無意識日記
宇多田光 word:i_
 



予定通りデジタルチケットが本日発行されて。席が事前にわかるのね。まぁ有り難いか。真ん中にどこぞの容疑者のモンタージュらしき画像が貼り付けてあるんだけどこれ何すかね?(あんさんやがな)

これで多少なりともみんなの事前テンションが上がってくれるならいい効果を生んだといえそうだ。スクリーンショットか画撮をプリントアウトしてチケットホルダーやファイルに保存する猛者はいるのかな。何しろ今回は後年に形になって残る紙チケットの半券がないからね。何か記念に残しておきたい人は工夫しないといけないね。

こちらはチケットがひとまず手に入って一安心、でいいのかどうかはよくわからず。やっぱり当日コンサートが始まるまで何が起こるかわからないし何の油断も出来ない。マイスマホが壊れたらそれでおしまいなのだから。少なくともモバイルバッテリーは用意しておかなくてはいけないし朝からバッテリーセーバーオンで過ごしとかないと。電車が止まった場合の経路の確保(バスやタクシー、徒歩など)もしておかなくてはいけないし、当日の天候にも気を配らなければいけない。心配しようと思ったら心配できることは山ほどある。会場でトイレに行くタイミングはいつがいいのか、ちゃんと前々日くらいから脱水症状(秋冬でもなるときはなるのだ)に見舞われないように水分管理をきちんとして…嗚呼、きりがない。

斯様に浮ついた気持ちは全くないのだが、チケット落選中の方達から見れば浮かれまくってるように見えるんだろうな。行きたくても行けない人が居るのはテンションが下がる。ここは自由の国ではなかったのか。

せめて、最早事前でなくてもいいからツアーグッズ通販が始まればね。少しは気が晴れるのかもしれない。勿論、もっと嬉しいのは前回やった映画館でのライブ・ビューイングとインターネットの生ストリーミングだろう。でもまぁ望み薄である。今の映像&ウェブスタッフの誰かさんたちはたった2曲ですら満足に送り届けられなかった無能集団なのだから。事前届出制にしておいても、だ。きっと2時間ずっと音の鳴らないビアノの映像を配信して終わりになる。全世界にコンサートをフルサイズで生配信するなんて夢のまた夢。無能に期待するだけ無駄である。


……と、これくらい悪辣に罵っておけば憤怒&奮起して完璧な生配信を実行してくれるんじゃないかなぁ、という期待を込めて。誰か関係者の方に読んでうただければ幸いです。

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8年ぶりのライブでは、最近2作からの初披露が目玉になるのと同時に、デビュー20周年を迎えて過去の名曲を如何に歌うかというのも焦点になる。

『Fantome』エラの衝撃のひとつに、過去のヒカルの歌唱の聞こえ方が変化してしまった事が挙げられる。同作の丁寧な歌唱を体験した後だと昔のヒカルの歌唱は如何にも雑に聞こえる…リスナーのみならず当のヒカルもそう感じていたらしく、つまり今回のライブで過去の名曲を歌う際に他ならぬヒカル自身が自分の歌唱の“進化”に向き合わねばならない事を自覚している筈なのだ。

これは、新しい楽曲群を歌う以上の難題である。20年の月日はファンの思い入れを醸成するには十分な時間だ。特に今回ライブ初体験の人達にとっては、まずは慣れ親しんだ名曲群をヒカルが生でそのまま歌えるかどうかが重要だ。ライブならではのアレンジを楽しむのは、次回のコンサートからだろう。

その状況で、今の“進化した”歌唱力で過去の名曲を歌ってしまうと「なんか知ってるのと違う」と違和感に基づいた拒否を喰らう可能性がある。昔より遙かに上手く歌っているのに気に入って貰えないという理不尽な結果が待ち受けているかもしれないのだ。

ヒカルが「今の俺の姿を見て貰いたい」という泰然自若なアーティスト風情だったなら悩む必要のない問題だがライブのヒカルは基本的にサービス満点のエンターテイナーであって、出来るだけファンの期待に応えるようなパフォーマンスを心掛けてくる。過去の名曲群に対する思い入れを無碍にするような真似はしてこないだろう。

しかし、アーティストとしては勿論、エンターテイナーとしてもわざとパフォーマンスのクォリティーを下げるという行為が如何に危険なのかはよくよくわかってもいる筈なのだ。従って、過去の名曲とはいえ今のあからさまに高まった歌唱力で歌わざるを得ない。この、ファンの思い入れと自身の進化の表現の両方の折り合いをどうつけるか、そこがポイントになってくる。

それに関しては各曲の具体論に入るしかないので詳細を考えることは出来ないが、1つ言えるのは「ライブコンサートではそもそも歌ってるときのルックスが違う」という点。これは踏まえておきたい。ライブとなると、大画面であれオペラグラス(席がどこかわからん段階では用意しとかんとね)であれ肉眼であれ、「歌うヒカルをこの目で見る」というのは必須である。自分のように目を閉じて聴き入るタイプはライブでは少ない。となると、そもそもイメージと違う空間で歌っているのだから、それをどう利用するかを考えた方がいい。例えば『Automatic』をロングドレスで歌い始めたら目で見ている人の幾らかは“違う歌唱”を無意識に期待するだろう。そういった演出面でのもって行き方も重要になる。本番当日如何なる結果を招くか。十二分に期待をしていますよ。

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どんなゲストが来たら吃驚するかって『Blow My Whistle』やるためにフォクシー・ブラウンが出て来ることだね。客の8割くらいがぽっかーん(笑)。でも、勿体ないよね格好いい曲なのに。ヒカル自身は気に入ってないようだけど、ライブで“思い通りの姿”を披露するのも悪くないでしょ。

前回の『WILD LIFE』でいえば『BLUE』がそれに近かったのではないかな。『ULTRA BLUE』に収録されたスタジオ・バージョンはアレンジがシンプルでまるでデモ・バージョンみたいだなと思ったものだが、『WILD LIFE』でのそれは洒脱で軽妙で、この楽曲の持つおどろおどろしい強烈さをより巧く緩和しポップスとして聴きやすいものに仕上げていた。ライブで曲が進化したり完成したりといったことがあるんですよ、えぇ。

今回そういった“アルバム・バージョンとの違い”を感じさせてくれそうなのは『夕凪』と『嫉妬されるべき人生』の2曲だ。あの2曲の編曲は“確定的な感触が弱い”という意味で未完成さを漂わせている。そもそも『夕凪』はスタジオ・ミュージシャンたちとのセッションで完成させた楽曲だ。ツアーのメンバーがその時の収録メンバーと異なるのならば、今のツアーメンバーたちの組み合わせから生まれる独自の解釈が齎される筈である。それが吉と出るか凶と出るかはやってみないとわからない。しかしそれこそがライブ・パフォーマンスの醍醐味なのだ。純粋に楽しみである。

『嫉妬されるべき人生』に関しては、演奏される会場のサイズが問題になるとみる。あの曲のもつスケール感は、何度も「まるで2枚組みたいだ」と感想を述べたくなるほどの大きな器を誇るアルバム『初恋』(来週ホントに2枚組でリリースされます)においても際立って大きい。こういう曲を広いライブ会場で演奏すると、まるで観客のその時の感情のみならず、彼らの人生そのものに影響を与えていくような感銘的なパフォーマンスが繰り広げられる可能性があるのだ。小さな会場ではそうはいかない。人の気持ちは素直なもんだからね。ひとつ間違えればとっちらかるだけなのだがチャレンジしてみる価値はある。挑めるテーマが生まれるのもまたライブコンサートの醍醐味である。

これらの身勝手な期待の数々には、ただ一公演だけで応えられるものではない。ツアーの長丁場の中で関わる人間たちがどれだけコンセプトを理解し合えていくかで固まっていくものだ。そういう意味でも今回も最終日の公演を見たいものだが、まぁ直に観れなくても『デビュー20周年記念日』の公演をライブ・シューティングする可能性は相対的に高いだろうから、来年リリースされるであろう映像作品に期待しておくことにしますかね。ライブで完成された楽曲たちとの邂逅を心よりお待ち申しておりますです。ハイ。

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あーおい初日まであと1週間なんだってよ。ツアーオフィシャルサイト作っておいてほぼ放置とはいい度胸だ。流石に今日は何か更新があるかな?

…Focals&Loopか…取り上げるにはもうちょいだな…(余所見しながら独り言)

ただ静かなだけならそんなに懸念は無い。『30代はほどほど。』の失敗を全国ツアー規模でやられたら堪らないというだけである。ああいう前例があるから気が気でないのだ。

ほどほどは無料企画だったからまぁなんとか収まった。メガネ代も補填されたそうだし。そこまで悪評を引き摺った訳でもない。いや、悪し様に言ってるのココだけという感すらある(汗)。兎も角ヒカルのイメージダウンにまでは行っていないのだからそこは評価しとこう。

しかし今回は一万円払って見るライブだ。こちらの宇多田資金感覚からすれば図抜けて格安だがそんな風に捉える人間は5000人も居ないだろう。98%の人間は一万円も払ってトラブルに巻き込まれるのは御免だねと言うに違いない。

『30代はほどほど。』はストリーミング企画であって今回は生のコンサートなんだから事情が違うのでは?という意見はとっともだ。同じ技術的理由でトラブルが起こる訳もない。しかし懸念の要諦はそこではない。ああいった、やってみるまでもなく失敗が目に見えていた企画が通ってしまった体制自体が問題なのだ。今回も、もしかしたらツアーに際して明らかにダメなプランが実行されようとしていて、それに自浄作用が全くはたらかない、などという事態が考えられる。そうなったらツアー全体がガタガタになるだろう。

でもまぁ、いい機会かもしれないね。流石に全国ツアーでポカをやったら(例えばデジタルチケット持ってきたのに開演時間までに入場できなかった、とかな)責任者は更迭されるだろう。それで今後の活動の風通しがよくなるなら、手痛い授業料だが、払う価値はある筈だ。まぁ、もしかしたら、更迭する方の立場の人間が問題かもしれなくて、もうそうであったらどうしようもないんですがね…。


…ツアー開始1週間前だってのに暗い話だなっ!(笑) コスプレの相談でもしてる方がまだ健全だよね。…いや、私はやりませんけどねっ。皆さん、思い思いに楽しんでいきましょうぜ。

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これだけオフィシャルからのメッセージの少ないライブが未だ嘗てあっただろうか? NYショウケースギグ並みだな。今回は日本国内ツアーなんですけどね。


確かに復帰後のヒカルの活動スタンスは以前とかなり違っている所がある。色々あるけどいちばん違うなと思わされているのがテレビとラジオの出演の仕方だ。

テレビはよく出てるよね。今までにはなかったタイプの番組にもチャレンジしている。紅白歌合戦にも出たし小田和正からのラブコールにも応えた。ニュース番組でのインタビューも受けたし「プロフェッショナル 仕事の流儀」みたいな密着ドキュメンタリーは久し振りだった。テレビにはよく出ているのだ。

しかし、ラジオは限定的だ。自前の番組はきっちり出演した。『ファントーム・アワー』に『トレビアン・ボヘミアン・スペシャル』だ。しかし、他人の番組に出演したのは…あれ、なんかあったっけ? もしかしてひとつもないんだっけ? まさか冗談みたいに酔っ払って出演した小袋くんの番組だけではあるまいな…あれ3週連続で出てくれて美味しかったんだけど、ラジオプロモーションとしてカウントしていいのやら…。

当然、公開収録もなく、生でHikkiを見られて嬉しさの余り泣き出す女の子たちを眺める事も出来なかった。Hikkiが御縁で結婚しましたアピールも耳がでっかくなっちゃったも披露するチャンスがなかった。非常に寂しいというかなんというか。確かにセキュリティー面を考えれば致し方ない面もあり、ヒカルの安全確保が最優先だとすればこんなに有り難い事は無く寂しいなんて言ってられないとも思うが、今より人気のあった頃にはあったのになと思うとやっぱりちょっとやるせない。皆大人になったのかな。

本来全国ツアーともなれば地元のラジオ局との連携は不可欠な筈。しかし今回はまだそういったコラボレーションのお知らせはない。12年前のサプライズ・ギグ『One Night Magic』の応募は、確かラジオ番組からで12時間限定だった。今ラジオ局と密に遣り取りが無い宇多田ヒカルが今回そんなサプライズを仕込めるとも思えない。或いはここからラジオ局との親密さが復活するなんてことになったら面白いのだけれど、どうだかねぇ?

それもこれもスケジュールが押してる所為だ、と言ってしまっていいのだろうか。「ツアー初期はまだグッズが揃え切れなかったから残りは後日通販で」みたいなことにならないだろうな。大丈夫かな。初日まであと10日を切っても心配事バばかりというのも何だか居心地がよくないが、もう四の五の言ってはいられない。瞬く間にツアーが始まってしまうだろう。走り始めてしまったら、完走するまで形振り構わず応援する事に致しましょ。

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今夜が横浜公演の機材席解放追加分抽選販売申込受付(長いわっ(笑))の締切でよろしかったっけ? 各自確認して欲しいが、案の定ギリギリまでチケットの調整してますな。

今までと違うのは、既にCD封入分で当選していた私の所にもこの機材席解放追加分抽選販売申込受付案内のメールが来た事である。1回目の機材席解放の時は来なかった。メールが来た人による呟きで受付の実施を知ったのだ。

この違いは何か。解放第一弾までは既に裸婦抱くの何れかの公演に当選している人は当選出来ない設定になっていた、と考えるのが自然だろう。当てない人に案内する必要はない。問い合わせの件数が増えるだけ害である。しかし、そんな私(のような既当選者)の所にもメールが来たということは、つまり、今度の機材席第二弾では既当選者も“二枚目以降”のチケットが当たる設定になっているのではないかという予測が成り立つ。でなければ案内メールなんか来ないだろう。

勿論、今回(多分ラストチャンスだ)も未当選者優先で抽選は行われるだろう。しかし、それでもチケットが余った場合は我々既当選者に衣鉢が回ってくるということだ。

主催者側としては、最終的には「全公演ソールドアウト」を宣伝したいに違いない。まぁそれ売り文句にしてももう売るもんないんだけどね。その為の最終調整がこの機材席解放追加になるだろう。既当選者にもチャンスが回ってきた、という訳だ。今書いた通り未当選者分で売り切れてしまえば流石にノーチャンスだろうけども。

あと、機材解放席といっても良席ではないというだけで普通の席である。見づらいとか聞こえづらいとか色々注釈が書いてあって、まぁ確かにそういう席に当たらないとは言わないが、そうでない、普通にただ後ろの方というだけの席も余っている可能性があるのでその点はお間違えなきよう。

この“最終調整”があるために、オフィシャルでは今まで「一公演でも当選された方はそれ以外の他公演日にも当選できません」という抽選基準を公に謳ってこなかったのだ。どうせならこういう経緯全部説明しちゃえばいいのに、というのが素直な感想なんだが今回は今更言っても仕方ない。二公演以上行きたい人は、確率は低いけど、取り敢えず応募するだけしてみたらいい。上述のように未当選者優先で当選させるはずだから何の邪魔にもならない筈だし、売れ残り分を買い取って貰えるのは主催側も嬉しい。全員ウィンウィンなので何も気にせず応募しときましょ。と、言いながら私はまだまだ検討中なんですけれどねっ。

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来年発売予定のCDシングル『Face My Fears』の詳細が発表された。…って、この曲、元が英語バージョンなんじゃなかったの!? 英語バージョンの方に『(English Version)』の表記があるからには“オリジナル”が日本語詞で後から英語に入れ替えたって事か。確かに『Face My Fears』が英語詞だなんて誰一人言ってないもんね。今回もこちらのはやとちリミックスであったのか…或いは、今回もミスリードされた?(笑) ヒカルほんとそういうの好きねぇ…。「HUNTER×HUNTER」とか「DEATH NOTE」とか絶賛してたもんね。

というわけで第三弾にして初めてキングダムハーツシリーズの主題歌の英語版と日本語版のタイトルが同じになった。『光』と『Simple And Clean』、『Passion』と『Sanctuary』、『誓い』と『Don't Think Twice』と来て、『Face My Fears』と『Face My Fears (English Version)』に辿り着いたという訳か。

もっとも、“どちらが先か”、本当の所はまだわからない。英語圏の配信では『Face My Fears』と『Face My Fears (Japanese Version)』という表記になっているかもしれない。そこら辺はヒカルの口から何れ語って欲しい。

現時点で考えられるのは、タイトルが同じならば、曲の中で歌詞の描くストーリーが日本語版と英語版で似通ったもの、或いは同じものになっている可能性が出て来たってこと。今までは『光』と『Simple And Clean』にしても、『Passion』と『Sanctuary』にしても、醸す雰囲気や全体のテーマ性などは共通していたが、実際に歌詞が描く風景とストーリーはそれぞれ別物になっていた。だからこそ日本語版と英語版でタイトルが違っていた(直訳ですらなかった)のだ。今回はそうではないのかもしれない。

これは、考えようによっては非常に難易度が高い。ヒカルが今まで日本語版と英語版の歌詞を別々のストーリーとして書いてきたのは、それぞれの言語の特性を熟知していたからだ。曲調と語り口の調整を経ると、相応しいストーリーも微妙にズレてくる。そのズレを反映して『光』と『Simple And Clean』ではサビのメロディーラインが違っていたし、『Passion』には『Sanctuary』にはない『(Single Version)』が存在していた。言語を違えるというのは、その曲を同じ曲では居られなくする。

なのに、敢えて『Face My Fears』で日本語版英語版共に同じストーリーを描いたとすればこれは相当なチャレンジである。日本語版英語版どちらが先に作られていようと、後から作られた方は「ただの直訳」から脱却するのは本当に難しい。訳詞と作詞は全く別物なのだから。果たしてヒカルはどういう選択をしたのか? それが判明するまであと84日―12週間となったのだった。

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ツアー開始まであと10日? Really ??

ここまで来たらお互い体調管理に気をつけて、というしかないじゃないか。システム上まだチケットが手元に来ていないので「ほんまに行けるんかいな」という感触が拭えないがまぁそれは最近のコンサート/イベントでは珍しくないか。

全員不慣れ。12年ぶりだとそう言うしかない。何をするにも手探りな中、まだ殆どの人がチャレンジしていない顔認証システムを試しに来たのは驚嘆に値する。無謀だったのではないか、という感想が出るのは貴方が保守的だからではない。私は元来「失敗してもチャレンジしてる方が面白い」という評価軸の人間なので、失敗しそうだからといって断罪する気はさらさら無いのだが、今回は異なる理由でそう思う。最善を尽くしていないじゃん、と。

ポーズだけでも人間な感じで「今頑張ってます」って言ってくれればいいのにね。それを察したからヒカルはハ音記号がどうのと呟いてくれたんだろうが、ツアーに携わる人間はもっと沢山居る訳で。彼らの顔が見えてこない。自分たちの失敗を総てヒカルに押し付けて知らんぷりしてそうで怖い。

「誤解だ」というのなら声を上げればいいのだ。裸婦抱くオフィシャルツイッターアカウント作るなんて10分もあれば出来ないか? そこから関わる人達が皆が発信しておけば不信感なんて雲散霧消していただろう。リプライで炎上するだろうからやらなかったんだろうな、と思われても仕方ないよ。

でもツアーが始まってしまえばヒカルの歌が全部吹っ飛ばしてしてしまう。自分の昔の日記を見てみても、例えば『30代はほどほど。』も始まるまでは親の敵の如く3DVRのことを悪し様に罵っていたのだがいざストリーミングが終わると「メガネ姿がかわいかった」とばかり言っている。明らかに矛先が鈍っていた。今回もそうなるだろう。そして結局一向に状況は改善されない。今後も同じ事が繰り返される。やっぱりレコード会社移籍するなりなんなりした方がいいかもわかりませんねぇ…。

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『UTADA UNITED 2006』を思い起こすと紀里谷和明氏による謎の映像作品がインターミッションとしてあった。初めはそのとりとめの無い内容に退屈だとの評価が遠慮無く浴びせられていたのだが、途中ヒカルが書き下ろした詩を本人自ら朗読した音声トラックを被せた途端、その驚異的な“作品性”を見せることになった。贅沢な話だが、2ヶ月に渡るコンサートツアーの序盤・中盤・終盤夫々の公演を観ていたからこそわかる変化だった。私が。

今回の『Laughter In The Dark 2018』では、そのような「長丁場のツアーならではのドラマ性」みたいなものを味わえる機会は極端に少なそうだ。そもそも複数公演に参加できる人が殆ど居ない。これではツアーの中の時系列的変化を体験出来る人も限られてくるし、そもそも気付けるかどうかもわからない。

しかし、ヒカルが今頃スコアを書いている(のが裸婦抱く用ならば、だけど)訳だから、今回のツアーはかなりの突貫工事だと見て取れよう。ならばツアー中も内容はどんどん変化していくことが期待される。先述のウタユナは2006年の7月初旬から9月上旬にかけて行われてたが、その朗読詩をヒカルが書いていたのが同年5月下旬である(メッセにくまちゃんが登場し始めた頃合だね)。完成したタイミングはわからないが、兎も角開幕には間に合わなかった。今ヒカルが裸婦抱くに向けて何か仕込んでいたりするのなら、それは最終日・デビュー20周年記念日向けかもしれない。時間の感覚は、そんな感じなのだ。

が、それを誰が教えてくれるのかが問題な訳だ。誰も複数回観ていないのなら比較のしようがない。選曲・セットリストの変化なら続々上がるライブレポで皆確認出来るだろうが、例えばインターミッションに映像作品が流れていてそこに詩の朗読が載っていたかどうかなんて、かなりの摺り合わせをしないと突き止めきれないだろう。楽曲のアレンジがある日を境に変化した、とかになったらもう無理だ。これはかなり厳しい。

というわけで、スタッフかメディアの人で、誰か12年前のミスター・パット・ウッドワードのようなブログを書く人間が必要なんだと思う。彼は12年前の『ULTRA BLUE UNITED BLOG』通称UBUBにおいて全公演のレポを上げてくれていた人物である。挨拶程度だったけれど、それでも読み取れる事は多かった。何とか今回もそういった人材をオフィシャルで起用してほしい。いや、パットだって別にブロガーとして起用されてたわけじゃ無く単なるついでだったんだけどね。今回照實さんに12年前のように全公演の撮影写真をアップしてくれというのも酷だろうし、ほんと誰かやってくれんかな、「オフィシャル・裸婦抱く・フォロワー」って役割を。頼むでほんま。宜しくお願いしますよ。

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久々の(でもないか)ツイートがあった。曰く、

『自分が昔プログラミングした弦のパートを書き起こしてもらった楽譜を見ながらそれをまたプログラミングして修正したり展開させたりしようとしてるんだけどヴィオラのパートの読み方がわからん(ToT)ト音記号に対して何音ズレてるって計算すればいいのこれ』

読み取るべきことは多い。まず、ググればすぐ出る話をわざわざツイートして訊いている。ファンとの交流が目論見だろうか。勿論、作業にテンパってて「人に訊いた方が早い」と思ったのかもしれないが。なお、リプライのツイートの方はやっぱり殆どの人が見ていないっぽい(基本的に各自のページに行ってwith repliesのタブをクリックorタップしないと気付かない)のだが、昔よりその割合が増えちゃいませんかね。ある程度人口が増えると熱心なファンの増加割合は相対的に鈍るということか。

もうひとつ読み取るべきなのは「昔弦で編曲した曲を初演十日前のタイミングで再編曲している」点。「昔弦で編曲した曲」がスタジオ版オリジナルバージョンかライブバージョンかはわからないが、いずれにせよ曲は絞られるのである程度選曲を予想させる流れだろうかな。

そして十日前(多分前日か前々日にランスルーというか、通しリハが行われるので)というギリギリの局面で果たして間に合うのかという疑念だが、例えば斎藤ネコカルテットやグレート栄田ストリングスの面々ならその日にやってきて楽譜を渡されたらその場で演奏出来てきてしまう能力があるので問題ないだろう。プロフェッショナルここに極まれりという感じだが。実際に彼らが一日で「レコーディング➡️ライブ出演➡️レコーディング」というスケジュールをこなしてる場面に遭遇した事があるから間違いないと思われる。

したがって、通しリハの日までにヒカルが再弦楽アレンジ用の楽譜を用意出来てれば大丈夫! しっかりと頑張ってくださいな。それに、ツアーなんだから完成した時点から選曲に組み入れたっていい。身体に負担にならないペースでやっていきましょ。

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今回のライブの舞台上はかなりの大所帯だと予想してきた。通常のバンド編成(ギター、ベース、ドラムス、パーカッション、キーボード、マニピュレーター)に加えてストリングス・セクション(4人以上何人でも)が前回の『WILD LIFE』同様起用され、今回は更にそこにホーン/ブラス・セクション(これまた4人以上何人でも)がやってくるだろう、と。お歌と鍵盤とギターのヒカルを併せるとすでにこの時点で15人以上が(全員いっぺんにではないにせよ)舞台に上がるのだから壮観だろうな。この人数を1ヶ月連れ回すのだからギャランティーも相当かかるだろうがチケット代が大台に乗ったのだからそれくらいは賄って欲しいわ(笑)。

さて。更に更にそれらに加えて、コーラス隊の参加は有り得るだろうか? 『Play A Love Song』は必ずやるだろうから出番はある。が、この曲くらいかな? 基本的にヒカルの曲はヒカルがバックコーラスを歌って収録しているから他人の声って少ないんだよね。

ならば『Goodbye Happiness』をやるかどうかにかかってくるかな。この曲のスタジオバージョンではSYNERGY CHORUSの面々が参加して神聖なバックコーラスを歌ってくれている。必ずしも彼女達自身がやってくる訳ではなくとも、『Play A Love Song』と『Goodbye Happiness』の2曲を歌うんなら思い切って誰がしかのコーラス隊を起用するのもいいかもしれない。

逆に、コーラス隊を雇うならそれ向きに既存の楽曲をアレンジしてもよい。ストリングス・アレンジで『COLORS』や『Letters』は生まれ変わった。同様にコーラス・アレンジで生まれ変わる曲があってもいいかもしれない。

で。ヒカルの楽曲でコーラスの分厚い曲といえば何かな~と考えたときに最初に思い浮かぶのが私の場合1stアルバムの『Interlude』だったりして。短いわ!と思ったが、ならば続く『Give Me A Reason』に分厚いコーラスを加えてみてはどうだろう。シンプルなリフレインをゴスペル調の聖歌隊が壮大に歌い上げる…ちょっと歌詞に合わないかもしれないが、サウンドとしてはなかなか悪くないのではないか。

同じ路線で『Fight The Blues』もコーラス隊を加える事で生まれ変わる気がする。まさに憂鬱に打ち勝つ力強さを強調したような。(短い)ミュージック・ビデオも明るく爽やかな感じだったし。やってみてはどうか。

あとは、そりゃ『FINAL DISTANCE』だろう。独自アレンジのバックコーラスを次々に加えてあの神聖性に更なるスケール感を与える。アレンジャーの腕が鳴ると思うよ。


…だなんて妄想ばかりが捗るけど、問題なのは、これらの曲がセットリストに採用されるかどうか、なんだよね。何れも、当落線上というか、なんだろ、あんまり無さそうというか…まぁ今回でなくても「またいつか」に望みを託しておきましょうか。そもそも、バックコーラス隊が参加する可能性自体怪しいもんだしなっ!(笑) でもさ、こんな妄想を繰り広げてられるのもあと2週間なんですよ、えぇ…。早いねぇ。今のうちに楽しんどきましょ。

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凪なら凪で前向きに捉えるか。事前情報が少なければ当日の驚きも大きかろう。

もとより、ライブの頻度が少ないのもあって、「コンサートでのお約束」が極端に少ないのだ宇多田ヒカルは。「『Automatic』のサビで拳を4回突き上げる」くらいしか咄嗟に思いつかない。故に観に行く方も大して予習は要らない。気合いを入れず気負いも抜いた状態で会場に向かってくれて構わない。客席の方は何かを証明しようと躍起になることもないのだ。有り難いといえば有り難い。

今回は、同伴者変更を駆使でもしない限り複数回公演参加は困難な状況だ。つまり、前の公演に行っていた人が次の公演にライブ鑑賞の作法を持ち込んでそれが伝播していく…という流れが作りづらい。果NSがその役割を代替出来るかも未知数だ。

毎回コンサートを重ねるごとにヒカルとバンドメンバーとスタッフ達は習熟度を上げていくのだが、聴衆の方は毎度「初めましておひさしぶりね」状態である。この温度差が公演にどう影響を与えるか。特にデビュー記念日最終公演でその乖離は最大になる筈だ。記念ライブをシューティングするとすれば課題だ。演奏は熟れているのに歓声がぎこちないんじゃねぇ。

結局、ツアー中にどれだけバズれるか、どんな様子のコンサートなのかを伝えていけるかが鍵となる。今はナシの礫ですが、ツアーが始まったらオフィシャルから何か仕掛けがあるのかな? そこら辺も注目しときたいですわ。

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『二時間だけのバカンス』を、ゲストに椎名林檎を迎えて生で歌ってくれたら昇天する、という人は多いだろう。前から触れている通り残念ながら同時期に2人とも全国ツアーをやっているのでコラボレーションは物理的に不可能そうだ。12月9日だけ、ならもしかしたら…という一縷の望みを抱いておくくらいしかないだろう。


さて、では。仮に裸婦抱くのゲストに招くとして、どういう段取りがいいかをちょっと考えてみたい。

いちばんシンプルなのが、ヒカルがMCで「今夜は素敵なゲストが来てくれています! 椎名林檎ちゃんです! ようこそユミちん!!」といって招き入れて「もう私はEMIじゃないから“東芝EMIガールズ”再結成にはならないんだけど…何か新しいユニット名考える?(笑)」とかなんとか一頻り2人でお喋りした後に「それでは聴いて下さい、『二時間だけのバカンス』です!」と歌い始め、まぁ出来れば"I Won't Last A Day Without You"も歌ってくれれば言うことなし…みたいな。間違いなく盛り上がるね。

でも演出として工夫されているとはいえない。ある意味芸がない。椎名林檎が出て来た時点で大熱狂だから余計な事しなくてもいいと思うんだけどもね。

で。ということで少し捻った登場方法を考えてみる。「HikkiがMCに入ろうとしたらミラクルひかるがやってきて大盛り上がり、そこで対抗意識を燃やしたヒカルが自分だってモノマネできるもん!と繰り出したのが椎名林檎のモノマネで、しかしそこに御本家が登場! 場内は熱狂の渦に…」…なんだかナベプロの番組みたいだな。(笑)

まぁ今のは冗談として。

「場内暗転したらいきなり『二時間だけのバカンス』が始まる」という方法ならかなりのサプライズになると思う。あのギターのイントロが流れてきた時点で「え、もしかして林檎来てるの!?」ってなるしね。しかし、爆発力がちと足りない。イントロに続いて歌い始めるのヒカルだしな。

なので、もう思い切ってイントロはばっさりカット。いきなりアカペラで始めよう。椎名林檎にヒカルのパートを歌わせて。それこそ、“I Won't Last A Day Without You”方式である。同曲はライブで歌ったときと後日スタジオで収録したときで2人の歌い分けパートが入れ替わっていた。同じ事を『二時間だけのバカンス』でもやればよい。しかも今回はスタジオバージョンが先で、ライブバージョンが後だ。一夜限りのスペシャルバージョンをサプライズゲストとともに、ともなれば林檎姐さんが歌い始めた時点で場内のボルテージは最高潮に達するだろう。「歌ってるのがヒカルじゃない」ことに皆が一瞬で気付けるだけの音響のよさが必須になるけどな。


嗚呼、こういう妄想はしないようにしようと思っていたのにまた書いてしまった。なんだかんだで私もツアーが待ち遠しくて堪らないんだな。みんなすまん。

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件のジュリーの騒動は未だに記事になっているようで。相変わらず外野の声ばかりが喧伝されてて当事者であるファンの皆さんの声は自分から検索しないとなかなか出てこないのだけど。昔のWebに較べてノイズ除去は格段に煩わしくなってるな。どれをノイズと見做すかは常に相対的ではあるのだが。

今回の件で我々が思い出すのは2000年8月1日のアスティ徳島での“事件”だろう。現場に居たわけではないので実際の所は知らないが当時の記事によると会場に客が入った状態で舞台上からその日のヒカルの公演のキャンセルを告げられたらしく、そこだけ見れば数時間前に発表した今回のジュリーよりも更に悪質だ。

しかし、当時のファンはそれに憤ることなど全くなくHikkiの体調を案じそれなりに静かに会場を後にしたらしい。結局同年8月29日に振替公演が実現したが払い戻しは僅か7件、寄せられたクレームも「徳島のファンをバカにするな!」の1通だけだったらしい。当日ドタキャンでもこんな感じなのだ。

ジュリーとの違いはどこから来たのか? 当然それは「説明された理由の違い」だ。ヒカルは「急病」で、ジュリーは「客の入り」だった。18年前は皆ヒカルの身を案じ、今回のは皆ジュリーの傲慢を責めた。皆といっても主に外野の皆さんだが。

でも、冷静に考えて、「説明された理由」ってそんなに重要か? 皆公演を観られなかった事に怒ってるんじゃないの? 「説明された理由」に対して怒ってるのなら、今後気をつけた方がいいかもしれない。

再び冷静に考えよう。例えば、18年前のヒカルはそうではなかったが、例えば、だ、主演歌手が二日酔いで頭痛のまま遅刻してやってきてとても使いものにならなくても主催者発表で「急病の為」と言っておけばそれで皆心配して帰ってくれるのだ。例えばの話ね。完全に自己体調管理上の失態でもそれでなんとかなる。だな今回ジュリーは何故かそれをしなかった。この点はちゃんと考えておかねばならない。彼は正直に理由を告げ「自分の実力不足」と謝罪した。最初から「急病の為」とでも言って嘘を吐いておけばこんな騒動にはならなかったのだ。

当日キャンセルに憤るのは自由だが、それが「当日公演を観られなかった」からではなく「発表された理由」のせいなのだとしたら、一度よく情報を整理してみた方がいいのかもしれない。誰が本当に誠実な態度をとっているのか。それを見誤ると貴方の人生に禍根を残すことになるかもよ。

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おいおい、あと半月で12年ぶりのツアーだというのに静かな公式だな。コンサートは必ずしもレコード会社主導とは限らないのでRIAに今どうなってるのと訊くのが妥当かはわからない。かといってU3 MUSICは小所帯なので、例えば照實さんの具合が宜しくないとかそんなこともありえるわな。ロケのツイートしてたので大丈夫なんだとは思うが。

それに、ツアー自体が始まってしまえば否が応でも盛り上がる。何しろ宇多田ヒカルが出てきて歌うのだ。感動しないはずがない。ツアーの約1ヶ月の間に評判が評判を呼んで、という流れは12年前より遙かにWebユーザーが増えた今なら考えられる展開だろう。

また、11月6日に何らかのサプライズを仕込んでいる為に今おいそれと情報を流せない、という事情もあるかもしれない。例えば、ツアータイトルが発表になっているので今となっては有り得ないがヒカルが椎名林檎の東京事変のように突然ロックバンドを組んでいた、という発表をすればサプライズになっただろう。その類の何かが今淡々と仕組まれ仕込まれているのかもしれない。嗚呼、実はツアータイトルの『HIKARU UTADA Laughter in the Dark TOUR 2018』のうち「HIKARU UTADA Laughter in the Dark」までがバンド名でした、なんてオチも有り得るか。或いはあとからそっと「HIKARU UTADA's Laughters in the Dark」という風に「's」と「s」を付け加える、なんてのも面白いかも。今回のツアーにはしれっと改変するのが得意な人が噛んでいるようだし。(皮肉です)

まぁそれは冗談としてもサプライズの仕込みで沈黙の時間が多いという捉え方はしてみておいてもいいかもしれない。

勿論……勿論、準備が逼迫し過ぎていて誰も広報にまで手が回っていない、という解釈も考えておかねばならないだろう。何しろもう席が埋まるのは確定なのだから無理して人員を割いて宣伝する必要はないのだ。要らぬ問い合わせが増えるだけである。故に今現在の静かな態度は正しい。それよりもツアーそのものを成功させる為の仕事をするべきだわな。もう集客は十分だから広報は必要無しという考え方。味気ないがそう悪いことでもない。チケットが売れた証拠なのだからね。

でも、幾ら何でも今までのコンサート直前とは雰囲気が違い過ぎるような…このツアー終わったらレコード会社また移籍するんじゃなかろうな。別にSONYに思い入れは無いから構わないけれどね。活動に支障が無ければ、CDの商品番号がTから始まろうがUから始まろうがEから始まろうがどうでもいいのである。引き続きヒカルが無事ツアーを完遂できるように祈っていくのに何の変わりもないのです。

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