徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ーミャンマー・ヤンゴンからマンダレイ汽車の旅 ②-

2012年01月05日 | インドシナ3国
 翌朝(12月29日)、ホテルのレストランでイヤのものを見た。

 ホテルは朝食込なので、朝、レストラン(食堂と呼んだ方が正しい)で
 簡単なブッフェ形式の朝食を食べていると、
 六十歳代の日本人男性と十四・五歳のミャンマー人少女が近くのテーブルに
 着いた。
 男性は中小企業の社長風のでっぷりとした男性だ。会社じゃ「強面」で「やり手」
 なのだろうが、今、このテーブルではだらしなく、しまりのない顔をしている。

     明らかに、少女買春だ。

 「年末も仕事で海外に出かけるのだ」とでも言って出て来たのだろう。

 もう一人の仲間の男性も、同様に少女を連れている。

   なんとも! 自分の孫みたいな少女を買って・・・・!

 同じ年代の女性を買って見ろっ! と言いたいところだが・・・・(笑)

 ワタシは午前中 ヤンゴンの町をぶらぶらし、
 出発1時間前にヤンゴン駅に向かった。

  列車は定刻通り午後5時に発車した。
      

      
      
    
     列車は頻繁には走っていないので
      
     駅ではこんな光景がみられる。

     それにしても「横揺れ」がひどい。そして「横揺れ」だけではなく
     それに「縦揺れ」が加わるのだ。

     まるで、漁船に乗っているかのようだ。

     窓際のテーブルにペットボトルを置いておくと揺れで落下するのだ。

     これは、下手をすると「乗り物酔い」をする。
     静かに横たわっていたほうが得策だ。

     寝台車のコンパートメントの同室者は「僧侶」だ。
     位が高そうだ。英語は単語を少々知っている程度。
     日本語は「どうもありがとうございます」という言葉を知っている。
     上部座仏教では「僧侶」は「ありがとう」を言わないものだそうだが
     この「僧侶」は「ありがとう」だけ知っている。(笑)
     荷物も5個ほど持っている。
     買い出し担当係長クラスか?(笑)

     この坊さんは、
     列車が発車すると「即」「涅槃佛」(リクライニング)!(笑)
     ワタシも「涅槃佛」(笑)

     列車には食堂車が付いおり、係員が注文を伺いに来る。
     坊さんもワタシも断る。

     車内販売も来る。ビールも売っている。
     だが、ワタシは断る。
     坊さんの前でビールを飲むわけにはゆかないし
     ビールを飲むとトイレに行かなければならないからだ。

     この横揺れと縦揺れでは、トイレが一番困る。

     「小」の放物線が、まるで消防で放水するように
      大揺れに揺れて、目的物の穴に命中せずに付近に落下する。

     列車がスピードを落として横揺れが少なくなった時に
     「今だ!」と言わんばかりに「トイレ」に行かなければならない。

     ましてや「大」など、しゃがんで出来はしない。
     女性なども、同様で、しゃがんでなんかいられない。
     男性はジーンズでも、前のチャックを下げて、「放出」すればよいが、
     女性の場合、ジーンズを降ろし、下着を下げて、
     などしているうちに、横揺れで壁に激突してしまうだろう。
     だから、腰巻(ロンジー)が便利なのだね~~~。(笑)

        
       どうです、列車が傾いているでしょう!
       脱線しないのが不思議です。(笑)
       
        
       
       
       普通車の車内 

       
       お坊さん、写真を撮らせてと言ったら、
       坊さんらしく座った。

       この坊さんは、朝、トーストを2枚注文し、1枚をワタシに
       食べるように言ったが、「喜捨」を受ける側の坊さんから
       「喜捨」をする側の普通の人が「喜捨」を受けてはならないので
       ワタシは断り、自分で持参した食パンを食べた。

       
        坊さんにデジカメを渡して、写真を撮ってもらった。(笑)

       
       マンダレイの駅に到着した。

      ヤンゴンを午後5時に発車し、マンダレイには翌日の午前9時に
      到着した。16時間の列車の旅だった。

     坊さんの荷物は使いの者がやって来て背負い、坊さんは手ぶらで
     「グッド・バイ」と言って去って行った。

     ワタシはバッグパックを背負い、徒歩で宿に向かった。

     「露ちゃん」の住んでいた街に到着したのだ。
                   

   

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーミャンマー・ヤンゴンからマンダレイまで汽車の旅ー

2012年01月05日 | インドシナ3国
ヤンゴンに到着してしなければならないことは、宿の手配と列車の手配だ。

 数年前まで、ミャンマーを旅するには、「強制両替」や「旅行日程表提出」など
 さまざまな制限があった。

 その制限がなくなったものの、最近乱立気味の「ゲストハウス」以外の
 ホテルは、直接フロントに行って、宿泊申し込みをすると高くつくそうだ。

 そこで、ヤンゴン空港に到着後、タクシーで「旅行代理店」に向かった。

  英語と日本語のできる旅行代理店で今夜の宿、マンダレイの宿、バガンの宿
  バガンからヤンゴンに戻る飛行機のチケット、ヤンゴンの宿の
  手配をお願いした。

  そこで「ホテルバウチャー」(朝食込)を作ってもらい、
  それをホテルに提出するだけだ。
  もちろん、料金は旅行代理店に支払うので、ホテルで支払う必要はない。

  いずれも30ドル(2300円前後)のホテルだ。

  明日、列車でマンダレーに向かうと言うと、列車の切符の手配はできないので
  自分でしてくださいとのこと。
  そして、列車は「横揺れがひどいので飛行機をおすすめします」と言うのを
  「いや、ワタシはどうしても列車で行きます」と。

  一日目のホテルに荷を解き、早速、明日の列車の予約に駅に出かける。

      
  駅裏の映画館の前で、日本語のできる自称ガイドに声を掛けられる。
  こういう時は注意が必要だ。
  ましてや、彼はインド系だ。しつこい。
     「どこに行くのですか?」
     「駅」
     「なにしに?」
     「予約しに」
     「お手伝いしましょうか?」
     「いらない」
     「大丈夫です。私通訳します」
     「いらない」
     「お金いりません」
     「いらない」
     「いや、お手伝いさせてください」
   
    この会話、彼は日本語、ワタシは英語。
    英語と言っても「簡単英語」だもんね~~~。(笑)

     とうとう、彼はワタシについて来て、予約窓口で翌日の
     午後5時発 マンダレイ行 寝台車の予約をしてくれた。

     「ところで、君 インド人?」
     「はい、そうです。ヤンゴンで生まれたインド人です」
     「タミル人かい?」
     「はい、タミル人です」
     「ワレッカム」(こんにちは)
     「なんで、タミル語を知っているんですか?」
     「35年くらい前、インドに住んでいた」
     「私の生まれる前ですね」
     「君のお母さんより私は年上だろうね」

     だいたい、ここまでの会話で彼はワタシから「お手伝い料」を
     取ることを断念したようだ。

     「サンキュー」と言うと、
     「なにかあったら、私に電話してください」と名刺をくれたが
      その名刺には旅行会社の名前が印刷してあったが
      彼の名前はなかった。

      こうして、ミャンマー到着の一日目は非常に順調にことが
      進んだ。

      軍事政権下のミャンマーは、先入観では、「ヤバイ国」と
      思っていたが、みなやさしい。
     

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