運命を嘆くな…
ローマの皇帝アウレーリウスが千年以上昔に書いた『自省録』にはこう書いてある。
運命というのは、生まれつき才能がないとか、家が貧しいとか、周りに理解者や助けてくれる人がいないという、他人は持っているのに自分が持っていないと思うようなことだ。
自分の力ではどうしようもない。
よろしい、確かにそうなのだろう。
しかし、
アウレーリウスはこう続ける。
親切にすることはできる。
誠実であることはできる。
勤勉であるとか、享楽的にすごさないとか、真面目であるということは、誰もが今すぐにでも実行できる。
これらのことについては、自分には才能がないなどとはいえない。
どれも、その人自身の気持ちしだいなのだから。
それなのに、君は能力がないからといって運命を嘆き、ぶつぶついったり、おべっかを使ったり、人に取り入ったり、自分の体にあたり散らしてそんなにも心をみださなくてはならないのか。
否、神々に誓って否。
今すでに君は沢山の徳を発揮することができる。
それを発揮せよ…
その通りだ。
誰にでも、どんな時でも、できることはある。
ここにヒントがある。
2010.03.07.
ローマの皇帝アウレーリウスが千年以上昔に書いた『自省録』にはこう書いてある。
運命というのは、生まれつき才能がないとか、家が貧しいとか、周りに理解者や助けてくれる人がいないという、他人は持っているのに自分が持っていないと思うようなことだ。
自分の力ではどうしようもない。
よろしい、確かにそうなのだろう。
しかし、
アウレーリウスはこう続ける。
親切にすることはできる。
誠実であることはできる。
勤勉であるとか、享楽的にすごさないとか、真面目であるということは、誰もが今すぐにでも実行できる。
これらのことについては、自分には才能がないなどとはいえない。
どれも、その人自身の気持ちしだいなのだから。
それなのに、君は能力がないからといって運命を嘆き、ぶつぶついったり、おべっかを使ったり、人に取り入ったり、自分の体にあたり散らしてそんなにも心をみださなくてはならないのか。
否、神々に誓って否。
今すでに君は沢山の徳を発揮することができる。
それを発揮せよ…
その通りだ。
誰にでも、どんな時でも、できることはある。
ここにヒントがある。
2010.03.07.
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