私的図書館

本好き人の365日

たくさんの風船

2010-09-04 23:59:00 | 本と日常
体に風船がつながっているイメージがふいにわきました。

部屋で横になってテレビを見ている時。

洗面所で歯を磨きながら鏡に映った自分の顔と対面している時。

体に風船がつながっていて、少し上に浮かんでいる。

それは他人とのきずなで、生まれた時から人と出会う度に風船はどんどん体につながっていく。

子供の頃は母親と父親の分。

おじいちゃんやおばあちゃん、もしかしたら兄妹の分。

大きくなるにしたがって、友達や仕事仲間、恋人なんかの分がどんどん増えていくのだけれど、その風船の糸は自分で切ることもできる。

その風船のおかげで少しだけ体が浮いているので、たくさん風船のつながっている人はまるで月面を歩いているかのように大きくジャンプすることもできる。

子供は体が小さいので、それこそ飛ぶことだって可能。

だけど、中には自分でその糸を切ってしまう人もいる。

じゃまくさいとか、めんどくさいとか。

また、糸がほつれて切れてしまうことだってある。

鳴らなくなった携帯電話とか、連絡先も知らない友達とか。

本人は気が付いていないけれど、風船が少なくなればなるほど、歩くのは遅くなるし、転ぶとその衝撃をやわらげてくれるには浮力が足りなくなる。

生きることが重くなる。

マンションの一室で、横になってテレビを見ながら、バラエティー番組を見て笑ってはいるけれど、その体には赤い風船が一つしかつながっていなかったりする。

もう空を飛ぶことができたってことも忘れている。

道行く人の頭の上に、それぞれいろいろな色の風船が浮かんでいる。

それは家族だったり、知り合いだったり、友達だったり、恋人の分の風船かも知れない。

たまに糸がもつれたり、行く手を阻むこともある。

いいことばかりとは限らない。

ある男は空を見る。

自分の思うように生きてきたつもりだけれど、風船はどんどん増えていくものだから、自分でどんどん切っているうちに、いつの間にか一つだけになってしまった。

残っていると思っていた風船も、自分が見ていないうちにどこかに飛んで行ってしまった。

今では体が重くて一歩も踏み出すことができない。

しかし男は気が付いていない。

男の手には自分の体につなげることはできないけれど、他人の体にはつなげることのできる風船がたくさん握られているってことに。

そして自分だってたくさんの人に風船をつなげることができるってことに。





…そんなイメージがふいに浮かび、ちょっと反省しました。

自分もずいぶん風船を切ってきてしまったなぁ、って。

風船は目には見えないけれど、きっとつながったその人が歩くのを、そっと支えているんだろうなぁ、って。

これは何の精神的兆候?

もうお風呂に入って寝ることにします。

明日から頑張ろう。