすっかりインフラが整い、国境までチェンマイから車で2時間くらいで
 行くことができる。

 ワタシは「One day Hill traibe Villages Tour」に申し込んだ。

 これは、チェンマイからチェンライまで北上し、
 カレン族の少数部族の村と「首長族」の村をめぐるツアーだ。

   当日のメンバーは カナダ人のおっさん   1名
            オーストラリア人の女性 1名
            日本人の妙齢をずーっと過ぎた女性 1名
            日本人の徘徊老人(ワタシ)    1名だ。

   車はチェンマイから3時間ほど北上し、カレン族の村に到着した。
      
      
      
       山に囲まれた静かな雰囲気の村だ。
       高床式の建物だ。
       庭では
       
       子豚がトウモロコシを食べていて
       
       アヒルのお母さんは予期せぬではない、またか~~~、
       変なのが来たよと警戒する。

      
      
      
      お湯は「かまど」で沸かしていた。

     ガイドは「電気が来ていない」と言っていた。

     だが、ワタシは村のあちこち徘徊し、見てしまった!(笑)
     家を建設中の作業小屋では材木を電動ノコで切断していたし、
     電信柱も、電線もあったし、
     「パラボラアンテナ」もあった!(笑)

     だから、木でお湯を沸かしているのは「観光用」かも・・・。

     カレン族については、日本の新聞でもつい最近ニュースで
     報道されたと思う。

     カレン民族同盟とミャンマー政府は「停戦に合意」したのが
     今年の1月12日のことだ。

     で、カレン族ってなんだ?というと
     タイ北部・西部からミャンマー東部・南部にかけて居住する民族の
     ことだそうです。
     ミャンマーに350万人、タイに40万人いるそうで
     特にミャンマーの軍事政府は民族浄化と開発の名目でカレン族を弾圧し
     それに抵抗してカレン民族同盟や民族解放軍が
     抵抗を続けていたのです。

      いつものことですが、詳しいことは自分で調べてくださいね。

     そこで、訪れたこの村ですが、

     女性はまったく観光客用なのです。(笑)

     私たちが行くと 群がって来ます。
        
       土産物の販売が終わると、バイクに乗って家に戻ります。(笑)

       特に、今回のツアーのグル―プでは外人さんだけが
       「お土産」を買い、日本人の二人は何も買いません。

      この人たちは「比較的若く」(笑)、家事でもあるのでしょう、

      商売にならないから、サーッとバイクで引き上げてゆきます。(笑)

      そのバイクに乗って行く距離の短いこと短いこと!

     「歩いてゆけよ!」と言う距離!(笑)

      ここの集落には「アカ族」の人もいます。
        
        雲南省のシーサパンナから流れて来た人たちです。
        カナダ人のおっさんは「お土産」を買い、
        このように「囲まれる」のが好きらしく、
        ガイドにカメラを持たせて、その姿を写真に撮らせます。
        
        
        「アカ族」の婆さん(みんな婆さんデス)を並ばせて
        写真を撮ったりします。
        並ばせた時、ワタシが後ろに居たら
        「邪魔だ」と言われました!(苦笑)

        そして「写真撮影費」を婆さんたちに払います。
        
        ワタシはそれに便乗して、写真を撮ります。
        「撮影代」を要求されたら、
        「あのおっさんが払ったでしょ」と答えるのでした。(笑)

       でも、タダで撮る方法というのはあるのです。
        
        そうです。子どもを撮るのです。
        撮った映像を子どもに見せると、子どもも家族も喜びます。
        
        
        お婆ちゃんは「どうぞ、どうぞ」と言って写真を撮らせてくれました。

        
        家にキリストの絵のカレンダーがありました。
        近くに
        
        教会もありましたし、サッカー用のグラウンドもありました。

        子ども達は学校ですし、男たちは働きにでているのでしょう。
        あるいは「畑仕事」です。

        畑にはスプリンクラーで散水が行われていました。

        と言う訳で、村に残っているのは「婆さん」だけで
        これは「婆さんの副業」ということなのでしょう。
        
        
        
       

       

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ータイ・チェンマイでインド・ビザ申請ー1月18日

2012年01月20日 | タイ
バンコクからタイ・エアーでチェンマイにやって来た。
1月26日にバンコクからバングラデシュのダッカに飛ぶ予定だ。
バングラデシュの「ビザ」は取得済みなので、問題はないが、
バングラデシュからインドに入るのに、「インド・ビザ」が必要だ。

  いろいろ調べてみると、インド・ビザを取得するには、どこの国でも
 1週間はかかることが分かった。

  ダッカで1週間かぁ~~~~?

  バングラデシュは 暑いしな~~~~。

 で、いろいろ調べてみると、チェンマイにもインド領事館があり
 ここでもビザを発給してくれる。

 そして、あの役人顔して「横柄」な態度ではなく、親切に対応してくれるとの
 情報だ。

 バンコクのビザ発給センターで何時間も並んで、書類不備で突き返されるより
 涼しいチェンマイでビザ申請することにした。

  チェンマイの宿は滞在型ホテルというかマンションだ。
      
     
      実際に名前は Viang Bua Mansion という。

     
      部屋は広くゆったりした2Kだ。
      これで1泊 2400円(朝食付き)だ。

    そして驚いたことに、日本人の長期滞在者や旅行者が多いということだ。

    それも高齢者が多い。

    ここでゴルフ三昧の人や老夫婦で旅行中の人などだ。

    バックパッカーのワタシにはそぐわない感じの宿だ。(苦笑)

    そうそう、インド・ビザだった。

    必要書類を調べてみると

         写真               2枚
         パスポートのコピー        1枚
         パスポートに押印されたタイ入国と
         出国カードのページのコピー    1枚
         ビザ申請書            1通(領事館で)
      が必要だ。

    そしてインド領事館の場所だが、イマイチ良く分からない。
    調べてみると、移転を繰り返していたのだ。
    結局、チェンマイ駅から北に延びるThuang Hotel Road を北上し
    工業センターの向かいの小さな建物がインド領事館だ。

    翌朝、トゥクトゥクでチェンマイ駅まで行った。
      
      駅では丁度バンコクからの列車が到着したばかりで
      大勢のバックパッカーが降りて来た。
      それに群がる客引き。

      しばらく眺めていて、徒歩でインド領事館に向かった。

      20分くらい歩くとインド領事館に到着した。
 
      申請者は数人で、まず受付のタイ人女性に必要書類をチェックして
      もらう。

      不備があると、たとえばコピーが不備だと、
      親切に「外にでて、しばらく行くとコピー屋がある」などと教えてくれる。

      書類が完備して、初めて「ビザ申請書」を呉れる。

     で、それに記入し、再び彼女のチェックを受けて、
     いったん受理される。

     その受理された書類を今度はインド人領事館職員がチェックする。

     その職員にワタシは呼ばれた。

      「ツーリスト・ビザで 3回入国はできないです。
       3回入国の場合は2ヶ月間はインド以外の国に居て
       2ヶ月後でなければ再入国できません」と言われた。

      「え~~~~っ」

     インドに入国し、スリランカとネパールに行く予定のワタシは
     「うそっ~~~~!」

        これを「2ヶ月間ルール」と言うらしい。

     久しくインドに行っていないワタシは知らなかった。

     インド人スタッフは
       「ダブル・ビザなら問題ないですが、
        その場合、旅行計画書を提出してください」と言う。

     そんなもの決まってない!

     「だいたいで良いから、計画書を書いて、ダブル・エントリーを
     希望しますという要望書を書いてください」

     そこで、ヒンディー語の公式文書(ビジネス・レター)の書き方を
     思い出しながら書いて提出した。

    インド人スタッフは驚いて、
    「あなたはヒンディー語を書けるのですか!これで良いでしょう」と言った。

   そして来週の水曜日にビザを取りに来てくださいとヒンディー語で
   言ってくれたが、ワタシは「シマッタ!」と思った。

   なぜならば、申請書の「渡印歴」の欄に2006年に5日間とだけ書いた
   からだ。

   5日間しかインドに行ったことのない人間が公式文書を書ける訳がない
   と疑われたらどうしよう!

   虚偽の申請だ! などと言われたら! (なんてワタシは小心者か!)

   でも、PCでだけで文章を綴っているワタシにとって
   手書きで英文の文書なんて無理だ。
   スペルを間違う。
   それだけではない、日本語だって手書きでは漢字が書けない。

   そう言う訳で、親切に対応して貰い、領事館を出た。

   しばらく歩いていて「ハタ」と気が付いた。

   来週の水曜日は25日だ。

   ダッカ行きの飛行機は26日だ!

   どうする・どうする。

   あせらない主義のワタシはダッカ行きを1日延ばした。

   手数料は50バーツ。(150円)

   ほっ!

   
       

  

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