徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ーバングラデッシュ・ダッカでワタシも考えたー

2012年01月31日 | 南アジア
バザール徘徊から一転して、バングラデッシュの初代首相のシェーク・ムジブル・ラーマンのメモリアル・ミュージアムに行くことにした。
そのミュージアムは「バンガボンドゥ・メモリアル・ミュージアム」という名前だ。

  オールド・ダッカからオートリキシャを捕まえ、ベンガル語で書いた
 行き先を運転手に見せても、不思議そうな顔をする。

  字が読めない運転手だった。ローマ字はダメだと思ってベンガル語で書いて
 貰ったが、運転手の中には字が読めない人もいるのだった。

  ラーマン元首相の通り名である「バンガボンドゥ・バブー」と言えば通じたかも
しれないのだが、「メモリアルなんたらかんたら」と続くので、彼には分からないのだった。
  近くでワタシとのやり取りを聞いていた人が、行きかたを説明してくれたので
 やっと出発できた。

   オートリキシャの運転手は分かったふりをして出発したが、
 「ここだ」と言われた所で降りて、その辺の人に尋ねると「もっと向こうだ」と言う。

 親切な青年が、ここからリキシャで行った方がよいと言って、
 リキシャの車夫に行き先と
 値段(25タカ=25円)まで決めてくれた。

 そこから結構な距離だった。

 そして到着した場所は
     
     シェーク・ムジブル・ラーマンの住んでいた住居だった。

    バングラデッシュは、バングラデッシュという名の独立国家と承認される
    以前はパキスタンという国のなかの東パキスタンと言った。
    1947年の印パ分離独立の際、
    ムスリム国家のパキスタンはインドを真ん中にして
    西パキスタン(現在のパキスタン)と東パキスタンという名前の
    ひとつの国になったのでした。だが、地理的にも経済的にも、政治的にも
    問題を抱えており、ラーマンは東パキスタンの人民を掌握し、
    1971年の12月にパキスタンから分離独立し、バングラデッシュとして
    初代首相に就任したのだった。

    いつものことですが、ワタシの説明に間違いがあるかも知れませんので
    バングラデッシュのことは御自分で調べてくださいね。

    そして、ラーマン首相は1975年8月15日に軍将校による
    クーデターで自宅2階の階段で殺害されたのだった。

    その住居が「バガボンドゥ・メモリアル・ミュージアム」として
    公開されているのだ。
    入場料は 5タカ(5円)。
    写真撮影は禁止だ。
    殺害された2階の階段も「立入禁止」だ。
    この時、居合わせた家族も殺害されたが、イギリスに留学していた
    娘のシェイク・ハシナ(現バングラデッシュ首相)だけは殺害をまぬがれた。

    このクーデターにはCIA工作員がかかわっていたとも言われている。

    住居の向かいには
       
       
       シェーク・ムジブル・ラーマン元首相の碑がある。

     これまで数度に渡るクーデターを繰り返し、首相が変わって来たが
    現在は一見平穏、民主的な政治運営がなされているように見える。

   昨日(1月30日)には
    ダッカで、各政党によるデモが行われ
      
      BNP(バングラデッシュ民族主義党=国民党とも言う)の1万2千人の
      デモ隊と警察鎮圧隊が衝突し、警官19名を含む80名が負傷。
      1名が警官の銃に撃たれて死亡した。
       新聞の右上。

      
      一昨日はダッカに近い街でもデモ隊と警官が衝突した。

     このところ、各政党がデモを展開している。

     最近、バングラデシュに来たばかりのワタシには
     その深い理由は分からない。
     英字新聞に「Caretaker Government System に抗議して」という
     説明があってもの、なんのことかワタシには分からない。

     そういうことで、今日(31日)は、午前中「ハルタール」(スト)が
     行われるようだ。

     う~~~~ん、政治も混とん

    ワタシも椎名誠のように『わしもインドで考えた』みたいに
    バングラデッシュで考えようとしたが、考えが纏まらない。(笑)
    考えると頭が痛くなるので考えるのはやめよう。

    持ち前の「危険を察知」する「小動物的感」から、昨日、ワタシは
    都心には出なかった。だから、デモ隊との衝突も目撃しなかったが、
      
      オンボロバスが乗用車と衝突するのを避けて中央分離帯に
      乗り上げる事故は目撃した。(笑)

      
      これはワタシが宿泊したホテルだ。
      サービス・アパートメントだと言う。
      確かに、マンションを改造した感じだが、
      バスタブもあり、お湯もよく出た。
      
      ホテルの前は湖で、前回グルシャン湖と書いたが、
      ボナニ湖が正しい。
      夕方には
      
      スモッグに汚れたダッカの街の向こうに落ちる夕陽が美しい。

      今日(1月31日)、午後の飛行機でインドのコルカタ(カルカッタ)に
      向かう。

      ダッカよさようなら・・・・・
            
    
      
   

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーバングラデシュのダッカ徘徊 その2ー

2012年01月31日 | 南アジア
ダッカのバザールを歩いていても、外国人旅行者には会わない。

日本人にも会わない。

しかし、バングラデシュと言うと日本からのNGO活動などが盛んだ。

井戸掘り、衛生観念の普及活動、民芸品を作成して自立する活動支援、
学校建設などなど。

して、インターネットで調べてみると、NGOなどが「スターディー・ツアー」と
いう名でバングラデッシュにやってくる人々は多いみたいだ。

 あの「ユニクロ」は、バングラデシュに「生産工場」を建てるという
「表明」をしたことも記憶に新しい。

 みな、まじめにバングラデッシュのために活動しているのだね~~~。

ワタシのように、ぶら~~~とダッカのバザールを歩いているのは
少ないようだ。

 で、みな真面目に活動しているので、
 外人相手の「ポン引き」などいないと思ったら
ちゃんと「ポン引き」氏は活動しておりました。

 180円の夕食を終え、ぶらぶら歩いていると
    
     アルコール類は置いてないのでペプシで、ご飯を流し込む。
    
  ポン引き氏は某一流ホテルのそばの暗がりの路地から現れて
  「女、マッサージ、クスリ、あるよ」
  ワタシ
   「無言」
  「日本人じゃないの?」
  「・・・・・・」
  「マレーシアン?」(英語で)
  「・・・・・・」
  「ネパーリー?」
  「アミ・ジャパニ」
  「おんな ダメ? マッサージ ダメ? クスリ ダメ?」
  「ダメ!」
  「タバコ 吸う?」
  「タバコ 吸わない」
  「あなた 完璧な人ね」
  「あんた、ダッカで日本人の客などいるの?」
  「いるよ! 私のボス日本人よ!」
  「なに~~っ? 日本人?」
  「川崎出身よ!」

   なんてこったい!

   その川崎出身の日本人は、このような仕事も雇用促進のひとつとして
   バングラデッシュのために役立つと思い商売しているのだろうか?(笑)

  ワタシの方が質問攻めにしそうな気配を感じて、ポン引き氏は踵を返した。

   さて、昨日の続きだ・・・・・
   
     

     ピンク・パレスの外側を歩いてみた。
    外側は果物市場となっており
     
     マンゴーやナシ、リンゴ、ブドウなど売られている。
     リンゴは中国産だ。
     
     床屋もある

     市場通りは川に面している。
     
     川遊びしたり(クルーズだ!笑)や、対岸に渡るフェリーがあったり
     夜にはクルーズ(笑)船も出るようだ。

     
     だから、川遊びする人を待つ、船の船頭さんたち。

     しかし、川はものすごく汚い。黒い川だ。
     さらさらと流れる川ではなく、なんだか油が流れているような川だ。

     
     リキシャが川遊びから帰る乗客を待つ。
     
      夜になると、こんなクルーズ船が出るのだろう。

     対岸から来たフェリーから降ろされた壺の中は
     
     壺の中は「ダヒー」(ヨーグルト)かと思ったら、牛乳だった。
     
     その壺を並べて、落ちないようにヒモを掛けて運ぶ。
     

     
     
     

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