無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Distance』の話が出ると年度終わり。今のシステムだと年より年度の方が括りや総括としては自然だよね。さて総括してみようか。


"2018年度"は新譜が出て全国ツアーが開催されるという文句のつけようのない年度だった。以上。


…総括終わり。(笑)

でも、この総括が出来たのがは12年ぶり。今これを読んでる3割位の人はアルバムとツアーがいっぺんにやってくるの体験するの初めてだったんじゃないかな。どう?凄い迫力じゃなかった?

願わくばもうちょいコンサートの本数を多くして「行きたくて行けるのに行けない人」を減らして欲しかったが、そこは次回への課題として持ち越して貰えればね。

で。年度終わりということで。出来れば皆さん、この1年度で得た新しい関係やら繋がりやらを継続していってくれると古参としては大変嬉しい。この区切りで進級や進学、引越に就職にと様々な環境変化があるだろうけれど、アーティスト繋がりの人間関係って、よくもつのよ。持続力が違う。勿論、対象アーティストが元気に活動を続けてくれていることが前提ですが。

二昔前と違ってSNSの発達でずいぶん引越の切なさも軽減されていると思う。が、やっぱり近場に居て普段から連めるかどうかって大きいからねぇ。若いと特に。歳取ってくると年1回会うだけでも結構頻度としては順調に感じたりするんだけども(笑)。時間の感覚の違いだわな。

特にヒカルは音楽性の一定しないアーティストなので、その時リリースされる楽曲やアルバムの作風次第でリスナーとしてのテンションが下がる時期が必ず出てくる。そんな時期でも「同じアーティストが好きな知り合いや友達がいるから」という理由は、生きていく中でかなり強力なんですよ。私が言っても説得力ない(いや、あるのか?)んだけれど、ヒカルから離れていても得する事なんてそうそうないからね。いや、本気で興味を失ったのならそれはもう仕方がないけれど、ちょっとテンションが下がったくらいで遠慮がちになることはない。「今度の新曲ノレないんだよねー」といいつつその輪の中に堂々と居座りましょう。それが出来るアーティストなんだHikkiは。

なので、この新年度への切り替え時期は色々と注意だよ。いろんなものに目移りするだろうけど、宇多田ヒカルのことは必ずアタマのカタスミにでも置いておいてね。それが私から言える新年度を迎えるあなたに送るメッセージなのですよっと。

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今日は『Distance』発売18周年記念日か。今のヒカルは「歌詞は日記じゃない」と言うけれど、『ひとことでこんなにも傷つく君は孤独を教えてくれる』とか『神様ひとりぼっち だから救える』とか名歌詞の種々を耳にするとやっぱり17~18歳当時のヒカルならではの感性が煌めいていて、日記とまでは言えないかもしれないが、その時でないと書けない歌が鏤められてるなと痛感するな。

18歳と36歳で同じ事を歌ってたらそれこそ痛いよ…とインタビューなら切り返されるかもしれないが、一方で『驚くほど気まぐれな展開に少しだけ私らしくない期待をしている』『本当にこんな私でもいいの あんまり期待させないでほしいよ』とか並べると同じ歌の歌詞かと見紛うほど違和感がなかったりもする。勿論、『約束は今度会えた時に』と言ってたのが人生経験を積んでスレたのか『約束はもうしない そんなの誰かを喜ばすためのもの』とはぐらかさずにストレートに言うようになったりもしてるけどね。

でも、いずれにせよ所詮は歌詞だ。数々の殺人事件を描いたコナンドイルが殺人鬼ではなかったように、歌で描いた物語の登場人物がヒカルと同じマインドである必要はない。とはいえ、自分に魅力のあり過ぎる人は何年経っても過去のアウトプットを掘り返されるリスクがあるんだなぁやりづれぇだろうなぁと思いつつ今日も私は@utadahikaru宛てにメンションを送っていますよっと。

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改編期という事もあって今まで聴いてきたラジオ番組が2つも3つも終わっていくのはまぁ寂しい限りなのだけれど流石に大人なので慣れてるっちゃ慣れてるわね。


『TRES BIEN! BOHEMIAN』やKUMA POWER HOUR』が復活したらな~、とは毎度思うものの、なんだろうね、あの、今や当たり前となったヒカルの「できる範囲は全部自分でやらないと気が済まない」主義が軟化しないと無理だろうねぇ。熊淡んときは余りに完パケ主義が過ぎたのか複数回飛ばした。月1一時間の番組が何度も納品出来ないってなかなかないよ? それもこれもジングルの作曲から編集から何から何まで自分でやっていたからだわな。

『Hikki's Sweet&Sour』の音源を聴くと全くそんなことはない。女子高生が放課後フラリとラジオ局にやってきて好き勝手喋って自分が聴きたい曲かけて帰っていくような、そんな気軽なイメージだ。当時は制作面でもヒカルはプロデューサーではなくただのシンガーソングライターだった。それがラジオ番組にも表れていたのだ。

ヒカルがコンスタントにラジオ番組をやるには昔のその「フラッとラジオ局にやってきて好き勝手喋って帰る」のスタイルを取り戻す必要があるかもしれない。しかし、今更そんなことをするかというと、無さそうだよね。

ならば自分でプロデュースしてよいからもっと沢山のスタッフや出演者と共に番組制作するのはどうか。音楽制作面でも、アルバム『初恋』では全12曲中独力で仕上げたのは『残り香』1曲のみ、他11曲は何らかの方法で誰かの手を借りて仕上げていた。その時の音楽制作でのアティテュードがラジオ番組制作にも反映されるなら今こそ様々な人たちの手を借りてラジオをやるべきなんじゃないの。

ただ、スタッフは兎も角出演者となると人選が難しい。なりくんと仲良く喋ってて楽しそうだな~とこっちが思っている間に彼の好感度が落ちていった例を挙げるまでもなく、余程の事がない限りヒカルの1人喋りラジオが求められる事だろう。例えば今以て好感度の高いピースの又吉直樹がヒカルと2人でラジオをする、と聴いても眉をひそめる人が結構多いのではないか。1回限りのゲストならまだしもね。

そうなると月替わり週替わりで照實さんや梶さんや沖田さんや三宅さんといった「ほぼ身内」の面々との無難なトーク位しか残らんよな。まぁそれでいちばん面白くなるのはヒカルのSっ気が全開になるであろう小森くん回なのだが彼の知名度でラジオに出て受け入れられるかというと疑問だ。内輪ウケは宇多田ヒカルに似合わない。息子が大きくなってラジオで喋れるようになったらお母さんの恥ずかしい話を生放送で曝露しまくるとか期待したいんだけどそれも何年先になるのやら。そもそも彼が業界人にならんといかんしな。


むぁそういう益体のない事を考えつつスペシャルでいいので次のラジオ番組の放送を楽しみに待つ春の改編期でしたとさ。いつになるやらだけどね毎度の事乍ら。

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スマートフォンの電池の減りがやたら速いので結局毎日ipodとWALKMANを持ち歩く生活を送っている。3kmAhとか結構な容量じゃないのかよ…ガラケー時代とやってること変わらんやん…。

今は便利になったものでBluetoothイヤフォンも2台同時接続が在り来たりになった為iPodとWALKMANを併用するのも結構楽ちん。使ってみるとこれがスマホでアプリを切り替えるより手早く操作が行える。煩雑になりそうなもんだけど、こういうのはやってみるまでわからんもんだね。

この、右手にiPod左手にWALKMANの格好は、普通にみれば馬鹿っぽいけど(笑)、今の音楽娯楽スタイルの過渡期っぷりを表現してもいるんだなぁと。確かに、ストリーミングを使えばあらゆる音源がその場で聴けそうなもんなのだがまだまだ沢山穴があるわけで、例えばヒカルの音源も昨日「全部聴ける」と言いはしたがそれはオフィシャル音源だけでな。それ以外はAppleMusicのライブラリを固定化してるiPodでは聴けないんですよ。いや聴けるけど操作が滅茶苦茶面倒、か。

手許には昔録音したラジオやテレビの音源、それにDVDから録音した音源などが山ほどある訳でね。それを聴こうと思ったらiPodの他にWALKMANも必要になる。勿論スマホのプレイヤーでも聴けるんだけど、さっき言ったように電池持ちが心配で使ってない。

そういった"アンオフィシャル音源"が今後新たに増えないかというとそんなことはないわけで。テレビはよくわからないがラジオ出演がなくなる事はないだろうし。前に民放連AM撤退企図ニュースが流れていたが、過程の電波のありようはどちらでもよく、別にポッドキャストとかダウンロードとかで全然構わないんだしな。

更に言えば、『Laughter in the Dark Tour 2018』では録音録画が半ば公に認められていた訳で、こうなると今後ライブ音源をアーカイブスするのも真剣に考えたくなってくるよね。勿論、オフィシャルで全ライブ音源をダウンロード販売&ストリーミングに乗せてくれればそれがベターなんだけど、一向にやりそうにないのでな。

という訳でアテクシの"両手にプレイヤー"生活はまだまだこれからも続いていきそうですよっと。

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でバナナブレッドツイートはやはりタイミングが大事で。そろそろ新情報来ないかなという心境になってきたファンがちらほら増えてきたなという絶妙のタイミングで現在曲作り中だと伝えた。エゴサしてんじゃないかヒカルはホンマに。ほんとこれで皆助かるのよね。梶さんは次の動きへの猶予が得られたし、シンエヴァの動きがある中での期待感も煽れるし、円盤作業中のエンジニアの皆さんのプレッシャーも軽減される。いいこと尽くし。被害を受けたのは焦げたバナナブレッドを食べさせられたかもしれないダヌパだけだな。食べてないと思うけどね(笑)。

「パラレルワールド・ラブストーリー」は一応注目されてはいるものの、既発曲タイアップへのリアクションはファンの間ですら弱いのが通例で。『Show Me Love (Not A Dream)』が映画「あしたのジョー」の主題歌だったなんて忘れてるor全く知らない人がかなり居るのではないか。確かに、自分の興味のない映画に、如何にヒカルの歌声が大音量で聴けるからといって1800円払って赴く人は相当な酔狂だわな(悪かったな(笑))。ヒカルのファンだから、という人にとってはちょっとした話題繋ぎ程度かもしれない。

そんな中でのツイートなのでまぁ効果はあるよね。いいねの数が現時点で、2.3万とまずまずの通常営業。あの『歌姫ってなんなん』が今14.8万いいねだから、結構健闘している、かも。


で。考えておかないといけないのは、今までの既発曲と違って今はどの曲もサブスクで聴ける事、なのだ。既発曲であってもバズらせればそのまま収益が上がる。アルバム曲の後追いタイアップではせいぜい映画のチケットを買うくらいが関の山だったが、映画を切っ掛けにして『嫉妬されるべき人生』の再生回数が上がればそれはそのまま新たな収益源となる。あとはプロモーションのタイミングとコストパフォーマンスの評価だろう。ここから、宇多田陣営のストリーミング時代のプロモーション戦略が見えてくる。

そして次は真っ新な新曲の時にどうしてくるか、だ。まずダウンロード販売を先行させるのかはたまた即日サブスクに乗せてしまうのか。今はまだ『Too Proud』のリミックスが即日サブスクだっただけで、こちらは真っ新な新曲とはいえないだろう。『Face My Fears』EPは『誓い』と『Don't Think Twice』が先行配信されていた為少し毛色が違う。次こそは新曲一本勝負でくるだろう。

ここでどこまで踏み込んでくるかは注視しておく必要がありそうだ。『Face My Fears』はCDとアナログという2種類のフィジカルが発売されたが次の保証はない。もしかしたらアナログとストリーミングの2本柱に収束していくかもしれない。次の新曲の売り方には是非注目していきまっしょいな。

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@utadahikaru : 曲のプログラミング作業に熱中し過ぎて息子のためのバナナブレッド焼いてたことすっかり忘れちゃって、今慌ててオーブンから取り出したんだけど底がめっちゃ焦げててショーーーックそして危ない…気をつけないと…


まぁなんて情報量の多いツイート。

『曲のプログラミング作業』。つまり今曲作り中で、最近は他のミュージシャンとのセッションが多いのにプログラミングってこたぁまだお家でデモ作りの段階でこの目下作業中の曲が日の目をみるのはまだまだ先ですよと。でプログラミングだから作詞じゃなくて作曲或いは編曲の段階ですよと。それを踏まえると発表までにはまだまだ半年位はかかるかなと。しかしそれは"目下"作業中の曲に関してであってそれ以前に完成してる曲があればそっちが先に発表されるかもしれませんよと。

『熱中し過ぎて』にも注目。つまり行き詰まって右往左往してるんじゃなくて順調に進んでますよ遅れる事はなさそうですよというスタッフの皆さんへのアピールか。案外制作の初期段階では密に連絡を取り合う訳でもないみたいだし。いずれにせよ体調もよく滞り無いのは間違いなさそう。

『息子のためのバナナブレッド』という言い方もポイントで、2人で食べる為じゃないんだなと。どこかでバナナブレッドをみた息子がリクエストしてきたのか、或いは何かお祝い事があったのかもしれない。とはいえそこはバナナブレッド、どちらかというとささやかなお祝いだろうね。大変よくできました的な。今何歳だっけ彼。

でそれでバナナブレッドの調理を忘れて焦がしたんだけど、今時のオーブンてタイマーやら安全装置やらついてるんじゃないの。放っときゃ出来上がってる的な。そういう機能はあるけど敢えて手動で、というのだったら如何にもヒカルらしいっちゃらしいんだが。料理覚えはじめの頃「味見をせずに味付けをする」事に拘っていたヒカルさん。その意地の張り方に至極共感した身としてはそこで手動に拘るのはよくわかる。まぁオーブンにバナナブレッドのレシピがなくて手動にせざるを得なかった、というのが真相かな。最初自動でしようとして手動にしたから、つまり普段は自動でオーブンを使ってるから今回はいつもと違ったんでついつい調理時間を忘れてしまっていた、と。スマホにタイマーとかついてるだろセットしとけよとかはご愛嬌。普段使ってなかっなら思いつかないもんなんだよ。なかなかそこは『It's automatic♪』とはいかなかったようで─という予想のついてたオチを書いたところで今朝の日記はこの辺で。

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YouTubeにある『Face My Fears』のビデオが1000万回再生を突破したのだと。更にサブスクのストリーミング回数は世界累計3500万回超え。なんか桁が違うねぇ。

しかし昨今の地球規模の大ヒット曲の再生回数というのは億なのだ。9桁、更には10桁である。今みたらルイス・フォンシの「デスパシート」が60億回再生を突破したんだとか。そろそろ人口じゃん。

なので、レコードやCDの売上と比較した場合2~3桁多いと考えた方がいいのかもしれない。実際、ストリーミング再生1回あたり1円とか3円とかの収益なので、シングル盤が千円程度だった訳だからそんな感覚でいいと思う。

となると1000万回再生ってCDシングルで言ったら数万~数十万枚クラスのヒット曲、位の認識になるかな。「デスパシート」と言われてもピンと来ない人は「打上花火」が今2.5億回再生、「Lemon」が3.3億回再生と言えばどうだろう。米津玄師恐るべし。で、それぞれがCDシングルとして250万枚、330万枚のヒット、なんていう風にいえば昭和生まれ平成育ちの世代は結構しっくり来ないかな。なお平成生まれ昭和育ちなのは上坂すみれだ。余談が過ぎるな。

そんな感じなので、1000万回再生とはCDシングルでいえば10万枚の売上を突破したくらいと捉えれば、いやそれでも勿論大したもんだが、往年のヒカルの影響力を思い返すとそこまででもないんだなと少し冷静になれるんじゃないか。こんなこと書いてたら梶さんに「余計な事言うな」と怒られそうだが、正直1000万回とか3500万回再生とか言われても数字が大きすぎてようわからんのよね。いや100万とかでも十分大きいけれど、そこはCD世代はミリオンヒットを沢山通過してきていますから。だからあクマで年寄りの感覚の話、ね。


という感じなので、ヒカルの曲がYouTubeでもサブスクのストリーミングでも再生回数が「億」を刻んで初めて大騒ぎする位でいいんじゃないの。流石に「デスパシート」は化け物過ぎるが、そこまで行かなくても億回再生の仲間入りをすれば紛う方なき世界規模のアーティストだって言えそうだ。まぁ、言わなくてもヒカルの曲の素晴らしさには影響がないのでその時になったらまた、でいいんだけどね。折角なので今夜も私はCD持ってるけどストリーミングで聴きますかね~。

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『Laughter in the Dark Tour 2018』の円盤発売告知はまだかとか思っていたら、エヴァのアフレコが始まったんだと。アフレコといってもそこは庵野監督、緒方恵美曰く「セミプレスコ」状態なんだそうな。つまり、実質音声のみ収録に近いのね。ダテコーじゃないんだから全くもう。

誰がどう足掻こうが主題歌はヒカルだろう。他のタイアップと違ってヒカルが他人に渡しそうにない。勿論シンエヴァの作風次第でチェンジする可能性もなくはないが、もしそうなったとしたらそもそも作品として期待できる内容ではないだろう。ハイクォリティだからこそ宇多田ヒカルの看板と呼応したのだ。誰だあのドラマやあのドラマはそんなことなかったぞとか言ってるのは。知りませんっ(笑)。

でも、ひとつ気になっているのは「キングダム ハーツ」シリーズの好評だ。ゲームの内容はさておき過去作と遜色ない売上を上げたという実績は既に作った。これはただシリーズものを連続で当てたという以上の意味がある。十数年のブランクがあるからだ。つまり、世代が交代・推移してなお「キンハといえば宇多田ヒカル」という構図を植え付けられた事を意味する。

ここまでやられると「エヴァといえば宇多田」という神通力が低下というか忘れ去られるかもしれない。古参ファンが頑張ればいいだろうとも思うが、やっぱり新世代にとって「昔からの名作の新作」だろう。何しろ新劇場版ですら第一作「序」は2007年、12年前なのだ。既に干支一回りしているのである。これに加えて旧20世紀版まであるのだから、エヴァというコンテンツは新世代にとって今の所「あんまりリアリティのない作品」になっている割合がかなりありそう。つまり、「エヴァといえば宇多田」といわれても、その凄味はすぐには伝わらない。

キンハと同じような"威光"を放つには、まずシンエヴァが単独で相当話題にならないと無理だろう。その中で、既に復帰後に新世代の新たな支持を集めつつある宇多田ヒカルの援護射撃はデカい。ヒカルが事ある毎にエヴァへの思い入れを語るだけで、いやさ12年前のPLAYBOYのインタビューのコピーが出回るだけでエヴァへの期待ムードが高まる。そして勿論、新曲の発表が重なるのだからその時点でエヴァへの好感度は急上昇だ。また劇場封切り日に音源初公開なんてことになったら相乗効果も計り知れない。

12年前は「異世界の特大ビッグコンテンツ」だったエヴァ。今は、ヒカルが先に世代を超えて支持を受けている。感覚としては、エヴァは三世代を魅了せねばならないのだが、ヒカルの成功は異ジャンルとはいえ励みになっているに違いない。もっと言えば、ヒカルのようにすれば新しい世代にも旧い世代にも受け入れられるのだ。今まで以上に、ヒカルがエヴァに与える影響は大きくなるだろう。あとは制作プロセスの順序次第だね。来年の公開日まで目の離せない日々が断続していきそうな気配です。

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ヒカルの事になると「貶す」のにもエネルギーを使えてしまう私は本当に性格が悪い。勘だが、今夜はこの日記のアクセスが少ない。言わずにいたネタを書いてみようか。

「丸ノ内サディスティック」のカバーがイマイチだった件について。

1年前にラジオで披露したカラオケは結構好評だったように思う。椎名林檎との兼ヲタが多い為「やっぱりオリジナルの方がいい」が最大多数派だった気がするが、思うに、単純にカバーバージョンの楽しみ方を知らないだけなのではないかと。

カバーがオリジナルを直球で凌駕するのは稀だ。何より、殆どの場合それを狙って演奏されていない。オリジナルが好きすぎて忠実にカバーしようとするか、そうでなければ変化球。違った角度から楽曲に光を当て新たな魅力を提示する方法を採る。

オリジナルに忠実なカバーはどれだけ優れていても99%の出来でしかないから基本的にオリジナルが至上だ。変化球の方は、原理主義者にはウケが悪い。いずれにせよちょっと捻くれていたり余裕があったりでないとカバーは楽しめない。要するに「遊び」と戯れられるかどうかだ。

その点、私はオリジナルの「丸ノ内サディスティック」に何の思い入れもない(今書いてても丸ノ内だっけ丸の内だっけ丸之内だっけってなってるくらいにな)ので、原理主義的な視点はない。オリジナルに似ても似つかなくても全く問題なく評価できる。

そんな人間に「…イマイチじゃね?」と思わせたのだから、結構マズい気がする。

ジャズ・セッション風のバッキングにデュエットを乗せよう、というアイデア自体はいいと思う。が、肝心の中身が伴っていない。アンニュイにしたかったのかニヒルにしたかったのかムーディにしたかったのか意図がよくわからない。「とりあえずフリーでセッションして貰って、何が出てくるか見てみよう」といって何も出てこなかった感じ。

繰り返すが基本的なアイデアの枠組み自体は面白いと思うのだ。この方向性でいいトラックが録れる可能性はあった。しかし、そうはならなかったのだ。

「これだったらラジオで流したカラオケの方がいいや」と当時思った。勿論、カバーアルバムにカラオケを収録する訳にはいかなかったからそれは御無体な話だが、この、カラオケのエネルギーと正式バージョンの空虚さの対比は、そのままヒカルとなりくんの関係性の変化だったのでは?というのが今回言ってみたかった事だ。その推測が当たっていれば裸婦抱くのセトリ問題とかと色々符合してくるかもしれない。音楽は正直だ。伝わってきたまんまを受け取ったらそれが正解なのかもしれない。

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イチローが引退した。「引っ張ったねぇ」というのが正直な感想で。会見が深夜だった為まだちゃんとチェックしていないけれど、日本をはじめとしたメジャーリーグ以外のプロリーグで現役を続ける意思は無い模様。然らばプロ生活はこれでピリオド。本当にお疲れ様でした。

自分は野球ファンではないのだけれど、イチローだけは別だった。プレイが美しかったからだ。他の選手にはない機能的美学が打撃フォームや守備姿勢から伝わってきた。最初は1994年に「4割打者誕生か」と騒ぐニュースが切っ掛けだったのだが、あのプレイスタイルでなければ毎日オリックス・ブルーウエーブの試合をチェックするようにはならなかっただろう。お陰で随分野球にも詳しくなった。ついでだけど。

彼のバッティング・フォームはクリエイティブだ。詳細を語り出すと長くなるので省くが、「そのまま芯で捉えると野手の正面を突くのでわざと詰まらせて転がす」のをわざとやってると聞いた時は心底驚いた。その発想はなかったわ、と。同様の気づきがイチローのプレイには沢山あったのだ。

だから、イチローといえば勿論安打記録の数々だが、自分にとってはヒット1本1本が思い出だ。それを生み出せなくなったから引退。仕方ない。別にメジャー以外で続けてもよかったろうに、とドライな事を言いたくなるがそれは彼の人生だからね。

もっとドライな事を言えば、晩年のイチローはヒットを産み出せなくなっていたので関心がなかった。なので、今引退と言われても「ふーん」という感想しか出てこない。一方で、日本での評価の低さには辟易してもいる。大谷の二刀流がなかなか理解されなかったのはイチローへの低評価が原因或いは証明だ、と何度も繰り返してきた。メジャー百数十年の歴史の中で「10年連続200安打」と「年間最多262安打」という"史上最高記録"を持っている。たった1年サイ・ヤング賞や本塁打王を獲るのとはレベルの違う偉業だ。そんなヤツは毎年居るんだから。大谷はそんなイチローを超えたいのだから自らの総てを表現しないと無理な話。故に二刀流。素晴らしいハードルの高さを作ってイチローは引退していく。恐らく、大谷は最後までこの偉大さを痛感し続ける。


記録も思い出も楽しかった。しかしもう過去のことだ。毎日頑張ってる人たちも応援したいのです。でも、もうちょっと浸らせてね。

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再掲。


@utadahikaru : 自分もいつか視力失ったらお世話になるんだなって思ってありがたく思ってきた点字ブロック、車椅子利用者には結構な難関らしい 難しいね(°_°)


社会福祉にとって相克と葛藤は本質である。ヴ王の名言に「失政は政治の本質だ。」というのがあるが、似たようなもの…でもないか。でもまぁ近い。

無理を通せば道理が引っ込むとはよく言ったもので、弱肉強食の非効率に嫌気が差した人類は福祉を強化して頂点に立った。まぁこの程度で頂点なのかとゴキブリあたりに笑われそうだが、一種で7000000000匹以上の個体が同時に生存しているとなると、特にバリオン数では地球有数の種だろう。まぁそんな我田引水な基準を採用している時点で夜郎自大ではあるけれど。

脱線した。ヒカルは優しい。『自分もいつか視力を失ったら』もまた照れ隠しのようなもので、見ての通り少数派には途轍もなく慈悲深い。故にヒカルは葛藤から逃れられない。とはいえ、苦悩に身を置いてこそ真の安心が得られるというのがintegrityの真髄だから、それが私の人生なんだとしか思っていないかもしれない。

そして。苦悩と葛藤は技術と医術であっさり解決したりするものだ。「天然痘の根絶」などはまさに医術の何たるかだろう。全然あっさりじゃなかったけれど。とまれ、ヒカルの『難しいね』もそのうち技術と医術が解決する。その時しっかり讃えよう。

だが結局は、最初に葛藤と相対する人間が必要なのだ。幾ら技術が進んでも、使うべき場面を知らねば意味がない。それを示唆する為にも最初の『難しいね』は大変意義がある。宇多田ヒカルに褒められると知れば、世の技師と医師にもやる気を出す者が出てくるのではないか。こうやって誇って貰えるのは、300万弱フォロワーのツイッタラー最大の効用だろう。わざとらしくない程度にどんどん呟いていって欲しいものである。

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@utadahikaru : 盲目の祖母と、深刻な視力の病気(黄斑変性)を患う母を持った者として、今や世界中で視覚障害者の役に立ってるものが日本人の発想だったってことが嬉しい

@utadahikaru : 自分もいつか視力を失う可能性が平均よりも高いことを意識して育ったから、いつもこの道路とか駅とかの凸凹を有難いなと意識してた

@utadahikaru : 自分もいつか視力失ったらお世話になるんだなって思ってありがたく思ってきた点字ブロック、車椅子利用者には結構な難関らしい 難しいね(°_°)


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10年前のメッセにかまけてリアルタイムのツイートをするなんて勿体ない真似はしなーい。今回は結構真面目な話題。3月18日が世界で初めて黄色の点字ブロックが岡山市に敷設された記念日ということでこのツイート、だな。

祖母と母の視力の話がヒカルに「家系」を意識させていたとは気がついていなかったな。ちょっと迂闊だった。確かに次は自分の番かもとなっても不思議ではないわな。そういった背景があったからこそお母さんはヒカルに『光』という名を与えたのだ…となれば美談だが実際はイチゴだメロンだと果物の名前をつけようとして却下されたのだった。まぁもっとも、当事者たちの記憶だってアテにはならないけどね。あ、今日はシングル『光』発売17周年記念日ですよ。

ヒカルは日本国外で過ごすことが多い為、結構「日本が」「日本人が」と言う。日本の評判のいい国で「あなたは日本人だからいい人に違いない」と受け入れられるような経験があるのかもしれない。実際日本国のパスポートは国際社会では非常に強力だと言われるしね。自国の評判が自身の生活に直結する中で「日本人として誇れる実績」を素直に称賛するのは自然な流れかもしれないな。

一方で今朝のツイートでは実績も手放しの称賛のままではいられない現実に気づいたりもして。嗚呼、リアルタイムでことばが聴けるっていうのは、いいねぇ。日本語が読める教育を受けてきて本当によかったと思いますよ。

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皆さん御存知の通り無意識日記では如何にヒカルを取り上げていてもタブロイドやゴシップの話は(他の話題に較べて)控え目なのだけれど、今日読んだ記事は余りにも奇妙なので取り上げてみたいと思う。日刊ゲンダイの記事である。

─ ゲンダイさんがどんなウェブサイト運営をなさっているか失礼ながら存じ上げない。従って、慣例に倣い「新聞記事はパーマリンクではない」という基本に則って全編コピペしておきます。


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引用元URL : https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/249886
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190319-00000012-nkgendai-ent


「超面白かった!」宇多田ヒカルは直撃取材の直後にブログを更新

3/19(火) 9:26配信

青山佳裕【平成芸能界 直撃の30年史】

 平成10(1998)年は当時15歳の少女のデビューアルバム「First Love」が累計765万枚を売り上げる大ヒットを記録した。米ニューヨーク出身の宇多田ヒカル。「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などの藤圭子の長女と知って、藤圭子を聞いてきた世代はまた驚いた。

 宇多田はJポップ界では「非・小室系」という呼ばれ方をしていた。音楽シーンを席巻したプロデューサー小室哲哉の時代は終わり、新たな世代が続々と台頭していく。浜崎あゆみ、モーニング娘。、椎名林檎らで、MISIAやGLAYなど、若い世代を中心に支持を集める。長野五輪の狂騒、NTTドコモの「iモード」のスタートと相まって、新しいムーブメントが音楽シーンにも待たれていたのだろう。

 その宇多田がデビューして間もないころ、日本に帰ってきて、四ツ谷駅近く、企業のテナントが入ったビルにひとりで暮らしているとの情報を得た。直撃取材を試みる。

 ちょうどランチタイムに差し掛かり、現場ではサラリーマン族がちらほらと会社を出てきて、行きつけや目当ての飲食店へと向かっていく。宇多田のいるビル1階にも和食の定食チェーンがあって、サラリーマンが日替わりをかっ込む姿があった。取材が終わったら、ここで飯を食おうか。そう考えながら眺めていると、小鳥のような、女の子が1階のエレベーターから出てきた。

 小柄な、そこらへんにいる中学生かと思ったが、濃い眉毛が印象的な宇多田だ。ちょっと驚いて目で追うと、宇多田は慣れた様子で定食チェーンに入り、ひとりボックス席に座った。そしてサバ塩焼きに納豆、おひたしといった、ごく普通の日本の家庭のメニューを並べ、箸を動かしていく。とってもおいしそうだ。周りのサラリーマンも、まさかミリオンヒットの新歌姫がいるとは思わず、誰も目を向けない。

 食べ終えて、お茶を飲みほした彼女がレジに向かい、現金で会計を済ませる。満足した顔で店から出てきた。話しかける瞬間、ちょっと尻込みした。子どものようでも、当然アメリカナイズされているだろうから、どうしたものか。結局、「こんにちは」とごく普通に挨拶し、ちょっと話を聞かせてくれないかと向けると、こう言った。

「はい、わかりました」

 このころ体調不良で公演を休むこともあり、そのあたりを聞くと「はい、もう大丈夫です」。藤圭子を「母」と呼び、父親の音楽プロデューサー宇多田照實さんを「父」。その通りなのだろうが、ごく普通の娘のようにしゃべりだして、また驚いた。

■「母は母なりに頑張って生きています」

「母は母なりに頑張って生きています。ご安心ください」と、ハスキーがかった声できちんとした受け答え。「ヒッキー」と呼んでも笑顔で受け入れてくれた。たった10分ちょっとの時間だったが、まだ何者かよくわからないスターの素顔を垣間見ることができた。

「それでは失礼します」と頭を下げて去っていく彼女をみて、応援したくなっている自分がいた。少女でも十分、人を引きつける何かがあったのだ。宇多田に続いて和食チェーン店に入って、腹を満たし、次の取材先に向かっているときだ。編集者から電話が入り、「宇多田のブログを見てみてください!」と興奮気味に言われた。急いでネットから開いてみると、「青山さんて記者さんに直撃されちゃって、色々聞かれてしまいました」とあり、「超面白かった!」と楽しそうに書いてあった。直撃から2時間後だったか、SNSで自分のメッセージを発信する新世代の登場を目の当たりにして、空を仰ぎ見たのを覚えている。

(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)

あおやま・よしひろ▽1954年、東京生まれ。美空ひばりの時代から取材歴40年。現在も週刊誌などで活躍するベテラン直撃記者。


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大変好意的な記事に読める。嗚呼、宇多田ヒカルはベテラン芸能記者すら魅了するのか、大したものだな、と。デビュー間もないというから1999年頃かな、でも「このころ体調不良で公演を休むこともあり」ともあるから2000年頃かもしれないな。デビューして2年近く経っても"間もない"って言うのはちょっと違和感あるけどもう20年選手だしそんなもんかな…と。


でも、この時のメッセはこうなのだ。


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引用元URL : http://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_12.html



2008.12.09

今さっき

昼飯喰いにファミレス行ったら女性自身の青山さんっていう記者に取材された(笑)

編集者にどうしても聞けって言われたことはとりあえず受け答えした(笑)


2008.12.09

っつうか

昨日忘年会に行ってさきほど起きたばっかりまだ酔っぱらってる感じです青山さんごめんなさい

普通にMRI検査はどうでしたか?とかエイズ検査は?お母様は?とか聞かれました

普通に話してる姿がめっちゃおもろかった

ああ記念撮影してもらえばよかった(笑)


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そう、日付を見て貰えればわかるとおりこの時の(と思われる)インタビューはデビュー10周年を記念したものだったのだ。自分も立ち読みしたから覚えている。

https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/2d72b80683494f0f32a8f851b105fd0f/?st=1

流石に25歳の大人の女性は中学生に見えないだろう。二日酔いだったみたいだし(笑)。何より、この時のヒカルの眉毛は太くない。ヒカルはファミレスって書いてるし。率直に言って、何もかもがおかしい。可能性としては、青山さんが実際にデビュー直後のヒカルを取材したことがあったが、その時の記憶と混濁している事が考えられる。でも、幾ら何でも10年前と20年前の記憶が混ざるかなぁ? よくわからない。



兎も角、今回この記事を読んで微笑ましく楽しい気分になった皆さんには大変申し訳ないが、話半分いや話十分の一、眉に唾をつけて読んでおいてくれると有り難いです。まぁヒカルも細かい事は覚えていないだろうし、これはきっと真相は謎のままになる気がしています…。なんだか寒気がしますわん。

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というわけで明けて晴れて『HEART STATION』発売11周年記念日である。打ち込み主体だが意図的に「やわらかい音」が駆使されているのでサウンド全体の印象は夢寝見心地というかパステルカラーとビビッドカラーのハイブリッドなスイーツとクッションとぬいぐるみに囲まれてるような感じだ。うまく伝わるかな。或いは虹色のシャボン玉に埋もれてるような。直接虹色バスやね。

今のシックで落ち着いたジャズとクラシックロックと弦楽の生音とは随分距離があるのだが、結局デビュー時から作詞が油断していない為こどもっぽさみたいなものは皆無。『ぼくはくま』が収録されているといっても歌い方は慈愛に満ちたおとなっぽいものだ。それ以上に寂しいのだけれど。

そういう意味では「今のサウンドが30代半ばらしい落ち着いてオーガニックなもの、11年前のサウンドが若々しくてメカニカルで合成甘味料的」というような紋切り型の分類を可能にしつつも、年齢に関係のない宇多田ヒカルというアーティストとしての資質の揺るぎなさみたいなものも感じさせて、今更ながら奇跡的なバランスを具現化し続けているんだなと感服し直さざるを得ない。結局、こんなの他の誰も作れないんだなと。ヒカルも『Fantome』作ったときに二度とこんなの作れんと自分で言っていたが、再現性皆無の一期一会をこうやって表現しきって発表してくれた事に改めて感謝の意が湧いてくる。

もっと欲張るなら、6年半の間に公表されなかったその時の創作物もいつか日の目を見れたらなとも思うのだけど、ヒカルのことだから何年も前のアイデアを取り出してきて作り直すような事もするだろうし、要するにタイミングがないだろうな。まぁそれは引退した後にヒカル以外の人間に任せる事かもしれない。願うならそんな日は来て欲しくなく、ならばそういった未発表音源はいつまで経っても日の目をみない。それももどかしい。

『First Love』15周年デラックスエディションのような企画がもっと欲しいが、それもまたヒカルが長期休養に入っている事を意味するので痛し痒し。

つまりだ。欲張り過ぎると碌な事がない(笑)。やっぱりこうやって、自主的に過去の名盤を引っ張り出してきてその素晴らしさを讃え直しつつ次なる新情報を待つのがいいんだろうね。新たな発見が、あるかもよ。

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今日は3月18日、と聞いて妙に昂揚感を覚える自分に気づいて暫し戸惑った。「今日の日付って別にヒカルの何か記念日って訳でもないよね? なんでなんだろう…」と訝しんだのだが、すぐに気がついた。明日は3月19日。そうだ、アルバム『HEART STATION』の発売日だ。その店頭陳列日の日付即ち自分が11年前に実際にアルバムを手に取った日付が今日3月18日だったから妙に昂揚感を覚えたのだ。合点がいった。

『HEART STATION』はヒカル最初の10年の最高傑作である…とか言うと異論続出なのだろうかな。まぁ大変な力作である事自体には異論は少ないだろう。兎に角全曲いい。そのテンションの高さはそうそうヒカルでも再現出来まい。

対外的にも凄い。当時年間世界第2位を記録した800万ダウンロードの『Flavor Of Life』を筆頭に、「エヴァの主題歌といえば宇多田」という定評を作り出した『Beautiful World』、ヒカルの名前も知らぬ幼子を大量に虜にした『ぼくはくま』など、本当に幅広い客層に敷衍した。更に『Prisoner Of Love』が新世代の支持を牽引、現在に続く「宇多田神話」みたいなものを確固たるものとしたのはこのアルバムの収録曲の数々があってこそだろう。『First Love』がピークと思われていた中で、数え方は異なろうが800万だ2000万だという『First Love』の750万を超える数字を出せる作品を作ったのは特筆に値する。ぶっちゃけ、ここで人気がV字回復したからこそこの2年後に人間活動宣言をした時にも「売れなくなったから引っ込むのか」的な誹りがほぼ聞かれなかったのだ。本当に惜しまれつつのアーティスト活動休止だった。このアルバムを作り上げたからだ。

自分が時を超えて感じる昂揚感は、そういった対外的な要素と、初めてこのアルバムを通して聴いた時の目の剥きよう驚きようが一生モノだったこととの複合的な感動の結果である。万が一まだこの作品を聴いた事がないのにこのページを開いてる人が居るのなら貴方は時間の使い方を完全に間違っている。ストリーミングで聴けるから一刻も早く『HEART STATION』をライブラリに登録しなさい。これは命令なのですよ。

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