無意識日記
宇多田光 word:i_
 



オリコンが休刊になるそうな。と言っても、本家の業界誌「(オリジナル・)コンフィデンス」の方ではなくて、本屋で普通に売ってる方らしいけど。

Webに喰われた、というよりは、皆ランキングに興味がなくなった(若い世代はそもそも興味を持った事がない)のが原因な気がするが、本当の所はわからない。私も買った事があるので、今までお疲れ様でした、と言いたい。

宇多田ファンとしては「好きなアーティスト・ランキング」が無くなるのは痛手か。Web版で続けるんじゃないかな。

90年代のCD全盛時代はオリコン抜きでは語れない。「売れた」という表現がアナウンス効果として担保される為にはオリコンのブランドが必要だった。まさに、皆が一喜一憂したのだ。バラエティー番組で盛んだった「オリコンで何位以内に入らないと解散」の類いが真に迫ったのもオリコンの権威に依拠できていたからだ。

ヒカルの「First Love」を「日本史上最も売れたアルバム」と紹介出来るのも、オリコンが集計していてくれたからである。ヒカルのあの評判もまた、オリコン無くしては有り得なかった。アナウンス効果のフィードバックが発散したとしか思えないあの異様な売れ方の片棒を担いでいたと言っても過言ではない。

オリコン自体が無くなる訳じゃない。週刊誌がひとつストップするだけである。しかし、それでも、「時代なんだなぁ」という感想は持つ。アイドルしか登場しないチャートを見る位だったら確かになんとか総選挙の行方を直接追った方が面白いのだろう。人気度を数値化して競わせる、というコンセプトが同じだったのだから、グリコと森永とかトヨタと日産とかヤマハとカワサキとか何でもいいが、オリコンの同業他社、ライバルは秋元康だったのだ。そして、ライバルとの競争に敗れた、と。合掌。


必ず売上とともに語られた宇多田ヒカルは、しかし、その土俵で戦う気はないだろう。レコード会社は勿論それで一喜一憂するだろうし、ヒカルは彼らが大喜びするのを見て「売れてよかった」と笑顔になるだろうから間接的なモチベーションとなる事は間違いないが、だからといって"その為だけに特化した"音楽を作り出すようにも、思えない。

そういう、人気度を数値化した価値基準で何か新しいものは出てくるか、というのが今年以降のテーマになりそうな雰囲気はあったが、オリコンの週刊誌の休刊はその一区切りにはなりそうな感じがある。CDの方ではないが、アニメDVD/Blurayの方も昨年からビジネス・モデルが崩れ始めている。円盤が売れるのは今やイベントやライブのチケット優先購入権が最大の理由である。もうCDと変わらない。まだまだ今週発売の「おそ松さん」なんかはとんでもない数字を叩き出しそうだが、全体として地盤沈下が進行しているのは間違いがない。

果たして、レコード会社は今年以降生き残れるだろうか。ユニバーサル・ミュージック・グループくらいのサイズになれば流石に次の5年10年でという事にはならないかもしれないが、全然異なる事業形態になっている事は有り得る。予断を許さない状況にはなってきた。

…と、危機感を煽るような事を書いている私自身は特に何も感じていない。曲を書いて演奏する人の営みが絶える訳ではない。インターネットが生きている以上、聴きたい音楽があるのに聴けないという状況が生まれるとは考えにくい。過去の名演や過去の名曲が手に入りにくい、というのはあるかもしれないが、新しく生まれる音楽は別。どうしても、となったら作った本人に直接メールして「聴かせて」と伝えるだけだ。

問題なのは、どうやって新しい音楽を見つけるかだが、これもまぁレビューサイトやブログとYouTubeを巡ってたら幾らでも出てくるからね…特に困らない。

逆に、ランキング・バトルの興奮を味わいたいと思ったらアイドルを応援すればよい、か。なんだろう、オリコンなくなっても実は別に困らないんじゃないの。日本に、でも、しかし、「流行歌」や「ヒット曲」を見いだしたいというのなら、何か他の方法を考えなくてはならなくなったね。それは難しい、これからの課題となっていくだろう。

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今朝方moraのランキングでヒカルのアルバムが年間1位だったというツイートを見掛けた気がするけど気のせいか。他のミュージシャンは何をやっとるんだ。多分、何かの見間違いだろう。きっとそうだ。

ふわふわしている。本当に読めない。Webを見ている程度で何かわかった気になれないのは仕方がないんだがそれにしても。ヒカルの評価はそれは高いけれどもこの人たちお金払いますかね? これがようわからんのだなぁ。

課金ゲームにせよ課金アイドルにせよ、極一部の熱心なファンは車の一台や二台購入できるだけの額を一年かそこらで注ぎ込んでいる。半世紀前なら車を買ってた筈の収入を課金に替えているだけと言ってしまえばそれまでだが推しが20年30年モノの長続きコンテンツだと本当に家が建つくらいの課金に成る計算だ。最早それ課金というのか。

彼ら彼女らは極々一部だが、極端な話そういう存在が市場の核になる。或いは、奉り上げられる(変な日本語)。競争意識の極北と云おうか、愛情表現を他者と比較しだすとこうなる。つまり、競争意識の化身という訳だ。


ヒカルのファンがそれとは対極に居るだろう事は想像がつく。どちらかというと、居てもコレクターくらいだろう(具体的な面々を思い浮かべながら)。これはファンの側の意識というよりアーティスト側の意向である。ファンクラブ運営すれば如何に弱小事務所でも一生安泰を保証されているというのにこれをやらない。悪く言えば「いつでも気まぐれで辞められるように」という事だが、結局は常に真剣勝負故に結果を予め担保できないヒカルの誠意から来るものだろう。

それなのに結構「ものわかりがいい」のがヒカルの弱点というか美点というか。できたものをどう売るかに関してはかなりレコード会社側の裁量に任せている。これも、梶さんがクソ真面目に「アーティストの意向を最大限尊重する」ポリシーを貫いているが故の信頼関係ではあるが。

ヒカルが複数枚商法などに頼らずに得ているものは「本格派アーティストとしての良心」、みたいな"評判"である。つまり、レコード会社としては、この"評判"を"評価"として数値化し、出来れば"収益"にまで持っていきたいのだが、これにどういうルートがあるのやら。

朝ドラの主題歌というのは、このルートがいちばん不透明なエリアだ。殆どの人がせわしい朝に流し観してるだけの、いちばん"軽い"コンテンツである。認知度という母数に対して購買数という子数は余りに少ない。代わりに、「誰でも知っている」という強力な評判が得られるが、こと知名度に関しては最高クラスの宇多田ヒカル、寧ろ半年で入れ替わる朝ドラに対しては「貸し」にすらなる。助けだね。どうにも、実は、レコード会社的にはメリットが少ない。

大体、毎日テレビで聴ける曲をわざわざ買うかね。という訳で、こちらから期待すべきなのはドラマが極端に面白くて視聴率が鰻登りになってついでに主題歌にもスポットライトがという展開だが、あまちゃんクラスの波を作り出せるというと…暮らしの手帖か…。


まぁいいさ、総ては観てからだ観てから。今言ってたって仕方がないさ。(という話ばかり5年ほど続けてます。)

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西日本の一部では先日の寒波の影響が長引いて、未だに断水の地域があるんだとか。何とも不便な事だろうし、加療中の方々などは命に関わる。どうか安全な復旧をと祈らずにはいられない。

水が美味しい。最近、自分の食の好みがどこらへんにあるだろうと自問した時、いちばん美味そうに摂取していたのが水だった。食べるのが嫌いになったとかでは全く無く相変わらず二人前を食べるヤツなのだが、あの、H2Oが身体に染み渡っていく感覚は何物にも代え難い。味蕾による判断というよりは、身体の素直な喜びに反応しているというべきか。

「美味しい」とか「美味い」とかいう感覚を拡大解釈している、と言われればそうだろう。これは、ビールを喉越しで味わうのに近い、というか私には水で必要十分だ。「あぁ、この世にこんな美味いものがあったのか」と本気で思う。ミネラルウォーターのみならずです、水道水であってさえも。上下水道という現代文明の誇るべきライフラインの何と有り難い事か。


今の私はこういうモードである為、多分音楽に対しても「水のような」価値を求めているかもしれない。勿論、水自体をモチーフにした楽曲も嬉しい。aquadreamに水の踊り、水の行方に水のソルティレージュ、Water Is Wideに…ってZABADAKの曲ばっかやんけ。


水というと、斯様に“自然派”の音楽に特徴的、となりそうだが、広範なモチーフとしては様々な局面で使われる。まずもってして、『DEEP RIVER』と『ULTRA BLUE』という2つのアルバムのモチーフはそれぞれ川と海(或いは空)である。後者の2択に関しては、海路を挙げておけば十分だろう。海のモチーフであれば、Never Let GoにLettersにExodus'04にと幾つかある。

同じ水なら『雨』というモチーフもある。SAKURAドロップスで『降り出した夏の雨が涙の横を通った』シーンは宇多田ヒカル史上屈指の名場面だし、『桜流し』はタイトルが水そのものだ。『雪』となるとCan't Wait 'Til Christmasがあってだな…

…と、間接的に水を扱った歌は幾つも在るが、直接水を歌った歌はヒカルには今の所無い、かな。BLUEもちょっと違うしなぁ。でも多分、そのうちきっと出てくるでしょう。水は本当に、本当に美味しいんだから。私の幸せは途轍もなく安上がりだ。

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最近のツイッターのふぁぼ&リツイートの数字がえらいサイズになっている。見た中では、「紙コップでドラえもんの漫画を描いた」動画ツイートがふぁぼもRTも30万クラスになっていた。ちょっとした大都市並みの人数だ。うち何割が人間かはわからないが。これ、そのうち数字が50万を超えた辺りで「私の戦闘力は53万です」と言いたがる人間が出てくるぞ。そして、どこどこの都道府県の総人口と…という話になってくる。

@utadahikaru のフォロワー数がこの間200万を突破した。そんなに人数が居る訳じゃないが、有名人の中でだととりわけ突出しているのでもない、寧ろ遅きに失したとかまで言われ…幾らなんでもそこまで言われないか。

ヒカルの最新ツイート、「仕事の話じゃい!」のRT数が13400。この数字をどう評価するか。待望の新曲ツイートなのに少なすぎやしないか、という気もしたのだが、それも最近のRT数インフレに影響された感覚なのかもしれない。ただ、勿論まだまだ気が早いが、これが売上の数の何割になるのだろうと思ったらレコード会社は気が気じゃないよね。

ツイッター民と購買層がやんわりと分離している、ならチャンスはあるのかもしれないが、それは望み薄だろう。ヒカルのターゲット層(=“ない”と同義かな)を考えるとかなりカブっている。

いざ本当に新曲発売となった時にどれくらいの数字になるやら。こうやって数字を可視化されると逃げ場がないよねぇ。でも、皆が注目するのも間違いない。またこの3ヶ月でふぁぼ&RT数のアベレージがぐっと増えたりする。引き続き様子を見守る事とする。

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そういえば先日、週刊誌に事実誤認な記事が載ったそうな。普段私はそういうのは「あ、そう。」と言ってスルーしてしまう。いちいち怒るだけのエネルギーを使いたくないし、ただの嘘ならWeb上に幾らでも転がっていて珍しくもないからだ。

しかし、本来ならこんな態度ではいけない。世の多くの人が、週刊誌の記事には真実があるのではないかと訝るのだから、否定すべき点は否定し、訂正すべき箇所あればしっかり発言をして、中立的であったり、ニュートラルであったりする人たちをこちら側に引き込まなければならない。

完全に無関心な人の心をこちらに向けるのは大変難しい。逆に、悪口と嘘しか書かない人を正すのもまた大変難しい。そういう難易度の高い相手は一旦諦めて、何とかなりそうな人たちの心を動かさなければならない。

ヒカルについて知らない人であれば、「照實さんとヒカルは何年も絶縁状態」と聞くと信じてしまう。彼らは、ヒカルの作品の最も多くで彼の名前がプロデューサーとしてクレジットされている事を知らない。三宅さんやヒカルよりもクレジットの回数が多いのだ。宇多田ヒカルのプロデュースといえば第一人者は宇多田照實であって、次に三宅彰と宇多田ヒカルが来る。我々にとっては一般常識だが一般の人たちにとっては一般常識ではない。しっかり声を上げなくてはならないだろう。

勿論、絶縁状態などではない。ヒカルがロンドンに居る事が多くなっただけである。と言っても、確かに、ヒカルと照實さんは別々の家から同じスタジオに出勤してくるので、親子と思うと少々不思議な感じはしなくもないのだが、別に別々の家に住んでたって何の問題もない。

2人はとても仲がいい。勿論照實さんはヒカルを溺愛している。頼まれてもいないのに、娘がイタリアでイタリア人と結婚式を挙げるからと何ヶ月もかけてイタリア語を勉強し当日イタリア語で嫁の父の挨拶をスピーチしたというのだからその溺愛ぶりたるや。この状態を絶縁と呼ぶのであればそれば電気を通さないとか全く別の意味なんじゃないの、と突っ込みたくもなる。


…っとと、何の説明もなく“反論”を繰り広げてしまった。そういう記事が掲載されていたんですよ、というのは、でも、何となく雰囲気で伝わったんじゃないかな。

2人の仲がいいか悪いかは主観で決める事だが、例えば上記のエピソードを聞いた上でそれでも仲が悪いと強弁できる人はどれくらい居るだろう。更に、プロデューサーについての記述は単なる事実誤認であり、よくもまぁこれを編集部/編集長が通したなというか。

こういうのにめくじらを立てているとあっという間に日が暮れる。大事なのは、あまり感情的にならず、しっかりとエピソードを持ってきて的外れである事が誰の目にも明らかになるように淡々と“反論”する事だ。殊更に貶したり見下したりしては寧ろあちらの思うツボである。今年はこれからこういった記事が何回出てくるかわからない。読者諸氏におかれましては、冷静に対処する事を望みたい所存ですよと。

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次に、CDを出すとなるとシングルにせよアルバムにせよライブチケットとどう絡めるかが問題になってくる。

ヒカルは既にSCv2でWILD LIFEのチケット抽選権をつけていたから前例はある。が、WILD LIFEはスペシャル・ライブという事で特別感が強く、反発も少なかった気がする。これがツアーとなったらまた別だろう。

前々回書いたように、ヒカルは総て取り仕切るから、この、「円盤とイベントチケットの抱き合わせ」を習慣化出来るほど身体が余っている状況はそんなにはない。企画しようにも物理的に成立しないと思われる。それに、抱き合わせ販売に関してはヒカルはそこまで乗り気ではないとも思うし。

逆に、ライブチケットを買ったらCDが手に入る、というパターンもある。「CDつきチケット」を直接売る方法と、CDをライブ会場限定販売する方法だ。前も書いたが、これをすれば普通に店頭で売るより多くのCDが売れる可能性がある。ツアーに20万人来れば、4割くらいは買ってくれるんじゃないの。しかし、これもヒカルの反感を買うか。何かのスペシャルトラック(リミックスとかライブ・バージョンとか)なら兎も角、まっさらの新曲を限定した場所でしか売らないというのはモチベーションに関わる。難しいか。

前も書いた通り、今はライブ会場のブッキングを一年前から行う時代だ。来年からのツアーであっても今年リリースされるCDと関連づける事は可能である。宇多田ヒカルの復帰コンサートともなれば話題性十分だし、たとえシングル盤であってもライブチケット抽選優先申込権をつけてもよい、とは思う。ただ…

いや、そんな事を考える前にまずはアルバムの仕上がりを待つかな。そちらに全力投球して貰ってから考える、というのは出来ないもんかねぇ。


斯様に、今や円盤販売とチケット販売は密接な関係にある。が、それをマネージメントする会社・組織・期間がない。これが大きな事務所の辣腕プロデューサーでもいれば話は別だが、全体を統括するオーガナイザーをどうするかというのはこれからの問題だ。Live Nationのケースがもっと増えればまた別だが、その取る手法に対しても注目が集まるだろう。まだまだいろいろとゴタゴタしていくような気がするなぁ。

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前も書いた事を復習しておくと。今の時代、CDシングルをリリースするとなると何か付加価値が必要になる。朝ドラの視聴者層を考えると、CDシングルやカセットテープでのリリースも考えた方がよいくらいだが、果たして可能性は残されているのだろうか。

最早ギャップしか生み出さないのがCDシングルだ。もう8年前の話になるが、Prisoner Of Loveは購入層によってそのヒット具合の捉え方がまるで違う。CDシングルでみればこの曲は10万枚も売れずに終わった、「宇多田ヒカルの曲でも5桁どまりかよ」という感じだが、配信購入層からみれば泣く子も黙るミリオンセラーシングルだ。今の時代(いやだからもう8年も前だってば)でもやはり7桁の売上は凄い。つまり、宇多田ヒカルのシングルカット曲の歴史は、フィジカルだと時代の終焉の象徴みたいなもんだが、配信だと大ヒットで止まっているのだ。勿論そのあとに"Come Back To Me"のヒット(もしかしたらもう知らない世代も出てきているかもしれないから補足しておくと、同曲は当時のアメリカのリズミック系(メインストリーム寄りのR&B)ラジオ曲で通算千数百回のオンエアを記録していた、普通のアメリカでの小ヒット曲だったのだ)やSC2v2の曲、更には桜流しもあったけれど、シングルヒットを目論んだリリースという事では、
"ヒカル最後のミリオンセラーシングル"たる"Prisoner Of Love"が、基準とは言わないがひとつの取っ掛かりになるだろう。

まず、CDシングルリリースによる負の側面である。上記のように、フィジカル・チャートにこだわるとミリオンセラーであっても「大したことなかった」という印象を皆が持つ。「え、そんなにヒットしているの、いっぺん聴いてみよう」というセカンド・ウェイヴがやってこない。それならCDシングルなんて出さない方がいい、というのは勿論ある。配信シングルであれば、次のヒカルの曲は99.999%iTunesStoreチャートでもレコ直ランキングでも1位を獲得するだろう。何しろ、2005年のBe My Lastから取り続けているのだ。他のアーティストとは年季が違う。アナウンス効果は抜群である。

しかし、何か違う方法も考えなくてはならない。オリコンチャートの数字で比較されるとなったら複数枚商法にはかなわない。土俵が違いすぎる。

例えば、CDでも配信でも、ニューシングルを購入した人が(パスワードか何かを付属させて)一度だけアクセスできるサイトを作る。スマホで翳せばすぐ飛べる的なのがいいよね。俺スマホ持ってないけどさ。で、そこへのアクセス数は売上を超える事はないからかなり信用できる数字になる。

勿論問題なのは、どんなサイトに誘導するか、だ。できれば購入者の9割以上がアクセスしてくれるようなものがいい。

例としていえば、例えば「アクセスしてくれた人の中から抽選でお一人様に100万円プレゼント!」みたいなのだったら9割以上の人がアクセスするだろう。俺だってする。まぁこれは実現しない。多分何とかという法律に引っ掛かるし、「金で釣るのかよ」と超大ブーイングを受けるからだ。しかし、つまり、私の言いたい事は伝わると思う。

オリコンチャートに代わる新たな指標が定着していない現状では、アナウンス効果は自ら工夫して生み出さねばならない。自前で何かの数字を稼ぎ、信頼できる方法で公開する。その具体的な方法論が見えてくれば、CDシングルやカセットテープでの新曲リリースもプラスになっていけるかもしれない。



…そういやヒカルって一度も正規にカセットテープをリリースした事ないよな。今更扱う訳もないか、とは思うけれど、今回朝ドラだし、どれ位の人が買ってくれるのか見てみたいという気持ちもあるな。1000本位だったら売れるんじゃないの。いやまぢで。

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何だかテレビ出演のみならずラジオ出演まで語ってしまったが、現実問題としては朝ドラ主題歌が一曲仕上がったところでヒカルがプロモーションに出掛けられる訳ではない。アルバム全体が完成するまではスタジオから離れられないだろう。

これが、歌手だったら、作曲家・作詞家・編曲家だったらまた違う。曲は作ってしまえばスタジオに渡して終わりだし、歌入れも工程の最後に顔を出せばよい。ヒカルの場合は違う。これ全部だから全作業に顔を出さなくてはならない。更に更に、プロデューサーであるから、全作業に対して決断と選択をせねばならない。しかも、レコーディングのみならずミックスダウンやマスタリングにまで顔を出すとなるとそりゃもう。出掛けられるタイミングなどない。

となると、前回名前をあげた番組の中で出られるのとなるとギリギリ「今のわたし-2016-」くらいしかない。それも無理かもしれない。まだまだヒカルのご尊顔を拝見できるタイミングは遠そうだ。

最短で考えても、アルバムは6月発売になるだろうが、その場合は基本的に3月末までに仕上げる事になるだろうか。となれば4月から「とと姉ちゃん」の宣伝に付き合える、という事もなくはないが、それはあクマで最短だ。寧ろ、順序としては、4月からの放送という事で優先的に朝ドラ主題歌の作業を前倒しでしている、という可能性の方が高い。

となると、現実的なのはアルバムは11月発売かな。半年間(4月スタートの朝ドラは9月一杯まで放映―今回の場合は10月1日までかな)たっぷり歌に親しんで貰った後でアルバム発売ともなればかなりの効果が期待できるだろう。当然、ヒカルもそれ以外の新曲を3ヶ月に一曲くらいのペースでリリースすると考えられる。アルバム発売前に3回くらいのシングルカット、というありきたりな流れな。ここらへんが落としどころかもしれない。

ただ、ツアーが絡んでくると予定は激変するか。ウタユナみたいに、アルバム作り終えました、はいツアー、みたいなスケジュールだったらプロデューサーさん倒れるぞ。しかも今やツアーでも座長を務める立場なので、えぇっと、難しいなこりゃ。

2016年問題と言われるように、今やツアーブッキングは困難を極める。平日にライブやんなよとか言ってられない。ウタユナは週末に集中していた。ヒカルの喉のコンディション調整からしてもあそこらへんが限度かな。例えば来年のツアーを計画するならそれこそ今から会場を押さえ始めなければならない。うーん、大変。

いずれにせよもう動き始めてしまった。ここからはビッグ・プロジェクトとなる。予定もそうそう変えられない。どうかヒカルと家族が終始健康でありますように(=人=)

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さて、朝ドラ主題歌を担当すれば次はNHKのどの番組に出演するのかというのも話題の一つか。

最右翼は「今のわたし-2016-」だわねぇ。これ5年ぶりにやっとかないと勿体無いんだけど、密着取材がどの時点から始まっているか、だわな。朝ドラ主題歌という"先手"を打てたのだからNHKは誰よりも早くヒカルに密着取材できる条件下にある。もしかしたらNHKのクルーが動いた事で例の記事が出たのかもしれない(そりゃヒカルなら大河か朝ドラだろうし、大河は1月からだから4月か10月の朝ドラだわな)。まぁ憶測どころか妄想の域を出ないが、可能性としては有り得る。

次は「SONGS」だろうが、私この番組まともに観れた試しがないので他の人の回を幾つか観た上でヒカルならどうなるかを予想してみたい。しかし、これも既定路線な気がする。

意外なところでは「のど自慢」か。かつてだと考えられないが、昨年SMAPが出たせいで何でもあり感が出始めている。番組自体の雰囲気をドラスティックに変えてくればわからない。あと、あるんだかないんだか知らないが「“こども大会”を開催するので、リリース10周年も迎える事ですし、こどもたちと一緒に『ぼくはくま』を歌っていただけませんか」というオファーが来たら如何にヒカルでもぐらつくんではないか。いやのど自慢じゃなくても「みんなのうた」でもいいし、ETVの音楽番組でもいい。全然関係ないけど去年「のど自慢」で使用されていると思しきかのチューブラー・ベルズをじかに見たので、無意味にのど自慢に親近感が湧いている。あれ130万円とかするんだってね~。

後は、朝ドラ関連という事で「スタジオパーク」だわね。出来れば土曜日に出て欲しい。渋谷に出向いて観覧しちゃいたいでござる。生番組のトークなんて放送事故になりやしないかとワクワクしてしまうんだが意地が悪すぎるだろうか。どうか放送禁止用語や企業名や商品名を言いませんように(←逆フラグ)。あと豪快に番組名を間違えるのもありだね! NHKの歌番組に来て「今宵はミュージック・フェアにお呼び頂き…」とか言って欲しい。それをテレビで観た松本人志が「また言うてるわ!」とツイートで突っ込む所までがワンセット。

そういやNHKといえば朝のニュースの特集枠で取り上げられた事があったな。あん時はUtadaの本格的な全米進出という事でその意義をもっての取材と特集だった。もし今回の復帰に国際的な展開が含まれるのであればまた取り上げて貰っても不自然ではない。ここらへんも期待できる。

あぁ、ラジオは大丈夫だわね。今の番組名忘れたけど「ミュージック・ライン」の枠な。月木21:00-22:45にやってるヤツ。ここは100%出るね。4月からまたDJ変わってたりするかもわからんからいつ出るかで色々と印象が変わりそう。

ほいじゃ同じNHK-FMの「ミューズ・ノート」にも…いや流石にそれは無理か。一回限りの特別枠ならまだしもねぇ。

NHK-FMでの究極の目標は勿論「今日は1日宇多田ヒカル三昧」だ。呼んでくれたら12時間喋り倒したるで(笑)。(<曲かけろや)


で。紅白歌合戦だよね。これは力まずに待てばいいだろう。年末年始のヒカルのスケジュール次第だわさ。ただ、あの番組の高邁で居丈高な体質が改善されるとは思えないので私は今のところ「多分無理」の方に賭けとく。のど自慢同様、『ぼくはくま』でオファーした場合はこの限りではないが、そんな勇気はお互い無いだろう。

でも、ファンとしてはさ。年末年始に紅白出るよりツアーやって貰ったりカウントダウンライブやって貰ったりした方が嬉しくない? 紅白なんて多くても2曲位しか聴けないんだからそっちの方が余程いいよ。

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で、妙な間が空くんだよなこれから暫く。しゃあないんやけど。

朝ドラは目下「あさが来た」が絶賛放映中で、NHKはそうそう次作の宣伝を始める訳にもいかないだろうし、ヒカルの方はといえばまだ制作中で、何の見通しも立っていない。いざとなったら全没にして5日間で真逆の曲調を仕上げてしまう人である(もっとも、これは稀な例だが)。仕上がってくるまでは何が飛び出してくるかわからない。

気になるのは、1月20日という早い段階でヒカルの発表があった事だ。例年のリズムを知らないのでちと早い気がする。イメージとしては現在放映中の朝ドラのクランクアップが来てヒロインの引き継ぎを行い(といっても新ヒロインは既にクランクインしているのだけど)現ヒロインがスタジオパークに出てお疲れさまトークをして漸く次作の宣伝が始まる、という流れ。これは20世紀の頃のイメージなので今はどうか知らない。

ひょっとしたら、リーク記事を恐れたのではないかという見方も出来る。12月8日に例の記事が一紙だけ出た時に「この記事のせいでサプライズ発表がなくなった」という解釈をする人も居たが私の解釈は逆だ。後付けの言い方をすれば、4月スタートの朝ドラの主題歌の話を12月上旬に持ち出すのは幾らなんでも早過ぎる。リークされた事で発表を早める事はあっても遅らせたり、ましてや見送ったりする事はない。

ただ、4月からの大型ドラマタイアップという文言からして、どこかからのルートで実際に情報が漏れているかもしれない、という危惧は生まれたかもしれない。それならば今度は本決まりが嗅ぎ付けられる前に発表を、という事で1月20日という早い段階での発表に踏み切った、という見方もできる。12月の記事が影響を及ぼしたのは寧ろ今回の発表のタイミングの方ではないのかという具合。それならまぁ合点がいく。

何しろ、曲もまだ出来ていないのだ。これは、ヒカルの作業が遅れているのではなく、通常であれば〆切がまだまだ先だから作業中であるに過ぎない。余裕なんですよ。これも、いつものこの人ならギリギリまで歌詞を練ってしまうのでしょうからこれからの話ではあるのですが。

上記の理由から、もしかしたら先週から今週にかけてスクープとしてヒカルの朝ドラ主題歌決定!みたいな記事がどこかに載るのかなと思ってたんだが、なかったよねぇ。先手取りすぎたんじゃないの。勿論、20日の発表で記事を取り下げた可能性はあるけれどそれについては言っても仕方がないし。

という訳で暫く妙な間が空く。発表が早過ぎたせいでね。それも悪くない。出来る所からやっていこう。

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最初次の連続テレビ小説のタイトルは「とと姉ちゃん」だよ、と聞いた時は、「そうか! ならオープニングテーマはスティーヴ・ルカサーがギター弾きまくるヤツで決まりだな!」と思ったもんだが、実際は当然そんな事はなく、ご覧の通りヒカルに決まった。

スポニチの記事によると、主演女優さん(という書き方をする理由はただひとつ、まだ彼女の名前を辞書登録していないからっ)の「曲聴きました」発言は本当にフライングだったらしく。耳にしたのはまだ完成品でも何でもなかったようだ。ふむ。

ただ、私は勝手に「温かみ」がキーワードになってるんじゃないかと思っている。理由は極々単純で、制作PとA&Rのお二人が「温」の字を使って今回発言していたからだ。本当にそれだけ。でも新米お母さんらしいじゃない、温かみ。HeatだかHotだか…なるほど、warmthにmildnessか。genialというのもある。明るく愛想がいい、温和なという意味だ。曲のイメージも、なんとなくここらへんが落としどころな気がする。

昭和の頃の朝ドラのオープニング・テーマはインストで、たまに「朝から何でこんなに重いねん!」と言いたくなるシリアスな曲調もあった。平成になって以降、メジャー・キー/マイナー・キー問わず「前向き」というのが重要視されている気がする。朝起きた直後に聴く音楽が後ろ向きだと確かによくないかもしれない。

まぁそれぞれである。勿論ドラマの内容によるからだ。しかも、CMなしでいきなり本編に入る段取りの為、劇中の展開が悲喜交々交錯していてもすっと馴染んでいかなくてはならない。ここらへん、すぐ切り込んでくるBGMとナレーションとの相性も大事だ。そういやナレーターもう決まってる筈だよね。あとでチェックしておこう。

朝ドラなんて見た事なさそうなヒカルがどこまでレクチャーを受けているか。先の記事によると制作Pさんはまだヒカルに会っていないらしいがメールやチャットやなんやかんやでコンタクトを取れていれば十分だ。

作風としては、かの「暮らしの手帖」の創刊話らしいので、前向きと言っても時代背景的に明るく軽やかに、とはならなさそうだ。そんな時にほっと一息つける温かい紅茶のような一曲、というのが理想的なんじゃないか。嬉しい事があった時に「よかったねぇ」、悲しい事があった時に「つらかったねぇ」と言ってくれるような。なんか注文多いけど。

またまた個人的な事を言わせて貰えれば、作品として朝ドラでいちばん好きなのは「ちゅらさん」だが、いちばん好きなオープニング・テーマはといえば「あすか」(竹内結子主演の菓子職人話な)の“風笛”だ。勿論Kiroroの曲もいいんだけどね。”風笛“の宮本文昭のオーボエの音色がこれでもかという位に美しく、いやはや朝からええもん聴いた得した気分になれた。オープニングがロング・バージョンになる(即ちドラマ本編が短くなると)「いや今日はスペシャル感満載やわ」と言いたくなった。宮本文昭自体には1mmの思い入れもないけれど、彼の演奏は素晴らしい。

思うに、つまり、朝ドラのオープニングで大事なのは最終的には相性とか曲調とかではなく「美しさ」なんだろうと思う。ドラマは色んな展開をみせる。視聴者は多種多様だ。誰かに好かれる曲にしようとすれば必ず誰かに嫌われる。何度も言うが、この枠の浸透度は桁違いなのだ。そんな中で細かい事をいちいち気にしてても仕方がない。格式のある、皆が夢を見続けてきた連続テレビ小説。そんな歴史の長さを皆無意識裡に感じながら毎朝流し見しているのだ。

だから、たとえ温かみのある曲にしようとしても、美意識だけは失ってはならない。「嗚呼、綺麗で温かなメロディーだね。」なんていう風に言って貰えれば成功だろう。美しい曲が無事完成する事を祈ります。頑張れヒカル。

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大物へのオファーというのは、往々にして「遠慮しすぎ」になる事がある。「言ってくれればやったのに」とあとから言われたりする。一方で、こういうのはNHKらしいんだが、出来上がった作品に対して「前世はNGで」とか言ってイラッとさせたりする。確かに、バランスは難しい。

出ているリリースコメントを見ていると、制作側が随分とヒカルをリスペクトしているようにみえる。となるとだ。まぁ大体想定できる事態は、NHK側が「是非宇多田さんらしいものを」とフリー気味にふり、ヒカルの方が「伝統的な朝ドラの作風に合わせてみたんですけど」と気を遣ってしまう、というヤツだな。お互い譲歩し過ぎてすれ違い。

ただ、制作側も全く譲れない事柄もある。尺だ。15分枠のオープニングという事で秒数の融通はきかない。更に、その日の芝居の内容によって、オープニングの尺も微妙に変化する。少なくとも2パターン(60秒と90秒、でいいのかな今でも)の切り取り方が可能な曲を用意しなくてはいけない。それくらいの前提説明からミーティングは始まっているだろう。今はSkype等かもしれんが。

曲調の話はその次かな。朝ドラらしい、素直で爽やかな…と考えてるのはヒカルの方で、どうせならPrisoner Of Loveのような泣きの曲で、と考えるのがNHK側、みたいな捻れからスタートして―だなんていう妄想をはたらかせつつ、さて、どうなったか。

主演女優さんが会見でやや聴いた風なものいいをしていたが、早過ぎないか。

お互いの作風をすりあわせる技術に関してはヒカルのスキルも高い。自分の作風を崩さず、かつ相手の要求にも応える。昔から欲張りなのだ。トレードオフでなくテイクオールで考える。それが現実に実現してしまうから怖いんだが…。

で。NHK側がどれだけドラマ自体の内容を説明できるかで勝負が決まるだろう。「とと姉ちゃん」がどんな作品か。どんな作品と説明されたか。それ次第なんだが次回はその話の続きからかな。

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で。私が朝ドラを見なくなった理由はというと、ない。正確にいえば、わからない。いつの間にか見なくなってしまった。キッカケも記憶にない。

でも人が去る時なんてそんなもの。わざわざさよならの挨拶をしにくるのは未練の証であり、それは別に悪い事ではなく、別れは名残惜しい位がちょうどいいのだが、現実は大体フェイドアウトで、それを阻止する事こそコンテンツ業界の永遠の課題なのだ。「なんか知らないけどいつのまにかね」の一言の得体の知れなさな。本当、こればっかりはどうしようもない。

ヒカルがファンを失うのも…と話を続けてしまうと色々と大変なのでバッサリ切りまして。

まぁそんなだから私個人は「いつも見ていた朝ドラにヒカルがようやくやってきた」という風には言えない。なかたにさん羨ましい。「ようこそ、Hikki。」って言えるもんね。私の場合は「じゃあ久々に朝ドラ観てみるかなー」という感じ。フルで半年観るとなると安曇野を舞台にした井上真央主演の「おひさま」以来になる。随分とご無沙汰だなー。

なので、最近の朝ドラの雰囲気がどこらへんにあるか知らない。ヒカルの作風がフィットするかどうかも分析できない。総ては始まってから、だ。

とはいえ、流石に30作品以上(シリーズの3分の1以上)を見てきているので、それなりの"過ごし方"は、知っている。自分なりに半年間を過ごしてみたいと思う。

ヒカルは朝ドラを一作でも観た事が、観通した事があるのだろうか? 流石に156回ともなると、たとえエンディングが納得のいかないものであったとしても、「半年間欠かさず観続けた」という謎の達成感が出てくる。もう面白かったとか面白くなかったとかじゃない。もはや惰性ですらない。劇中に出てくる登場人物を皆実在の人物であるかのように扱い始める。ただひたすらその人の人生に併走するような、何か娯楽というより挨拶に近い。そういう枠であるように思える。

こういうドラマの観方をヒカルはした事がないのではないか。観て面白かったら観続ける、つまんなかったら観ない、とかではなく「取り敢えずつけとく」というノリとテンションでヒカルの歌が156回流れるのだ。よほどこう、“人畜無害”な楽曲でないとどこかで不平や文句が出てくる。文部省認定済み的な無難な内容でヒカルらしいフックのある歌詞とメロディーを組み込めるだろうか。

とはいっても、先日のツイートを読む限りヒカルはいつも通りに自分のペースで創作を行っていそうだから、朝ドラ云々という悩み方はしてなさそうだ。与えられたオファーは聞くけれど、となると実はいちばん重要なのは制作側がヒカルに何を頼んだかだよね。次回はそこら辺の話からいくか。

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ヒカルの新曲だ。今回はNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のオープニング・テーマであるという。春からの大型ドラマのタイアップはこれだったのねと。

朝の連続テレビ小説、通称朝ドラとは。この枠の知名度は大河ドラマに次ぐ国民的なスケールだ。昼ドラといえばそれは「お昼のメロドラマ」を指す一般名詞で、TBS系列だったりフジテレビ系列だったり様々だが、朝ドラというと「朝8時(昔は8:15)から始まる15分枠のNHKドラマ」の事一択である。固有名詞として一般名詞を独占する位に朝のドラマといえばココしかない。

しかも月曜日から土曜日の帯、週6回で半年間26週、即ち全156回が放送される。とてつもないヘヴィ・ローテーションだ。この枠を貰って売れなかったら素直に曲に力が無かったと諦められるだろう。

歴代のオープニングテーマ担当者は錚々たるメンバーだ。DREAMS COME TRUE、松任谷由実、椎名林檎、いきものがかり…世代を超えた名歌手が代々担当している。寧ろヒカルの名前が挙がるのに2016年まで待たなければならなかったのかと問いたいくらいだ。遂に真打ち中の真打ちの登場である。

もっとも、元々この枠のオープニングテーマは基本的にインストだった。90年代以降、歌手起用が頻繁に起こるようになり今ではすっかり定着した。確かに、156回も聞かされるのだから歌詞のある歌だとしつこく感じる事もあるかもしれない。最初のうち慣れない頃は何度も「晴れたらいいね」と歌われて「お生憎様! 今日は雨!」と画面に突っ込みたくなったりもした。大体そういう扱いを受ける枠なのだ。

誰も聞いてない個人的な話をさせて貰えれば、私は昔朝ドラフリークだった。沢口靖子主演の1985年の「澪つくし」以来30作以上、40作品近くを視聴してきた。何故その作品からだったかというと家にVHSレコーダー(ビデオデッキだな)が来たのがその頃だったから、かな。朝8:15スタートって微妙に見れない時間帯なのよね。これは主婦が夫や子を送り出して一息つける時間帯を狙った為とも言われていたがはてさて。90年代に入ってからは衛星放送で朝7:30からの枠や午後11時からの枠、更には週末土曜日の一週間まとめて90分放送に日曜日に5分で1週間を振り返る枠などその気になれば一週間に5回は見れるというNHKならではの贅沢な編成をしてくれたお陰でずぼらな私も視聴を継続できた訳だ。予告枠やインタビュー番組なども合わせるとその半年でオープニングテーマが流れる機会は1000回近くになるんじゃないだろうか。嗚呼、恐ろしい。

そんな感じだったのだが、いつしか私は朝ドラを見なくなってしまっていて…という話からまた次回に続きますよっと。

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私の最近の口癖は「いい歌に会えればそれでいい。」だ。こう書くと前半の「いい歌に会えれば」に強勢が置かれている印象になるが、寧ろ「それでいい。」がメインだ。こう書き換えるとわかりやすい。「“いい”歌に会えればそれで“いい”。」。“いい”から“いい”んだ。もう殆どトートロジーである。そんな、ほぼ無意味な一言を自分に言い聞かせながら最近の私は日々を生きている。


さて。


私の大っ嫌いな言葉に「言う資格」というのがある。ついつい、「確かに、私の言葉はあなたにとって説得力のあるものではないかもしれない。でも、だからといって、私が自分の思った事について言葉にするのに、あなたや他の誰かの許しを得る必要が、乞う必要があるのか? 私が今、何を言おうと私の自由じゃないか。そして、それを聞いた人が「お前がそれを言っても仕方がない」と思うのも、言うのも自由だ。しかし、あなたに私に何らかの資格を与える権限か何かがある訳じゃないだろう。資格って何だ? 参画の次か? 試験がある訳じゃなかろう。ここは、自由のある国だ。それを謳歌できない、それを満喫できない瞬間なんてあっていい筈がない。あなたに資格云々言われるのはとても不快だ。不愉快だ。」と思ってしまうのだ。だから自分からは言わないし、言ったとしても冗談、或いはこの表現自体に対する揶揄だ。誰でも、何でも言っていい。それを誰が聞いてどう思うかは別の話だし、どう思うかを慮って発言を踏みとどまったり勇気を出して言ってみたりするのも自由
だ。あなたも、私も、誰もが発言の、表現の自由がある。少なくともそういう国に、住んでいる。そうじゃない国に住んでる読者の方がもしいらしたら、何も出来ないけれどエールだけを送りたい。どうか、生きて、頑張って。

そんな私が敢えて今。こう表現したくなっている。「私には次の台詞を言う資格があるだろう?」と。あー自分で言っていて既に嫌気が刺している。刺さっている。本当に、こういう事を言うヤツはイヤなヤツだな。それでも敢えて言う。私には次の(正確には次の次の)台詞を言う資格があるだろう。


…ヒカルがこの春、復帰してアーティスト活動を再開するんだってさ。





「待ってました。」




うん、ずっと待ってた。


何か、「待って、いました。」と「マッテマシタ!」の二つの響きが重なっている。長い時間を食べ尽くしてきた感慨と、いよいよかという高揚感。ごらく部ファンとしては「舞ってました」も付け加えたい。踊り出したい気分だよ全くもう、という感情と、生きてりゃいい事あるんだなぁとくまか何かに拝みたい気持ちと。何が何だかわかんないや。メルマガ送ってくれてる人ありがとう。掲示板に情報を書き込んでくれてる人ありがとう。お陰で知れました。感謝します。感謝します。どうもありがとう。ここ二年でいちばんいいニュースのうちのひとつなんじゃないか。A good news IS a good news. いいニュースはいいもんだ。嗚呼、いいったらいいんだ。

4月か。春だな。

私がずっと待ってた証拠はここから下に日記がずっとあるから読んでくれ。いや読まなくていいや。本当に待ってたヤツの言葉がここにある。待ってたんだよ、本当に。いやもう嘘でもいいや。待ってなかったかもしれない。それでもいいや。いいったらいいんだ。



そして、冒頭の話に戻ろう。「いい歌に会えればそれでいい。」。如何にヒカルが帰ってくると言ったって、それが「いいうたにあう」事にならなければどうにもならない。表現としては破綻しているが、「ヒカルが復帰して歌に会えない」より「ヒカルは復帰してないけど歌に会えた」の方が、私にはずっといい。私がどれだけ待っていたかとか待っていなかったとかは関係ない。いやもう待ってなかった事でいいよ。待ってましただなんて言う資格もないんだよ。なくていいよ。兎に角、次の歌に出会おう。話はそれからだ。

それまでは、延々とタイアップの話でもしときますかね。明日から話が諄くなるぞきっとこの日記は(笑)。

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