先日の国府台歩きで思い出したこと。
私の父は戦争中、市川の国府台練兵隊にいたらしい。
小学生の頃聞いた話しでは、その練兵隊の運転手に任命され偉い方付きの
運転手として働いていたようだ。
父は富山の出身だが、東京へ出て働きながら運転免許をすぐ取った。
なにしろ本人、新し物好き! いろんな事に興味津津なので20才になる
とすぐ免許を取るし、地下鉄が開通するといの一番に乗ったらしいのだ。
父も自慢し、母も呆れて言ってたので本当だろう。
でも、その身に付けた技能が身を助けたのだ。
そのころ免許など持ってる人は少数だったので、厳しい軍隊でも少しだけ
優遇されていたらしい。
その内に、偉い方が変わって、たまたま仕事上の知り合いが上司になった。
父の話しでは、その方の口ききで終戦前に除隊になったので、助かった!
戦後も感謝の気持ちでお付き合いが続いた。家にもみえたような気がする。
その除隊の時の話が面白くて、今でも見たように記憶してる。
そのころ、家は墨田区にあったが、家族は富山へ疎開していた。
その日、国府台の練兵場をでると、嬉しくてまず綺麗になろうと近くの江
戸川へ褌一丁でザボンと入り、支給されたシャボンで体中を洗いまくった
そうだ。
私たち子どもは、笑い転げてそんな話しを聞いたものだが、いまになって
みるともっとよく話しを聞いておけばよかった。
戦後、墨田区の家は焼けてしまったので、なんと市川に住むことになった。
小学校の頃は、毎年お花見で会社ぐるみ里見公園に行って楽しかった記憶
がある。
そういえば、そういう時の里見公園は怖くなかったなあ~~
人がいっぱい居たからだろうか?
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