無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ある音楽家の作風の推移にはストーリーがあり、その人生にもストーリーがあると思う。多分にストーリー性はフラクタルに各スケールで顕れる、という仮説だ。今の光の、というかUtaDA2ndの音楽はメロディと歌唱の質が図抜けている一方ドラマ性は淡泊だった(曲が短いのが証左の1ッ)。大胆に仮説を適用するならば、今光は私生活に物語を欠いているのではなかろうか。決して進学就職結婚出産みたいなステレオタイプの人生を送る必要もないし、10代の頃の様に目紛るし過ぎるのも困りモノだが、"各年齢が次へのステップになる生き方"から離れている気がする。然りとてソレがよくないとも思わないけどね。

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概してラジオが車等で聴くものだから、やはりモバイルで快適に聴ける必要はあるかな。否、ニコ動で"作業用BGM"が一定の支持を得ている以上固定型にも需要はある筈だし、先日国内版がスタートしたUstreamの様に映像の有無問わずtwitterとの連動等でリアルタイム双方向性が確保できるのも強味だ。ヲチ専(ウォッチングのみ、ね)の人であってもそのダイナミズムには興味がある筈で、要は幅広い層にアピールするソフトがまだない事の方が問題か。工夫次第では、ヒカルがそういうソフトを投入できると思うのだが。チャットの魅力と威力は7年も前にイケイケで先達しているしね。苦手な分野かもしれないけども。

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テーマが提示されるか。サウンドも詞もUtaDAからの流れとヒカルからの流れ両方を汲むと読むのは既述の通りだが、今はITF10DVDのリリース時期が気掛かりだ。セールス面は勿論、ファンの意識がどこに向かうか、新曲の前,同時,後で各々著しく異なるだろうから。留守から帰宅して"ただいま!"と呼ぶ手に持つ手土産的な位置取りが一番無難かな。ダウナーな新曲だったりすると、横で光が楽しそうにライヴハウスで唄う映像なんかあったら「日本キライなのかよ!」と思われかねない。軽快にライヴの余韻を引き継ぐ曲調がイイ。カバーアルバムリリースは、その点で悪くない案だ。何でもシングル曲を選べるからね。

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"青い空が~"とCOLORSを口遊みたくなる。口は災いの元そのままというか、この新婚ホヤホヤで作られた曲の詞はまるで予言さながらの結末を迎える事となった。就中"わざと残したルージュの痕"の部分は口は災いの元を地でいく一節となった気がする。んなわきゃない妄想が過ぎるよ、と自分でも思うが詞が予言めく事はシンコレ詩で光が認めている訳で。体のイイ解釈と謗られればソレ迄だが光自身がいつ頃からその"現象"に自覚的になったかは興味のある所。ふいに自己嫌悪に陥ってたりしないかな。余り考え過ぎない方がいいよ。ん~、考え過ぎなのは、私の方なんだろうけどw

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部外者に見えている前の結婚について振り返る必要がある」「どういう事だ、ソレこそ傷口に塩を塗り込む行為、今更そんな昔の事を蒸し返そうというのか」「君がForYouの話なんかしようとするから、どうしても引用せざるを得ないんだよ僕らの知っている事はソレ位しかないんだから」「やめてくれ、第一ForYouは2000年に出た歌で彼とはずっと後に出会うんだから」―空想とはいえ、多分ForYouやWINGSで暗に描かれている喧嘩なり諍いなりというものは、こんな風なボタンの掛け違いだったんではないかと考えると居ても立っても居られなくなる私なのでした…。

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思い浮かべるのが常だが本来傷の治癒には痛みが必要である。躰でも心でも傷とは欠落であり治療とは即ち再生だ。リピートを押してヘッドフォンであの歌にもう1度耳を傾けてみる…。「をっと、ForYouの話はソコ迄だ」「うむ、途中参加とは新機軸だがやはり"きずつけさせてよ治してみせるよ"の精神に今一度立ち返ってみたいかなと思ったのだ、ジャマするなぃ」「敵に塩を送る、もとい、傷口に塩を塗るとはこのことだぞ、彼女はひとに対してそう振る舞い続けたから傷だらけになったというのに」「忌々しい妄想だな、何を根拠にそんな事をいうんだ、きかせてもらおう」

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なのだが昨年UtaDAは漸くビルボードの69位迄上がってきた。ラウドネスの記録にあと一息。やがて追い抜くだろう事はツアーの熱さからも確実だと思えるのだが、何だかその頃にはビルボードの方の権威が失墜してる気がしてならない。未来は誰にも解らないが、今のママだとCDも配信も問わず新曲新作のヒットチャートという存在の意義自体がなくなり、UtaDAが上位に来ても反応は薄いかもしれない。日本程ではないにせよ、USでも5万枚売れれば今やアルバムTop10入り確実という状況なのだからEXODUSを累計5.5万枚売っているUtaDAが次にソレ位叩き出しても何ら不自然ではないだろう。

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http://alfalfalfa.com/archives/392963.html

なぜかこのタイミングでアルファルファモザイク(2chまとめブログのひとつ)に
「詩・ポエム板」の「宇多田ヒカルの詞を語る」スレのまとめが掲載されてる。
元板はいろいろとややこしいので、これは読みやすくていい。
まぁ勿論まとめた人のバイアスがかかってるだろうけどね。
ようつべのリンクがなぜかStaindでワロタw

元板:http://love6.2ch.net/test/read.cgi/poem/1229151222/

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初めて観たのは彼女が12歳の時だった。具体的な年齢を知る迄タイムラグがあった為その事実は驚きだった。ちょっとそのオトナっぽさは12歳と思えなかったのだ。にも拘わらず、彼女はソコから幼さや天然ぶりを増していった。他方、舌足らずな幼さの中に歳相応の妖艶さを兼ね備えるという希有な魅力も発揮してゆく。つまり、15歳で真夜中の王国に出た時が一番大人っぽかったとよく云われる、はなまるカフェで2ショットを披露した仲のイイ誰かさんソックリの軌跡だという話である。てことは、その幼さと大人っぽさのブレンド具合の遷移の相似が2人を引き合わせたのではないかなぁ。

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一部のWebNewsが取り上げ2chにスレが立ち話題に上る。よくも悪くも知名度は未々あるのね。何故か、時が経つにつれ光への評価が揺らいでいるのが目を引く。嘗てはタメ口とかバイリンガルとか定型句が飛び交っていたが、今は皆カワイイもブサも百花繚乱だ。2ch自体の変化もあるのかないのか、片方の見方に偏る普段の傾向からすればチョイと驚異的。知らないうちに知名度はそのままにイメージだけが不定になってきている。随分と遠くへきたもんだ。斯様な状況下では、新曲も出し易いかもしれない。日本での活動となると久し振りになるし、春らしい新しい出会いを期待しておく。

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なかったのだが今日夕方travelingのメロディがどこからか聞こえてきた。確認してみるとJ-Waveの16:56に曲名が。名台詞を意識した事を秀島史香なら期待できる。俄然テンションも上がる所だが、光自身は土日に休みをとっていたのだろうか。再度歌詞を読み直してみると、具体的なのはその冒頭部分だけでソレに釣られなければかなり幻想的(且つH)な内容である事に気が付く。明確な意図が光にあったかはさておき何処か"夢オチ"みたいな雰囲気も漂う詞だ。類型的な言い回しの数々はソレ自体がパロディ精神に溢れていて、後にキプトラに結実する種が既に蒔かれていたかの様だ。

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映像の比重はシーンの中で余り高くなっていない。付け足し的にDVDがシングルCDに添えてあるが販売対策な雰囲気だ。前面に出てる感じがしない。んな事ないPV沢山楽しんでるよ、という向きもあるだろうが専用のチャートや番組が日本に乏しい為メジャー感が薄い。ノスタルジーの中ではトラベPVの記録が燦然と輝いてるというのに。1ッ、然し新しい潮流が出てきた。かのiPadの登場である。理想的な展開になれば、無線ブロードバンドによるタブレットでの高画質動画試聴習慣がPVへのニーズを掘り起こすかもしれない。のんびり今後の推移を、光の映像作品へのアプローチと共に見守りたいと、思う。

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イモムシとスニーカーの色合いがEVA初号機と同じだとひとに云われるまで気が付かなかったとは不覚。綺麗な取り合わせだねぇとしか思わなかったよ。天気云々の前に紫ってあんま春らしくないと思うし(負け惜しみ)。気持ちのいい春の日は、だけど1日おきに来てる感じだね今。多分、岩手に一人旅というからには(恋人はどうしたんだ)たとえ他に用事があろうとも宮沢賢治由縁の地を詣でる事は確実だから今から花巻に宿の予約をしたいとチラッと思ってしまった私。のみならず4月末にOffを取れる事も決定な訳なのか。ニューシングル?の発売を"春"に擬えてるのかもしれないね。

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「ん?また対談形式かい、懲りない人だね。」「面と向かって云わんでも。」「云わないと伝わらんでしょ。」「分かってるじゃないか。」「すっかり話が見えないな。」「冷静に考えると、確かにファンサイトはサイレントマジョリティが圧倒的多数なんだが、運営側からすれば時折挟まれる極々少数の反応を頼りにする事になるから、まぁ政治でいえば少数政党によるキャスティングボードみたいな"通りすがった"人によるちょっとした意見をどうしても重要視してしまう傾向があって、然しソレが必ずしもマジョリティの意見と同じではない点が気がかりなんだ。」「てかまた制限字数ですよ;」

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がシフトしていく事を悩むのではないか。通常なら例えば30年前に書いた日記を読み返すのは通読正視を躊躇う気がする。多分、歌の場合だと存外大丈夫な事が多いのは、歌が作品として突き詰められているからだと思う。表現を突き詰めるには自分の感情を出来るだけ見極める必要がある。特に日記と異なるのは、ソレが悩んでいる最中の吐露か創作を通して悩みを昇華させた結果か、だ。理想論ではあるものの、そうやって歌を書き上げ一旦その感情から解放されているのなら歌は何年後に唄っても"サマになる"筈だ。デビュー30周年LIVEでもオートマ聴きたいな、という話ですw

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